煌々と光る蛍光灯に見慣れた天井。両隣から漏れ聞こえる話し声と生活音。傍らには遠征先で買ったご当地キャラクターのストラップが付いた携帯と既に読み終わった先週号のジャンプが乱雑に投げ置かれている。
別に可笑しいところなんてない、いつもと何も変わらない風景。
ただ一つ、若利くんに押し倒されてるってこと以外は。
どういう状況コレ。なんで俺押し倒されんの?
置かれた状況を理解しようと脳みそをフル稼働させるけど、空回りするばかりでなんの役に立たない。ただわかるのは俺を押し倒した張本人である若利くんがちょっと、いやかなりご立腹だということだ。
鷲のような凄い眼つき、不機嫌をありありと滲ませた口元。ピリつく空気に自然と背筋が伸びる。
体は上から抑えつけられてビクともしない。ただでさえ力の差がある上にこの体勢、抜け出すなんて不可能。
つい数分前までは平和だったのに。もはや日課になりつつある、消灯までの時間を若利くんの部屋でダラダラ過ごしていた時に事件は起きた。
ジャンプを真剣に読む若利くんの横顔をぼんやり眺めていたら、なんの前触れもなく押し倒された。——いや、白を切るのはよそう。俺から若利くんにいたずらを仕掛けた。たぶん、絶対それが原因。
あまり感情を表に出さない若利くんが驚き慌てふためくさまが見たかった。ちょっとした好奇心だった。以上、被告人俺の供述。我ながら救いようのない馬鹿である。
思い立ったはいいが相手はあの泣く子も黙る牛島若利。ちょっとやそっとじゃ驚いてくれないだろう。かといって度の過ぎたいたずらで信頼を失うのも困る。うんうんと頭を悩ませ辿り着いたのは、若利くんのちんこを触る、というなんとも頭の悪いものだった。
ジャンプを読むのに集中している若利くんに気づかれないようゆっくり近づいて、よく鍛えられた太腿に触れた。そこから股間へと指を滑らせて布越しに片方の玉をつぅ、と撫でた。ぴく、と内腿が違和感に震える。異変に気付いた若利くんがジャンプから目線を外して振り返る。ぱちり、目と目が合った。その瞬間ニマっと微笑んで見せて彼のちんこをやんわりと握った。
大きな体がびくっと跳ねる。なにが起きてるか理解できていない、鳩が豆鉄砲を食ったような表情。瞬きするのも忘れて、俺と俺の手が触れている箇所を交互に食い入るように見ていた。
今、俺が、若利くんのちんこ触ってんだよ。見せつけるように上下に扱けば、逞しい体を大げさに震わせて、苦しげに結ばれた唇からフッ、と吐息のような声を漏らした。
やったね、いたずら大成功!可愛い顔しちゃってまぁ。期待していた以上の反応に、これ以上ない達成感と興奮で胸がぞくぞくと躍って、口角が上がるのを抑えられない。
それで満足しておけばよかったのに、調子に乗った俺は「ココ、触られるの初めて?ちょっと触っただけでおっきくしちゃってかーわいっ♡」と彼の純情を揶揄い弄んだ。
んでこの状況。怒った若利くんにものすごい力で押し倒されて、もうすごい剣幕で睨まれてる。弁明の余地なし。被告人俺、有罪。
「天童」
数分前の愚行を悔いていると、地を這うような低い声が俺を呼んだ。慌ててよそにやっていた意識を引き戻して、ハイッ!と部活時ばりの返事をする。
「断りもなく人の性器を触るな、と以前も注意したはずだが」
滅多に聞くことのない怒気を含んだ声に背中にぶわっと冷や汗が浮く。
こっこえぇぇっ!チョー怒ってんじゃん!ちんこ触っただけでそんな怒る?!てか触るなって言われたっけ?!いつ?!
慌てて記憶の引き出しを片っ端から開けて探すけど、恐怖で委縮した脳みそは英太くんの下着がクソダサかったとか、こないだ食べた新作コンビニアイスが過去1美味かったとかしょうもないことばかり掘り起こして、肝心な記憶は一向に出てこない。一面バラとドクロの英太くんの下着なんて世界一どうでも良い記憶残すな、即削除しとけよ。
「半年前、暇だからと突然俺の性器を触っただろう」
「半年前・・・」
「人の性器を断りなく触るなと注意したら『減るもんじゃないしイイジャン』、『てか若利くんって抜いたりすんの?オカズなに?』と受け流された」
まさか覚えていないのか、と言いたげな視線が、グサグサ突き刺さる。おっしゃる通り全く覚えておりません。でも俺のことだから言ったんだと思う。注意されてんのにへらへら笑ってはぐらかしてる姿が簡単に目に浮かぶもん。本当そういうとこ良くないと思うヨ、過去の俺。
さて、どうしたものか。出来れば穏便にこの場を収めたい。忘れてたと正直に答えるべきか、覚えてたけど触りたかったから触ったと嘘をつくべきか。——どっちも怒られるな、特に後者。うん、やめよう。とりあえず確信には触れず謝っとこう。
「ごめんね?」
反省してます、としおらしく眉を下げる。ついでに首をこてん、と横に傾ければ完璧。俺ってば役者すぎる。
若利くんは俺に甘いからこうやって謝れば大体なことは許してくれる。だから今回も呆れながら「次から気を付けろ」と許してくれるに違いない。そう舐め腐っていたから、だからきっと天罰が下ったんだと思う。
「それは触ったことに対しての謝罪か?それとも忠告を覚えていないことに対してか?」
全てを見透かした言葉にギクリ、心臓が跳ねる。解放されるはずの体は未だベッドに沈んだまま。なおも厳しい眼つきの若利くんが容赦なく俺を睨みつける。
どうやら小賢しく浅はかな目論見は見破られていたらしい。普段は超がつくほどの鈍感なのに、変なところで鋭い。野生の勘ってやつ?なにも今発揮しなくてもいいのに。
バレてるなら仕方がない。両手をあげて降伏のポーズを取る。
「両方かな。勝手に触ったことも、前に怒られたのにど忘れしたことも反省してる。でも嫌がらせとかじゃなくてスキンシップのつもりだったってのは知っておいて欲しいナ」
そう、スキンシップ。本当は好奇心だけど、若利くんの意外な一面を知るための必要不可欠なスキンシップだったってのもあながち間違いでもない、気がする。知らんけど。とりあえず余計なことは言わずにおこう。
「お前はスキンシップで人の性器を触るのか」
「え、触るヨ?」
当たり前じゃん。あっけらかんと答えると、衝撃だったのか、若利くんの目が大きく見開かれた。あ、それも初めて見る顔。こんな状況じゃなければ手放しで喜べたのになぁ。
「男同士だもん、挨拶代わりにちんこ触るなんてよくあんじゃん?」
「俺はない」
当然のような顔をして否定されたので、はあそっすか、と返すほかなかった。そりゃあ天下のウシワカのちんこ触る恐れ知らずなバカそういないでしょ。俺は若利くんのマブダチだから触るけど。いつかどこかで若利くんのちんこ触ったって自慢すんだもんね、なんてこんな状況なのに能天気に考える。
「若利くんはないかもしんないけど、普通に触るし触られるよ」
「・・・それは俺以外の性器を触ったことがある、ということか」
「あるね。バレー部のほとんどは触ってんじゃないかな?」
「触られたこともあるのか」
「あるヨ、めちゃくちゃある」
別に隠すことでもないし正直に答える。あ、でも流石に勃つまではしないヨ。と訂正しようとして、思いとどまる。じゃあなぜ勃つまで触ったのか、って詰められたらめんどうだもん。
「・・・」
「・・・」
それまで続いていた会話が突然ぷつりと途切れて、部屋に静寂が戻ってきた。沈黙は嫌いじゃない。普段から口数の少ない若利くんと一緒にいると沈黙なんてよくあることだし、会話がなくても居心地悪いなんて思ったこともなかった。
でも今の空気はいつもと違う気がする。まるで嵐の前の静けさみたいな、張り詰めた空気。いつもと同じ仏頂面からは感情が読めなくて、ぶっちゃけかなり居心地悪い。無意識にスウェットの裾をいじいじしてしまう。
『おやすみー』
『明日寝坊すんなよー』
廊下から聞き慣れたチームメイトの声がする。散り散りに遠ざかる足音。しばらくするとパタンと扉が閉じる音が聞こえて、もうすぐ消灯時間なんだと気付く。
部屋に戻んなきゃ、明日も朝から練習だ。寝不足で使い物にならなくなったら大変。
消灯時間なんて守ったことないくせに、この場から逃げ出すための理由をつける。
目の前の体を押し退けるために腕を伸ばす。グッ、グッと力を込めて押すも、鍛えられた強靭な体はピクリとも動かない。いくら不利な体勢であるとはいえ、こんなにも動かないもんかね。
服の上からでもわかる盛りあがった腕の筋肉。方や俺の腕はバレーをしてるにしては細く頼りない。若利くんと比べるとなおのことヒョロさが際立って、こんなことならちゃんと筋トレしとけばよかった、と今日何度目かもわからない後悔に襲われた。
「若利くん、俺もう部屋にもど、」
「忠告を忘れたこと、性器に触れたことに関しては許す」
「えっ?あぁ、ありがと・・・?」
「だが仕置きはする」
「・・・・・・・・・なんで?」
一拍置いて出たのは純粋な疑問だった。許すのにお仕置きはするってどういうこと?矛盾してない?
支離滅裂な主張に頭上にクエスチョンマークが飛ぶ。答えを導きだそうと脳みそフル回転させるけど考えれば考えるほど沼にはまって抜け出せない。頭脳緊急停止。ついでに体もフリーズ。再起動には時間がかかりそうだ。
固まる俺の頬に、若利くんの武骨な指が触れる。そしてゆっくり顔を近づけて、気づいた時には恐ろしく端正な顔が目前まで迫っていた。あらやだ近くで見てもイケメンねっ——じゃなくてっ!
「・・・近くね?」
「そうでもない」
あまりの近さに戸惑って声が裏返ってしまった俺に対し、若利くんは冷静に答える。
あと数センチで唇が触れる距離。鼻先と鼻先が触れて、息が頬をかすめてこそばゆい。そんな至近距離がはたして本当に『そうでもない』と言えるだろうか。いいや、『そうでもある』。常日頃距離感バグってると言われている俺ですら、可笑しいって感じんだから可笑しいに決まってる。
「あの、許してくれるんだよね?」
「ああ」
「じゃあお仕置き?ってのは矛盾してんじゃないかなぁ、なんて・・・あと普通に物騒じゃない?」
「『次はない』」
「は?」
「『今回は見逃してやるが次はない』。半年前にそう忠告した」
真面目な顔で若利くんが言った。
また半年前の話。本当に言ったか、何一つ覚えてない俺に知るすべはない。
「もっともお前は覚えていないだろうがな」
心の内を言い当てられてぎくりと跳ねた肩に、ふ、と若利くんが表情を和らげる。
今笑った?不意を突かれて思わず見入っているとその隙を狙った、のかは定かではないが、若利くんはゆっくりとでも確実に顔を近づけて、気づいた時にはまつ毛の本数がわかるくらいの至近距離に顔が迫っていた。
視界いっぱいに美丈夫。あまりの眩しさにひぇ、と喉から聞いたことのない情けない音が漏れる。
こんなのキスする時の距離ジャン!耐え切れず、ぎゅっと目を瞑る。だってこんなの心臓に悪すぎる。もしかしたらすでにお仕置きは始まっているのかもしれない。
「心配するな、痛いことはしない」
狼狽する俺を置いてけぼりに、いつもと変わらない低い声が鼓膜を揺らす。少しかさついた指で頬を撫でられてびくっ、と体が大げさに跳ねた。
恐る恐る目を開ける。オリーブ色の綺麗な目が俺を射抜くように見ている。知らない、こんな目をする若利くんなんて知らない。
心臓がありえないスピードで脈打ってる。カッと体中をめぐる血が顔に集まってくるのが自分でもわかった。
おそらく真っ赤であろう俺の頬を若利くんの武骨な指が撫でた。「天童」と呼んだ彼の目は、俺の知らない色をしていた。
「いやいやいやいや!待て!おすわり!ストップ!ハウス!」
「俺は犬ではないし、俺の部屋はここだ」
そうだけどそうじゃねぇ!物のたとえで言ってんの!天然は額面通りに受け取るから困る。
さっきまでの緊迫した空気はどこへやら。今は俺の短パンを脱がそうとする若利くんVS全力で阻止する俺の死闘が繰り広げられてる。激しい攻防のせいでシーツはぐちゃぐちゃ、携帯はベッドの隙間に入りこんで、貸してたジャンプは床に落ちた。
押し倒されたと思ったら、今度は服を脱がされそうになってる。本当にこれどういう状況?理解しろという方が難しくないか。
「ごめんってば!マジで反省してる!もう触んないから許してください!」
情けなくも涙目になりながら心の底から訴える。が、指は一向に離れない。ぎちぎちとウエスト部分の容赦なく引っ張る。ついこないだ新調したばかりの短パンがもう限界とばかりに伸びて悲鳴を上げている。チクショウ、この馬鹿力!これ高かったのに!破れたら弁償してもらうからな!
「本当は怒ってんでしょ!じゃなきゃ可笑しいよねっこの状況!」
「怒っていないし、許している」
「じゃあこの手なに?!許してんなら離してくねぇかナァ?!」
「駄目だ」
「なんで!」
「さっき言っただろう、仕置きをすると」
「えっ嘘っこれお仕置きなの?!」
予想外の言葉に素っ頓狂な声が出た。服脱がすのがお仕置き?外周10周とか食事量増やすとかそういうんじゃなくてこれが?精神的に辱めよう、的な?なんて非生産的なお仕置きなんだ。俺が言うのもなんだけど、だいぶ悪趣味じゃない?
例えこのお仕置きに意味があったとしてもそう易々と脱がされてなるものか。指一本でもいいから引き剥がそうと躍起になるけど当たり前に敵うはずなくて、短パンはあっという間に脚から引き抜かれた。
さようなら、おろしたての短パン。こんにちは、ピンクのパンツ。こんなことなら勝負下着にしとけば良かった。死んだ目で遠くを眺めながら、そんなことを考える。
「ハイッもう気が済んだね!お仕置き終わり!解散っ!」
「勝手に解散するな。まだ始まってもいない」
「始まってないの?!もうHP0なのに?!」
悲痛な叫びが部屋に響く。両隣に聞こえてもおかしくない声量に若利くんが「うるさいぞ」と苦言を呈すが知ったこっちゃない。始まってないってなに。これ以上なにがあるっての。
続けて叫んでやろうと口を開いた時、ふと違和感を感じた。
パンツのゴムを引っ張られている、気がする。いやでもまさかそんなはずないだろう。恐る恐る視線を落とす。飛び込んできた光景に気を失いかけた。
若利くんが俺のパンツを脱がそうとしてる。
なにこれ、悪い夢?視覚から得た情報を脳が受けいれるのを拒む。だってあの若利くんがパンツ脱がそうとしてるんだよ?入れられるわけなくない?
本日2度目のフリーズ。このまま本当に気を失って、気がついたら朝になってたりしないだろうか。そんな淡い希望は若利くんの手によって見事に打ち砕かれた。
くいっ、とまたしても引っ張られる感覚に意識を引き戻される。でも気が付いた時には手遅れで、あっ、と声をあげた時にはパンツはすでに太腿まで下げられていた。
制止する間もなく脚から引き抜かれたパンツ。パサ、と床に落ちていくのをただただ呆然と眺めることしかできない。
煌々と照らされた部屋に力なく項垂れた俺の愚息が晒されている。風呂場ならまだしもこんな明るい場所で局部を晒すことになるなんて誰が想像できただろう。少なくともつい数分前の俺は想像してなかった。
せめてもの救いは、昨日毛の処理したばっかだからキレイさっぱりつるつるってことくらい——いやそれ救いか?弱みの間違いじゃない?混乱しすぎて意味のないことばかりぐるぐる頭を巡る。
もう抵抗する気さえ起きない。どうぞ好きなだけ見てくだせぇ、と自暴自棄になって全身をベッドに投げる。
充分すぎるほど醜態を晒した。流石にこれ以上はないだろう。ないと言ってくれ。頼むからこれで終わりだと開放してくれ。
縋るように願うけど、現実はやっぱりそう甘くないらしい。