その変化は聞いていない「キース、誕生日おめでとう。酒以外のプレゼントは悩んだが……受け取れ」
そう言って渡されたのは、片手で持てるほどの箱だった。キースは意外な表情を見せながらもそれを受け取る。
ブラッドからの誕生日プレゼントと言えば、四年前から酒が定番となっていた。それより前はディノと共に用意していたので、彼個人のプレゼントとしては四年前のウイスキーが初めてだったか。苦い思い出だ。これ以上振り返る必要のない記憶だと、キースはかぶりを振って思考を切り替えた。
任務が終わり「煙草を吸ったら戻る」とジュニアに連絡して立ち寄った喫煙所。朝からやけにそわつく子供の意図を察し、わざわざ時間を潰してやっているのだ。大方ディノが主導だろうから、今頃はさぞ盛大な準備が行われているのだろう。
(仕方ねぇな)
去年までは意味などあるのかと思っていた誕生日だが、今年は違う。張り切る仲間に応えるべく、主役は精々とぼけた顔をしてやるとしよう。と、時間を潰していたのも束の間。リリーという酒豪の暴走により、とんだ誕生日となったわけだが。
「ん~~?」
キースはダイニングのカウンターテーブルに腰掛けながら、手の中にある箱を訝しげに見つめる。重さや大きさから酒とは考えにくい。去年の日本酒からやけに小さくなったものだと隣のブラッドを一瞥すれば、アルコールが入ってるせいかやけに機嫌のいい暴君が、開けてみろ、と顎をしゃくった。
言葉に甘えて丁寧に包まれたラッピングを解いていく。シルクで出来たリボンから、ハイブランドであることが窺い知れた。恐る恐る高級感のある皮張りの箱を開いて、その中身にキースは目を瞬かせる。
「シガレットケース……?」
「毎年酒では面白みがないと言われてな。キューのメンテナンス用品も考えたが、これなら普段使いもしやすいだろう。煙管のお返しも兼ねている」
そう言って、ブラッドはリリーがあけたキース秘蔵の酒で唇を濡らした。大事に隠していた真っ白な木箱の中身も、この美丈夫に飲まれるのなら本望だろう。あばよ、オレの1500ドル……と胸中で別れを告げながら、キースはブラッドの言葉に気付いた疑問を口にする。
「……これ、誰の入れ知恵だ?」
その口ぶりから察するに、このプレゼントには第三者が関わっている。シルバーに刻印された年号と所属セクター。シンプルだが高級感のあるシガレットケースを片手で振ってみせれば、キースの半眼を横目で見たブラッドは一笑した。
「ふ。さぁな」
そう言って貴重な32年を勿体ぶる様子もなく一気に煽ったブラッドは、丁度かけられたディノの呼びかけに応じてその場を離れていく。
残されたキースは、柔らかな空気を纏う背中を見つけながら、シガレットケースを頬へと押し付けた。仄かに伝う冷たさが、酔った思考に疑念を与える。
「…………」
ブラッドからは今まで一度だって浮いた話を聞いたことがない。きっと恋人の一人や二人いたことはあるのだろう。しかし、あの抜かりのない男が自分たちに色恋の香りを出すはずもなく。自分も首を突っ込む性分ではないため、あまり気にしたことはなかったが。
そんな彼が珍しく匂わせてきたパートナーの存在。気の緩みや酔いの勢いとは思えない。ならば、本人の中では将来を見据えた、真面目な交際なのだろう。
テーブルに置かれたグラスの中身は氷が溶け、柔らかな水へと姿を変えていく。リビングの方では、先日起きたピザ失踪事件をディノとジュニアが身振り手振りで話していた。配属された頃は殺風景だった共有ルームも随分賑やかになったとキースは苦笑する。変化は嫌いだ。けれど、こんな変化なら、変わっていく光景も、関係も、悪くない。
いつかブラッドも今のパートナーを紹介する日が来るのだろう。上品で淑やかな黒髪の女性像を脳裏で思い浮かべながら、キースは席を立つとリビングに背を向け歩き始めた。それに気付いたリリーが、左手に持った酒瓶を掲げながら声をかける。
「なんだ、キース。どこへ行く」
「煙草が切れたから買ってくる。……言っとくがもう俺の酒、漁るんじゃねーぞ」
振り返って念を押すが、返ってきたのは暢気な相槌。これは早く戻った方がいいと、キースは足早に部屋を出た。
そして、騒がしいリビングとは打って変わって静かな廊下に、一抹の寂しさを覚えながら歩いていた時だ。目の前から見覚えのある赤毛が近付いてきて、キースを見つけると手を振ってくる。格好からしてトレーニングに行っていたのだろう。ブラッドのメンティー、鳳アキラだ。
「お、キース。誕生日おめでと。もうブラッドからプレゼント貰ったか?」
「おー……」
「酒もだけど、煙草もほどほどにしとけよ」
「おー……」
通りすがりざまにかけれた祝いの言葉。何の変哲もないありふれたやり取り。キースはそれに気の抜けた返事を投げて――しかし、そのまま立ち去ろうとするアキラの首根っこを引っ掴んだ。
「おい、ちょっと待て」
「ぐえっ! なんだよ、急に襟引っ張んなっつの」
「…………」
不満気にこちらを睨むアキラ。それを見下ろしながら、キースは覚えた違和感に片眉を吊り上げる。今のアキラの口ぶりは、まるでプレゼントの中身を知っているようだった。ブラッドが雑談の中で研修メンバーに話したのかもしれないが、それにしてはやけに馴れ馴れしい。
何と言えばいいのだろうか。そうだ、まるでブラッドの買い物に付き合ったような――。
まさか。キースは浮かんだ考えを否定する。あの男の纏う雰囲気は、どう見ても色恋を滲ませていた。十年以上見てきたのだ。違うはずがない。それでも嫌な予感はじりじりと背中を焦げつかせる。
キースは、黙ったままの自分に怪訝な目を向けてくるアキラを見ながら、有り得ない可能性の一つを思い浮かべて口を開いた。
「お前は?」
「は?」
「だから、お前はプレゼント、用意してねーのか?」
「あっ!」
ああ、用意してるぜ。あるに決まってるだろ。ちょっと待ってろ、今とってくる。そんな言葉の数々を期待していたが、アキラが見せたのは思い出したようにハッと口を開く間抜け面。有り得ない可能性が、徐々に形を成していく。
「しまった、ついオレもプレゼント買ったつもりになってたぜ。……えーと、今から買ってくるけど煙草でいいか?」
そう言って片手を持ち上げ提案するアキラに、キースは笑みを浮かべながら胸中でかぶりを振った。どうやら自分は、ブラッドに対して妙な勘違いを起こしていたらしい。考えてみれば、彼は今の研修チームに配属してから随分穏やかになった。それを恋人の存在が理由などと思ってしまった自分の下世話な思考には呆れしかない。きっと誕生日で、知らず知らずのうちに浮かれていたのだろう。
そう言い聞かせて、けれどやはり拭い切れない不安に、最後の賭けだとキースは小さく口を開いた。
「……なぁ、アキラ」
「ん?」
「ブラッドの車、グローブボックスに眼鏡ケース入ってるだろ」
「は?」
「その中のアレ、使ったか?」
どうか知らないでいてくれと傾げた首。キースの揶揄い混じりの質問に、こちらの願い虚しく十八歳の青年は、呆気に取られた表情から一転、みるみるうちに顔を怒りで染めていく。
「はっ、はあぁぁぁぁ!? アレ、キースの入れ知恵かよ!! ふざけんなよ、こっちは……っておい、なんで上向いてんだ」
――ビンゴ。キースは手のひらで顔を覆いながら天を仰いだ。
グローブボックスに入っている眼鏡ケース。昔、酔った自分を迎えに来てもらった時に店で貰ったスキンを、冗談でそこに入れたことがある。やめろ、と制止する言葉も聞かぬまま「お前もいつか使う時がくるかもしんねーだろ。保険だよ、保険」とへらへら笑って仕舞ったそれが、ついに役立ったのか。
だが、それを使った相手が、目の前の男だという事実に、可能性が事実として突きつけられたことに、キースは言葉を失った。当然だろう。全てにおいて完璧に近い男が、誰もが羨む男が、数々の女性たちを虜にしてきた男が、そして自分の親友が、選んだ相手。
それが――
「よりにもよって、こんな……深刻な、アホ……」
「おい、馬鹿にしてんのか」
ジト目を向けてくるアキラに構わず、キースはよろよろと壁へもたれ掛かった。何故、よりにもよって自分の誕生日に知ってしまったのか。脳裏に浮かんだ上品で淑やかな黒髪の女性像が、音を立てて崩れていく。
変化を受け入れ始めたとはいえ、こんな変化は聞いていない。キースは踵を返すと部屋に戻るなり(リリー以外の)全員の制止を振り切って、今知ったことを忘れようとパトロンを呷るのだった。