【Cum omni amore meo】「え、えぇ……こんやく……ゆびわ?」
掌サイズの箱をたっぷりと3分間見つめたアキラがようやく口に出来た言葉がそれであった。恐る恐る目の前のブラッドを見つめれば、顔の眉間に皺が増える。
「馬鹿をいうな。まだ早い」
「あー、だよなぁ……」
まだ、と言うことはその予定はあるのか。へらりと笑った顔は歪な形をしていたのか、ブラッドの眉間の皺が更に増えた。
誕生日プレゼントだと渡された小さな箱は、どう見てもアクセサリーの類だ。指輪でないならピアスか、それともネックレスか。もう一度箱を見れば、シルバーアクセサリーで有名な店のロゴが描かれていた。アキラの好きなブランドだ。
少なくとも婚約指輪として選ぶような店ではない。それに安堵しつつ、アキラはもう一度ブラッドを見上げるとあけていいか尋ねた。返事はなかったが、皺の数は少しだけ減った。
「……やっぱり指輪じゃねーか」
中にあったのは、シンプルで幅の厚めなシルバーの指輪だった。それに乾いた笑みを漏らしながら早速薬指に嵌めようとするが、ブラッドの手に止められる。
「違う、人差し指だ」
「へ?」
「婚約指輪ではないと言っただろう」
「あ? あ、あぁ、分かってるっつーの」
ブラッドに言われて、アキラは気恥ずかしさに唇を尖らせた。よく見ればサイズが大きい。無意識に薬指を選ぶなんて、これでは期待していたと言っているようなものだ。ブラッドが指輪を奪い、左手の人差し指に添える様子を見ながら、アキラは悔しさに唇の裏を噛む。
けれどそれも一瞬のことで、人差し指に収まったそれに目を輝かせる。
「へー、なかなかいいじゃねぇか。これならどんな服着てても似合いそうだな」
気に入ってもらえて嬉しいのか、ブラッドは眉間の皺を隠し笑みを浮かべた。恭しく人差し指を取り、嵌められた指輪をそっと撫でる。
「左手の人差し指は、自分の気持ちを導くと言われている」
「ん?」
「慣れない企画に不安そうだとディノから聞いた」
その言葉にアキラの胸が跳ねる。立て続けに起きた最近の事件でイメージが落ちているヒーローに、広報部から打診された企画のことを指しているのだろう。
研修チームの各セクターから1名ずつ集まり、期間限定で結成されたアイドル企画。他のアーティストと共に夏のフェスに参加し、そこでヒーローの明るい印象を若者に与え、イメージアップを目指そうというものだ。
サウスからはアキラかウィルが適任だとブラッドに言われ、ウィルは「人前で歌うなんて絶対無理だ。そういうのはアキラの方が得意だろう」と言われ、軽いノリで了承したが。
いざ企画が進みだすと取材に撮影の予定が増え、最初こそ楽しかったものの外を歩けば他の三人の話ばかり。
家柄もあって有名なアッシュ、若者に人望のあるガスト、ヒーローの好感度ランキングで常に上位にいるディノ。自分はというとヒーローに明るくない者からすれば知名度も低く、正直あまり相手にされていない。前向さも、連日続けば萎んでいってしまう。
「ぐ、ぬ」
ブラッドには知られたくなかった。唸るアキラに、ブラッドは人差し指を持ち上げてそっと唇を寄せる。
「少しでも自信がつけばいいと思い、これを選んだ」
影が落ち、今度はアキラの口端にそっと唇が寄せられる。
「お前の魅力も、徐々に理解されている。今を気にする必要はない」
そう言って頭を撫でる手のひらに擦り寄りながら、アキラは満足そうに笑みを浮かべた。きっとディノに聞いてアキラに自信を与えようと悩んでくれたのだろう。恋人でありながら親心のようにアキラを想うブラッドの愛に、いつも胸が満たされる。
「へへ。なんか色々考えてくれたんだよな。サンキュ」
礼を言って頬に口付けを贈れば、何故かブラッドはきょとん、と目を丸くさせた後口元を隠し視線を逸らした。
「……いや」
「?」
予想していなかった反応に首を傾げれば、ブラッドは視線を彷徨わせたあと、言い辛そうに口をもごもごと動かして言った。
「正直に言えば、これに独占欲がないとは言えない」
「いや、意味分かんねーし」
思わずジト目を向ければ、ブラッドはアキラを見て、次に指輪に視線を送る。
「いつか分かる」
「……ふーん」
問い詰めてもよかったが、今日は気分がいいのでやめてやろう。ブラッドに飛びついて口付けを強請れば、腰に腕が回され、唇が落ちてくる。
今年の誕生日をお前と迎えることが出来て良かった。そうはにかみながら言えば、返事の代わりにまた口付けが落ちてきた。相変わらず言葉足らずな男だが、重なった熱が想いを伝えてくる。それがどうしようもなく愛しい。
けれど、この時のアキラは知らなかった。数日後、指輪の裏に英語のような、けれど読めない刻印があることに気付き、意味が分からずガストに調べてもらったせいで気まずい空気が流れることを。
「マジで不器用だなアイツ」
指輪の裏の刻印を眺める。一体彼は、どんな顔をしてこれをオーダーしたのか。
「すべての、ね」
こめられた言葉は、確かに彼の言う通り独占欲に相応しい重みがあって、喜びを隠せないアキラは彼の誕生日にはこれより凄いものを用意してやると意気込みながら企画に臨むのだった。