それならイタズラの餌食ね
10月31日午後13時現在。
必ず誰かが走り回っているのが常の管理局が、いつも以上に騒がしい。
ただ、いつもと違うのは張り詰めた空気ではなくどこか浮かれた雰囲気が漂っていることだ。
「今日は何かあるんですか?」
「今日?……あー、今日は31日か」
浮ついた空気に流される事なく、いつも通り職務をこなしていた魔物管理者もといノートン・キャンベルは私の言葉にめんどくさそうに顔を顰めた。
担当の獣人達のメディカルを細かく書き込み、ファイリングしてこの後は確か食人木の所へ向かう予定だと話していたのにそのまま締め作業に移っている。
鍵のついた保管棚から淡いブルーガラスの瓶を取り出して、その中に封じられていた蒼い蝶々に何事か囁いてそのまま宙へと放つ。
蝶はふわりと美しい蒼羽根をはためかせて、まるで空気に溶けてしまったように消えた。
「あれは?」
「食人木の所へ言伝を頼んだんだ。伝書鳩ならぬ伝書蝶々だね」
「それで、なんと?」
「今日はハロウィンだからそちらへは向かいませんって伝えてって」
「ハロウィン?」
「そうだよ、今日はハロウィンなんだ」
だから早く行かなきゃ……そう言っていつも以上にてきぱきと作業をこなしていく。
いつも仕事においては冷静沈着で、ほぼ自身のペースやルーティーンを崩さない彼をこれ程まで急かすハロウィンなる存在。
いったいどれほどのものなのか、私の興味をそそるにはあまりに充分だった。
聞けばハロウィンとは、元々秋の収穫を祝い、先祖の霊を迎えるとともに悪霊を追い払う目的の祭りだとか。
けれども近年ではただの仮装祭りと化しているらしく、各々好きな仮装をしてはしゃいでいるらしい。
「人間は祭りが好きなんだ。とりあえず騒げる理由があればなんでもいいのさ」と、ノートンは言う。
確かに人間とは娯楽を好む生き物だ。
お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ!なんて気軽に誰でも言えてしまうやりとりで盛り上がれるなら、便乗する者は多いだろう。
「あなたは参加しないのですか?」
「元々騒がしい集まりはあまり好きじゃないんだ。しかも悪戯されたくなかったらお菓子を寄越せだなんて!」
無駄な金は使いたくないと、ついに最後の作業を終えて彼はショルダーバックを掴んだ。
帰りすがら人面相をくり抜いた大きなカボチャ、菓子メーカーの名前が大きく印刷された大量の箱を何度も見かけた。
それら全部をまるっと無視して、ノートンは真っ直ぐ2人の暮らすアパートメントへと向かう。私は目の端に映る色とりどりの花や菓子に目を奪われながらも、彼の背中を追いかけた。
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騒がしいのを嫌うなら、2人だけでやればいい。
それを思いついたのは、家に着いてからノートンがポットでお湯を沸かそうとキッチンへ向かおうとした時だった。
「ところでノートン」
「なに?」
「trick or treat」
「……」
口角がにいっと上がる。
戸棚には夕食の材料くらいしか入っていないのはよく知っている。この家は菓子類を買い置きしておくなんてほとんどない。
そして、生真面目な彼の事だから菓子なんて持ち合わせてるわけがない。
私の勝ちは明白だ。
さぁ、どんな悪戯を仕掛けてやろうか。
そんな風に思案していた私の目の前に、ノートンの手が差し出される。
白い手袋に包まれた手の平の上、銀色の小さな粒。
「それは?」
「お菓子だよ、イタズラされたら敵わないからね」
ほら、どうぞと得意げな顔で尚も手を突き出している。
仕方なく小さな粒を受け取り、銀の包みを開くとそこには緑色の豆のようなものが入っていた。匂いを嗅いでみると、すーっとした清涼感のある香りが鼻を通る。
これは……
「これ、貴方がいつも噛んでるものですよね」
「そうだよ」
「これが菓子?認められません」
「残念だけど、これは菓子のコーナーで販売されているんだ。つまり、こいつだって立派なtreatさ」
「…………」
面白くない。せっかくイタズラを理由に、愛しい恋人の可愛い所を引き出してやろうと思ったのに。
緑の粒を口に放り込み何度か咀嚼すると、すっきりとしたミントの香りと共に仄かなライムの風味と甘さが広がる。
けれど私の心はもやもやとしたものが広がるばかりで、例えこの清涼感をもってしても晴れる事はない。
「ところでジャック」
「なんですか」
「trick or treat」
「え?」
まさかの言葉にうろたえる私に、目の前の恋人が小悪魔のように笑う。
「あれ?ジャックお菓子持ってないの?」
言いながら近寄るノートンの瞳には僅かに欲の火が灯っている。
こちらへ伸ばされた両腕はいつもより温度が高く、目の前の獲物にも同じ熱を灯そうとするように私の背中へと回った。
なんだ、もしかして貴方も同じ事を考えていたのか。
「お菓子がないなら、イタズラだね?」
「イタズラは何をされるんです?」
「先に知っちゃったらつまらないだろ?」
「あぁ、そんな…どうか哀れな子羊に慈悲を」
「哀れな子羊だって?子羊に失礼だよ!」
そんな風に笑い合いながら、私はノートンを抱きかかえベッドへと足を向ける。
悪戯っ子を白く糊のきいたシーツの海へと降ろすと、横になるよう指示されそれに大人しく従った。
ベッドに横たわる私に、ノートンが馬乗りになる。サイズ的に側から見たら大人に戯れる子供のように見えてしまうかもしれない。
「さぁジャック、覚悟はいい?」
ノートンのダークブラウンの瞳が、童話の猫のようににんまり笑う。
「えぇ、ノートン。優しくしてくださいね?」
処女のような私の言葉に、彼はまた声をあげて笑った。