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    6/30開催さめししオンリー【醒めし視界に愛は降る】にて発行予定の新刊サンプルです。
    絶賛原稿中。
    村雨視点の5章構成に加えて、原稿が間に合えば獅子神視点の後日談全6章予定。

    局部・自慰描写があるのでR-18。
    村雨視点は挿入なし、獅子神視点で本番が書けたらいいなあ。

    【サンプル】下心は必然を呼ぶ1/発端、あるいは天啓

    「呪ってやる!」

     村雨礼二はオカルトを信じない。
     幽霊や超能力はもちろん、『呪い』などという非科学的事象を信じては医者なんぞやっていられない。物事には必ず原因がある。無から生まれるものなどありはしないのだ。
     そんな村雨に対し、馬鹿馬鹿しくも呪ってやるなどと喚いた男は地面に這い蹲っている。そのままスーツの男達に取り押さえられ、引きずられ、待機していた車に雑に詰め込まれる。
     村雨は早々に興味をなくし背を向けていたため直接目にはしていないが、男のくぐもった悲鳴とバタンとドアが閉まる音は聞こえていたので十割合っているだろう。
     男は村雨がオークションで買った人間だった。複数の婦女に対するつきまとい行為と暴行未遂、出所後にギャンブルに手を出すが運も実力もなくあっけなく倉庫行きとなった、ありがちな過去を持つ男である。
     友人の一人である神父にかかれば、「俺は悪くないんですよ先生。向こうが誘ってきたんだから不可抗力ってやつだ。あいつらときたら、いやらしい格好を見せつけしまいには俺の手に胸を押しつけてきやがった。手を出さない方が失礼ってもんでしょ、ねえ先生」などと聞いてもないのに語りだしたうえ、反省の色が微塵も見えない男など即刻天罰を与えられていたに違いない。
     まず手始めに腹を開き、これといって特徴の無い中身―これは病変の一つや二つあると期待していた村雨にとって想定外だった―に落胆した。落札金額の半分ほどを手術協力費として相殺し、残り半分は村雨への借金という形になることを男に通達した。男は村雨の与えた堅実な返済計画に当初涙ながらに感謝を表したものの、一千万強を稼ぐには男の精神はあまりに怠惰で惰弱であった。
     男では到底届かない返済額に村雨が再度の開腹手術―当然男の中身は健康そのものであった―による借金の減額を行ったものの、男の意識は改善しない。度重なる返済の遅延、踏み倒し、果ては無許可の手術を訴えるなどと言い始めた。
     寛大にして誠実さを重んじる村雨もこれには立腹し、男を然るべき場所へ返送することと相成った。村雨の目前で繰り広げられた光景は、その結果である。
     スーツの男達は借金取りではなく、カラス銀行の関係者だ。まあどちらであっても男からすれば同じことだろう。
     幸い男の内臓はそれなりに健康ではあった。あれなら良ければ移植用臓器か、悪くとも執刀練習用の検体くらい―もちろんどちらであっても正規ルートで出回るものではないが―にはなれるだろう。未来の医療を支えるべく日夜努力を続ける医師かその卵達の技術向上に役立てるなら、肥料や家畜の餌になるよりよほど世のため人のためだ。ゴミにはゴミの使い道とは至言である。
     閑話休題。
     冒頭の男が放った怨嗟の言葉だが、正確には「呪ってやる! テメェも俺と同じ目にあっちまえ!」であった。もちろん実際には途中で顔を地面に叩きつけられゲホゴホと咳き込んだりもしていたし、猿轡を噛ませられてからもモゴモゴと何か続けようとする様子さえあったが、村雨をもつてして正しく聞き取れたのはそれだけだ。
     まあたとえ男が何の妨害もなく最後まで声を上げられたとして、大して意味のある内容ではないだろう。
     村雨は男の最期の言葉を耳にした端から聞き流した。なにせ同じ目になど合いようがない。村雨はその男ほど愚かではないし、医者という社会的信用の高い職に就き、なにより男と違いギャンブルが強い。
     男の思考も行動もサンプルとしては下限も下限。残す意味も見出せず、無用となった健康体そのものであることを証明するカルテをシュレッダーにかけ、村雨は記録ごと男の記憶を忘却した。
     男の存在はこの先の話には関係がない。村雨の人生に再び現われることもなく、影を落とすこともなく、小石ほどのひっかかりにもなりはしない。強いて言えば、男が口にした『呪い』だけは村雨にも多少関係がある―かもしれなかった。



     その日村雨は、とある経緯で出遭った友人の発案により屋内型テーマパークへと足を運んでいた。もちろん村雨ひとりで、ではなく発案者―真経津を含む四人の友人達とともにである。ソロ参戦するほど当のテーマパークに思い入れはないし、そもそも初めての場所だ。
    「へぇ、すごいね!」
    「さすがに盛況だな。けどこれだとちょっと難しいかもなー」
     エントランスを抜け、ライトアップされたフロアを見た真経津が歓声を上げる。その隣でぐるりとフロアを見回した叶は、動画配信を営みとする者のサガか脳内で動画撮影のシミュレーションを行っているようだった。
     確かにアトラクションの周囲は待機列に並ぶ客により密集地帯と化している。貸し切りにでもしない限り他の客の姿が映り込むことは避けられないだろう。とはいえそれは叶の問題、村雨には関係のない話だ。
    「とりあえず適当に並ぼうぜ」
     村雨の後ろから少し遅れてやってきたのは獅子神だ。入口で取ったパンフレットを眺め、周辺に見える派手な看板とアトラクションの位置を照らし合わせている。
    「予約のヤツはまだ時間あるんだろ?」
    「うん。二時の回だね」
     今回の発案者は真経津だが、予定を詰めたのは叶だ。こういったイベント事に一番強い男であることは疑う余地もない。今回も例に漏れず、事前に予約が必要だというアトラクションには申し込み済みだと聞かされている。
    「では、まずはアレだな」
     そう言ったのは中空へ視線を向けた天堂だった。視線を追うと同時、ゴーッという音を立てながらローラーコースターが上階にかけて張り巡らされたレール上を駆け抜けていった。
    「わ、楽しそう! さっそく行こ!」
     満面の笑みで先導する真経津に叶と天堂が続く。村雨も後に続こうとして、棒立ちの獅子神に気がつき足を止めた。獅子神は呆けたように口を半開きにし、コースターが消えていった先に視線を奪われている。
    「……ローラーコースターは初めてか?」
    「見るのは初めてじゃねーよ。……あるのは知ってたけど、実際間近で見ると凄ぇな。屋内だぞ、ここ」
    「三フロアに跨がる構造だからできることだな」
     大型ショッピングセンターの一角に作られたこのテーマパークは、一階部分にあたるエントランスフロアから始まり、三階層に渡ってアトラクションが設置されているとパンフレットに記されている。先ほどのコースターは吹き抜けとなった上階部分を使い高低差を演出しているようだった。
     屋内ということもあり、見える範囲で目立つ構成要素は水平ループくらいだ。しかし遊覧目的の子供向けコースターだろうと侮っていた村雨からすれば若干の嫌な予感がしないでもない。
     村雨の微妙な反応に気がついたのか、獅子神がニヤリと笑みを浮かべた。
    「お? なんだよ、さすがの村雨先生も絶叫マシンのたぐいは苦手か?」
     マウントを取れるとでも期待しているのだろうか。呑気な獅子神に村雨はわざとらしくため息を吐いてみせた。
    「ここに来た理由を覚えているか?」
    「真経津が来たがったからだろ」
    「そのきっかけは?」
    「きっかけ……ってーとあれか。叶の」
     考えを巡らすように視線を上向けた獅子神が挙げたのは、まさにそのきっかけにあたる出来事だ。
     以前、叶の配信企画の一環でこことは別のテーマパークへ行ったことがあった。当然のように村雨達までメンバーに含まれており、向けられるレンズに辟易したことを覚えている。
     どうやら真経津は、それがよほど楽しかったらしいのだ。真経津宅の散らかったリビングに屋内テーマパークのパンフレットが散乱しているのを―すぐに獅子神が片付けてしまったが―村雨は確かに見た。
     そして先ほど、コースターを見て真経津の顔に浮かんだとびきりの笑み。
    「絶叫マシンオンリーの弾丸ツアーに行きたくないなら、あの男真経津がここのコースターを気に入らないよう願っておけ」
    「あ~……」
     村雨の言わんとすることを理解し、その光景をまざまざと脳裏に思い描いたのだろう。獅子神は間延びした呻き声を上げる。
     とはいえ獅子神は真経津に甘いところがある。つるむ中で唯一の年下だからか、あるいは直接対峙し惨敗を喫したからか。
     であるなら、赤子同然であった獅子神を勝負の場にて鍛え上げた―獅子神本人が聞けば「叩き落としたの間違いじゃねーの」とでも言いそうだが―村雨にこそ甘くあるべきと思わないではないが、ひとまずそれは置いておく。
     そういうわけだから、いざ真経津が弾丸ツアーを断行したとして口では文句を言いつつ獅子神がそれに最後まで付き合うだろうことは目に見えている。
     それに案外、獅子神自身今回でローラーコースターなり絶叫マシンなりを気に入り喜々として真経津に帯同する可能性もなくはない。が、その光景はあまり好ましくはないと村雨は感じた。
    「お前はそれ、嫌なんだ?」
     まるで村雨の想像した未来を見透かしたような言葉に片眉を跳ね上げる。もちろんそんなわけがない。獅子神が「嫌なのか」と聞いたのは弾丸ツアーそのものだ。
    「……絶叫マシンというのは、基本的に装飾品の類は外す必要がある」
    「は?」
    「この場合の装飾品とは眼鏡も含まれる」
    「なるほど」
     途端に神妙な表情に変わった獅子神が「眼鏡は体の一部って言うしな」と呟いている。若干寄せられた眉が、今の一瞬で獅子神がどう思考を飛躍させたかを雄弁に語っていた。どうせ「仲間外れになるのは嫌だよな」とでも考えているのだ。
     村雨が嫌なのは視界が損なわれること以上に絶叫マシンオンリーとなることだから、見当外れにも程があるがあえて訂正はしなかった。もし真経津が本当に弾丸ツアーを断行しようとした場合の保険である。
    「ん、じゃあここのヤツは?」
    「あのくらいは問題ない。あくまでも屋内用だからな。注意事項にも記載はなかっただろう?」
    「そっか」
     村雨の答えに、獅子神はよかったと言いたげに露骨に口元を緩めた。
     むず、と疼痛のような奇妙な感覚が全身を襲う。走り出したくなるような、叫びだしたくなるような、そんな感覚を吹き飛ばそうと村雨はぐるりと肩を回した。
    「疲れてんの?」
    「いいや。疲れるのはこれからだ」
    「オメー体力ねぇもんな」
    「酷い誤解だ。あなたは知らないだろうが手術というのは体力が必要なものなんだぞ。場合によっては何時間と立ちっぱなしになるわけだからな」
    「へえ。じゃ、今日は村雨先生ご自慢の体力ってヤツを見せてもらおうじゃねぇか」
    「期待していろ」
     いつも通りのやり取りに獅子神が肩を竦める。まったく信じていない様子に村雨は鼻を鳴らした。
    「っと、立ち話してないで早く行かねぇとな」
    「あなたがローラーコースターに見蕩れていたからだろう」
    「……見蕩れてねぇし!」
     先行する友人達を追って歩き出せば、すぐにコースターの待機列に並んでいる姿が見つかった。一般的な成人男性の平均身長を超える叶は周囲から物理的に頭一つ飛び抜けていて、こういったとき特に目立つ。待ち合わせの場所としては最適だ。
    「あー……」
     村雨とほぼ同時に真経津達を見つけた獅子神が、その後ろに既に他の客が幾人か並んでいるのを見て声を上げた。村雨達に気がついた真経津が「二人とも遅いよー」と口を尖らせる。
    「お前行ってこいよ。四人乗りみたいだし、あいつらと同じグループってんなら横入りにはならねぇだろ」
     獅子神は頭を掻きながら実に間抜けな提案を口にした。村雨は片眉を跳ね上げ、獅子神を置いて待機列の最後尾へ足を進める。
    「えっ、オイ村雨?」
    「あんな小さな車両ライドに成人男性を四人も詰め込む気か?」
     村雨と真経津は平均的な体格―村雨など高さはともかく厚みは平均に満たないと自覚はしている―だが、叶はもちろんのこと天堂もカソックで隠された体躯は平均より逸脱するものだろう。規定が四人乗りでも、寿司詰めとまでは言わないが窮屈になることは乗らずとも想像できた。
    「……悪ぃ」
     村雨の後をついてきた獅子神が隣に並ぶ。獅子神は眉を下げ、似合いもしない憂えた表情をその顔に浮かべていた。
    「何のことだ」
    「別に。ちょっと言いたかっただけ。なんでもねーよ」
     謝罪を受ける理由がないと訊ね返せば、獅子神は拗ねたように唇を尖らせ村雨から視線を逸らした。
     どうせ村雨の行動を自分に都合の良い方に捉えたのだ。コースターに乗ったことのない獅子神を慮ったのだ、と。その上で獅子神は、村雨が友人達と離れてしまったことを申し訳なく思っている。
     おめでたい考えな上に見当違いも甚だしいが、わざわざ否定して村雨の評価を下げる意味もない。村雨は何も言わず前方へ視線を向けた。
     程なくして真経津達の順番が回ってきたようだった。キャストの説明を聞く叶と天堂の隣で真経津がヒラヒラと手を振っている。獅子神が照れたような顔で小さく手を振り返すのを村雨は横目で見ていた。
     数分後に戻ってきた車両から降りた真経津達は楽しげに笑っていて、待機列の村雨達へ「上で待ってるね~」と言い連れ立って行ってしまった。弾丸ツアーが発生するかは村雨の眼でも五分五分といったところで安心するには至らない。
     そうこうしているうちに、村雨達の順番が回ってきた。
    「お、次だな」
     キャストから受ける簡易的な注意事項を獅子神が真剣な顔で聞き頷いている。「ではどうぞ!」と促されて車両に乗り込む獅子神はどこかぎこちなく、下ろされた安全バーを掴む指先は強張っていた。
    「……ふ」
    「笑うなよ」
    「笑ってなどいない」
    「それは無茶だろ」
    「ほら、動くぞ」
     ゴトン、と機構が動く音がして、村雨と獅子神が乗る車両がゆっくりと動き出す。カタカタと小さく揺れながら暗所へ進んでいくと、何が起きるのかと隣の獅子神が肩を強張らせるのが空気でわかった。すぐにカラフルなライトと映像が壁面に照射される。
    「わ」
     思わずといったふうに獅子神の口から呆けた声が漏れるのが聞こえた。派手な演出の中、緩やかな速度と傾斜が続き、獅子神の体からは徐々に力が抜けていく。
     演出が終わり、一瞬の暗闇が訪れた。カタカタと車両が揺れ、前方にテーマパーク内の煌びやかな明かりが見える。
     その後はまさに一瞬だ。
     いつの間にか三階フロアにあたる位置まで上ってきていたらしい。それまでが嘘のようにゴーッと音を立て風を切り一気に階下へ落ちていく。急降下の後、慣性に従い落ちぬ速度で水平ループを越え、中空のスロープをぐるりと一回りする。
     コースターそのものは決して当初の予想を超えるものではない。時折隣から伝わる、体を硬くした獅子神がびくりびくりと全身を跳ねさせる振動の方が、よほど村雨を楽しませた。
     車両は徐々に減速し、乗車した場所に戻ってくる。完全に停止すると同時、獅子神は息を吐いた。
    「はぁ……」
     ほんのり色づいた頬は、あえて訊かずとも獅子神がコースターを楽しんだことを十二分に示していた。
     屋内テーマパークゆえ制限のあるローラーコースターでこれなら、屋外に設置された本格的なものならどうなるのだろうか。村雨はいつかコマーシャルで見た、ループが多用され悲鳴と歓声が絶えないアトラクションを見上げる獅子神の姿を想像した。
    「よし、アイツらのとこ行こうぜ」
    「……あぁ」
     事前に告げられた通り真経津達を追って上のフロアに上がれば、吹き抜けに面した柵に寄りかかっているところを見つけた。真経津は手を振り、村雨に向かってニコニコと笑いかけてくる。
    「村雨さん、楽しそうだったね」
    「テーマパークだ。楽しむのが普通だろう」
    「ふふ、そうだね?」
     含みを感じる言い方だが、真経津がそれ以上何か言うことはなかった。村雨と獅子神が乗る車両が中空を駆ける最中、真経津達がこちらを見ていたのは気がついていた。というより、村雨達の様子を眺めるためこの場に陣取ったのだろう。
    「敬一君、楽しかったか~?」
    「くっつくんじゃねー!」
    「そう照れるな」
     叶と天堂は笑いながら獅子神に絡んでいる。抱きつく叶を腕を伸ばし突っぱねる獅子神の頬はおそらくは羞恥で染まっていた。
    「次はどうする?」
     アトラクションはまだまだ残っている。村雨が訊ねれば、真経津はニコリと笑って「次はアレにしよう」とフロアの奥を指差した。



    「あいつら中々戻ってこねーなあ」
     頬杖をついた獅子神は、入口に視線をやると独り言のようにそう呟いた。
     目についた大型のアトラクションを一通り回った後、村雨達はテーマパーク内に併設されたカフェにいた。少し遅い昼食と、予約したアトラクション開始時刻までの時間潰しを兼ねたものだったが、現在テーブルに残っているのは村雨と獅子神の二人だけだ。
     他の三人がトイレへ行くと次々に席を立ってから、かれこれ十分は優に超えている。テーマパークという限られた敷地内なら混雑もおかしくはないが、それ以上にあの三人だ。行きか帰りに他のものに目移りしている可能性の方がよほど高く、反比例してこの場に戻ってくる可能性は低い。
    「……迎えに行った方が早いだろうな」
     村雨は店内の壁に備え付けられた時計を見てそう結論づける。予約は二時の回だと叶が言っていた。このカフェからアトラクションの受付までは五分とかからないが、道中人を探すのなら話は別だ。
    「だよなあ。おし、そろそろ出るか」
     村雨がコーヒーを飲み終えたことを期に獅子神が腰を上げた。獅子神は三人が放置していったトレイを手慣れた様子でまとめると、村雨が手にしていた空のカップも当然のように返却口へ持っていく。
     獅子神の奉仕精神がどのような心理から発揮されるものであれ、村雨に指摘する義理も権利もない。下手に突いて獅子神の不興を買うくらいならば、その奉仕を大人しく享受するのが村雨の方針だ。
     ただ時折、獅子神は村雨を片付けもできない子供だと思っているのではないかと疑うことがある。曲がりなりにも年長者としての自負がある村雨としては、肯定されては立つ瀬がないと未だ尋ねたことはないのだけれど。
     連れ立ってカフェを後にすると、獅子神は周囲を見回し「あいつらいねぇな」とわかりきったことを口にした。
     と、今しがた出てきたばかりのカフェから子供が一人駆けてくる。おもちゃを手にした子供は前方を見ていない。接触を回避するため、村雨はひょいと横に身を逸らした。否、逸らそうとしたが村雨の反射神経と筋肉は村雨を裏切った。村雨は子供を避けきれず、しかし子供は接触をものともせず駆けていく。
     子供の体躯とはいえ勢いづけば衝撃もそれなりにある。ドス、という足への衝撃を受け流すこともできず、日頃友人達からゴミのような体幹と評される村雨がその場で持ち堪えられるわけもなく。
     結果、当然のように村雨はバランスを崩した。
     そうして不様に地面へ崩れ落ちんとする村雨の、その先に。
    「うわ」
     ふにゅん、と。
    「―……」
     獅子神のマヌケな声が聞こえたかと思えば、冷たく固いタイルとは程遠い、温かく、柔らかい何かが村雨の頬を包み込むように受け止めた。初対面以降、村雨の鋭敏な嗅覚を慮ってか香水は止めたようで、鼻腔には微かな汗の匂いを含む体臭と、先ほど食べていたパスタのバジルソースだけが香る。
     頬に感じる滑らか肌触りに、村雨の頭には「一枚くらいこういったニットセーターを持っておくのもいいだろうか」などと逃避めいた思考が浮かんだ。
    「大丈夫か村雨」
    「……あぁ」
     獅子神の腕に掴まり体勢を立て直す。ズレた眼鏡を直そうとして、ふと獅子神が着用しているニットの大きく開いた首回りが目に入った。腕で寄せられた胸筋が形を変え傾斜と影を作っている。村雨を受け止めたものの正体に、力の入っていない筋肉は柔らかいものだという話を思い出した。
     それからすぐ、村雨を吹き飛ばした子供の手を引いた母親と思しき女が「あぁごめんなさい! 大丈夫でしたか!」と駆け寄ってきた。平身低頭を体現するように子供と共に頭を下げてくる女に「あぁ」だか「うん」だか頷きながら、村雨は気もそぞろに「気をつけるように」と告げた。
     獅子神はそんな煮え切らない態度の村雨に違和感を抱いたのだろう。親子が離れてから気遣わしい様子で声をかけてくる。
    「本当に大丈夫かよ? なんかぼーっとしてっけど」
    「問題ない」
     事実、村雨の肉体に異常やその兆候はない。獅子神は眉を寄せたが、平然と立ち歩く村雨の姿を見ればそれ以上何か言うこともしなかった。
     案の定ステージでのショーやら施設内の限定プライズ入りクレーンゲームやらに夢中になっていた真経津達を拾って、村雨達は予約したアトラクションへと向かった。
     予想通りと言えばそうだが、VR機器を用いたアクション要素の強いそのアトラクションにおいて、村雨の戦績はそれはもう見事なまでにズタボロであった。皆村雨の体力と反射神経が底辺をさまよっているせいと納得していたことは業腹だが、村雨もあえて否定はしない。
     ただ、それだけが理由でないことを村雨だけは知っていた。



     閉館時間になるまでテーマパークを満喫した村雨達は、帰路にあるファミリーレストランで夕食を摂っていた。ちなみに行きも帰りも獅子神の送迎である。
    「まあ落ち込むなよ。苦手分野なんて誰にでもあるもんだぜ」
     喜々として幾度目かのドリンクバーに向かった真経津と叶を怪しげな顔で見送った獅子神は、もそもそポテトを食む村雨を見て何を考えたか慰めの言葉をかけてきた。
    「落ち込んでなどいない」
    「はいはい、そーだな」
     どうやら獅子神は村雨が未だアトラクションの結果を引きずっていると考えているらしい。まるで信じていない様子の獅子神は、グリーンサラダを食べながら正面の天堂へ視線を移した。二人が交わす雑談を聞き流しながら村雨は頬杖をつく。正確には、図らずも獅子神に触れた頬を押さえたのだ。
     村雨は、あの時己の頬を包んだやわらかな感触に未だ思考を囚われている。
     村雨とて病院勤務する医者であり、趣味と実益を兼ね幾人もの腹を開いてきた。その過程であらゆる肉体を見て触れてきたが、その中には獅子神と似たような体格の男も割合としては少ないながらも存在した。だというのに、なぜこうも村雨は動揺しているのか。
     ―そう、動揺だ。
     アトラクションでの惜敗は決して村雨の身体能力だけが原因ではない。ふと思考が途切れた瞬間、あるいは獅子神が僅か数センチの距離まで近づいた瞬間。村雨の優秀な頭脳があの温かく柔らかな感触を再生し、そのたび理由もわからず脈は早打ち、喉が渇き、平らかな精神が乱れるのだ。
     そしてそれは今もだった。村雨の隣で獅子神が肩を震わせている。天堂が言った何かがツボに入ったのだろう。楽しげに笑い体を揺らす振動が村雨にも伝わってくる。
     胃の辺りに感じた不快感を押し流そうと、村雨はオレンジジュースを引き寄せストローを吸った。爽やかな甘みと酸味が喉を潤していく。
    「あっ」
     不意に獅子神が声を上げた。何事かと追った視線の先には村雨が持つコップがあった。そしてテーブル上には、同じくオレンジジュースの入ったコップがもう一つ。
    「……あぁ、あなたのだったか」
     主に村雨と天堂が頼んだ皿で大半が埋め尽くされたテーブルは随分と散らかっている。カトラリーはあちこちに散らばり、誰がどれを使っていたかも定かではない。それは村雨の手の中にあるプラスチック製のコップも同様だ。
     今日の獅子神は珍しくも村雨と同じオレンジジュースを選んだ―真経津に押しつけられたとも言う―ため中身での判別がつかず、間の悪いことにどちらも同じくらい減っていたため残量で判別することもできなかった。
    「どうせもう飲まないのだろう?」
     こういった場で獅子神はいつもなら紅茶やコーヒー、要は甘くない飲料を選ぶ。口をつけたものの放っておかれたジュースを獅子神が今さら飲みたがるとも思えず、返すつもりはないぞという宣言のつもりで「必要なら他を持ってこい」と続けた。
    「あー……まぁ、お前がいいならいいけど」
    「?」
     妙な言い回しに首を傾げた村雨に、天堂が訳知り顔でニコリと微笑む。不愉快だったがわざわざ喧嘩をするつもりもなく、ストローに口をつけズゴゴと音を立てながらジュースを吸い込んだ。
     ストローの使い回しが気になったのか、と気がついたのは、村雨が自宅に帰ってきてからだった。
     友人達の中でも獅子神が潔癖なタイプであるのは、その自宅が常に美しく保たれていることや真経津宅の惨状に頭を抱える姿からも明白だ。ならば獅子神にとって村雨の行動は以ての外だろう。人が口をつけたものに、平気で口をつけるなんて行動は。
    「…………」
     ふと、頭に『間接キス』という胡乱な単語が浮かんだ。村雨は馬鹿らしい、と頭を振って己が口をつけたストローの存在を思考から追い出した。

     後から思い返せば、これが始まりだ。否、根本的な始まりはいつかの債務者の言葉だろうか。
     村雨はオカルト、ましてや呪いなど信じてはいない。だが、ある種の呪いではあったのかと、すべて終わってから村雨はそう思うのだ。
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    「呪ってやる!」

     村雨礼二はオカルトを信じない。
     幽霊や超能力はもちろん、『呪い』などという非科学的事象を信じては医者なんぞやっていられない。物事には必ず原因がある。無から生まれるものなどありはしないのだ。
     そんな村雨に対し、馬鹿馬鹿しくも呪ってやるなどと喚いた男は地面に這い蹲っている。そのままスーツの男達に取り押さえられ、引きずられ、待機していた車に雑に詰め込まれる。
     村雨は早々に興味をなくし背を向けていたため直接目にはしていないが、男のくぐもった悲鳴とバタンとドアが閉まる音は聞こえていたので十割合っているだろう。
     男は村雨がオークションで買った人間だった。複数の婦女に対するつきまとい行為と暴行未遂、出所後にギャンブルに手を出すが運も実力もなくあっけなく倉庫行きとなった、ありがちな過去を持つ男である。
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