独占「貴様の髪を結ばせろ」
フウガの居室で食事をしていたモクマは、部屋の主であるフウガの突然の言葉に、茶が注がれた湯飲みを唇につけたまま目を見張った。
突然何を言っているんだ。モクマは視線だけでフウガを咎める。しかしフウガは微塵も気にした様子も見せずぐいと酒を呷り、「なんだ」と、じとりとモクマを睨む。
「なんだはこっちの台詞だよ……なに、俺の髪?」
「結ばせろ」
「なんで」
「私に逆らうつもりか」
だめだ、とモクマは数語交わしただけで悟った。不機嫌そうに歪められた眉毛、憮然とした唇。こうなったフウガは、梃子でも動かない。己の望み、欲求を果たさなければ、この機嫌は直らない。
仕方ない、とモクマは一つはぁと大きくため息をつき、湯飲みを膳の上に戻し重い腰を上げる。フウガも杯を膳の上に置き、じっとモクマの動きを見つめる。
モクマはのろのろと立ち上がったかと思えば畳を足の裏で擦り、フウガの隣に移動するとゆっくり腰を下ろし、ちらりとフウガの様子を窺った後フウガに背を向ける。
「殊勝ではないか」
「お前が満足するならいいよ」
ふ、と唇を歪ませ笑ったフウガの言葉尻が僅かに上がっている。機嫌が少し良くなったことを悟ったモクマは、腕を伸ばし自らの髪を結んでいる紐を解く。黒髪がぱさりと背の上に散らばる。
その様子を見ていたフウガは両手を伸ばし、モクマの髪をゆるく掴み指を通す。
「痛んでいる」
「まぁ、そりゃ」
「貴様、ふざけているのか」
モクマは頓着をしない。風呂に入った後髪も濡らしたまま眠ることだってざらにある。きしりと軋むモクマの髪と何も分かっていなさそうなモクマのあっけらかんとした答えに、フウガは不機嫌そうに声を低くする。
「貴様は髪の毛先まで私のものだ、細部まで気を配れ」
するするとモクマの髪を通る、フウガの無骨な指の感触。突然の言葉。
モクマはぎくりとし、無意識に口の中に溜まっていた唾を飲み込む。
「嫌ならば、私が手づから髪を乾かし油を塗ってやろうか?」
「勘弁してくれ……気をつけるから、それだけはやめてくれ」
くく、と喉を鳴らしたフウガの言葉に、モクマはうぅと小さく唸り拒絶をした。
そんなことをされたら。毎日フウガの元で寝なければいけないということになるではないか。
モクマはフウガがどこまで何を考えているのか、計りかねていた。
「フウガ、紐」
「いらん」
先程まで己の髪を結んでいた使い古した髪紐を渡そうとしたが、フウガははっきりと拒絶する。
どうやって髪を結ぶ気なのかモクマが若干の不安を覚えた時、フウガはモクマの髪をゆっくりと引き纏め始め、何かで結んでいく。髪紐を持っていたのか。髪も長くなく、髪紐など不必要だと思われるフウガが。なぜ。モクマの頭に疑問がいくつも浮かぶ。
フウガの手が離れ、毛の束が重力に従い背中に落ちる。終わったのか。フウガは何も言わない。モクマはそっと結び目に触れる。
「……フウガ、これ」
結び目から伸びる紐の先に指を滑らせると、冷たい玉のような感触を感じた。モクマは振り向きながらフウガを見上げ、フウガの顔を見た瞬間目を瞬かせる。
(なんて顔してんだ)
フウガは、目を細め口元に薄く笑みを浮かべモクマを見下ろしていた。先程まで不機嫌そうな声色をしていたフウガからは想像も付かないほど穏やかな顔をしていたその男の姿に、モクマは言葉を失っていた。
「外してはならぬぞ、モクマ」
す、とフウガの指がモクマの首筋に触れる。熱いその感触に、モクマの首の皮膚が僅かに粟立つ。
「それは呪いだ」
まじない。その言葉に、モクマは訝しげにフウガを見やる。
「貴様が私のものであり続ける、呪いだ」
モクマの首筋を滑るフウガの指は、何の意味を孕んでいるか。分からないモクマでは、ない。
(まじないと言うよりそれはもはや、のろいじゃないか)
モクマは熱が勝手に上がり赤くなり始めた頬に困惑しながら、フウガの手の甲に頬を寄せた。それが、同意の合図だから。
フウガはモクマの耳元に唇を寄せ、その耳朶に歯を立てた。