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    #凪玲

     最後の走り込みを終えて、軽く足を流してからグラウンドにどさりと倒れ込む。体温と変わらない空気に肺を焼かれながら、じっとりと噴き出す汗が気持ち悪い。ごろりと仰向けに転がると、突き抜けるような空の青が目に刺さった。
    「なぁぎ、おつかれ」
    「んー」
     さらりと揺れる紫が影を作り空の眩しさを遮るけれど、凪だけに向けられる満面の笑みの方がずっと眩しくて目を細める。パチパチと目をしばたくと、目の前に水のボトルが差し出された。受け取ったものの、身体を起こしたくなくてそのまま側面をぺたりと頬に着ける。クーラーボックスの中に置かれていたボトルは外気に触れていなかった分少しは冷たくて、ひんやりと熱っぽい肌を冷ました。
    「あつー……」
     これでもかと言わんばかりに汗が流れ出て行く。こんなに汗をかくのははじめてかもしれない。そもそも、暑い時期に外で走り回るなんて、授業以外でしたことがなかった。
     隣に腰を下ろした玲王が、ボトルを一気に煽る。仰け反った首筋の喉仏が、ぐびりと二度三度動いた。じわりと浮き出した汗が、顎から垂れて首筋のなだらかな稜線を伝い落ちていき、ユニフォームの隙間に吸い込まれていく。人の目は動くものを捉えやすい。一連の動きを辿ってしまってから、凪は一度目を瞑って深く息を吐いた。暑くて、熱くて、溶けそうだ。
    「水は飲んどけよ」
    「起きれなーい」
    「しょうがねえなあ」
     当たり前に差し伸べられる手が、凪の背中に回る。まるで抱き上げるような態勢に驚いて、凪の身体が強張った。腕を引かれて起こされることを想定していたから、思いがけない身体の近さに戸惑う。だが、そんな様子に気付いた様子もなく、背中を支える形で上半身を起こされた。
     凪が手にしていたボトルを玲王が攫って、口を開けてから渡し直される。子供の面倒でも見ているような甲斐甲斐しさを見せられて、仕方なく凪もボトルをあおった。イオン飲料が口の中に流れ込んでいく。喉元を過ぎると身体にじんわり染み渡るようだ。水分を取ったら思いのほか喉が乾いていて、ボトルはすぐさま半分ほど嵩を減らす。
    「流石に今日の気温じゃ、自主練きついよな。部室戻ろうぜ、さっさとシャワー浴びてえし」
    「動きたくない……」
    「こんなとこに転がってたら干からびちまうだろ! ほら、おんぶしてやっから」
    「んぇー……」
     凪としては、今はあまり玲王に近付きたくない気分だけれど、気持ちとは裏腹に、目の前に晒された無防備な背中に引き寄せられる。身体を預ければ、ふわりと身体が浮き上がった。
     誰かに持ち上げられるなんて、小さな頃しか体験したことがない。小柄な少女ならともかく、ひょろりとしているとはいえ玲王より背の高い男だから当然だ。玲王だって、誰かを持ち上げたことなんてないと思う。
     それなのに、冗談というより半ばいやがらせとして凪の口から零れた言葉を、玲王はさらりと叶えて、いつのまにか当たり前のように与えられるようになった。
     じっとりと汗ばんだ玲王は、良い香りがする。普通なら汗をかいた男から良い匂いがするなんてありえないはずなのに、普段は髪に隠れている薄くて柔らかそうな皮膚に齧りついて流れる汗を舐めとったら、もしかしたら美味しいんじゃないかなんて錯覚しそうなくらい好きな香りだ。
     玲王は凪の匂いが気にならないんだろうか。汗みどろの男に後ろからしがみつかれるなんて、不快感しかないはずだ。けれど、玲王は一度だって嫌がる素振りは見せなかった。感情は素直に表に出す方だから、ポーカーフェイスが得意には見えない。少なくとも、凪を背負っていいと思う程度にはどうでもいいんだろうなと判断する。
     異性が相手なら、遺伝子的に相性が良いと好きな匂いだと感じる場合があるらしいけれど、はたして男同士でも有り得るんだろうか。
     グラウンドでダラダラしているうちに、他の部員はとうに帰ったらしい。部活の後に、塾や予備校へ通ったり家庭教師が来る生活をしている部員がほとんどだから、当然と言えば当然だ。
     部活に併設されたシャワールームでぬるめの湯を浴びて、纏わりついていた汗を流す。火照った身体が徐々にクールダウンしていった。そのままふらふらシャワールームから出ておざなりに身体を拭いて服を身に着けようとしたら、下着を履いたところで先にシャワーから出ていた玲王に「全然拭けてねーよ」とダメ出しをされてしまった。
     ぽたぽたと雫が垂れ落ちる髪にパサリとタオルをかけられる。雑なのに柔らかな手つきは眠気を誘うくらいに優しくて、水気をあらかた取った後は肩と背中に落ちていた水滴を拭って、そのまま肩にふわりとタオルをかけて離れていく。なんだか気が抜けてしまってベンチに座り込むと、何が楽しいのかクスクスとさざめく波のような笑い声が凪の耳に届いた。
     水音と人工的な甘い匂いが微かに流れる。反射的に目を閉じれば、頬をひんやりと冷たい水滴を纏った手の平が包み込む。
     今までほとんど日差しに当たったことがなかった真白の肌は日に焼けにくい。グラウンドで活動をしている運動部と思えないほど白い肌は、今日も少し赤くなるばかりだ。元々のメラニン色素が少ない肌はシャワーを浴びてほてりを抑えればすぐ元の白さに戻るだろう。だが、見た目は問題なくてもダメージの蓄積はむしろ普通より多いらしい。練習を始める前とシャワーを浴びた後は玲王に何かよくわからないものを塗り込まれるのが日課になっている。ベタベタしたり、サラサラしたり、少し甘ったるいような香りには閉口するし面倒だけれど、玲王の手がマッサージも兼ねて肌の上を滑っていくのは悪くないからいつも好きにさせていた。
     明日からしばらくは部活がないから、こうして玲王から触れられることはなくなると思うと、少しだけ凪の胸がざわりとする。ずっとゲームをしていてもいいし、食事を取らないで咎められることもない、遅刻を気にしなくていいから二度寝しても大丈夫だし、何もめんどくさいことはないはずなのに、どうしてこんなに霧が晴れないようなモヤモヤした気持ちになるのかわからない。
     丁寧にスキンケアしていた指が離れて、仕方なく着替えるために立ち上がる。
    「……そういえば、どうして休みなの」
    「うん?」
    「夏休み、ずっと練習があるのかと思ってたんだけど……」
    「あー……まあ、夏期講習ある奴らもいるし、俺が海外いくしなー」
    「海外?」
     のろのろと着替え始めていた凪が首を傾げる。とっくに着替え終えた玲王は、少しだけ機嫌の悪そうな表情でベンチに座り込んだ。
    「面倒だよなー。半導体が不足してっから、今年はドイツで顔見せだってさ」
     普段は見せることの少ない、どこか皮肉っぽい笑みを浮かべる姿に驚いた。どんな時でも明るい表情で人に囲まれている姿ばかり見ていたから妙な気分だ。あからさまに不満を示す様子は普通だったら見苦しいのに、不思議と玲王のイメージを損なうことはなく、かえって人間味が加わったように思えた。
    「あの人たちにとっては、息子の誕生日なんて格好の社交のネタだから。まあ、別にいいけどな。俺も人脈は欲しいし」
    「誕生日?」
    「おう、8月12日。そこに合わせてパーティー三昧だ」
     はじめて聞いた情報に、思わず押し黙る。
     玲王の誕生日なんて聞いたことがなかったから、凪は今の今まで知らなかった。教えてくれれば何か用意することも出来たのに、今から用意したところで渡せるのは誕生日を過ぎてからだ。それに、何をプレゼントすれば喜ぶのか見当もつかない。玲王が欲しがるものを凪が用意出来るとも思えなかった。
     今まで生きてきて感じたことのないざわつきを振り払うようにカッターシャツを羽織った。
    「そっか。大変だね」
    「ほんとになー、最悪だぜ。ドイツだと酒飲まされるしさ」
    「酒?」
    「あっちだと16から飲めるから、ビールとかワインとか飲まされる。あ、言っとくけど酔っ払って醜態をさらすなんてしたことないからな。適当に切り上げるけど、サッカーできねーし市場にも触れねーし話はつまんねーし、しょうがねーから暇つぶしに色々ダウンロードしてみたけど」
     さらりと飲酒を告白されてギョッとしたけれど、そういえばアルコールの摂取年齢は国によって違うと、中学の頃の歴史教師が話していた気がする。日本で未成年であっても、海外で飲酒する分には問題ないらしい。薬物も同様に、日本で非合法でもその国で合法のものなら問題にはならないそうだ。今思うと、そんなことを合間の雑談で生徒に話す教師はどうなんだと思わなくもないが、生徒からの人気は高かったし、凪もその教師の授業はそこまでめんどくさくなかったから半分くらいは起きて聞いていた。
     夏の盛りの生まれ月は、玲王に似合う気がするし、全然似合わない気もする。普段は苛烈な太陽のように輝いているけれど、ふとした瞬間黙り込むと、月の光みたいにさえざえとして見えた。
     最近、御曹司の顔をしていない玲王を見ることが増えている気がする。それが凪の前だからなのか、他の人間の前でも見せるのかはわからないけれど、悪くない気分だ。
    「凪がいたら、楽しいのにな!」
     玲王の言葉が、すとんと胸に落ちる。
    「来るか? なんてなー」
     凪に話している体ではあるが、返事を期待されていないとわかってしまう。凪が言葉を返す前に話は終わっていた。別に、それでよかったはずなのに。
    「行こうかな。レオが言うなら」
     実際には、玲王にくっついて海外へ出るなんて出来るわけがない。それくらいわかっているのに、凪の口から零れた言葉は、軽口にしては少し重く響いた。
     そんなわけにいかないだろ、と玲王が笑い飛ばすだろうと思っていたのに、返ってきた反応は全く予想だにしないものだった。
    「えっ、マジで?」
     ただでさえ大きな瞳が、零れてしまうんじゃないかと心配になるくらいさらに大きく瞠られている。驚きと喜色に溢れた瞳が真っすぐ凪を捉える。キラキラと光る玲王の瞳から目が反らせなくなる感覚に既視感しかない。
     凪はその時、はじめて玲王と会話したあの階段を思い出していた。



    「ほんとにどいつじゃん……」
     修学旅行の時に作っておいた自分のパスポートにつけられた真新しいスタンプを見て、凪は呆然としている。
     人がぎゅうぎゅうに詰め込まれている待合室とかけ離れた様相のラウンジに通されて、いつもとは随分違う味わいのレモンティーを飲んだ。美味しいとは思うんだけどなんだか高級すぎる味がして落ち着かない。
     プライベートジェットには専用の乗降口がある、なんていうこの先役に立つとは思えない知識を仕入れてしまった。ゆったりしたシートに身を預けて、寝て起きたらいつの間にか外国にいる、というわけのわからない状況だ。
     パスポートだけ持ってくれば後はどうにでもなるからと言われて、あれよあれよという間にこんなところまで来てしまった。飼っているチョキは、ばぁやさんに預けている。親には何ていえばいいかわからなかったから、友達のところにしばらく泊めてもらうことになったとだけ送った。元々長期休暇の間も返る予定はなかったから、迷惑をかけないようにとだけ返信があってそれで終わりだ。
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