篠突く雨が空から降り落ち、一人修行に明け暮れていたフウガの小さな身体に大きな雨粒が叩きつけられる。
フウガは肩に落ちてきた雨粒の大きさに目を見張った。
「しまった……」
雨が降る気配はしていた。しかし、修行に……父であるタンバに認められるため、夢中で一人刀を振っていたフウガは、空が雲に覆われたことに気がつくのが遅れてしまっていた。
空を見上げてみれば、雲の流れが早い。時期に止む通り雨だろう。
フウガは駆け、何とか廃寺の軒先に潜り込む。
瞬間、バタバタと雨が草木を叩き、周囲は刹那の間に雨の牢獄と化した。
舌打ちし前髪にまとわりつく水滴を払えば、乾いた地面が微かに濡れる。
いつになれば雨が止む。フウガは刀を携えたまま苦々しげに空を睨んだ。
「っ、誰だ!」
何かがフウガを見ている。視線を感じたフウガは、雨に負けない程声を張る。
「……」
そこには、小さな傘を差した小柄な少年がいた。
忍び装束を身につけたその少年の姿に、フウガは声を失う。
「……」
「……」
そこにいたのは、フウガの憎き相手であるモクマだった。
傘をさしているモクマと、軒先で立ち尽くすフウガ。二人は暫し顔を見合わせたまま。
大粒の雨が天から降り注ぎ、二人の会話を阻む。
モクマは一歩、一歩とゆっくりフウガが佇む軒先に近づく。
修行場に近づけるな。フウガがそう取り巻きに命じてから、フウガはモクマと顔を合わせていなかった。久方ぶりに見たそのモクマの姿に、フウガは上手く声を出すことができなかった。
軒先に入ったモクマは傘を畳み、付いた水滴を払う。大きな水たまりが軒下にできていた。
「何故、貴様がここにいる」
ようやく声を絞り出したフウガの問いにしばし口をつぐんだモクマは、背負っていた籠をフウガに見せるように体の前に担ぎ直す。
「おカンに、山菜が足りないからとってきて欲しいって言われて」
おカン。その名にフウガは聞き覚えがあった。
城の女中で、フウガやモクマと同じ年頃の少女だったような気がした。
モクマの背には、言葉に違わず籐で編まれた籠が背負われており、その中には何種類かの山菜が散らばっていた。
わざわざ取りに行ったのか。雨が降ると分かっていながら。
フウガはモクマの行動が理解できず、ただ困惑の色を深めるほか無かった。
あぁ、とモクマは気の抜けた声を上げ、フウガに向かい。
「フウガ、使う?」
モクマは籠を胸の前に抱えたまま、傘を差しだし問う。
その言葉に、フウガの頭に一瞬で血が昇った。
「モクマの分際で、借りを与えたつもりか!」
「え……」
声を荒げるフウガの言葉に、モクマは傘の柄を握る手を強張らせる。
モクマにとって、想像もしていなかった言葉だった。
顔を真っ赤にしてモクマを睨むフウガの姿に、モクマは握ったままの傘とフウガを見比べる。
自分は濡れても構わない。山菜も食べられなくなるわけでは無い。フウガが濡れる方が、周囲に動揺を与えてしまうだろう。
けれどフウガはそれを望んでいない。
モクマは悩み、そして。
「……ここに傘、置いていくから、使うも使わないも、フウガの勝手にして」
柱のそばに傘を立てかけ、モクマは籠を背負い直し軒下から出ようと一歩を踏み出す。
彼が濡れるくらいなら、自分が多少濡れるくらいどうということはない。
「!」
何かに籠を掴まれ、後ろに思い切り引かれる。
モクマはその衝撃でふらつき尻餅をつきそうになったがなんとか体勢を整え、力が加わった方向へ顔を向ける。
モクマの籠を掴んでいたのは、フウガであった。
「傘を持っていっていたお前が濡れて帰っては怪しまれるだろう」
不機嫌そうに目をつり上げたフウガが、ぐいと籠を引っ張る。
「お、俺は、フウガが濡れる方が…」
目を伏せまごつくモクマは煮え切らない態度を見せる。フウガはモクマに気遣われている事実と己の醜態に苛立っていた。
苛立ちの他にある感情の正体には、まだ気がついていない。
「ならば共に使うぞ」
モクマが背負う籠を掴んだまま柱に立てかけられた傘を手に取り、モクマに突きつける。
フウガは自分を嫌っているのでは無いのか。
遠ざけたいのでは無いのか。
今までの言動に反したフウガのその言葉に、モクマは混乱していた。
「行くぞ」
傘を広げ、モクマの手首を掴んだフウガは雨の降りしきる森の中を進む。
モクマはその力の強さに驚きながら、大人しく手を引かれるまま足を速めた。
「フウガって……」
傘を叩く雨粒。モクマの声が雨の牢獄から抜け出すことなく、傘の中で反響する。
「なんだ」
険しい表情を浮かべたまま、フウガはモクマを見ない。
雨の音が激しいはずなのにフウガの声は傘の中でよく聞こえる。不思議な空間だ、とモクマは感じた。
まるで世界に、自分とフウガのふたりだけになったような。
「……なんでもない」
襟元の布を引き上げ、モクマは口元を隠す。
己の肩が濡れていない事には、まだ気付かない。