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    吸血鬼と神官のオズフィぱろしんちょく
    がんばるよー

    シリウスの告解 第一章.




     ――私は、ひとを殺した。
     あのまばゆい光を、この手で、奪ったのだ。






     
     己よりも随分と小さな足が、白銀の平原に新たな標を刻んでいく。さくさくと氷の粒が擦れる音は深い雪の中へ沈み、それ以上は響かなかった。
     おもむろに見上げた空は、昨日の猛吹雪が嘘のように晴れ渡っている。小さく吸い込んだ空気は澄んでいて、肺腑の底までも洗い流してくれるようだった。
    「――」
     しばらくの間、雪原を踏み締める音に夢中だった小さな命が、私の存在を確かめるように振り返る。わずかに表情を緩めれば、大きな瞳がきらりと輝いて、小さな手のひらが差し出された。本来は私よりうんと温かいはずのそれは、雪遊びのせいですっかり冷え切ってしまっている。なけなしの熱を分け与えるように冷たい手のひらをそっと握り込んでやれば、晴れやかな顔で力強く頷いたこどもは、その身体からは想像できない力で私を引っ張っていく。ほのかな朱色に染まった指で示したのは、どこまでも伸びていく地平線の先で。
     
     ――美しいこどもだった。
     宝石のような大きな瞳は、美しいものも醜いものも等しく映しながらも、いつも鮮やかに輝いて。その一挙一動のすべてが私の心を惹きつけて離さない。
     あの日繋いだ手の温もりも、きらきらと輝く雪原も、晴れ渡った空の色も。鮮やかなその瞳の色も。途方もない時間が経った今でも、鮮明に思い出せる。
     けれど、この世界に。私のもとに。
     あの星(こ)はもういない。
     




     
     近頃、不思議な夢を見る。
     幼いこどもと、そのこどもを愛おしげに見つめる男の夢だ。映画のようなドラマチックな展開なんかはこれっぽっちもなくって、ふたりの間にはただただ穏やかな時間だけが在った。
     その夢を見るのは決まって『あれ』が行われる日の夜のことだった。いいや、夢というよりも――これは、いつの日か、確かに存在していた彼らの日常なのだろう。星の欠片のようなこどもとの、眩く愛おしい日々の記憶。どういうわけか、フィガロはその一部をこうしてのぞき見する羽目になっている。
     夢の中に出てくる男には覚えがあった。あいつは自分にこの夢を見せてどうしたいのだろうか。フィガロは目を閉じたまま、昨晩ここへ来た男と夢の中にいた男のふたりを並べて、まぶたの裏に淡く描く。ああそうか、フィガロが夢を見ていることをあいつが知らない可能性もある。それなら教えてやるべきだろうか。でも、そうするにはあまりにも――。
     緩慢な動作で寝台から起き上がったフィガロは、裸足のまま洗面所へ向かった。蛇口を軽く捻り両の手のひらで作った器に水を溜め、まぶたの裏に映したあいつの姿と夢で見た光景を濯ぐように、冷たい水の中へ顔を潜らせる。水を新しいものに替えて何度かそれを繰り返し、柔らかなタオルでそっと顔を拭けば、脳裏に焼きついていたはずの彼らはいつの間にか消えていた。
     慣れた手つきで身支度を進めていく。ローマンカラーの上から皺ひとつない漆黒のカソックを身に纏うと、最後に髪を整えてから自室の扉を開けた。休みの日は昼近くまでだらだらと寝台の上で過ごしたいのだが、教会にくる信徒たちの前で、草臥れた姿を見せるわけにはいかない。

     礼拝堂にはすでに多くの信徒たちが集まっていた。整然と並んだ長椅子に腰掛けささやかなおしゃべりを楽しんでいた彼らは、フィガロの姿を認めると朗らかに表情を緩ませる。心がほわりと温まるのを感じながら同じように笑みを返し、フィガロは説教台の方へ歩いていく。祭壇の後方、巨大なステンドグラスを通り抜けた陽光が、礼拝堂のあちこちに淡い光の花びらを落としていた。 
    「おはようございます、フィガロ様」
    「ああ、みんなおはよう、良い朝だね」
    「何日振りの晴れでしょうねえ」
    「ようやく寝具の湿気がとれるわあ」
    「フィガロ様、今日は物置の扉を開けて空気を入れ替えるのよ」
    「ええ、いい加減黴び臭くなってきましたからね」
    「うちの娘を手伝いにやろうかねえ」
    「よせやい、あんたのとこの娘はフィガロ様に見惚れてまともに手を動かしやしないだろう」
    「はは、そんなことないですよ。彼女からしたら俺はもうおじさんでしょう」
    「やだあ、これだからモテる男は罪深いのよお」
    「結婚はできないってわかってるからこそ燃えるってやつよねえ」
    「あんたたちいい加減にしなよ。フィガロ様が困ってるじゃあないか」
    「いえいえ、俺はこうしてお喋りに混ぜてもらえて嬉しいですよ。そういえば、今年の葡萄はどうですか」
    「ああ、それならとびきりのを――」
     説教台の上に置いた聖書をぱらぱらとめくりながら、フィガロはいつものように信徒たちと他愛もないやりとりを続けた。そうこうしているうちに、ばたばたと外から残りの信徒たちが慌てた様子で礼拝堂の中へ入ってくる。よく見る顔ぶれがあらかた着席したところで、ちょうど毎朝の礼拝の時刻となった。フィガロが背筋を伸ばして唇を閉じれば、信徒たちも居住まいを正す。
    「――さあ、今日も神の恵みに感謝しましょう」
     礼拝堂の外からは、鈴の音を転がすような音がわずかに聞こえていた。フィガロの口上とともにその音色を覆い尽くしたのは、パイプオルガンの力強くも清廉な響きだ。続けて、信徒たちの神を讃美する歌声が重なっていく。
     オルガンの旋律を辿って歌いながら、フィガロは清々しい心地で、説教台の上に落ちた淡い光をなぞる。
     ああ、なんて気持ちの良い朝だろう。
     俺にとっても、あいつにとっても、今日はきっといい日になる。
     

     
     今から一ヶ月ほど前のこと。
     フィガロの住む小さな町をぐるりと囲う森の奥に、ひとりの吸血鬼が現れた。
     オズと名乗ったその吸血鬼は、森の中に打ち捨てられている城を自分に譲ってくれないかと申し出てきた。すでに廃墟と化し、持ち主もわからぬ城を惜しむ住民はいない。けれど森の奥にある城を譲るということは、そこに吸血鬼が棲むのを許容するということだ。オズもそういう意味でこちらにお伺いを立てたのだろう。勝手に棲みついて何かトラブルが起きれば、処罰されるのは彼の方だからだ。
     申し出を受け、町ではすぐに吸血鬼を受け入れるか否かの話し合いが行われた。各家の代表が礼拝堂に集まり、物々しい雰囲気に包まれた時にはどうしたものかと頭を抱えたのだが、フィガロの予想に反し、町民たちは特段揉めることもなく驚くほどあっさりと『吸血鬼の申し出を受け入れる』という結論を出したのだった。 
    「そういやフィガロさま、新入りの吸血鬼さんの調子はどうだい」
     朝の礼拝を終えた後は、おしゃべりをしながら皆で礼拝堂の掃除をするのが日課だ。と言っても、毎日大勢で取り組んでいるおかげで目立った汚れはほとんどなく、おしゃべりの方が主のようなものだった。フィガロは毛先が灰色になったモップを引きずりながら、八百屋の店主の方へ顔を向ける。
    「元気そうですよ。気を遣って町には出てこないつもりみたいですね」
     フィガロは単純な興味と、神に仕える者として何か不都合があれば助けになってやろうという思いで、数日に一度、彼の吸血鬼の様子を見に行っている。町民たちから居住の許可を得た吸血鬼――オズは、最初の頃は荒れ果てた城の手入れに勤しんでいたようだが、城とその周辺を一通り整え終わってからは特に何をするでもなく、穏やかな時間を過ごしているようだった。
    「そうかい。ただでさえうちは天気がどんよりしてるってのに、あんな森の中に引っ込んじまって寂しくしてないかねえ」
    「ばかいえ、吸血鬼なんだから曇ってた方がいいだろう」
    「ああ、だからこの町が気に入ったのか!」
     言われてなるほど、とフィガロも頷いた。
     悲しいことに、この町は一年を通して天候に恵まれない。たとえ晴れの日でも雲ひとつない快晴となることはほどんどなく、気がつけば澄んでいたはずの空が灰色になっていた、というのが日常茶飯事だ。日光が苦手だという吸血鬼には、確かに御誂え向きの環境かもしれない。
    「にしても、皆は吸血鬼が怖くないんですね」
     周囲の地形と気候の関係上、この町は人や物の出入りが少なく非常に閉鎖的な環境にある。普通なら思考が停滞し雁字搦めになっているだろうに、町民には保守的な考えを持つ者がほとんどいない。余所者を嫌うどころか、人から敬遠されがちな吸血鬼ですらすんなりと受け入れてしまう。
    「だって昔は闇夜から人間を守ってくれたんだろ? 血だって大量に要るわけじゃあないみたいだし、なにも人間の生き血である必要もねえってきいたよ。それなら私らと一緒じゃあないか」
    「一部の吸血鬼が悪さをしてるって話だけど、人間だって似たようなもんだろう」
    「……ええ。俺もそう思います」
     吸血鬼。文字通り血を吸う存在である彼らは、世界各地に残る伝承の中で、守り神として登場することが多い。
     ――古来、人間にとって、夜は脅威そのものだった。
     当然だ。大して夜目の効かない人間が暗闇に潜む獣から己を守るのは至難の業である。鳥であれば、獣の牙が届かぬ場所に逃げられただろう。己を覆う頑丈な皮膚を持っていれば、獣の爪を防げただろう。けれど人間に翼はない。硬い殻も持たない。獣に勝る武器も、視覚も、嗅覚もない。その卓越した知能を駆使して脅威に対抗するには、まだ時間が足りなかった。ゆえに、夜に活動ができる吸血鬼という存在は、人間にとって非常に心強いものだったのだ。
     ――血液を捧げる代わりに、夜の安全を保障してもらう。
     人間と吸血鬼の間にはそういう共生関係が成り立っていた。けれども、人間が電気と電球を生み出し、暗闇を照らす術を得てから両者の関係は一変する。
     彼ら吸血鬼が、人とよく似た姿形をしていたのが良くなかったのかもしれない。狼男であれば姿形が人間とかけ離れている故に、はなから同じ共同体の中にいられなかっただろう。魔女であれば、よほどのヘマをしなければ人間社会には上手く溶け込めたはずだ。その頃には魔女狩りも終息していたし、魔女は見た目も性質も人とほとんど変わらない。
     けれど吸血鬼は違った。
     見た目は人間と相違ないが、その性質はあまりに異質だった。大まかな枠組みで捉えたとき、人間にとって彼らは『捕食者』に他ならない。ゆえに、これまで共生関係にあった彼らに人間が敵意を向けるのは、唯一の『天敵』を前に、生物としての防衛本能が正しく働いた結果とも言えた。
     然して、これまで通りの関係を望んだ吸血鬼に待っていたのは、魔女狩りを超える迫害と虐殺の日々だった。魔女狩りよりも数的被害が出なかったのは、彼らの個体数が少なかったことと、単純に生物として彼らが人間よりもはるかに強かったからだと言われている。けれども、人間とは違う繁殖方法を持つらしい吸血鬼たちはみるみるうちに数を減らし、一時絶滅の危機に陥った。
     そんな危機的な状況に終止符を打ったのが、グランヴェル協会と呼ばれる団体だった。フィガロも詳しくはないのだが、グランヴェル協会の名の下に、吸血鬼と人間の間にはいくつかの盟約が結ばれたそうだ。『吸血鬼は無闇に人を襲わない。人間は吸血鬼を狩らない』と言うような。この協定に違反した人間や吸血鬼は、協会から厳しい罰を受けるらしい。
     そうして吸血鬼に対する長い迫害の歴史は幕を閉じ、彼らは人間と一定の距離をとりながら静かに暮らすようになった。とはいえ、人間側にも吸血鬼への差別感情は未だ根深く残っているし、吸血鬼側も同族を虐殺された恨みがある。この町とは縁遠いが、噂によると特定の地域では未だ人間と吸血鬼との小競り合いが続いており、協会が定期的に鎮圧を行っているとのことだが、どこまでが真実なのかはわからないし、この町で暮らすフィガロにとってはどうでもいいことだった。
    「でも、やっぱりこの町の皆さんは優しいですね」
    「そりゃあ、あんたがそうだからさ」
     予想だにしない言葉が返ってきて、フィガロは目をぱちくりとさせる。きょとんとした顔をするフィガロに町民たちもびっくりしているようで、なんとも言えない静寂が周囲を包んだ。そうして数十秒、仕立て屋の主人がぶふっと噴き出したのを皮切りに、町民たちは揃ってわっはっはっと快活な笑い声をあげはじめた。
    「フィガロ様、あの吸血鬼から申し出があったとき、はなっから断る気なかっただろう」
    「そうそう。話し合いの場で私らが言い争いにならないかばかり気にしてさ、吸血鬼については心配するそぶりすら見せなかった。申し出を却下するって結論になったとしてもこっそり匿うつもりだったね?」
    「だからわしらも承諾したんだよ。フィガロ様がその気ならって」
     笑顔を浮かべたままの町民に次々に種明かしをされて、フィガロはなんだがむず痒い気持ちになった。尻のあたりがぞわぞわする。唇をむにゃむにゃと意味もなく波うたせて、頭をかき混ぜながら細く息を吐いたけれど、残念ながら誤魔化しきれそうにない。
    「はは、参ったなあ。俺ってそんなにわかりやすいかな?」
    「いいや、私らは知ってるのさ。相手が吸血鬼だろうと、フィガロ様はこの町を頼って来た者が不幸になるようなことを許すような人じゃないって」
     ああ、やっぱり。
     フィガロは気恥ずかしさをやり過ごすために彷徨わせていた視線をしかと彼らの方へ向けた。その表情は皆揃ってやわらかく、あたたかく、おだやかな愛に満ちている。
    「皆さんが、俺をそうさせるんですよ。でも、ありがとう」
     嬉しさを隠さずに相好を崩せば、当然のように同じ表情が返ってくる。そんな彼らと、彼らの生きるこの町を、フィガロは心の底から愛おしく思う。

      



     教会から歩いて小一時間ほどの場所に、その城は在る。
     町を囲む森は深い。鬱蒼と生い茂る木々と町よりもうんと濃い霧は人間の視界を容易く奪う。けれど同時に、飢えた獣が跋扈しているとか、足元がすこぶる悪いだとか、そう言う危険はまったくない穏やかな森でもあった。町民は滅多なことがない限り森には近寄らないが、軽装で入ったとて、目印通りに進みさえすれば迷うことはない。月に一度の頻度で訪れる行商たちもいつも慣れた様子でこの森を抜けてきているし、ごく稀に外の人間がふらりとやって来ることもある。
     今日は天気に恵まれたおかげもあって、珍しく霧がほとんど出ていなかった。木々の間から見える澄んだ空の色を眺めながら、フィガロは小さな城へ呼びかける。
    「おーい、オズ、俺だよー」
     廃墟としか呼べなかった白亜の城は、今やそれなりの荘厳さを取り戻していた。まだ中は手付かずの部分が多いようだが、薄汚れた城壁に這う草が青々としているだけでも、見た時の印象がまるで違うのだから不思議なものだ。
     中途半端にひらいた磨りガラスの窓から不機嫌そうな紅玉がのぞく。暗い室内の中に溶けゆきそうな紺糸がさらりと揺れて、血の気のない白皙の頬を滑っていった。
    「またずっと引きこもってたのか」
    「……今日は日差しが強かった」
    「とか言って、曇りの日だってろくに出ないだろ」
     今日はたまたま晴天だが、昨日も一昨日も、先一昨日だって、どんよりとした曇り空が広がる一日だった。その前の日も、だ。先述の通り、この町は一年のほとんどが曇天であり、この森に至っては町よりも濃い霧に包まれている。吸血鬼の感覚は違うのだろうが、人間の感覚で言えばちょっとやそっとのことでは『日差しが強い』とはならない。それに、晴れてようが曇っていようが、はたまた雨が降っていようが、この吸血鬼が自ら城の外へ出ている姿を、フィガロはこれまで一度も見たことがない。
     
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