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    柊 ユヅキ

    好きなものいろいろ

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    柊 ユヅキ

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    ジェイド×ソフィア
    3年くらい前にここでポイして放ったらかしてたものを形にしたやつ
    ピクモフにも掲載。

    #アナザーエデン
    anotherEden
    #ジェイド×ソフィア

    今日という一日を 道端。店内。街の色んな場所で、睦まじい男女に目が留まる。笑顔で語らい、軽いスキンシップをする。
     振り向いてまで見ていることに、ソフィアはいつもあとから気づく。羨ましい、と思うこの気持ちが、求める行き場は分かっているのに。


    「ごちそうさま。……美味しかった」
    「そうか」
     カフェを出て一言目にそう言ったソフィアに、ジェイドは簡素な返事と首肯を返した。
     紅茶とレアチーズケーキのセットだけのつもりが、なぜかパウンドケーキにアフォガートまでご馳走になっていた。
     もちろん初めから全部を頼んだわけではない。彼女が食べ終わるたびに、他にはいらないのかとジェイドが何度も言うせいだ。
     そのくせ自分は最初にホットコーヒーを頼んだきりで、しまいには席を外した隙に会計が終わっている有様。ここまでくると憎たらしい。

    「このあとはどうする?」
    「貴方は? 用事とかないの」
    「特にない」
     つっけんどんな低い声で、真っ直ぐに目を見て聞いてくれることが嬉しい反面、いつも決めるのはソフィアであった。
    「行きたいところは?」
    「私のは……さっき言ったから。次は貴方が行きたいところにしない?」
    「もうないのか?」
    「……。あるけど……」
     たまには彼に合わせたいのに、いつ聞いたってジェイドはどこでもいいと言う。それがいちばん困るのだけれど、毎度のやりとりでもう慣れた。
    「じゃあ……夕日が見たい」
     ちょうど日が傾き始めた頃だ。目に入ったものをそのまま答えたら、ジェイドは分かったと言って頷いた。
     行先は言わずに歩き出す彼の、半歩後ろをついて行く。いつもそうだ。どこでもいいというくせに、どこにだって連れて行ってくれる。

     並んで歩くふたりの間で、大して会話が弾むわけではない。間が持たない、のがふたりの当たり前で、会話が途切れているのが普通。アルドやシンシアと話しているほうがよほど和気藹々としている。
     ジェイドというのはそういうひとで、ソフィアにとっては今更沈黙を苦にすることもなかった。彼女自身も口数の多いタイプではないのだ。

     用事はなんでもいい。どこに行くのでも構わない。ろくに話もしない相手と、ただ話したくて会っている。

     恋をしていた。
     いつからか心に住み着いた、痛くて穏やかな気持ちが、ソフィアにそれを自覚させた。


     エルジオンを出ると、ジェイドはエアポート行きのバスカーゴを指して乗ると言った。
     エアポートから、どこに行くつもりなのだろう?
     そんなソフィアの疑問は、カーゴを降りてすぐに解消されることとなる。
    「……すごい。綺麗……」
     はるか下の地平線に沈みかけた黄金色の西日が、辺り一面を茜色に染め上げていた。視界に飛び込んできたその景色に、自然とソフィアは感嘆の声を上げていた。
     連れてきた本人はというと、すたすたとプレートの端まで行き、立ち止まったかと思えば、着いたとも言わずに腰を落ち着けようとする。ソフィアも後をついて隣に座った。
     昼間だったら、ここに座るの? の一言でもあっただろうが。今この景色の前では、瑣末なことだ。

     少し悩んで、プレートの端から脚を下ろす。水平に差す夕焼けを正面に望むとまぶしくて、ソフィアは手をかざしながら息をついた。
     ここでなくとも毎日同じように日は沈んでいるはずなのに、こうして意識して眺めるのは久しぶりに思う。東の空を振り返るとすっかり紫色になっていて、ぽこぽこと浮かぶ羊雲が紺色と橙色で真っ二つだ。
    「穴場らしい。俺も初めて来た」
    「そうなの……?」
     初めて、という言葉にソフィアはジェイドの顔を見た。驚きつつも、なんだかすとんと腑に落ちた。
     彼がひとりで夕焼けを見に来るような風情のあるたちではないことくらい、とっくの昔に割れているわけで、だから、まさかエアポートで夕焼けを見ようとしていたなんて、移動の間じゅう思いもしなかったのである。

    (素敵な場所……)
     さあっと風が吹き抜けた。夜更け前の空気はほのかにひんやりと肌を撫ぜる。
     ジェイドの長い前髪から、普段は隠れている右目が覗いて、引き寄せられるように、ほとんど無意識でソフィアはまなざしを向けていた。なんだ、と言いたそうな彼の流し目に、はっとしてなんでもないと首を振る。

     会話がなければ、誰の声もしない。ここにいるのは自分たちだけ。
     ふたりきりだと思ったら、急に心臓がうるさくなる。
     緊張を紛らわせたくて、ソフィアは静かに深呼吸をした。鼻から吸って、口からゆっくり吐き出す。スカートをつまんでいた手を地べたに下ろすと、拳ひとつ分の距離に彼の手が並んだ。

     指を伸ばせば、触れてしまえる。
     大きな手に、ちら、と目をやった。触ってみたい。やましい偶然を何度期待したことか。眼下の雲に落ちる脚の影が、そわそわと落ち着かない動きまで写し込んでいた。
     気づかれていないかとこっそり横顔を盗み見たが、彼の視線も体もまっすぐに夕日のほうを向いていて、見えてもいなければ気にする素振りもないように映った。

    (……こんなこと。いちいち気にしているのは私だけなんでしょう?)
     わがままなため息を飲み込んだ。器の小ささに辟易とする。
     隣を歩くときのふたりの間を、ほんの少しずつ縮めてきたこととか。
     座るときは、足を下ろすのと横座りとどっちにするかとか。
     自分より一回り大きな手に浮かぶ筋に、ちょっとだけ触ってみたいだとか。
     浮かれたことばかりぐるぐるぐるぐる考えては、そのたび全身が心臓にでもなったような鼓動の激しさを味わっているとか。

     どうせ、どうせ自分だけが首ったけで骨抜きなのだと、それがまたちょっぴり不服で、そんな自分の幼さに呆れて。恋心というのは実は幼児退行なのではと思う。
     こんなにも休みなく騒ぎ立てる感情ほど、煩わしいものが他にあるだろうか。つま先にかかる雲を一秒だけ睨んで、ジェイドから見えないようにソフィアは軽く頬をふくらませた。


     暮れていく夕日を無言で見ていた。ひとことふたこと、互いに話しかけ合った気もするが、やっぱり会話が続かなかった。
     傍から見れば今の自分たちは、形だけなら、きっと恋人のように見えたかもしれない。見えたところでそれは事実でもなんでもないのに、そうならばいいと思うのは不思議なことだ。

     不安らしかった。恋い慕う相手を隣にして、ソフィアの胸に浮かぶのは安穏なんかではなかった。ざわざわとした暗い森の中のような、それでいて晴天の白い砂浜で浴びる潮風のような。
     焦りも昂りも静けさも煩わしさも、自分に向けたものも彼へ向けたものも、うんとたくさんの感情たちが、胸の内で、終わらない席取りゲームをしている。

     ほんとうは、もっと話したい。もっと貴方の声が聞きたい。
     一度言い出してしまえば、湧き出る願望にはキリがなくなる。ずっとこの時間が続いてほしいのに、思ったよりも早く、夕日はたったの半分になってしまった。
     じきに日没。夜になる。もうあと数分だろうか。

    [
    ]


    「……ねぇ、ジェイド」
    「どうした」
    「あ、……あの……」
    「?」
    「っ……いえ……ど、どうしてここに連れてきてくれたのかって」
     このあとは、どうするの。
     そう言いたくて、思い切って声をかけてみたものの、彼と視線が合ったとたんに頭がぱっと白くなって、全く関係ない話題が口をついて出てしまった。
    「その、だって貴方、夕日なんて興味なさそうだもの」
     脳内の自分がばか、いくじなしと罵ってくる。ジェイドにも不思議そうな顔をされ、ソフィアは言葉につまりながらも、不自然にならないようになんとか話を繋げたのだが。
    「……。なくはない……」
    「?」
     そんな返事をしたジェイドに、ソフィアは些細な違和感を覚えた。
     あまりこういう、ぼんやりとした物言いを彼はしない。
     その場しのぎの質問でしかなかったのだが、自分のことは早々と棚に上げて、この話をもう少しつついてみたいと好奇心が顔を出す。

    「でも。穴場なんて前から知ってたの? 初めて来たって、さっき」
    「ん……」
     その追い打ちに、ジェイドは明らかに表情を変えた。明らかに、といっても彼を知らない人から見ればぴくりと眉を動かしたくらいであって、それは、ソフィアからすれば大きなことである。
     見つめてくる彼女から、ジェイドはすっと目を背ける。何度も見た、その仕草。そうやって黙るのはなにか隠したがっているときだった。つまりは、肯定といえる。
    「……調べれば出てくる」
    「調べたの? いつ? どうして?」
    「それは…………」
     どんどん短く、増えていく質問。ソフィアにぐいと身を乗り出して詰め寄られ、ジェイドがたじろぐ。見た目こそ人形のように整った彼女は、しかしいちど火がつくとあっという間にこうだ。

    「……その……」
    「?」
     彼女がどうしてと言い始めたら引き下がらないことくらい、ジェイドだって分かりきっていた。誤魔化すだけ、袋のネズミだ。
     引き下がってはくれないだろうかと、横目でソフィアを見るジェイド。一縷の望みをかけたところで、澄んだ湖のような色をした大きな瞳が、許してくれそうにないのは同じ。

    「…………。喜ぶと……思って」
     苦い顔で眉間を押さえた彼は、観念して口を開いた。
    「……えっ?」
    「いつだったか……綺麗な夕日が見たい、と……言っていただろう」
     眉根の寄ったその伏し目が、ただ彼の純粋な照れと恥じらいの表れでしかないことは、ソフィアにも手に取るように伝わった。

     所在なさげな真紅の瞳が斜め下に落ちていって、あまり見るなと言わんばかりに手でソフィアの視線を遮る。顔が見えなくたって、白い癖毛から覗く耳がまるでふたつに割ったザクロみたいに真っ赤で、普段無表情の彼がここまで露わにする羞恥とは果たしてどれほどのことだろうか。
     ソフィアは言葉が出ない。ぽかんと開いた口の奥で、火山のように感情が噴き出して、声にする言葉が選べなかった。

     うれしい。うれしい、そんなことを言葉にしてくれた。あの無口の仏頂面が、こんなに紅潮した顔でいる。ひとのことは言えない、火がついたかと思うほど、ソフィアはたちまち顔が熱くなるのを感じた。そんな、自分でも覚えていないようなひとことを彼は覚えていて、興味もないようなことをわざわざ調べて。
     そうしたら、これまでもずっとそうだったのだと唐突に思い至って、さっきのカフェだってきっとそうで、頭が、胸がいっぱいで、ほんの一瞬でうまく口が回らなくなる。

    「あ……」
     なにか、言わなければ。自分から尋ねておいてひどく焦って、数回ぱくぱくと口だけを動かして。結局なにも声にならずに喜びと恥ずかしさでどうにかなりそうな頬を両手で隠すと、ソフィアは乗り出していた身をしずしずと引く。
     いたたまれずに体を夕日に向けなおして、しおらしく背を丸め、顔を隠すように膝を抱いた。
    「そ…………そう…………」
    「……」
     ようやく発されたテンポの悪いあいづちに、こく、と無言の首肯が返ってくる。ソフィアはまた顔が熱くなった。

     どうしてこんなに優しいのだろう。どうして、私なんかに、そこまでよくしてくれるのだろう。何度惚れさせれば気が済むのだろう、この男は。
     長い沈黙が胸を焼いた。互いになにも喋らないまま、いつの間にか日は落ちる。
     茜色が夜の帳に染まっていっても、ふたりして、しばらくその場をあとにしようとはしなかった。


    「……ソフィア」
    「な、なに? ジェイド……」
    「そろそろ戻らないか」
     生ぬるい沈黙を破ったのはジェイドのほうだった。不意のことに、ソフィアからえっ、と、離れがたさが口をついて漏れた。
     弾かれるようにして彼女が顔を向けたことに、ジェイドは少し目を丸くしたが、またすぐ平常時の表情に戻る。
    「もう暗い」
     まっすぐに目を見て言われたその言葉が、自分のためであると、ソフィアは疑う余地もなく理解できた。

     いいの。私は、まだ。
     そう伝えられたら、この時間が続くだろうか。答えは否だ。彼はこちらの心配をしているのだ、私はいいと言ったところで、夜だから、危ないからと返ってくるに違いない。
     見計らったようにして、プレートが常夜灯へ切り替わり始める。目的だった夕日だってとうの昔に沈んでしまったわけで、ここに留まる合理的な理由が、今はない。

     ここにいたい、わけじゃない。
     ふたりの時間が、ただ名残惜しくて。

    「……。そう、ね」
     濃藍に塗りつぶされた地平線に、一番星を見つけた。ありもしないのに引き伸ばす口実を探そうとして、諦めた。
     結局、夕食に誘うことすらできていない。きっと最後のタイミングなのに、口から出たのはつまらない肯定の言葉。そのくせ、立ち上がるジェイドの姿に、聞き分けのないさみしさがソフィアの喉奥でわだかまりを作った。

     一日なんてすぐだ。この男と過ごすとき、ソフィアは何倍もそう感じた。別に今日が終わっても、会えなくなるわけではない。明日でも明後日でも。来週も来月も。ひとつ連絡を入れれば、きっと会える。そんなことは分かっている。

     だからなんだ。
     そう簡単に割り切れるのなら、はじめからこんな思いをすることもないのに。

     会いたい。話したい。近くにいきたい。手を繋ぎたい。まだまだ、もっと。ああしたいこうしたいと、そんな下心ばかり抱えて、彼の優しさに勝手に嬉しくなって、鈍感さに勝手に拗ねて。期待して、落ち込んで。ばかみたいだと何度も思った。
     自分はもっと大人だと思っていたのに、最も穏やかで成熟した自分でありたい相手の前で、こんなにも未熟で幼い己がむき出しになる。

     恋をしたらこうなった。自分はこんなにも、面倒でわがままで、恋い焦がれる相手との一分一秒を惜しむような、意地汚い女だった。
     不安で不安で仕方ないのだ。一緒にいたいと思うほど、こんな自分が、果たしてこの優しすぎるほどの男にふさわしいのだろうかと考えずにはいられない。
     そう、彼にはもっと他に、ふさわしい女性がいるのではないのか、と。

     それが、どうした。
     考えるだけ、無意味で詮のないことだ。

     だって、もう。彼が他の誰かに微笑んでいる想像をしただけで。
     たったそれだけで泣きそうになるほどに、もう、このひとを、好きになってしまったのだから。


    「……ジェイド」
     名前を呼んで、手を差し出す。
     紺青の夜闇を背にした緋色の瞳を、ソフィアはまっすぐに見上げた。
     肺が震えた。いくじなしの、なけなしの勇気。
     差し出された手に目をやって固まっていたジェイドだったが、彼女の強い意志のこもった、それでいて少し潤んだ、どこかたおやかに注がれる眼差しに、戸惑いながらも静かに応えた。

     指先が触れる。火傷するよりずっと熱くて、息を呑んで、その体温を感じた。いつも眺めるだけで悶々と空想を膨らませていたことを、ソフィアは現実にしてしまった。固い、骨張った、女である自分よりひと回り太い、男性の指。
     手のひらを重ね合う。彼の手に包まれる感覚と、その光景を取り込む視覚からの高熱が、ソフィアの体を痛いほどに襲う。
     動悸がひどい。手汗が吹き出す。鼓動で身体が張り裂けそうだった。汚くないだろうかと、人目を気にする冷静ささえ他人事のようで、また顔が熱くて、バクバクと鳴る心臓から激烈に血が巡る。
     交わす視線から、ふたりは無自覚に同じものを共有していた。どうにかなりそうなのに、時間が遅々として進まない。

     ジェイドが手を引いて、ソフィアを優しく立ち上がらせた。ありがとうと言った、その自分の声すら聞こえないくらい心臓の音が鳴り響いて、頭蓋骨の中に反響している。
     帰るために立ち上がったのに、互いに手を握ったまま立ち尽くす。
     時間が止まっていた。
     一生このまま見つめあっていられる気がした。

     宵の時刻、ひとけのないこの場所が、男女をささやかに唆した。
     揺らぎながらも逸れはしない視線。強ばった手のひら。一文字に結んだままの口元。彼のあらゆる仕草から動揺が絶えないのを感じて、ソフィアの胸に例えようもない喜びが湧いた。自分もこの上なく緊張しているはずなのに、なぜだか安堵すら覚えていた。

    「……ねぇ、ジェイド」
     ゆっくりと、ソフィアが口を開く。
    「あ……ありがとう。ここに、連れてきてくれて」
    「大したことじゃない」
    「そんなことない。私……、嬉しかった。とても。とっても」
    「……そう、か」
     嬉しいと伝えるだけで声が詰まりそうになる。
     好きだから。貴方とふたりで来られたから。そう言ったらどうなるのか、いつも結局怖くなって、何度言おうとして飲み込んだのだろう。
     今だって、臆病が喉で蓋をして、すぐにでもここから逃げ出したくなってくる。
    「っ……だ……だから、その、また、一緒に……」
    「気に入ったのか?」
    「えっ? そ、そう……ね?」
    「そうか……」
     せっかく切り出した言葉が、間の悪い問いかけに遮られる不測の事態に、ソフィアはなにを言おうとしたのかが頭からこんと抜け落ちてしまった。

     この男は、そういうひとだ。いつもはこちらの心を見透かしたようなことばかりするくせに、肝心のときに限って。
     そのうえなぜだかうっすらとした返事をしたきりで、内心目を白黒させているソフィアをじっと眺めるだけでいる。
     ああもう、せっかく勇気を絞り出せたのに。
     パニックになりかけたとき、ふっ、とジェイドが口元を緩めたのが見えた。

    「喜んでもらえたのなら……よかった」

     見慣れた仏頂面がわずかにほころんだ。ほんの少しだけ目尻を下げて細められた、笑い慣れていない顔。
     俺も嬉しいと、そう言っているような、そんな優しい微笑み。
    「また来よう。いつでも」
     壊れ物を包むようにして、ジェイドが繋いだ手に力を込めた。
     ゆっくり、ひとつひとつ丁寧に告げられる言葉。柔らかく口角の上がった、はにかみの混じる声色。
     不器用でまっすぐな、優しい瞳。
    「っ……」
     ソフィアの声が詰まる。天にも登る喜びと、咽び泣くような苦さを同時に味わった。

     笑ってくれた。
     今日という一日を、一生忘れないと直感した。

     そんな顔を見てしまったら、もっともっと好きになってしまう。
     これだけ想いを募らせてもまだ飽きたらない。もうとっくの昔に、骨抜きで首ったけにされているのに、これ以上何を差し出せというのだろう?


    「ジェイド」
     名前を呼んだ。
     なんとも意地汚い、素直で素朴で単純な本能が、憧れを自分のものにしたいという傲慢な恋心が、内から内から湧き出てやまない。

     他人の恋路に憧れた。
     あんなふうに。彼らのように、私は。
     私は、このひとと。その隣で、和やかに笑い合う未来が欲しくて。

     いくら蓋をしたところで、この想いは、もう、自分という器には留めておけないほどに。

    「すき」

     溢れて、苦しい。


    「貴方が、好き……」

     恐ろしい。息ができなかった。
     指折り数えるような沈黙も、冷え始めた風が吹き抜けるだけの音も。ただ驚きに見開かれている、真夏の夕暮れのように真っ赤な瞳も。
     怖くてうつむく。後悔が一気に鳥肌を立てた。街灯のない夜道にひとり取り残されたような、本能の恐れ。
     それでも、一度出た言葉を引っ込めることはできない。
     怖い。
     怖い、怖い、怖い。

     ジェイドがひとつの息を吸ったのを見て、ソフィアは肩を震わせた。
     怖い、何も言わないでいてほしいのに。

    「俺は本当に情けないな」
    「えっ……?」
     しかし彼の口から出た言葉は、彼女が全く想定しないものだった。
     体の怖張りが少し抜けて、ソフィアは戸惑いのまま顔を上げる。目の前には、同じくらい、いや彼女以上に戸惑いをあらわにしたジェイドがいた。
     一目で不安が溶けてしまった。夜闇の中で人工的な明かりに照らされた彼の顔は、あまりにも真っ赤で。
     口に手を当てて、視線の行き場に困り果てて、その果ての長いまばたきのあと。
     
    「俺も、好きだ」

     目が合って、星が降った。
     心臓がばかみたいに血を回して、たった一息でのぼせ上がる。

    (……これは、現実?)
     ソフィアが聞き返すより先に、ジェイドはそっと片膝を折った。
     彼女の手は握ったまま、それはまるで、騎士が主君へ誓うような姿。
    「ソフィア」
    「な、何……かしら」
     名前を呼ばれる。頭が騒がしい。感情を整理する暇もなくて、今日一日がずっと夢の中だったような気さえしてくる。
     
    「これからも、俺の傍にいてほしい」
    「……もちろん」
    「お前が背負っているものは、俺も一緒に背負う」
    「お互いに、ね」
    「俺の隣で、笑ってくれるか?」
    「っ…………。貴方って人は、……」
     息を吸う。吐く。そんな、意識さえしないはずの動作を、ソフィアはさっきからずっと力んだまま行っている。彼はただ、恋人になろうと言ってくれているのだ。ちょっと、そう、ちょっとだけ大げさに見えるだけで。
    「それはプロポーズで言うことでしょう」
    「そう……か?」
    「……そう聞こえる」
     あまりにも心臓に悪い。いい加減にしてほしいのに、手首にそっと鼻先が当たって、また思考が飛んでいくところだった。
     彼女には口付けも同然の光景だったが、すっと立ち上がるジェイドは、頬の赤味以外はすっかり平常と見分けのつかない表情でいる。
    「俺は構わない」
    「……ばか。スケコマシ。唐変木」
    「嫌ならいい」
    「嫌とは言ってない……」
     ちょっとばかり強気に出たところで、惚れた弱味には勝てそうになかった。

    「……腹が減った」
     ぼそりと、ジェイドが独り言のように言う。また突然この男は空気を読まない、と思いかけたソフィアだったが。
    「飯でも、食いに行かないか」
    「!」
     首をかきながらそう続けた彼の言葉で、途端に心は飛び上がった。
    「行く。行きたいっ。私も……聞こうと思っていたの」
     食い気味の返事に、ジェイドが少し目を丸くした。
    「そうだったのか?」
    「だ、……だって……。……寂しくて」
     偽りのない本音だった。耳に入った自分の声で、ソフィアは口を滑らせたことに気づく。
    「あっ……」
    「……」
     その上ジェイドが何も言わないものだから、余計に変な汗をかく。握られたままの手に伝わらないかと気になって仕方がない。
    「ちょっと……何か言って。恥ずかしくなるっ……」
    「それは俺の台詞だが」
     逃げようとした手が、きゅっと握り直された。

    「何が食べたい」
    「食べたいもの?」
    「肉でも魚でも、パンでも米でも」
    「貴方は?」
    「なんでもいい」
    「もう……」
     昼でも夜でも、恋仲になっても。どうやらこれは変わらないらしい。やや大袈裟に、ソフィアは呆れた息をついてみせた。
     もう慣れた。惚れた相手は、そういう男だ。
    「……じゃあ、ふたりでゆっくり話せるところ」
     少々の不満と大きな期待を視線に乗せて、今度はしっかりと本音を言葉にする。
     何を食べるかよりも、ずっと大事なことだ。それに、行きたいと言えば、彼はどこにだって連れていってくれるのだから。
    「分かった」
     ジェイドが目を細めて頷く。手を引かれて、ソフィアは彼についていく。

     隣に並ぶ。彼の横顔が、いつもよりずっとよく見えた。

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