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    il10_01li

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    il10_01li

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    2×1ベドベド 書きかけ・未完成
    ずっと二号視点、空と二号がすごい喋る
    白雪イベの時から書いては消してを繰り返してる。いつか完成させたい
    pass:🏵の誕生日3桁

    #ベドベド
    vedoVedo

    21ベドベド「――あ」
     パキ、という軽い音と共に羽ペンの先端が折れ、その破片が目蓋に当たった。
     小さな痛みが走り、反射的に手の平で片目を覆うと、カタン、と後ろから音が聞こえた。
    「大丈夫かい?」
     雪山の拠点でボクとは別の作業をしていた彼――つい先日までボクが成り代わろうとしていたアルベドが、いつの間にか隣にいて、ボクを覗き込んでいた。
    「ああ、飛んだ破片が目蓋に当たっただけだ。問題な…」
    「見せて」
     落ち着いた声と共に片目を覆っていた手の平を指先でそっと剥がされる。眼球付近への物理的刺激によって滲んだ視界いっぱいに、大きな碧い瞳が映った。
    「うん、血も出ていないし大丈夫そうだね。痛むかい?」
     目の端に滲んだ涙にそっと触れた彼は、僅かに首を傾けてゆっくりとまばたきをする。そしてそのまま何を思ったのか、彼はボクの後頭部をそっと撫でた。まるで幼子をあやすかのように。
    「……。あの人は、こんな繊細な人間の仕様すらも再現していたのか」
     人間は、瞳へのほんの僅かな刺激でも涙が滲む。もしもこれがあの強大な龍だったら、目蓋に何かがぶつかったことにすら気付かなかっただろう。
    「そうだね。ボクたちは人間ではないけど、このような仕様は限りなく人間に近い」
     彼はそっと目を伏せる。それによって彼の大きな瞳は長い睫毛に覆い隠されてしまう。ボクは小さくため息をつき、彼の表情を読み取ることを諦めた。
     ボクは彼のことをずっと見てきた。成り代わるつもりだったのだ、当然だ。彼の言動の全てを注意深く観察し、脳に焼き付け、完璧な再演を目指した。そうして誰にも気付かれることなく緩やかに、この世界の“アルベド”をボクに塗り替えていくつもりだった。その強い執念はボクに染みついた癖のようなものになり、成り代わる必要がなくなった今でも無意識に彼を目で追い、彼が今何を考え、何を感じ、次にどう動くのかを考えてしまう。
     ――ああ、やめよう、これは良くない。
     無理矢理彼から意識を外し、壊れた羽ペンを見る。そういえば、これは彼の私物だろうか。
    「あ、そうだ。すまない、キミの筆記具を壊してしまった」
     わざとではないにしても人の物を壊したことに対して僅かに罪悪感が湧く。イーゼルや合成台まで薙ぎ倒し、この拠点を盛大に荒らしたボクがこんなことを言うのもおかしな話かもしれないが。
    「……いや、違うよ。キミのせいじゃない。これは騎士団の備品だが、元からかなり使い込まれていた物だった。だから壊れるのも時間の問題で、キミが気にする必要はない。だが……」
     彼は壊れた羽ペンを手の平に乗せ、軽く握る。そして目を閉じ、淡い金色の粒子が溢れる手の平をゆっくりと開いた。
    「こうすれば、また使える」
     そこには修復された羽ペンがあった。彼の手の平で起きた小さな奇跡に、ボクは思わず自分を重ねた。
     例えば……例えばの話だ。もしもあの人が、今の彼のように……新たな創造ではなく、実験体に修復と改良を重ねることで目標に近付く選択をしていたら。そうすれば誰も放棄されることなく最初から最後までただ一人のアルベドだったのだろうか。いや、その場合はドゥリンもアルベドも存在しなかったか。
    「これは、ボクにも出来るかい?」
    「ああ。キミの理解力と技術ならすぐに習得できるだろう」
     彼は知識を求める者たちと接する時と同じように、僅かに嬉しそうにそう答える。
    「……キミは、この羽ペンが故障品として廃棄される運命をねじ曲げた。文字を書く為に作られたこれは、書けなれば捨てられる。被造物は創造主の期待に応えることでしか存在意義を保てない。では、その運命に介入できるキミは、一体何なのだろう」
    「ふむ……そういう意味では、生命の治療や物質の修復に携わる者は皆、運命に抗う者だと言うことが出来るかもしれないね」
     成程、確かにそうか。ボクは少し考えすぎていたのかもしれない。暗く澱みかけていた思考が緩やかに浮上し、ボクは立ち上がる。
    「ペンの礼に何か作るよ。甘い物で良いかい?」
    「ボクは構わないけど……キミ、スイーツが好きだったのかい?」
    「好きでも嫌いでもないよ」
     ずっと見てきたから、キミの好きなものを知っているだけ。
     でも、そうだな……どうせならボクでも楽しめるものが良い。ボクも食べ慣れているミントに、少し多めのスイートフラワーを加えてキミ好みの甘さにして。最後に甘いクリームとラズベリーを乗せても良いかもしれない。
     もう夜も遅いし、ただでさえ小食のキミはスイーツであってもあまり多くは食べられない。紅茶と小さくて甘いミントゼリーくらいが適量だろう。
    「すぐ作るから、良い子に待ってて」
     先程子供のように頭を撫でられた仕返しとして、同じように髪を撫でてやった。
     




    「あ、いた! 良かった! モンド城と拠点、どっちにいるかなって思ったんだけどドラゴンスパインに来て正解だった!」
     朝から雪山の拠点で作業をしていたボクは、来訪者の声に手を止め、自然な微笑みを浮かべる。
    「やあ、旅人」
    「あ、――“また会ったね”」
     遠くから駆け寄ってきた旅人は、ボクの顔を見るなり半眼になってそう言った。
    「……キミ、思ったよりも執念深いんだな」
     それともあの時の仕返しだろうか。あれはある意味必要な行為であったと思うし、旅人もそれに納得していたように見えたけど違ったのだろうか。
     旅人とはあまり多く関わっていない為、正直どう対応すべきか決めかねている。これは早急に “ボク”と話し合って今後の方針を決める必要がありそうだ。
    「“ボク”に何か用があったのかい? 急ぎの用なら戻り次第伝えておくよ。確か昼前には戻ると言っていたから、もしもキミに時間があるのなら、ここで待っていても構わない」
     旅人は彼にとって大切な友人のうちの一人だ。見ていてなんとも言えない気分になるくらい、彼はこの少年に誠実であり、誠実でありたいと願っていた。
     ボクは彼がそれ程までに関心を寄せる旅人についても当然いくらか調べた。そしてこの異邦人が彼にとってだけでなくこの世界にとって特別で異端である事、そして、この世界に留まる気がないことも知った。
    「うーん、用って言う用はないんだけど、アルベドに会いに来たんだ」
     いや、だからそれはどっちの? ボク、それとも彼?
    「まどろっこしいな……ここにはキミとボクしかいない。はっきり言ってくれ」
    「ごめん。あと気を悪くしたら更にごめんなんだけど、どっちでも良かったんだ」
    「……は?」
     思ったよりも冷たい声が出てしまい、旅人は慌てたように手や首をブンブンと振った。長い三つ編みが左右に揺れて野生動物の尻尾みたいだ。
    「ごめん違う誤解しないで! 両方に会うつもりだったから、いないほうには後で会おうと思って」
    「ああ、なるほど。で、ボクに会って何がしたかったんだい?」
     ボクの問いに、彼は心底不思議そうに首を傾げた。あまりに不思議そうにするものだから、つられてボクまで首を傾げた。
    「何って…ただ友達に会いに来ただけだよ?」
    「それは“ボク”であってボクではないだろ」
    「そこなんだよなぁ……俺はまだ数えるほどしか君と会話をした事がないし、ついこの前までは物騒な関係だったわけだし。でも君も、うーん……」
     言葉を濁した旅人の言いたいことは分かった。彼は“アルベド”の友人として、ボクをそこに含めて良いものなのか迷っているようだった。
    「キミの好きにすると良い。ただ、無理にボクと友人になろうとする必要はない。……ボクは言うまでもないけど、どうやらキミも演じるのは得意なようだし、お互い人前ではうまくやれるだろ?」
    「棘のある言い方だなぁ」
    「毒を持つ花は嫌いかい?」
     ボクの返しに旅人は再び半眼になる。そして後ろを振り返り、拠点の入り口越しに雪の舞う曇天を見上げる。
    「棘があっても、毒をもっていても、枯れていても、花は花だよ。俺はどれも綺麗だと思う」
    「……そう」
     お世辞や嘘ではないと思った。だがそれは、旅人がこの世界の大地に骨を埋めるつもりのない異邦人だからこそ、口に出来る言葉だ。
    「ね、君のことは何て呼べば良い? 今みたいにまわりに人がいない時でもアルベドで良いの? それともなにか別の呼び名があったりする?」
     くるりとこちらを向いた旅人は少し腰を折って下からボクを覗き込む。躊躇いなく詰められるその距離にボクは少したじろいだ。もう必要はなくなったとはいえ、仮にも自分を殺そうとしていた相手に対して警戒心が足りないのではないだろうか。……もしくは、警戒せずともボク程度であれば対処できるという自信の表れか。
    「キミが好きなように呼ぶと良い」
    「またそれ? 選ばせてくれるのは良いけど、俺は君の希望を聞きたいのに」
     不服そうにボクを見た旅人は突然ガサゴソと鞄を漁り、作業台の上に食材を並べ始めた。
    「何、急に……」
     ――早急に “ボク”と対話がしたい。主にこの少年について、ボクがどうすべきなのか彼の意見を聞きたい。いや、きっと彼も「キミの好きにすると良い」と言うだろうけど、それでも、今は一刻も早く彼に会って、この何だかよく分からない異世界生物への対応についてのヒントを得たかった。彼の姿を見れば、彼ならどうするかを考える事が出来る。……というか正直助けて欲しい、今すぐに。
    「アルベド、昼前には戻ってくるんでしょ? もうすぐ昼になるし、俺が昼食を作るよ。苦手な食べ物はある?」
    「ああ、もうそんな時間か……。ボクは特に好き嫌いはないよ」
    「肉も大丈夫なの? 量は? 普通に一人前食べられる?」
     彼が小食で、多量の肉料理を好まないのを当然のように知っていることに少しだけ複雑な気分になった。この少年は、彼のことをよく知っている。場合によっては、きっとボクが知らないことも。
    「むしろ肉類ばかり食べていたよ。キミも知っての通り、この雪山で入手できる食材は限られている。量に関しても一般的な人間の一食分は問題なく食べ切れるよ」
    「そっか、じゃあモンド城にいる時はお腹空かなかった? 肉も食べないし量も少なくしてるんでしょ?」
    「空腹は……ボクにとって問題にはならない」
     腹がいっぱいまで満たされない事と飢えとでは次元が違う。全てを失ったボクがこの形になる前、あの奇妙な温かさのある腹の中で常に感じていた飢えは、渇望は……
    「――大丈夫?」
     気がつくと、旅人が心配そうにボクを見ていた。ダメだ、彼には調子を狂わされてばかりだ。彼は一貫して“アルベド”ならどうするかではなく、ボクならどうするかを尋ねてくる。それは“ボク”とボクを分かつ行為であり、でも、彼は、ボクを“アルベド”として認識している部分もあって……
    「キミの意図が分からない……キミは何がしたくて、ボクと会話をするんだ」
     ボクは人付き合いが嫌いではない。むしろ人として人と関わるのはとても楽しく、ボクがずっと求めていたもののうちのひとつですらある。だから自分がこの少年との会話に奇妙な居心地の悪さを感じていることが意外だった。
     サクサクと手際良く食材を刻み始めた旅人が黙ってしまい、余計にボクは焦る。“アルベド”ならどうするかばかりを考え続けてきたせいで、それ以外を求められると途端に思考が鈍ってしまう。
    「――あ!」
     パッと跳ねるように顔を上げた旅人が食材を放り出して突然拠点から走り出した。何事かと目で追うと、遠くからゆっくりとこちらに向かってくる白い姿が視界に入った。
    「はあ……」
     思わずため息をついてしまった。やっと帰ってきたのか。遅いよ。
     真っ白な彼は旅人の姿を認めると、ここからでも分かるほどに纏う雰囲気を和らげる。他を寄せ付けない清廉な花が、不意に柔らかく綻ぶかのように。
    「アルベド! おかえり」
    「旅人、こんにちは。来ていたんだね、パイモンはどうしたんだい?」
    「寒いのは苦手だってさ」
    「そうか、それは残念だ。今度は何か、暖かくて美味しいものを用意しておこう」
    「それならきっと喜んでついてくるよ。あ、アルベド雪積もってる」
     二人で並んで歩きながら、旅人は彼の頭や肩に積もった雪を手で払う。
     ……仲が良い。きっと誰に聞いても彼らは仲が良いと答えるだろう。
    「うわ、まつ毛にまで雪乗ってる、ほら」
    「わ、空」
     肩を並べ、くすくすと笑いながら戯れる二人を見てじわりと胸の奥が澱む。
     ――あれが、ボク。同じ表情は、出来る。今、答えを見たから。ただ、そこに至るまでの過程は再現できないだろう。
     ボクの完璧な模倣には過程がない。そもそも学ぶ順番が違うのだ。これはボクの錬金術についても同じで、ボクは彼の導き出した答えを見てその知識技術を習得した。だって、ボクに知識と課題を正しい順番で与えてくれる師はいなかったから、最初から正答が書かれているノートを盗み見て学ぶしか選択肢がなかった。
     彼も戻って来たし、少しここを離れよう。そう思って作業台の上を片付けて立ち上がると、氷のように冷たい指先が肘のあたりに僅かに触れた。
    「待って」
     囁くような小さな声。
     いつの間にか彼らは拠点の中に戻ってきていて、旅人は入り口付近で調理を再開している。ボクの正面に立った彼は真っ直ぐにボクを見て、僅かに眉を顰めた。
    「大丈夫かい?」
     内緒話をするかのように声を落としてボクの何かを心配する彼に、再びため息をついた。
    「何もないよ、でも後で話はしたい。それからキミは、自分の心配をした方がいい」
    「ボク?」
     不思議そうにボクを見る彼の頬を、グローブを外した手のひらで包む。
    「やっぱり」
     触れた頬は冷え切っていて、一瞬でボクの手のひらの温度を奪う。
     堅氷をも溶かす奇妙な温かさをもつ龍の血によって再構築されたボクは、身の内にあの温かさを宿している。だから彼と違って、長時間雪の中で活動してもここまで冷たくはならない。
    「キミは少し火に当たった方が良い。身体が冷え切っている」
    「そうかい?」
     彼が少し首を傾けたことによってボクの手のひらに頬を寄せる形になり、胸のあたりがざわりとした。
    「わ、うわ」
     突然奇妙な声を上げた旅人を見ると、彼もボクたちを見ていた。何故か焦ったような表情で。
    「あ、わ、ごめん! なんか二人がそうしてるとなんか、なんていうか、ええと……見てはいけないものを見てしまったみたいな…」
     ふむ。何だかよく分からないが、慌てている旅人は面白い。であれば少し、遊んでみようか。
    「キミ……」
     ボクが旅人をからかおうとしている事に気付いた彼は、窘めるようにボクを呼ぶ。だがもう遅い。彼の顔を指先で持ち、ぐっと自らの顔を寄せる。そして彼の顔の角度を好き勝手に動かしてじっと見つめる。
     ……にしても本当に精巧な造形だ。彼の外見の成長進度は一般的な人間でいうなら少年に分類される。しかし少年にしては大きな丸い瞳に少女のように長い睫毛、幼さの残る丸みを帯びた頬に淡い色をした小さな唇、……あの人は一体何を元にこの造形を選択したのだろうか。あまりに整い過ぎた造形は自然から遠ざかる。これではまるで、精巧な人形のようだ。
    「キミは、本当に綺麗だね」
     造形だけの話ではない。あの人に叩き込まれたのであろう美しい所作、他人の長所を伸ばす視点。彼は何をしていてもどこか澄んでいて、美しい。
     あの時――自らと同じ姿をした擬態植物を刺し貫いた時でさえ、彼は美しく、澄んでいた。それはやはり、彼が人から遠い存在である証に思えた。
    「ちょっ……」
     首筋をなぞり、喉元の印を撫でる。彼は身体を強張らせ、ボクの胸を両手で押す。知ってるよ、ここは他と皮膚の質感が少し違う。最初にこの姿になったとき、真っ先に確認した。何故キミが、まるで見せつけているかのようにこの印を晒して生活しているのか不思議だったが、その理由のうちの一つは酷く単純なものだった。純粋に、この部分に服がすれると不快だからだ。ボクが習得した錬金術による模倣は、キミ個人が持つ五感まで完璧に再現できている訳ではない。しかし、擬態したボクですら気になったくらいだ。きっとキミからしたら内臓に触れられている程度の不快感はあるだろう。
    「ぅ、ぁ、やめ……」
    「お、俺、席を外したほうがいい……?」
    「――待って、空」
     虚ろな瞳になりかけていた彼は旅人の声にハッとし、正気を取り戻す。まるで力の入っていない手が、止めるどころか縋るようにボクの腕を掴み、その上に旅人の手が重なった。
    「……」
     旅人は何も言わずに首を振り、ボクは降参とばかりに彼から手を離した。
     彼が旅人に甘いのは言うまでもないが、旅人も大概だ。この二人は友人という言葉だけで済ますには奇妙な信頼関係を保っている。そして困ったことに、彼らはその中にボクを混ぜても構わないという意思表示を時々してくるのだ。
    「キミは旅人をからかうのが好きだね」
     自らの喉元を抑え、ため息をついた彼は呆れたようにボクを見る。
    「キミをからかうのも好きだよ」
    「ボクをからかっても面白い反応は得られないだろ」
    「面白いよ。旅人もそうは思わないかい?」
    「え、俺? からかうのは良くないと思うけど……ああ、でも、アルベドといる時にしか見られないアルベドの一面もあるなぁとは思う」
     彼は旅人の言葉を受けて、いつもの考えるポーズを取った。暇になったボクは彼の隣に並んで同じポーズを取ってみた。
    「紛らわしいな!」
     思いのほか旅人にウケてしまい、つられてボクまで笑ってしまった。そんなボクたちを見て、彼は元から大きな瞳を更に丸くしてぱちぱちと瞬かせる。
    「やっぱりこうして三人でいる時は呼び名が欲しいな。自分で言っていてどっちを指してるのか分からなくなる。アルベド、なにか良いニックネームとかはないの?」
    「なるほど、ボクたちの秘密のニックネームか……キミはどう思う? 何か案はあるかい?」
     当然のように自分を含める彼に困惑した。いや、キミは最初からアルベドなんだから、アルベドのままで良いだろ。
    「なりすましでも偽物でも失敗作でも欠陥品でも二号でも毒のあるバラでも劣等品でも何でも好きに呼ぶと良いよ」
     それらはキミがボクを表現する為に使った言葉だ。名を得る機会のなかったボクにとって、それらはある意味ボクの名前とも言えよう。
    「それらは確かにボクが使った言葉だけど、ニックネームとはいえ、呼び名として使うには……」
    「“アルベド”だって似たようなものだろ? 素材の名前をそのまま使った料理名みたいなものじゃないか」
     大事なのは名前そのものではなく、個を識別する必要を認められ、ボクを呼ぶために名を必要とされたという事実だ。……あの人はボクに名を与えなかった。それはつまり、あの人にとってボクは、名を呼ぶに値しない存在だったということだ。
    「本当にそれで良いの? というかその中だと実質一択みたいな感じにならない?」
     旅人が困ったようにボクを見る。
    「いいよ、旅人。キミが選んで」
    「――わかった。よろしくね、二号」
    「うん」
     差し出された手を取り、ボクは頷く。
     キミに与えられ、旅人によって選ばれた秘密の呼び名。単語としては味気ないが……うん、悪くない。
    「ふむ……その場合、ボクは一号になるのかな」
    「いや、面倒だからキミはアルベドで良いって」
     何でキミって賢いくせにそう変なところで天然なの?


     今日は秘密のニックネーム記念パーティーだね、なんてよく分からないことを言って、旅人は沢山の料理を作った。
     アルベドはいつも通りの小食だが、旅人はよく食べ……いや、かなりよく食べ、ボクも久々に満腹を超えるくらいの食事をした。
    「キミ、いつも遠慮していたのかい?」
     彼からしたらげんなりしてしまうほどの量の肉料理を腹に収めたボクを見て、彼は驚きで瞳を丸くする。最近は彼のこの表情をよく見る気がする。彼にとってボクは驚きの対象になりやすいらしい。
    「いや、今日は食べ過ぎた。夕飯はいらないかな」
    「ボクとほぼ同じ身体でも、食欲や消化能力に違いがあるのか、あるいは」
     彼の手が伸び、ボクの胃や腹にそっと触れる。
    「触るのは良いけど押さないでね。それに、量で言ったらボクたちと大して変わらない体型の旅人の食事量の方が衝撃的だよ」
    「俺も今日はちょっと調子に乗って食べ過ぎた……パイモンに持って帰るつもりでたくさん作ったのに、全部食べちゃった……正直かなりくるしい」
     旅人は自らの胃と腹に手を当てて背中を丸めた。うん、確かに胃の辺りが膨らんでいるように見える。しかし今更ではあるが、何故旅人はこの極寒の地で平気で腹を出していられるのだろうか。いや、この雪山では氷に囲まれた湖に好き好んで入る奇特な人間を見かけたこともあるし、人間も人間という一括りで考えてはいけないのかもしれない。
    「二人とも、食後は少し身体を休ませると良い」
     彼はスケッチブックを取りだし、絵を描き始める。そして数分も経たないうちに、半屋外の拠点に不釣り合いな豪華なソファが焚火の前に現れた。
    「わーふかふかだ! ありがとうアルベド。二号も一緒に休もう」
     旅人に手を引かれ、ボクは反射的にもう片方の手でアルベドの手を取った。そうして三人並んでソファに座ると旅人は楽しそうに笑った。
    「何か、いいね、こういうの。楽しい」
     ふわふわと笑う旅人と、俯きがちに柔らかな微笑みを浮かべる彼。冷たい雪が降りしきるここで、絶望と渇望の中目覚めさせられたこの地で、こんな気持ちになる日が来るなんて想像もしていなかった。
     あの日、キミは躊躇いなく自らを切り分けてボクに差し出し、ボクたちは運命を縒り合わせた。
     ――ねえ、アルベド。
     キミの幸せを半分もらう代わりに、キミの結末も半分引き受けよう。
     ボクたちはあの人の願いから逃れられない。だけど、その全ての無念をキミ一人が背負う必要はないんだ。あの人の手による造物であるボクたちの行き着く先が決して明るいものでないことは、キミもボクもよく分かっている。それでも、その時は……





     漆黒の暗闇の底、燃え盛る黒焔と嘆き蠢く赤黒い残骸の山。そしてその頂に君臨する、焼き尽くされた無垢なる灰によって構成された純白の椅子。願いという名の荊棘に絡み付かれたキミは、いつ崩れるかも分からない不安定な玉座に縛りつけられている。

    「師匠……」
     また、あの人の夢を見ているのだろう。寝言というにはあまりにもささやかな、吐息に混じって僅かにのせられた音。
     旅人をワープポイントまで送って来た彼は先程までソファで火に当たっていたが、そのままうたた寝をしてしまったらしい。早朝から雪山を歩き回り、昼から夕方まではいつもよりも賑やかに旅人と過ごして、きっと疲れたのだろう。ぐらりと揺れた彼の身体を支え、その頭をそっとボクの膝の上に乗せた。
    「また冷えてるじゃないか」
     冷たくて美しい、けれど柔らかい頬を撫で、前髪を後ろへと梳く。
     キミを初めて見た時の衝撃は、今でも当時の感情のままに覚えている。目の前が赤く染まる程の強烈な嫉妬と羨望、湧き上がる殺意と無念。そして、憐み。どんなに特別であっても、被造物は被造物の運命から逃れられない。ボクたちはあの人の手のひらの上で転がされたりぐちゃぐちゃにされたりすることを、ボクは身をもって知っている。それでもなお、創造主に従順で、どうしようもなく惹かれてしまう被造物の本能も。
     できればキミは、綺麗なままでいて欲しい。いつか、役目を終えるか果たせなかったキミが、ボクのようにぐちゃぐちゃにされてしまうところは見たくないな。
     白くて丸い額にそっと口付けると、彼の睫毛が震え、美しく光を反射する瞳がゆっくりとボクを捉えた。
    「おはよう」
    「おはよう……? キミは、なにを」
     状況が理解できないのか、困惑している彼の髪を撫でる。
    「疲れているのだろう? もう少し休んでいていいよ」
    「いや、キミの膝で眠っていた事も、キミに撫でられているのも気になって、休める気がしないのだけど」
    「暖かいだろ?」
     手の平を頬にあてると彼は少しだけ心地良さそうに瞳を細めた。
    「うん……」
     そういう仕草をされると堪らない気分になる。キミはボクがどれだけキミを羨み、憎み、焦がれていたのか分かっていない。ボクのこれは、龍の血による凶暴化なんかじゃないし、ボクが欲しくて欲しくて仕方のなかったものは、人としての人生とキミの立場だけじゃない。
     人として生きることだけが目的だったのなら、もっと簡単で確実な方法がいくらでもあった。わざわざ賢いキミを狙うなんて非効率で不確実なことは絶対にしない。
     あの日……初めてキミを瞳に映したあの瞬間から、ボクの中の全ての感情は、キミによって焼かれ続けている。
    「……二号?」
     何かを案ずるように、冷たい指先がボクの頬にそっと触れる。雪で湿ったグローブが煩わしくて、彼の手からグローブを外した。そしてそのまま素手同士の指先を絡め、そっと甲に口付ける。この真っ白な手を噛みちぎってやりたい衝動すらあった。手の甲に唇を押し付け、少しだけ、ちろりと舌先で舐めると彼の手がビクリと震えた。
    「キミは、今でも……ボクを殺したいかい?」
    「……時々ね。でもそれは、成り代わる為じゃないよ」
    「……そう」
     目を伏せた彼の額を撫で、今度は目蓋に口付ける。次に耳の裏を撫でて、鼻先に。
     あちこちに落とされる口付けに、彼は僅かに身体を震わせるだけで拒まない。そういうのが良くないんだ。キミはどうしようもないほど、ボクに甘い。それは同情でもあって、しかしそれだけではない。この世界で一番ボクに近いキミ、キミに近いボク。ボクたちの境目は、鴉マークのコインの裏表よりもずっと曖昧で、けれどボクとキミとでは全く違う。
    「……こういう時、ボクはどうすればいいんだい?」
     彼は伏し目がちにボクに問う。
     ああ、やっぱり、食べてしまいたい。キミがあの人の願いを叶えるための手段として使い倒されてしまう前に、この美しく無垢な心と身体でいられるうちに、ボクの手で。
    「拒絶でも何でも、キミの好きにすれば良い」
     黄金色の菱形が印された白い首にそっと手をかける。力は込めない。彼は真っ直ぐにボクを見上げ、やがて困ったように眉を下げた。
    「二号……」
     ぽたりと、彼の頬に上から雫が落ち、彼の両手がそっとボクの頬を包み、堪えきれなくなった。




     どれくらいそうしていたのだろう。気付くと周囲は暗くなっていた。
     彼の首の印や、全身の至る所を撫でながら、ずっと、深い口付けをしていた。ろくに抵抗らしい抵抗もせず、とろけたような甘い反応ばかりを返した彼は力無くボクに凭れかかり、乱れた衣服を正す余裕すらなくしてしまったようだった。
    「……そろそろ城に戻らなくて良いのかい?」
     きっと、彼のこんな姿は誰も見たことがないだろう。乱れた衣服の隙間からは真っ白な肌が晒されている。そしてそこに散らばる、赤。
     清廉や純潔を思わせるこの無機質で美しい造形に散らばる赤を見ると、薄暗い喜びが湧き上がってくる。まるで彼を征服し、手中に収めたかのような。
    「戻らないと。でも……」
     いつもより少し掠れた儚い声。キミの言いたいことが分かって、じわりと身体が熱くなった。
    「うまく、力が、入らないんだ……それに、思考も、まとまらない……」
    「……キミがボクを甘やかすから、こんな事になるんだ」
     彼はボクに視線を向け、ため息をつく。
    「キミに、こういった欲があるとは思わなかった」
    「ないよ。キミだってそうだろ? こんな風になったことがなかったから、キミは今そんな姿をしてるんだろ?」
     ボクが、キミだからそうなったように、きっとキミだって、ボクだからそうなったんだ。
     このまま肌を外気に晒していては冷えてしまうだろう、そう思って乱れた服を直してやると彼は小さく笑った。
    「何?」
    「キミも、誰かの世話を焼いたりするんだね」
    「失礼だな。ボクはキミになる予定だったんだ、誰かの面倒を見るというのは必須のスキルだ」
     知識を求める者や騎士として守るべきモンドの民、そして、あの、とんでもない妹。人付き合いが得意ではないと言いながらも、キミはまわりの人々の面倒をよく見ていた。正直あの妹に関してだけは、仮に成り代わりに成功していたとしてもボクの手には負えなかったのではないかと思う。
    「ほら、しっかりしなよ、“アルベドお兄ちゃん”。家で妹が待っているんだろ?」
     ボクは時々アルベドとしてモンド城で過ごすこともあるが、いつも日が暮れる前には雪山へと戻っていて、彼の家で寝泊まりしたことは今までに一度もない。何となく、あのエルフの妹にはきっと気付かれてしまうだろうという予感があった。
     彼は何度か瞬き、しばし考え込んだ末に口を開いた。
    「そういえば、あまり気にしたことはなかったけど、順番で言うとキミが兄だったね」
    「ん? ああ、そうだね」
    「うーん……人間の基準に合わせるのであれば、ボクも、キミを兄と認識するべきなのだろうか?」
     突然真面目な顔でそんな事を言い出す彼に、ボクは頭を抱えた。一瞬だけ、ボクを兄と慕うキミを想像してしまい、強く頭を振った。
    「いや、いいよ。……ボクたちは、そんな生暖かい関係じゃないだろ」
     キミが愛しい弟で、あの温かい龍が兄で、……あの人が、母。そんな夢物語みたいに甘くて柔らかい家族で過ごす日常は、ボクの過去にも未来にも存在しない。
     ボクに用意された物語では、母はボクを捨て、兄は母の指示に従った結果神とその眷属に殺され、ボクは死んだ兄の腹から這い出し、弟を殺そうと画策した。そしてこの物語の主人公はボクどころかキミですらなかったし、シナリオだってまだ結末どころかクライマックスすら迎えていない。
    「そう……だね」
     綺麗なキミ、ボクのなりたかった“ボク”、ボクだったかもしれないキミ。キミが愛しくて憎い。
     キミが擬態植物を斬ったとき、ボクと対峙したとき、「よくもボクの真似をしてくれたね」と憎しみや怒りのままに斬りかかってくれていたら、ボクは何も思い悩むことなくキミを殺せたのに、キミがボクたちに抱いたのは共感と悲しみだった。キミがもっと傲慢で、自分のことだけを考える個体だったらどれほど良かったことか。ボクの計画が失敗し、ボクがこんな風になってしまったのは、生き残った実験体がキミだったせいだ。せっかくキミの姿になって、綺麗な形になったのに、ボクの中身はキミのせいでぐちゃぐちゃだ。だからそんな風に、少し悲しげな表情をして、これ以上ボクを掻き乱さないで欲しい。
    「今日は、ボクも一緒にキミの家に帰ろうかな」
    「いや、でも、キミは……」
     彼の手を取り、立ち上がらせる。うん、もう足取りも問題なさそうだ。
    「ボクの錬金術を甘くないでくれる? 視覚情報は光の反射だ。そこを少し弄るなんて容易いことだろ?」
     自分の姿形はそのままに、他者からの認識だけを少し変える。体型を変えると計算が面倒になるからこのサイズのままに、どこにでもいそうで印象に残らない素朴な少年の姿に見えるようにしよう。
    「ふむ、よくできているね。見えている情報と、触れた感覚が違う。これに関してはキミの方が得意そうだ」
     ボクが錬金術を使い、自身の見え方を変えると、彼は遠慮なくボクの顔に触れてその効果を確かめた。その手が素手のままである事に気付き、ボクはグローブを付けてやった。
    「他のことだって、すぐにキミを追い抜くよ」
     挑発するように言うと、彼は怒るどころか柔らかく瞳を細めた。
    「それは楽しみだ。――さて、雪山で迷子になった冒険者よ。安心するといい、この西風騎士がモンド城までキミを送ろう」
     突然口調を変えた彼は自身の胸に手を当てる。なるほど、そういう設定でいくのか。なんだったか、ええと、そう、確か騎士団ガイドに似たような台詞があった気がする。
    「いいや、ボクはただの迷子の冒険者じゃない。親切な西風騎士がモンド城まで送ってくれる途中、彼と会話が弾み、なんと今日は彼の家に泊まることになったんだ」
    「ふむ、どんな話題で盛り上がったんだい?」
    「料理の話だよ」
    「なるほど。では冒険者は騎士の家で夕食を食べるのかい?」
     彼は僅かに口角を上げてボクを見る。
    「……冒険者は昼食を食べ過ぎたんだ。これ以上食べたらどうなるか分からない」
    「ふふっ、知っているよ」
     彼が笑った際、肩同士が軽くぶつかった。歩き慣れた雪道を、彼と並んで堂々と歩いている。会話を、弾ませながら。
    「親切な騎士ではなく意地悪な騎士だったようだ」
     軽く小突くように肩を当てると彼も同じようにボクに肩を当て、互いに笑った。今この瞬間のボクたちは、いったいどのように見えているのだろう。
    「まあそう怒らないで。ところで、騎士の家には妹がいるのだが、冒険者は彼女に会っていくかい?」
    「うーん、子供は本能で本質を見抜くこともあるし……いや、キミの姿でないのなら逆に問題はないのか」
     彼のふりをして会ったら、「アルベドお兄ちゃんじゃない!」と見抜かれてしまうかもしれないが、そもそも別の姿であればそういった問題は発生しない。
    「ふむ……確かにそうだね。でもボクは、クレーの前ではその術を解いても問題ないと思うよ。もちろん残酷な描写は省く事になるが、ボクたちの経緯を伝えれば、彼女は彼女なりにその事実を理解するだろう」
    「旅人のように?」
    「いや、……彼は少し理解があり過ぎたように思う。きっとクレーは、キミにたくさんの質問をするんじゃないかな」
     その愉快な光景を想像して、ボクは少しばかり悩んだ。子供というのは際限がない。それは遊びであったり、質問であったり。
    「そう身構えなくても大丈夫だよ。キミが困り果てるような事態になったら、ちゃんと助け船を出すから」



    「わぁ、すごい!! クレー知ってる! 前にママから聞いたことがあるの。世界には自分と同じ顔の人が三人いるんだって! ドッペら? ドッペ……えーとなんだっけ、ドッペなんとか!」
     彼に連れられ、彼と同じ姿をしたボクを見た彼の妹は、想定外の反応をした。
    「ドッペルゲンガーかい? それはおそらく、すごく遠いところで古くから語られている伝承だね。確かに彼とボクはほとんど同じ姿形をしているけど、アリスさんの言っていたドッペルゲンガーではないよ」
    「そうなの?」
    「うん、彼はね…」
     そう言って彼はボクについての説明を始めた。
     事実から残酷な部分を省いた関係で、「ボクたちは同じ親を持ち、彼は長い間雪山で眠っていて、最近目覚めたんだ」という何ともシンプルで難解な説明になり、ボクは笑ってしまった。聡明な彼がこんな曖昧な説明しか出来なかったことが面白かったし、彼の妹は頭が落ちるのではないかというくらいに首を傾げ、うんうん唸っている。
    「うーーーーーん……同じ、おや? ……ってことは、アルベドお兄ちゃんの兄弟?」
    「うん、そうともいえるね」
    「アルベドお兄ちゃんのがお兄ちゃんなの?」
    「いや、先に誕生したのは彼だよ」
     彼がそう言うと、彼の妹はパッと笑顔になってボクを見た。
    「わかった! じゃあお兄ちゃんはアルベドお兄ちゃんのお兄ちゃんだね!」


     アルベドお兄ちゃんのお兄ちゃん――は長過ぎた為簡略化され、お兄ちゃんのお兄ちゃん、という奇妙な呼び名を貰ってからはもう、散々だった。「プレゼント!」と無邪気な笑顔と共に渡された愛らしい見た目の球体がボクの手の上で爆発しかけたのを慌てふためく彼が阻止したり、彼がそろそろ寝ようかと言うまで質問の嵐が止まなかったり。挙句の果てには睡眠のお供にオリジナルの物語を所望された。
    「……物語をいくつか考えておく必要があるな」
     ようやく眠りについた彼女の部屋からそっと出ると、隣で彼が小さく笑った。
    「キミの物語も面白かったよ。トリックフラワーの習性を利用しつつも、うまく子供向けにアレンジされていた」
     ボクが即興で必死に捻り出したのは、人に化けたトリックフラワーが行く先々で様々なトラブルに巻き込まれ、擬態を駆使して奮闘、解決していくというありきたりな話だった。
    「トリックフラワーが人に擬態する目的が、狩りではなく仲良くなる為というのも童話向きだね。そうだ、今度キミの物語を絵に描いて、絵本を作ってみないかい?」
    「構わないけど……面白い話ではなかったと思うのだが。キミの妹は途中で眠ってしまっただろ?」
    「うん? ああ、クレーはキミの話を楽しんで聞いていたよ。それに子供の為の寝物語は眠りのお供であって、結末は夢の中で見るんだ」
    「となると結末は考えなくて良かったのか」
     なんだ、と思わずため息をついてしまった。頭の中で必死に整合性を保ちながら展開を進めていたのに。
    「いいや、結末は必要だよ。聞き手はクレーだけじゃないからね」
     彼は自分のベッドの横にもう一つベッドを創造し、スケッチブックをテーブルの上に置いた。自室に戻ってからずっと何かを描いているとは思っていたが、どうやらボク用のベッドを描いていたらしい。
    「他に何か必要なものはあるかい?」
     ふかふかのベッドに大きな枕、暖かそうな布団。ボクが今着ている就寝用の柔らかくてもこもこした服も彼によって用意された物だ。
    「十分だよ。ありがとう」
     彼はボクを見てしばし固まった。ただでさえ大きくて丸い瞳を更に大きく見開いて、ぱちぱちとまばたきをする。
    「何?」
    「いや……少し驚いて。まだ早いかもしれないが、ボクたちも寝ようか」
     ベッドに横になると、同じく横になった彼と目が合った。お互いが手を伸ばせば届く距離。どうしてキミは、ボクにこの距離を許すのだろう。
     あの時だってそうだ。害を成す紛い物など殺してしまうのが一番簡単で手っ取り早いのに、キミはそうしなかった。自らの存在を個から概念へと変え、ボクの存在を肯定した。世界に拒まれ、母にすら手放されたボクを、キミだけが。
    「まだ、眠くならないかい?」
     指先に触れた感覚にハッとする。ボクは無意識に彼へと手を伸ばし、その指先に彼がそっと触れていた。
     いや、ボクがキミに手を伸ばすのはこの際もう良いとして、どうしてキミまでボクに手を伸ばしているんだ。
    「どうしてキミは……」
     誰よりも憎いキミだけが、誰よりもボクに寄り添い、ボクを……
    「うん?」
    「いや、何でもない。普段よりかなり早いから、もう暫くは眠れないかな」
    「それなら、先程の続きを聞かせてくれないかい?」
     期待するような、少し楽しそうな声。
    「……まさかキミにも読み聞かせが必要だとは思わなかった。それに、結末は夢の中で見るものなんだろ?」
    「ボクは眠りのお供が欲しい訳ではないから、途中で眠ったりしないよ」
     彼は真面目な顔でそう言い返した。キミって皮肉が通じたり通じなかったりするよね。
    「ボクの物語が、朝になっても語り終えないような長編でも?」
    「もちろん。それは楽しみだね。ああ、でも、それだとキミの健康状態に悪い影響を与えることになるから、何夜かに分割してもらうことになるかな」
    「冗談だよ、そんなに期待をされたら余計に語り辛い」
     何がそんなに彼の興味を引いたのかは分からないが、物語を求める彼は普段よりもずっと幼く見えた。
     触れ合ったままの指先をそっと握ると、彼は少しだけ握り返し、囁くように口を開いた。
    「キミの物語を聞かせて」



     宣言通り、結末を語り終えるまで彼は眠らなかった。それどころか、ここの心情の描写が良かった、このシーンはもう少し背景の説明があった方がより良いものになるだろう、ではここをこうしたらどうだろうか、といった感想戦が始まる事となった。そうして二人で物語の精度を上げている間に眠くなり、互いに意識を手放した。
     ――ここまではいい。だが、
    「……なんで?」
     翌朝、目覚めたボクは思わずそう呟いていた。
     もしかしたら、ボクの長くて短い複雑な人生の中で、今が最も理解し難い瞬間かもしれない。
    「ねぇ、起きて」
     身動きが取れないから声だけで彼を起こそうと試みると、うーん、と眠たげな声が聞こえた。両側から。そう、両側からだ。横向きに眠っていたボクの腕の中と、背中から。
    「……おはよう」
     ボクの胸元にぴたりと頬を寄せて眠っていた美しい瞳がゆっくりと開かれ、ボクを見上げる。いや、おはようじゃなくて。これは一体何なんだ。
    「うーーーーん」
     今度は背中に貼りついた熱の塊がぐずるような声を出す。
    「アルベド、ボクの背中に貼りついているキミの妹を潰してしまいそうだ。どうにかしてくれ」
     ボクの言葉に、彼は少しだけ困ったように視線を彷徨わせた。
    「……ボクも、身動きがとれないんだ」
     そう言われて、ようやくボクは自分が彼を腕の中に強く閉じ込めている事に気がついた。抱き締めるどころか脚までしっかり絡めていて、彼の膝の間に腿を深く差し込んでいる。
    「なんで、されるがままなんだ……」
     背中を動かさないよう気を付けながらそっと腕や脚を緩めると、彼は小さく息を吐き、するりと腕の中から抜け出した。
    「クレー、起きて。朝だよ」
    「うーーー」
     彼の妹が起き上がり、背中のぬくもりが消える。ようやく動けるようになったボクも起き上がり、固まっていた身体を伸ばした。
    「おはようアルベドお兄ちゃん! お兄ちゃんのお兄ちゃん!」
    「おはよう、クレー」
    「おはよう」
     数秒前まで唸っていたのが嘘だったかのように彼の妹はパッと跳ね起き、ベッドから降りてぱたぱたと部屋を出て行く。それに続いて部屋を出ようとする彼の腕を掴んで引き留めた。
    「待って、どうしてこうなったのか説明して」
    「ああ、夜中に目を覚ましたクレーがその後寝付けなかったみたいでね、ボクの部屋を訪ねてきたんだ。こういうことは時々あるんだ」
    「それでどうして二人してボクのベッドの中に」
     ボクの問いに彼は少しだけ言い澱んだ。
    「ちょうどその時、……キミは魘されていてね。それに気付いたクレーが、クレーが悪い夢から連れ戻して来てあげる、とキミの隣に潜り込んだんだ。それで、クレーに布団を掛けていたらキミに腕を捕まれ、ボクも動けなくなった」
    「全く記憶にない……」
    「だろうね。声をかけてもキミは目覚める気配がなかったから」
     彼は僅かに眉を下げてボクを見る。
    「ボクは何か言ったかい?」
    「いや、何も。キミはただ、苦しげに呻いているだけだった」
    「そう。……キミがこの間拠点でうたた寝した時は、あの人を呼んでいたよ」
    「……そう」
     彼は目を伏せてそう呟き、ボクをおいて部屋を出ていった。
     ボクたちはあの人の話をしない。ボクたちの根源であり、存在意義そのものでもある、あの人。彼女について話すことは、キミにとってもボクにとっても利にならない。
     例えばボクが、ボクの知るあの人の残酷な面を語ったところでキミは楽しくもないだろうし、ボクを放棄したあの人がその後熱心にキミを育てた話なんて聞きたいとも思わない。
     だが、聞かなくても分かる事はある。キミもまた、手放されたのだ。理由や経緯は分からないが、キミが今あの人と共にいないということは、あの人はキミを置き去りにして、キミの前から姿を消したのだろう。
    「……はぁ」
     隣の部屋から彼と彼の妹の楽しそうな話し声が聞こえ、ボクはため息をついた。
     キミは一見、普遍的な、平凡な幸せを手にしているように見える。そしてボクも、キミと共にキミの一部となる事で、それを享受している。それなのに。
     どうしてボクたちは、呪いのように、願いのように、彼女への敬愛を、執着を、……信仰を、捨てることが出来ないのだろう。
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