アブトが帰ってきた。
激闘の末アラバキの脅威も去った。
残ったのは、消化しきれなかったこの思いだけだ。
戦う相手がいなくなったとはいえ、いつ何があるかわからない。戦いの感覚を忘れない為のシュミレーションも、コミュニケーションを深めるための懇親会も、定期的に行われていた。
以前は運転士との交流を一歩引いて見ていたアブトだけれど、帰ってきてからはむしろ積極的に交流しようとしている。
ぶつからなければわからないこともあるって、学んだんだろう。大人ぶって涼しい表情で立っているより、年相応に表情豊かに鉄道愛を語る姿は楽しそうの一言に尽きる。
その変化はとても喜ばしいものだ。勉強したのにそれでも半分以上わからない鉄道用語に顔を引き攣らせたこともあるけど、でもやっぱりアブトが楽しそうなのが嬉しい。
今日も今日とて京都支部にやってきたおれとアブト。タイジュは少し遅れてやってくる。ハナビはちょっと遠いから今回は来られないらしい。先に来ていたヤマカサとギンガが、秋に登場した西九州新幹線について熱く語っていた。当然のようにアブトもそこに加わる。
どちらかというと在来線の方が好きなアブトだけど、新幹線ももちろん好きなわけで。かもめから始まった鉄道トークは九州の在来線から関西圏の在来線にまで話は膨らんで、三人はどんどんヒートアップしていった。
―ぴろん
軽やかな音を立ててZギアが通知を知らせてくる。ポップアップされた通知はタイジュからのもので、「もうすぐ京都駅を出発します」といったものだった。
京都駅を出たら京都支部まではもうすぐだ。何度も来てるし迷うこともないだろう。だけど盛り上がる三人に割って入るのは気が引けて、それならタイジュの迎えにでもいくか、とそっと三人から離れた。近くで待機してくれていた吾孫子さんに伝えて、そっと部屋を出ていった。
アブトが楽しそうで何より。自分を押し殺して辛そうな顔をしているより、好きなものを好きなだけ語ってイキイキしてる姿を見る方がおれだって嬉しい。その気持ちに嘘は無い。
「……でもちょっと、寂しいなあ」
アブトのそういう所を知ってるのはおれだけだったのに。簡単に懐かない気位の高い猫のようなアブトが、自分にだけ気軽に接してくれてることにこっそり抱いていた優越感。それは今じゃ醜い嫉妬心に変わってしまった。
だってアブトのことが好きなんだもん。おれの夢を笑わなかった初めての人。誰よりも強くおれを信じてくれた人。誰よりも強く求めた人。
アブトが同じ気持ちでいてくれるなんて、思ってはいない。それこそ動物の刷り込みのように、いつも一緒だったからそばに居てくれるだけだとちゃんとわかってる。それでも、一番そばにいるのは自分がいいな。
そんなことを歩きながらぐるぐる考えていたら、行き過ぎてしまった。駅に行くはずが水族館の前まで来てしまった。迎えに行くことはタイジュには伝えてない。驚かせようと思ったから。
時間的にもう駅に着いてるだろう。行くことを伝えてないんだから、もちろん待たずにみんなの元へ向かっているだろう。
「……ゆっくり戻ろ」
タイジュに会ってあの柔らかい笑顔を見ればもやもやした気持ちも飛んでいくと思ったのに、結局一人ぐるぐる考えるだけの時間になってしまった。
水族館に背を向けて来た道を戻っていく。そういえば園内を走る路面電車があったっけ。せっかくだから乗ってみようかな。
停留所に行ってみたら発車したところだったから、少し待つことになる。でもシミュレーションの開始時刻まではもう少しあるし、遅れはしないだろう。
秋が深まった公園でひとりきり。随分高くなった空を見上げた。
◇
「おはようございます」
「タイジュ! おはよう☆」
「遠くからお疲れ様。荷物はこっちだ」
京都支部の待機室の扉が開いて、タイジュが入ってきた。ギンガやヤマカサと会話を交わしているので、オレは目線だけで挨拶しておいた。いつもなら「挨拶は口に出さないと意味ないだろ」って怒られるところだが、シンがいない。
「ありがとうございます。……あれ、シンくんは?」
同じタイミングでタイジュが気付いたようで室内を見回している。ギンガもヤマカサもそう広くない部屋の中を見て、首を傾げていた。
「トイレかな?」
「自分トイレ行ってから来ましたが、居ませんでしたよ」
どこに行ったのだろうと四人であーだこーだ言っていたが、答えはでない。
がちゃりと再度ドアが開いて、全員同時にドアの方を向いた。現れたのはシンではなく、吾孫子さんだった。
「皆さんそろそろ時間ですよ。……あら、タイジュくんひとり?」
運転士のデータの入ったタブレットを抱えて入ってきた彼女は、室内にいるメンバーを見て首を傾げていた。正確にはタイジュを見て。
そしてオレたちもその言葉に首を傾げた。どう見てもタイジュひとりじゃない。四人いる。不思議な言い回しをするもんだと思っていたら、先程の言葉の意味も、シンが居ない理由も同時にあっさり彼女の口から出てきた。
「シンくんは先程タイジュくんを迎えに行くと出ていったので」
「え、会いませんでしたよ!」
「えっ⁉」
「シン、迷子になっちゃったの?」
「慣れ親しんだとは言わないが、何度も来ているここで迷子はないだろう」
「私、さがし」
「オレが行く!」
吾孫子さんの言葉に騒然となった。シンが行方知れずなことに気付いて、吾孫子さんが慌てて出ていこうとしたが、それを制して部屋を飛び出した。
いつだってシンはそばに居てくれた。辛い時も苦しい時も、いつでも支えてくれた。場違いなほどの明るい笑顔に何度救われたかわからないくらいだ。
どんな時だって、どこへだって、シンは来てくれた。それがどれだけオレの心を満たしてくれたかきっと知らないだろう。
好きにならないはずがない。そばに居るのが当たり前だと思っていた。居なくなることがこんなに心細いなんて思いもしなかった。体の半分が妙に冷えている気すらする。
「シン、どこだっ」
京都鉄博を出て、駅に向かう。敷地を出れば見晴らしがいい広場しかないのに、シンは見当たらない。
飲食店が立ち並ぶ方に行ったのか? いやさっき昼食を食べたところだからそれはないだろう。
ならば公園の中の方? 庭園横を抜けて遊具がある方へ足を向ける。いないとは思うが念の為と覗いた遊具にはやっぱりというか姿は見えなかった。
そのまま公園の広場の方へ歩いていく。路面電車が展示されている辺りまできたところで、軽やかな音が聞こえた。
園内を走る路面電車が出発したようだ。路面電車の線路と平行するようにならされている遊歩道を歩いていたが、ついその音に視線を向けた。
「いた!」
小さな路面電車の中、見慣れた緑が。
たった一駅しかない路面電車だ。公園内を走るからスピードも出ない。でも歩いては追いつけない。ゆったり進んでいった電車を追って遊歩道を走っていく。
足には自信があるが、準備運動もなしに全力疾走したので、駅に着く頃には息が上がっていた。
停車した路面電車から客が次々と降りていく。休日の昼間なので、子ども連れの家族が多い。興奮に顔を赤らめた子どもが、親の手を離して路面電車に戻ろうとした。丁度降りてこようとしていたシンがそれを抱きとめた。親が走って行って子どもを受け取り、シンにお礼を言っているようだ。
そういう、見ず知らずの人にも優しいところもシンの魅力だ。でもその笑顔を振りまくのはオレだけにして欲しい。
「シンッ!」
「アブト?」
出てきたところを手首を掴んで捕まえた。いつかの、木から落ちるのを助けた時のように。
手首を掴まれてシンは驚いている。
「……勝手にいなくなるな」
汗かいて息が上がって、必死になっているのがバレたかもしれない。でも口から出たのは心配ではなく自分勝手な言葉だった。シンはオレの言葉にぱちくりと瞬きをしてから、ふふっと笑った。
「アブトがそれ言うのかよ」
「うるさい。戻るぞ。オレから離れるな」
その通りだと自分でも思うことを、シンに言われて余計に恥ずかしくなった。赤くなった顔を誤魔化すように背を向ける。掴んだ手首は離さない。
好きだから心配したと、そばにいてほしいのだと、言えたらこの関係は変わるのだろうか。終わってしまうくらいなら言わずに一番近い「友達」のままでもいい。
離れて欲しくないなんてわがまま言いながら、強欲な自分に笑えてくる。
手首を掴んで前を歩いていたオレは、照れくさそうに笑って掴まれている手首を見つめるシンの姿に、気付くことはなかった。