空閑汐♂デイリー【Memories】27 震える声で呼ばれた名前に、それだけで胸が熱くなった。やっぱり、この男の隣に居たいと強く感じたのだ。
「それが! 何で! こうなるんだ!?」
思わず叫びながら走る汐見は床を蹴る。まさか到着直後に会えるとは思わなかったが、顔を合わせた直後に逃げ出されるとも思わなかった。昔から瞬発力は汐見の方が勝っているし、あのよく分からない刃物男を追って走ってきたのであれば流石の持久力も大分削られているだろう。
「止まれ、ヒロミ! っわ!?」
床を蹴り上げ――地球とは異なる六分の一という重力で想定以上に飛んだ体をそのまま空閑に投げ出した汐見は、空閑の腰へと両腕を巻き付け二人揃って床へと倒れ込む。
「すまん、変な所打ってないか!? いや待て、お前が逃げるのが悪いんだろうが!」
倒れ込んだ空閑に乗り上げたまま、空閑の状況を確認していた汐見は思い出したかのように空閑へと怒鳴っていた。そんな汐見の様子に空閑は海色の瞳を瞬かせ、笑みを貼り付けようとし――涙を零す。そんな空閑の姿にぎょっとするのは汐見で。
「やっぱり変な所打ったか? どこか痛むのか?」
「あのね、アマネ……俺もう二十九になったんだよ」
「俺だって二十九だ、それくらい分かってる。知ってるだろ、俺はお前に泣かれるのに弱い」
ようやく合わせられた視線に、汐見は密かに安堵する。空閑の瞳に浮かぶのは、少なくとも嫌悪でも侮蔑でもなかった。空閑が目の前から逃げ出した事にも、少なからずショックは受けていたのだ。今の汐見が一番恐れているのは、空閑に拒絶される事だった。
「ヒロミ!」
「は、はい!」
意を決し息を吸い込んだ汐見は、目の前の男の名を叫ぶ。驚いたように返事を返した空閑に、畳み掛けるように声を張り上げた。誰に聞かれたって構わない、目の前の男にだけしっかり伝わればそれでいい。
「お前今、配偶者もしくはそれに準ずる相手は居るか!?」
「いきなり何!? 居ないけど!」
「じゃぁ恋愛対象として好きな相手は!?」
「居るね!?」
「それは俺か!?」
「そうだよ!! ……あ、」
しまったというような表情を浮かべた空閑に、汐見は満足げな笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「待たせちまって、悪かったな」
たまらなくなって、空閑の両頬を両手で抱えて唇を奪う。周囲が騒ついているのは分かっていたが、漸く逢えたんだ。我慢なんて出来やしない。六年以上振りの空閑の熱は、汐見に安堵と興奮を齎していた。逃げる空閑の舌に自身のそれを絡め、最後にはその舌ごと唾液を啜り上げた汐見は顔を真っ赤にした空閑へ向けて首元のチェーンを引き上げて見せながら再び声を張り上げる。
「ヒロミ! 結婚するぞ!」
「うん! うん!?」
認識票と共に揺れるリングを突きつけ、そう叫んだ汐見に押されたように頷いた空閑は、漸く汐見の言葉を認識したのか目を白黒させながら訊き返すような声を上げていて。
「だから、結婚しよう! Marry me Heirate mich」
日本語と英語とドイツ語で同じ言葉を重ね、汐見は懇願するように言葉を紡いでいく。
「もう、お前なしじゃ息も上手く出来ないんだ。お願いだから、手放そうとしないでくれ」
縋るように空閑の胸元にしがみ付く汐見に、空閑は黙り込んでいた。そうして汐見の頭上で大きく一度息を吐いた気配と共に、空閑の指先は汐見の頬を撫でる。
「アマネ」
甘やかな声と共に、空閑の唇が汐見の唇へと落とされる。差し入れられた空閑の舌は、汐見の口腔をあやすように舐る。空閑から与えられるキスだけで、気持ちよくてたまらなかった。
「ごめんねアマネ。こんな俺で良ければ、結婚しようか」
「お前が良いんだ、お前じゃなきゃ結婚なんて言わないって知ってるだろ」
お前が俺を、こうしたんだから。
耳元で囁いた汐見の言葉に面白い程顔を赤くする空閑を見て、汐見はようやく心の底から笑う事が出来ていると感じるのだ。