首ぬい︎︎ ♀ 大学生パロ 大学の講義が始まる数分前、不知火の後ろの席に騒がしいグループがやってきた。この手の人間は講義中にも騒ぐものである。鬱陶しいなと溜め息を吐くと、その内の一人が隣に回り込んできた。何かと思えば、その男は目を輝かせて不知火の顔を覗き込む。
「不知火? 不知火だよな」
「はぁ? お前、誰だよ」
「俺だよ、俺! 首藤!」
突如名乗られて面食らったが、その直後に思い出した。彼は昔、不知火がテニス部のマネージャーをしていた頃、全国大会に進出した際に当たった対戦校の選手だ。そして、不知火が罵詈雑言に近い野次を飛ばした相手である。何にせよ、一度会っただけの相手をよく覚えていたものだ。感心していると、後ろに立つ彼の友人が促すように首藤へ声をかけた。さっさと行ってくれと内心思うが、彼はとんでもないことを言い始める。
「俺、今日ここで講義受けてくから!」
「はぁ」
呑気にも首藤は友人たちにひらひらと手を振る。友人たちも軽く返事をして去っていった。
どうして彼の横で講義を受けなければならないのだ。――逃げよう。そう思うも、席を立つ間もなく教授が講義室に入ってきた。首藤はウキウキした様子で文房具を取り出し、ノートに向かう。不知火はタブレットを開き、仕方なく講義に集中する事にした。
意外にも、首藤は講義中ずっと静かだった。集中して受けた講義が終わり、片付けをして出ていこうとしたところで首藤に呼び止められる。
「なぁ、連絡先交換しようぜ!」
訝しげに顔を見上げると、彼はニッと笑う。
「同じ講義受けてるって事は、助け合える事とかあるかもじゃん!」
「そう言って、私のこと利用するつもりあらに?」
課題見せてくれとか、テスト範囲教えてくれとか、ノート貸してとか代わりに出席してくれとか。これだから、仲間以外信用ならないのだ。その仲間は皆、沖縄に残っていたり、不知火のように本土の大学へ通ったりしているのだが。
「いや、そうじゃなくて。この授業、グループワークとかあるからさ。その時に不知火と協力出来たらなーって」
「はぁ ぬーんちお前と班にならなきゃならんばぁ」
「え? 一緒の班になってくれんの」
墓穴を掘った。不知火は冷めた目で首藤を見つめる。こうなったら、さっさと連絡先を交換してしまおう。連絡なんてせず放置すればいいのだ。首藤のスマホを奪い、メッセージアプリの友達登録を済ませる。放るようにしてスマホを返すと、彼は鮮やかにキャッチしてみせた。
「サンキュー! 後で連絡するー!」
彼の言葉を無視して身を翻す。二度と、会うことはないだろう。
――なんてわけはなく。同じ講義を取っているのだから、必然的に会う事になる。しかも何故か、首藤はその講義の時は不知火の隣に座るようになった。学部が被っていないことは幸いしたと言うべきか。ともかく、特別奨学生として入学したのだから、ひとつの授業も無駄には出来ない。四年間の学費を浮かせるためだ。首藤に構ってる暇なんか、ない。
「なあ、不知火ってバイトとかやってる?」
講義終わり、普段から雑談(無視をする不知火に対して一方的に話しかけてくる)をしてくる首藤が、そう尋ねてきた。
「当たり前やっし。家賃も払うし、食費だって馬鹿にならないさぁ」
女は何かと他にも入用だし。そう答えると、首藤は顔を曇らせた。
「ちょっと休んだ方がいいんじゃね? 顔色悪いぞ?」
「これぐらいで休むわけにはいかねーらん。余計なお世話やし」
今日はこの後休講になったから、そのままバイト先へ向かう予定である。だが、その時、ゆらりと地面が揺れた。いや、不知火の体が傾いたのだ。
倒れる――そう思った時、首藤の腕が不知火の体を抱いた。不知火を抱えた彼の体が、肩から倒れ込む。その衝撃と共に、視界が暗転した。
目を覚ますと、そこは下宿先のアパートだった。不知火の体は布団に寝かされている。
「バイト……!」
起き上がろうとすると、目の前に手が伸びる。そこには首藤が座っていて、不知火の体を布団の中に戻した。
「バイト先からは電話が来たから、俺が出といた! いつも頑張ってくれて助かってるから、今日ぐらいゆっくり休んでくれってさ」
「今月の給料が!」
「有給、消化しとくって」
今のバイト先に勤めてから半年が経っていたという事だ。それにすら気がつかないほど多忙な生活を送っていた。スタミナがあるが故に無理が出来てしまったのだ。休んだものを今更どうしようも出来ず、不知火は布団に収まる。そして、首藤に視線を向けた。
「お前はぬーんちここに……?」
「なんでって、俺が運んできたんだぜ〜? 大家さんに無理言ってさ、上げてもらった!」
「どうして……」
そこまでしてくれたのだろう。首藤はニッと笑うと、よし、と手を叩く。
「お疲れの不知火に、俺が昼飯を作ってやるぜ〜」
「あい? お前、料理なんて出来るんばぁ?」
「魚屋の息子舐めんなよ〜?」
袖をまくり、キッチンへと向かう。冷蔵庫を開けると長期保存できるように小分けにされた食材が並んでいた。勉強も仕事もこなした上に家事まで完璧にしていたのでは倒れて当然だ。
食材を取り出し、首藤はキッチンに立つ。彼女が料理をしやすいように整えられたその場所は、首藤には低く思えた。
その日から、不知火の心の中には首藤が巣食うようになった。不知火には作れない、情のこもった料理も、笑顔も、優しさも、初めて与えられたもので。不知火は、首藤を好きになってしまったのだ。自分では否定したくとも。
それでも不知火は以前と同じ態度を貫いた。自分が恋愛にうつつを抜かすなんて事はないというプライドからだ。こんな態度を続けていれば嫌われるかもしれない。その事に胸を痛めるにも拘わらず。
そんなある日のこと。珍しく、キャンパス内で首藤を見かけた。広い学内では講義室以外で会う事がなかったからだ。思わず、物陰に隠れてしまう。
「首藤さぁ、最近一緒に講義受けてる子、いるじゃん。彼女?」
彼の友人が首藤にそう聞いた。正直迷惑でもあり、ファインプレーでもある。不知火は息を潜め、質問の答えを待った。だが、待っていたのは残酷な現実。
「不知火? 友達だぜ?」
分かっていた。好きなのは自分だけ。一方的に恋心を寄せていたのは不知火だ。首藤はただ、誰にでも優しいだけ。不知火を特別にはしてくれない。
見つかることも恐れず、不知火はその場から駆け出した。それを見つけた首藤が、名前を呼ぶのが聞こえる。それでも足を止めなかった。全力疾走である。ヒールであるにも拘わらず、不知火は捕まらない。
「ちょ、ちょっと待てって!」
首藤のスタミナも不知火に負けず劣らずであった。腕を掴まれ、不知火は身を捩る。
「触らんけー!」
その瞬間、首藤は後ろから不知火を抱き締めた。不知火の体は、首藤のたくましい腕に捕まってしまう。
「なんで逃げたの」
低い声で首藤は尋ねる。すると、不知火の目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「だって……、だって、首藤にとって私は、ただの友達なんだって思うと惨めで……」
「惨めって、なんで?」
「私はこんなにも、お前のことが好きなのに……」
不知火が泣きながら振り返ると、首藤は目を見開いた。いつもツンと澄ましてつれない彼女が、首藤のことを好きだなんて。笑う場面ではないのに、口元がムズムズとする。思わず、抱き締める力を強めた。
「嬉しい! 俺も好き!」
「はぁ お前、友達ってあびったあらに」
「でも、不知火と一緒だと楽しいしさ! 付き合うのもアリかなー、なんて……」
随分と調子が良いことを言っている。それでも彼を自分のものにできるならいいかな、と不知火は思った。恋にはこれから堕としていけばいい話だ。不知火は首藤の方を振り返り、ギュッと抱きついたのであった。