遅効性ラブレター お屋敷に飾るための花を受け取りに、朝一番に庭師のエランのところに行く。それがメイドであるスレッタの日課だった。
玄関、食堂、ご主人様の執務室。それぞれの部屋に似合った花々を選んで手渡したエランは、最後に一輪。そっとスレッタの髪に花を差してくれる。お屋敷用のものとは異なる種類の、スレッタだけに選んでくれた花。
いつだったか、「こんな綺麗な花をエランさんに毎日選んでもらえるお屋敷がちょっと羨ましいです!」と言うスレッタを見て、その次の日から彼が渡してくれるようになったのだ。
最初はわがままに付き合ってくれたことに申し訳ない気持ちがあったけれど。自分が渡したいのだから気にしないで欲しい、というエランの言葉についつい甘えてしまって、今では毎朝の楽しみになっている。
エランに贈られた花を髪に差し、うさぎのように弾んだ足取りでお屋敷中を回り仕事にせっせと取り組むスレッタの姿は、使用人達の中でもすっかり見慣れた光景となった。誰が花を贈ったか知らない者はいないため、今日はこの花かあ、とみんなどこか感心したような声をあげる。エランの花選びのセンスが褒められているようで、なんだかスレッタまで勝手にちょっと誇らしい。
お屋敷のよく磨かれた窓に自分の姿が映ると、花に目が止まりつい顔がふにゃふにゃと緩んでしまっては、先輩メイドに揶揄われるという日常を過ごしていたある日のこと。
「今日はなんていうお花ですか?」
「ガーベラだよ」
「赤いのは初めて見た気がします!」
「屋敷の雰囲気とは少し違うし、前は育ててなかったんだけど。今は屋敷用とは別に僕個人のスペースを貰ったから、気になった花をそっちに植えているんだ。好みに合わなかったかな」
「いえ! とっても嬉しい、です......!」
髪を抑えるための白いフリル素材のヘッドドレスを赤いガーベラが彩る。少し照れたように微笑む少女の姿は、少年の唇を知らず綻ばせる。
そして彼は睫毛を伏せひとつゆっくりと息をついて、スレッタに向き直った。彼の静かな口調は普段より少しだけ、どこか、温度が違うような気がした。
「本当はきみに贈るなら、白も似合うと思ったんだけれど。でも赤はぼくにとってきみの色で、――贈るなら、赤がいいと、思ったから」
屋敷を飾る花とは違う意味をこめたんだ。
少年の真剣な眼差しをまっすぐに受け止めて、少女は自分でも理由もわからず頬がじんわりと熱くなった。
***
結局、どうしてですか? って、聞けなかったな。
スレッタは、はたきを手に廊下を歩く。
今日の花を選んだ理由。赤いガーベラが示すもの。
花のことならもちろん庭師のエランに聞くのがいい。いつもならそうするけれど、最後には本人にちゃんと確かめたいと思っているけれど。でも、今回ばかりはそれだけじゃダメな気がして。
一通り朝の仕事を済ませたスレッタは、屋敷の主人である老夫婦の意向で使用人にも解放されている書斎に、そっと体を滑り込ませる。
植物に関する本の棚の前に行けば、答えにたどり着く糸口が掴めると思ったんだけど。
スレッタは眉を下げて天井近くまで本がぎっしり詰まった棚を見上げた。植物に関する本だけでも棚二つ分を占めていたのだ。
***
上の棚を探そうと梯子をよいしょと移動させていると、同僚である執事の少年が棚の間からひょいっと姿をあらわした。
屋敷で仕事を行う者は、主に使用人用の食堂で昼食をとることになっている。どうやら時間になっても姿が見えないスレッタを呼んでくるよう先輩メイドに仰せつかって、書斎まで探しにきてくれたらしい。
書斎の掃除なんて頼まれてたっけ? と訝しげな少年に、スレッタは違うんですと慌てて手を振った。エランからもらった花の意味を調べたくて、ということは伏せて、ただ花について知りたくてとお茶を濁す。
「ふうん。――まあ、そろそろ、知らぬは本人だけっていうのも可哀想かなと思うし」
そう言って彼は、スレッタがこれから探そうと思っていた本棚の上段を指で示した。
「花について知りたいなら、あそこの白い背表紙なんかおすすめだよ」
示された本は、タイトルから察するに花言葉辞典だった。
***
天使のように愛らしいと名高い彼の微笑みに気圧され、スレッタは勧められるがまま本を自室に持ち帰り花言葉を調べることにした。
引き出しから紐で閉じた分厚いノートを取り出す。ページには色とりどりたくさんの押し花。エランから貰った花は全て、こうして大事にとってあった。
辞典のパラパラとページをめくり、エランが今まで贈ってくれた花と見比べる。まずは今日の花から。
赤いガーベラの花言葉。
そこに見つけた『愛』の一文字に、思わず勢いよく本を閉じてしまった。
「............」
そんな、でも、まさか......本当に?
花の種類が同じでも色によって意味が異なるようだ。赤はスレッタの髪色でもあるし、意味までは偶然かもと冷静になろうとする思考を、でも、赤がいいって、エランさん言って......と朝の情景がぐるぐると駆け巡る。
続けて他の花に関する言葉も恐る恐る調べてみる。なにしろ貰った花は全てこうして手元に押し花という形で残っているものだから、今まで貰ったエランが込めたかも知れない言葉全てを紐解くことができる。
しばらくして。
スレッタの部屋から、「ひゃああ、」と小さく身悶えるような悲鳴が上がった。
ひとつひとつ贈られた意味を理解して、心の中があたたかいものでいっぱいに満たされて、すぐにでもエランに会いたいという気持ちが湧き上がって。そして、それから。
――それから、その想いの形を身につけて、知らず知らずに屋敷中の人達に見せてまわっていたという事実に今更ながら気づいてしまい。穴があったら入りたいという思いを我慢できずに机の下に潜ってしまった。
***
最初は、せっかくスレッタに贈るのだから悪い意味を持つ花は避けようという気持ちだけで花言葉を調べていた。その中から、ただ彼女に似合う花をとだけ思っていたはずなのに。
いつからだろう。秘められた言葉の意味を花にのせるようになったのは。
「それで? なんで今度は君が花を見せびらかしてるのさ」
指さされたのは、エランがいつも作業中に身につけている手袋だった。
てっきり勿体無くて使えないとでも言うかと思った、と茶化すように微笑むが、当のエランはどこ吹く風だ。
「ぼくもそう言ったんだけれど」
「うわ。本当に言ったんだ......」
「そうしたら、他の手袋にも刺繍をするからちゃんと使って欲しいって」
愛おしそうに、庭師の少年は糸で形取られた赤い薔薇をなぞる。
刺繍をするのは初めてだとスレッタは言った。
エランが丁寧にお世話した花みたいに、自分も心をこめて贈りたいからと、頑張った努力の痕跡は刺繍の至る所に残されている。より正確にいうと、茎があらぬ方向に曲がったり、花びらが少し歪んでいたりしている。
でもこれはどれも、スレッタがエランに贈ったこの世界にひとつだけしかない花だ。
エランにとってはその事がなにより嬉しく、作業中も手袋の刺繍に目を止めては思わず口元が緩んでしまう。
同僚はちらりと机の上に視線を向ける。他の手袋には違う種類の花が刺繍されていた。
屋敷に勤めるにあたり一通りの教養は身につけている。執事であれば、そう、ちょっとした花言葉くらい。
どれもこれも、胸焼けするほど甘ったるい花言葉だ。
「そういえばさ。花言葉も結構だけど、直接好きって言いあったことあるわけ?」
何気ない質問に、エランは瞬きを数回。
これは案外先が長そうだなあと同僚は肩をすくめた。