ルームシェア 大学三回生になった春、おれは同級生とルームシェアをすることになった。
世界の謎を追う夢は諦めてはいないけど、現実を見ることも覚えたおれは、一旦父さんと同じ道を選んだ。考古学はおもしろい。けれど、遺跡発掘や調査に給料が出るどころかほとんどボランティアばかりだ。
大学三回生にもなると論文を発表する機会も出てきて、少しでも学校に近いところに住みたくて住宅情報紙を開いていたら、同級生で同じゼミの奴が声を掛けてくれた。見つけた物件は夫婦かカップル限定で安くします、といったものだった。そいつは彼女がいるから一緒に住もうと思ったらしいのだが、彼女が隣が大家なのは気を使うから嫌だと断ったらしい。内見の予約も入れていて、条件だけなら破格だからルームシェアの相手を探しているんだと。
カップル……カップルのふりか。おれに恋人はいないし、今の世の中同性同士のカップルも少なくは無いからまあいいけど。そこまで考えて浮かんだのは白銀の髪色のあいつだ。十年以上、おれはあいつに恋してる。
もうこの気持ちは恋なんて可愛いものはとおに過ぎて、なんかもうどす黒い執着になっている。でも伝えることは出来ない。あいつの中での一番の親友の座を捨てたくないから。鉄道ばかなあいつに、いつか美人の彼女ができた日には盛大に祝ってやろうと思ってるのに、未だに彼女の一人も作らなくて諦めきれずにここまで来た。伝える気は無いからこのまま墓まで持っていくけどさ。
「うーん……内見して気に入ったらいいよ」
「やりい! じゃあ早速今日の夕方行こうぜ!」
「急だな⁉まあ予定はないけどさ」
細かな待ち合わせ場所と時間を決めて手を振って別れた。
そして内見に行ったのはまさに理想通りだった。入ってすぐ短い廊下があって、右手に洗面所と浴室、左手にトイレと納戸。突き当たりのダイニングはそんなに大きくないけどキッチンは綺麗だった。ダイニングを挟むように左右にそれぞれ六畳の部屋があって、プライベートもばっちりだ。これで、相場の半額くらいだから、築が多少古いことを除いても本当にいい物件だ。
「どうですか? お隣が大家さんなのでその点を嫌がられる方もいらっしゃいますが、破格だと思います」
「そうですね……」
「決めた! 新多、いいだろ?」
「ありがとうございます。では店に戻って契約書を……」
口を挟む間もなく友達と不動産屋さんで話がついてしまった。敷金や礼金の話を聞いても、アユ姉から聞いていた相場と比べても低くも高くもないから、やっぱりいい物件なんだと思う。
その日のうちに契約も済ませた。ちなみに名義はおれだ。友達はいつか彼女と同棲できるように名義を開けておきたいらしい。彼女の親が厳しくて卒業するまでは無理そうと言っていたから、在学中は安泰だからいいけど。
入居までに二人でルールも決めた。家賃光熱費は折半。在宅日が多くても少なくても。家事は当番制。友達を連れ込むのはそれぞれの部屋のみ。泊める時は事前申請。などなど。
細かいところは後で詰めていくとしてこんなものだろうか。一通りまとめて紙に書いたところで、友達がこんなことを言った。
「ここ、カップル限定だろ。もし違うってバレて追い出されたら困るからさ、週末の夜にAV流さないか」
「はあ⁉」
「いやだって、こんな好条件他にないぜ? 新多の部屋の方が大家さんの部屋に近いし、土曜日の夜頼むよ。代わりに土日の家事は俺が担当するからさ」
少し考えた。メリットはこの家に住み続けられることか。大学まで徒歩五分。周りの相場の半額程の家賃。プライベートが確保された間取り。土日の家事免除。
デメリットは土曜日の夜。いやでもAVってそんなに長くないよな。一時間とか? それくらいならイヤホンで音楽聞いて課題や論文してればすぐだろ。
「まあいいよ。あんまりえげつないのはやめてくれよ」
「よっしゃ! とりあえず二年、よろしくな!」
こうして決まったルームシェアは、問題なく過ごせていた。相手もおれも互いのプライベートに踏み込むほど野暮じゃないし、ルールが守られている以上不快なこともない。
ただ、週末のAVがネックだった。パソコンで適当に動画を流す。その間に風呂に入ったり音楽聞いてスマホを弄ったり、最初は問題なかった。
たまたまある日トイレに行こうとイヤホンを外した時に聞こえてきた声に動きが止まった。
「ずっとこうしたかった……」
思わず振り向いてモニターを見た。もちろん男優は全然違う顔をしていたけど、髪色が、声が、そっくりだったから。
「お前が誰かのものになるなんて耐えられない」
「お前のこと、オレの方が好きなのに」
違うって分かってるのに、同じ声で、そんなに甘く囁かれて、体に震えが走った。
アブトじゃない。わかってる。でもこんな、ずるい。
トイレから戻ってきても、イヤホンを耳に付けられなかった。
目を閉じて、モニターから流れてくる声にアブトの姿を重ねて、自分を慰めてしまった。
諦めようと思っていたのに。墓場まで持っていくつもりだったのに。手に放たれた残滓を見て深くため息をつくしかできなかった。
「久々の再開に」
「「「かんぱーい!」」」
五月の連休の最終日前日。今日は大宮組で飲み会だ。皆それぞれの進路へ進んだ中、離れているというのに半年毎には開催している。十年以上変わらない付き合いが心地よくて毎回この集まりが楽しみなんだ。
アブトはこの飲み会がお酒解禁日とあって、酔い潰してやろうとハナビがウキウキしてるのがわかる。
おれは、罪悪感から隣に座るアブトの顔をあまり見れなかった。
ハナビもタイジュも、いつからかおれの気持ちに気付いていて、でも何も言わずに見守ってくれている。だから今も隣にいるアブトを見ようともしないおれに違和感を感じてちらちら見てくれていた。
ごめん。気にかけてくれてるのは嬉しいけど、さすがに言えないや。
ガンガン飲んでるのに頬の紅潮すら見えないハナビが何杯目かのアルコールをアブトに勧めている。対するアブトをチラ見したら、もう首まで真っ赤だ。普段は落ち着いた白い肌が染まる様子が色っぽくて、視線を合わせることは出来ないくせに盗み見はしてしまう。
「あっれー? 新多じゃん」
突然後ろから声をかけられた。盗み見を咎められたようで肩が跳ねてしまう。ドキドキしながら振り返ると、見覚えのあるようなないような顔の男だった。
「わかんない? 同じ学科なんだけど」
そう言われてもピンと来なかった。そんなことより妙ににやけたその表情が引っかかる。なんだろう、不愉快な笑みだ。
「お前さあ。毎週毎週盛りすぎなんだよ」
「は?」
「お前んちの大家、俺の親戚なんだけどさ、毎週末アノ声が聞こえてくるって言ってたぜ。彼氏と散々やってるくせにイケメン侍らせて、何お前足りてねー……」
男は最後まで言い切れなかった。強くテーブルが叩かれて驚いたのだ。音の主はタイジュだ。厚い木のテーブルがミシミシいってる音が聞こえる気がする。
「シンくんを侮辱するのは許せねぇです」
「発言がもてねぇ男のソレすぎていっそ哀れだわお前。意味わかんねえ戯れ言言ってねぇで去れよ」
低い、地を這うようなタイジュの言葉に重ねて、ハナビも心底不愉快だという声を出した。アブトは無言で睨んでいる。タイプの違う顔の良い男たちにこうまで睨まれて、そいつは分が悪いと判断したのか何も言わず去っていった。
席に残ったのは微妙な空気だ。弁解するべきなんだけど、AVを見てアブトを重ねて自慰しているのも、カップルのふりしてルームシェアしてるのも事実なので、言葉に詰まってしまった。
「お前……恋人いたのか」
アブトが口火を切った。その声はいつもと変わらないようで、少しだけ寂しそうな気がしたのは気のせいかな。
「あー……うん」
これはアブトを諦めるいい機会になるのではとつい嘘をついた。アブトは「そうか」とだけ言って黙り込んでしまった。ハナビとタイジュはどう切り出していいか困っている。場を乱してごめんって気持ちで笑いかけると、二人とも頷いてくれた。ほんと、優しいんだから。
「それより今年は花火大会くるんだろうな?」
話題を変えようとしたのかハナビが言う。大曲の花火大会で、少しずつ任されることが増えているらしい。高校の時までは見に行けてたんだけど、夏休みは遺跡調査で長期で出かけてしまうことも多いから大学に入ってから行けてない。
「んー……まだわかんないんだよなあ」
「今年は来いよ。オレ尺玉の一つ作ってんだぜ」
「え、凄い。二発のうちの一つ?」
「ああ。まだ親父の最終チェック済んでから打ち上げられるか決まるけどな。オレの晴れ舞台だぜ?」
「予定、空けるよ! 絶対行く!」
せっかく行くなら翌日観光もしたい、泊まりで行きますか? なんてタイジュと盛り上がっていたら、不意に肩に重みを感じた。限界突破したアブトが眠ってしまったようで乗っかかって来たのだ。
「なんだよ寝ちまったのか。アブトも弱ぇな」
「誰もハナビくんには叶いませんよ。アブトくんち、どこでしたっけ?」
「あー……おれんち、連れてこうか? ここからすぐだし、今日は同居人いないし」
肩の重みと暖かさを手放すのが惜しくて、タクシーを手配しようとしてくれるタイジュを制した。
その言葉にハナビがニヤッと笑う。
「なんだシン、彼氏出来たなんてやっぱり嘘かよ」
「……なんで嘘だと思うんだよ」
「お前が何年アブトを追いかけて来たのか言ってやろうか?」
アブトは寝たんだし、さあ話せ、と視線で語る。ハナビの真っ直ぐな視線にはいつも嘘が付けない。
「……言わなくていい。カップル限定で安くなるって条件の物件で、友達とカップルのふりしてルームシェアしてるだけだよ。バレないように週末にそういう映像と音流して誤魔化してたんだけど、さすがに同級生にあんな風に思われてるのは気分良くないなあ」
一息に説明して、さっきの男の言葉を思い出してため息をついた。同居人だって、同じ学校に彼女がいるのにあらぬ噂を立てられるのは可哀想だ。
「なるほどなあ。でも大丈夫だろ。普段のシンを知ってる奴はあんな奴の言うこと信じないって」
「噂って回るじゃん」
「大丈夫大丈夫。そっちはあんま心配すんなって。で、アブト連れて帰んのか?」
「うん、寝ちゃってるし。……なんだよニヤケんなよ」
ハナビは何も言わずに、ただチェシャ猫のようににまにました笑顔を向けてきた。なんでも分かってますっていう感じ、腹立つけど助けられてるんだよな。
「タクシー手配出来ましたよ。乗せるの、手伝います」
「ありがとタイジュ。今日、なんかごめんな」
「シンくんは悪くねぇです。また、次は大曲で会いましょうね」
「うん。じゃあまたね二人とも」
タイミングよくタイジュが助け舟を出してくれたので、二人分の支払いを置いて、荷物を持ってタクシーに乗り込んだ。歩いてもすぐそこなのにタクシーだからほんとすぐだ。
半分寝ているアブトを支えながら鍵を開けて室内に入る。シャワーは後でいいや。先にアブトを部屋に寝かそう。引きずるように自室に連れて行ってベッドに転がした。
自分の部屋にアブトが寝ているなんて、不思議な感じだ。瞼を閉じていても整った顔。薄い唇が少し開いてるのが色っぽく見えて、アルコールが回った頭でもだめだとわかってるのに、なのに衝動が止められなかった。
ほんの一瞬なら。
ふに、と触れた唇は、予想よりかさついていてそれでも柔らかかった。
「……何やってんだおれ」
酔いを覚まそう。シャワーでも浴びるか。自分の愚かさに力なく笑って、立ち上がろうとしたその時、腕を強く引かれてベッドの上に引き倒された。
「う、わっ」
「今のはなんだ。どういうつもりだ」
「起きて……」
「答えろシン」
「……」
答えられるわけ、ないじゃないか。どう答えても不興をかうのがわかってるのに。おれにできるのは黙秘だけだ。
「答えないならオレの都合のいいように解釈させてもらうからな」
今まで酔って寝ていたとは思えない強い声だった。アブトはふいと横を向いたおれの顎を掴んで上を向かせた。金の瞳をこんなに間近で見たのはいつぶりだろう。そんなことをぼーっと考えていると、揺れる瞳が近付いてきて、あっと思った時には唇が塞がれていた。
先程おれがしたみたいな触れるような口付けじゃない、僅かに開いた唇から侵入した舌が口内を激しく犯す。こんなキス、初めてだ。キス自体さっきしたものが初めてだけど。
ああもうだめだ。呼吸がままならくて、熱い唇と舌に翻弄されて、思考が纏まらない。なんだこんなことになってるんだ。酔って寝てしまったのか。これはどこから夢なんだろ。
「ずっと、こうしたかった」
「お前が誰かのものになるなんて耐えられない」
「オレの方が何倍もお前のことが好きなのに」
いつか聞いたAVのセリフが鼓膜を響かせる。アブトに言われたいと思ってた言葉たちだ。夢だと思っていても嬉しくなる。
「誰かのものになんてなってない。おれにはずっとアブトだけだ」
首に腕を回して抱き着いた。強く抱きしめられて、また唇が合わさった所までは覚えている。それ以上はまるで奔流に飲まれてしまったかのようだった。
翌朝目が覚めたら半裸のアブトが同じベッドにいて、自分は下着だけかろうじて身につけていて、あらぬところが疼いていた。
昨晩の出来事が夢じゃないと知って、拗らせ続けていた気持ちを全部吐き出したことも思い出して、おれは青くなったり赤くなったり大変だった。