未定3(ほんとうに、素敵な場所……)
さあっと風が吹き抜けた。夜更け前の空気はほのかにひんやりと肌を撫ぜる。ジェイドの長い前髪から普段は隠れている右目が覗いて、引き寄せられるように、ほとんど無意識でソフィアはまなざしを向けていた。なんだ、と言いたそうな彼の流し目に、はっとしてなんでもないと首を振る。
緊張を紛らわせたくて、静かに深呼吸した。鼻から吸って、口からゆっくり吐き出す。スカートをつまんでいた手を下ろすと、拳ひとつ分の距離にふたりの手が並ぶ。指を伸ばせば触れてしまえる距離だった。大きな手。触ってみたい。やましい偶然を何度期待したことか。眼下の雲に落ちる脚の影が、そわそわと落ち着かない動きまで写し込んでいるのが少し恥ずかしい。気づかれていないかとこっそりジェイドを盗み見たが、彼の顔も体もまっすぐに夕日のほうを向いていて、ソフィアの足の影なんて見えてもいないようだった。
(……こんなこと。いちいち気にしているのは私だけなんでしょう?)
わがままなため息を飲み込んだ。隣を歩くときのふたりの間をほんの少しずつ縮めていることとか、座るときは足を下ろすのと横座りとどっちにするかとか、自分より一回り太い指を眺めては握ってみたいだとか、ぐるぐるぐるぐる考えては、そのたび全身が心臓にでもなったような鼓動の激しさを味わっているとか。どうせ気づいてもいないんだと。どうせ自分だけが首ったけで骨抜きなのだと、それがまたちょっぴり不服で、そんな自分の幼さに呆れて。恋心というのは実は幼児退行なのではと思う。こんなにも休みなく騒ぎ立てる感情ほどわずらわしいものが、他にあるだろうか。1秒だけつま先の雲を睨んで、ジェイドに見られないように頬をふくらませた。