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    gt_810s2

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    gt_810s2

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    何をして過ごすか、ではなく誰と過ごすか「あ。ガス止まった」
     やっちまったと後悔しても今更だ。浴槽に湯を溜めようと回した蛇口はどんなに待っても触れた先から凍らせそうなほど冷たい水しか出してくれない。シャワーヘッドから出てくるのも同様で、左右に回しても、揺らしても変わらない。
     今日は十二月三十一日、大晦日。さっさと風呂を済ませ、誰もが観る年の瀬にある歌番組をダラダラ眺めて年越し蕎麦を食いながら、中継される除夜の鐘を炬燵で蜜柑片手に聞くというプランがすっかり頭に出来てしまっていた。溜息を吐くより先に背後から怒気が届いてぎくりとする。恐る恐る振り返ると予想通り不機嫌をしっかり顔に張り付けた男が立っており、言い訳をする間もなく背を向けられてしまった。
    「ちげえって! 今回はガス代払ってんだよ。確かに滞納してた分を先月……」
    「今月分払ってなきゃ意味ねえだろ」
    「三ヵ月分も払ったんだぞ、だったらもう三ヵ月いけんだろ」
    「どんな理屈だ」
     さてどうしたものか。ガスが止まっているということは風呂にも入れない、蕎麦も食えない。炬燵で蜜柑はなんとか熟せそうだがそれまでが大切なのだ。あのジジイ、利子だとか迷惑料だとか言って釣りくれなかったじゃねェか。よりにもよってなんで今止めやがるんだ。一日ぐらい待ってくれたってよかったろ。
     擦り切れるほど頭を回転させるもひとつも思いつかない。今までにも一緒に年を越したことはあった。だが二人きりで迎える大晦日ははじめてなのだ。最高の夜を過ごしたかった。何事も最初が肝心だ。一番記憶に残るし、来年も俺と過ごしたいと思わせることが出来るかどうかも今日にかかっていると言っても過言ではない。
    「……銭湯でも行くか」
    「えっ、お前そういうとこ行くの」
    「必要がありゃ行く」
    「もしかして……コーヒー牛乳とか飲んじゃう?」
    「…………嫌いじゃない」
     思いがけない言葉に拍子抜けする俺をほったらかしに、高杉は手早く支度をしてしまう。慌てて俺も手拭いと下着を引っ張ってきて、玄関の前で立っていた高杉を追いかけた。家から徒歩数十分の道のりはあっという間で、ほとんど会話はしなかったが怒りはもう伝わってこない。それが不思議だった。どうも今日は高杉の機嫌がよく見える。番台のおっちゃんに金を渡したら『こんな時間に来る客はお前さんらだけだよ』と揶揄われた。確かに今頃家に籠っていた方がよっぽどいい。俺だってそうしたかった。まさか廃れた銭湯で年の瀬を過ごそうとする物好きはそうそういない。
    「貸し切り」
    「どっかのろくでなしがやらかしたへまも、たまにはいい方にはたらくこともあるらしいなァ」
    「悪かったって、もう何度も謝ってんだろ」
    「馬鹿言え、はじめてだ」
     するりと高杉自身の手によって脱がされた衣類がぽんぽんと籠に放り込まれ、普段は暗がりでしか見ることがない肌が晒される。ガキの頃には散々見た筈の体も(今でも週にいっぺんは拝んでいるはずなのだが昔とは訳が違う)改めて見ると妙な気分に――――。
    「何ぼけっとしてんだ、行くぞ」
    「あ、あ、あぁ」
     固まっているうちに高杉は裸になってしまっていた。抱き締めれば俺の中に収まってしまう癖に、筋肉はしっかりついていて肩幅も思っているよりあるのだ。よく見たら肩甲骨に噛み痕が残っている。俺がつけたものだ。年が変わるまで残り僅かの時間を色事で消化したくないという己と、触れたくて仕方がないという己が戦っている。
     体を洗っても白濁した湯に体を浸しても煩悩は消え去ることはなかった。それどころか何を思ったか気でも触れたか湯の中で高杉の手が俺の手に重ねられた。普段と異なる触れ心地の指先が、互いに身に纏わぬことを更に突きつけるようで体温が上がって繋がったところから痺れていく。逆上せてこのままではぶっ倒れてしまいそうだ。
    「な、なんだよ」
    「……顔があけェぞ、銀時」
     頬を緩めたその表情が、どれだけ俺から正気を奪うかこいつは知っているのだろうか。
     これだけ人がいないのだから襲ってやってもいいんだぞ、今それをしないのは俺が必死にもう一人の俺と戦っているからなのだ。それを煽るようなことしやがって。
     第二関節に乗せられた指が手の甲まで登ってきて、ぎゅっと俺の手を抱き締める。手が動かない。息が荒くなる。目を見ることすら出来ない。湯舟の底と手の隙間に高杉の指が潜り込んでぱたぱたと暴れ出す。歯を食い縛って耐えるほど高杉は上機嫌になっていき、揶揄われているのだとわかるが今やり返せば止められなくなる俺は何も出来ない。鏡を見ずとも耳まで赤くなっているのがわかる。こんなにもじんじんと痛むのだから。
    「っ……出るぞ!」
    「あぁ、そうだなァ」
     ニヤついているのが伝わってくる声を背に、がっちり掴んだ腕を引いて脱衣所まで進む。タイルの上を荒々しく水を跳ねさせながら、水気を拾うマットの棘なんて気にせずに、竹の床をどたばたと音を立てながら歩いた。ガシガシとタオルで体の水気を取り払い、頭を乱暴に乾かした。まだ火照りは収まらない。タオルを一枚下半身に巻いたまま、洗面台の前でどうにか頭を冷やそうと苦心していたらこつんと音を立てて隣に何かが置かれた。薄ピンクの液体が入った牛乳瓶。紙蓋を指で押してつるつるの飲み口から中身を飲むタイプの。
     高杉が手に持っているものは茶色が濃いクリーム色。人の気を知っているが気にも留めずに、涼しい顔でいるのが腹立たしい。
    「コーヒー牛乳って顔かよ、お前」
    「年中いちご牛乳の奴に言われたかねェ」
    「そりゃ違いねえわ」
     よく冷えたいちご牛乳をすべて飲み干すと、ようやく熱が溜まって爆発しそうだった体が落ち着きを取り戻して肩から力が抜けた。鏡越しに見る高杉は着替え終わっていて、普段と同じ装いで似合わない牛乳瓶を手にしている。空っぽになったそれがやはり顔にも振る舞いにもそぐわなくて笑いがこみ上げてくる。
    「はは、やっぱ似合わねえわ」
    「人のこと言えた立場かっての」
    「いやだって、はは。お前ンな顔して牛乳瓶持ってよォ……あ、いた!」
     大袈裟にリアクションしてみるが、蹴られた太腿は痛くなかった。
     日付が変わるにはまだ時間が残っている。今から帰れば炬燵で蜜柑と共に除夜の鐘を聞きながら新年を迎えることは余裕で出来そうだ。
     月灯りと壊れかけの街灯で照らされた夜道を並んで歩く。やはり人通りは少なかった。
    「年越し蕎麦ってカップ麺みたいなのあんのかな」
    「……お登勢が蕎麦を余らせてる」
    「え?」
    「昼に聞いた。もし腹に余裕があんなら店は年越し暫くまで空いてるから来いと」
    「なんだよ、だったらもっと早く」
    「…………テメェが珍しく張り切って準備してたんだろ。言えるか」
     蕎麦のあても見つかって、どうやら俺の年末は完璧に終わりそうだ。
     高杉の歩みがはやくなる。弾む心臓を隠すことは出来そうにない。足取りが軽くて、表情が緩むのをとめることも出来なかった。距離を詰めれば顔を隠すように逸らされた。その様子を見ると更ににやけが止まらない。
     この年末が高杉にとってどういうものになるか、来年も俺と共に過ごすことを承諾するかどうか。ずっと抱えていた杞憂は無駄だったのだと髪の隙間から覗く真っ赤な耳が示していた。
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