貴方に祝福を「私の誕生日?」
「そう。誕生日」
珍しく2人して試合が全く無いある日の午後。
たまにはゆっくり何もしない時間を過ごそうと、ノートンの部屋で茶の用意をしている時だった。リッパーの誕生日はいつなの、と唐突に尋ねられたのだ。
誕生日、この肉体のそもそもの持ち主の生まれた日もそう言えるのだろうが、きっと彼が望んでいるのはそれでは無い。
8月7日は"私"という存在が認知された日を指すものでそれが私の誕生日と言えばそうかもしれないけれど、きっとこれも彼が望むものでは無い気がする。
私が生まれた日、というのはなかなか……。
「難しい質問ですね」
「8月7日は記念日だろう?それって、きっとジャックが生まれた日じゃないんだろうなって思って」
「ふむ。画家としての私の生まれた日なら……」
「僕は画家のジャックさんとはお会いした事はないよ」
ほら、やっぱり。ノートンは妙な所にこだわる時があるのだ。
ほらね、私の言った通りでしょう!と1人得意気な気持ちになる。
あぁ、しかし……明確に自分が出来上がった日なんて覚えていない。
いつの間にか私は私の中にいて、いつの間にかそれが当たり前になった。
私の生まれた日を定めるのはかなり骨が折れる。
「8月7日はある意味では私の誕生日といっても良いのですがね」
8月7日、それは私の存在が私自身だけでなく、世間に認知された日でもある。
これをもって誕生日とするのも間違ってはいないだろう。
「しかし、きっと貴方の望む私の誕生日とはこの日でもないのでしょう。私でさえわからない。貴方だって、3月19日に生まれたとされているだけでその時の記憶はないでしょう?」
「うーん、確かに」
「考えても答えは出ません、この話はここでお終い。紅茶が冷え切ってしまいますよ」
「あ、うん。ごめん、いただきます」
一言謝って、ティーカップを持ち口に運ぶ。
もう冷まさずとも舌を焼く事はない温度だろうに、ふぅ、ふぅと冷ますふりをしながらこちらをちらりちらりと伺っている。
まだ彼の中で納得がいっていないのだろう。
さて、どうしたものか。
とりあえず彼が納得するまで話を聞こうと、未だ冷めた紅茶に息を吹きかけている彼に声をかけてみる。
「しかし、突然どうしたのです?私の誕生日だなんて」
「……この前、アダムスさんの誕生日だっただろう」
「えぇ、今月は3人も誕生日の方がいらっしゃいましたね」
「僕はお祝いの言葉しか送ってないけど、レズニックさんが11月からアダムスさんの誕生日プレゼントの準備しててさ。大事な友達だから、今までで1番の笑顔になれるようなものを贈りたいって頑張ってたんだ」
そうしてアダムスさんの誕生日当日、レズニックさんは見事な細工の施された置き時計を彼女にプレゼントした。
その時のアダムスさんの喜びようったら。
それを見て思い出したんだ。
3月19日、僕の誕生日。
あんたの腕の中で目覚めて、枕元にはプレゼント。
いつも僕より寝坊助なあんたがとても穏やかな顔で見つめていて、誕生日おめでとうノートンって胸焼けしそうなほど甘いテノールで囁いてくれたあの朝の事。
僕もあんたに同じ幸せをあげられたらって。
「そんなふうに思ったから、その、誕生日いつなのかなって」
思って……と、自分の言葉が気恥ずかしくなってきたのか声がどんどん小さくなり、最後はもう口がぱくぱくと動いているだけ。
耳まで赤く染めて、すっかり冷め切った紅茶をずずっと音を立てて飲むノートンに胸の奥がぽかぽかと温度を上げていく。
「貴方、突然とんでもなく可愛い事するんですよね。もしかして計算してやってます?」
「可愛い!?いや、僕はただジャックが喜ぶ顔が見たいなって思って、だから、計算とかじゃなくて……」
完全に俯いてしまった。
なんなんだ、この可愛い生き物は。
わかった、わかりました。
「でしたら、今日にしましょう」
「え?」
「ですから、えぇと?今日は1月31日ですか。うん、この日を私の誕生日にしましょう」
「えぇ?そんな簡単に決めていいの?」
「色んな事象をこじつけた曖昧な日を無理矢理誕生日とするよりも、私を祝福したいと貴方が思ってくれた今日を特別な日にしたい」
「でも」
「でも、けれどもいりません。貴方はそうだねと笑ってくれさえすればいい」
「……わかった。僕だけのジャックが生まれた日、ね?」
俯いて自信なさげな顔をしていた筈の男はどこへやら。
おめでとうジャックと囁いて、ふふっと悪戯っぽく笑うノートンの顔を見た私の頭の奥でゴーンゴーンと鐘が鳴り響いた。