魔法少女☆マジカルりっかちゃん!2 じゃがいも、大根、にんじんをいちょう切り。ごぼうはささがき、豚肉と糸こんにゃくはいつものサイズに切りわける。
鍋でお肉を炒めたら、切った野菜を加えたら、糸こんにゃくも合わせて炒める。
水とお出汁を加えて煮立て、灰汁を取り、10分煮る。
あとはお味噌をとけば、具沢山の豚汁の完成だ。
ぐーるぐるぐる。味噌をいれた玉じゃくしを鍋の中でかき混ぜる。ほくほくと、ホッとする香りがお鍋から沸き立つ。胸いっぱいに吸い込んで、思いっきり吐き出しても、憂鬱な気持ちは晴れなかった。
あの目。
あの、奈落の底のように真っ暗な目が、脳裏にずっとこびりついている。
立香は今まで、魔法少女としていろんな敵と戦ってきた。血の滲むような苦しい戦いもあったし、重く辛い過去を持つ敵を、それでも打ち倒して街を守ってきた。悪を打ち倒して、それでもみんなが、“悪党も含めた”みんなが前を向いて進めるような、そういう結末を目指して戦ってきた。魔法少女とはそういうものだ。みんなを救おうとしてきた。
でも。あんなものは、見たことがない。どんな辛い経験をしてきたら、どんな恐ろしいものを見てきたら、あんな真っ暗な目になるのだろうか。
楽しそうに笑っている時ですら、あの目に光は映らなかった。吸い込まれそうなほど、暗く、深い、奈落──
「おおーい、飯はまだかー?」
「あ……もうすぐできるよー!」
意識が引き戻される。と同時に、空腹感も戻ってくる。もうこんな時間。一刻も早くご飯を食べなきゃ、育ち盛りには耐えられない!
沸騰寸前だった鍋の火を止め、お椀に豚汁をよそう。イワシはグリルから出して、レモンと大根を一緒に皿に盛り付ける。
「おじいちゃーん、お米は自分でよそってねー!」
「おうよー」
居間でテレビを見ている祖父に呼びかける。先にお風呂に入っていたらしい、髪は濡れて頬は紅く茹っている。
「おう立香、昨日のひじきが残ってるからよ、そいつも出しといてくれ」
「はいはい。冷奴もあるけどどうする?」
「……そいつもだ!」
言いながら、祖父はお椀にお米をよそっている。熱々の湯気が顔に直撃しても微動だにしない。さすが鍛治職人だ。しかし立香のお椀にまでお米を山のように盛るのはやめて欲しい。育ち盛りとはいえ、横方向に育つのはNGである。
「いただきまーす」
まあるいちゃぶ台を2人で囲み、両手を合わせてから箸を手に取る。うん、今日のお味噌汁も美味しくできた。
祖父はいただきますを言ったらさっさとテレビをつけてニュースを見ている。株価がどうとか、野球がどうとか、立香にはまったく興味が湧かなかった。流行りのスイーツでも教えてくれればいいのに。
「……次のニュースです。F市に現れた猪型怪獣を、魔法少女が討伐したとのことです。怪獣の発生源は未だ不明で──」
「……ちっ、警察はなにやってんだか」
祖父らしからぬ、棘を含んだ言葉にびっくりする。口は悪いが、誰かを悪く言うような人ではないのに。珍しい。
「……おじいちゃんは、魔法少女、嫌いだったっけ?」
もしかして、そういうことだろうか。祖父は魔法少女に、なにか嫌な思い出でもあるのかもしれない。特にそんな話は聞いたことなかったが、孫が高校生になるくらいには長生きしているのだ。遠い過去になにか因縁が、あったりなかったり……?
「あん?いや、んなこたぁねえよ。会ったこともないしな」
「あっうん、だよねー」
違うらしい。よかった!家族が魔法少女嫌いなのに自分は魔法少女本人ですなんて、もうどんな顔して生活したらいいのかと。
でも、ならばなぜ舌打ちなんてしたのか。もしや警察の方と何かあったのか。柄の悪い祖父だから、もしかしたら若い頃はヤンチャしていたのかもしれない。でもその年でケンカするのはやめてね。
「いやな、魔法少女ってのはよ、まあ随分とけったいな格好とけったいな魔法で敵と戦ってるが」
「けったいな……うん……」
「結局のところ、まだ年端もいかねえガキだろ。いや実際の歳は知らねえが。それでも、まだ親元で暢気に飯食って勉強してダチと馬鹿やって遊ぶような、それぐらいの子供じゃねえか。……そんなのにばっか戦わせてよ、大人は守って貰ってばっかじゃあ、立つ背がねえな、と思ってよ」
「…………」
「まあ、あれだ。嫌いとかじゃなくて、ほら。俺がもう10年若けりゃ、あんなチンドン屋みてえな悪党どもはズバッと斬り捨ててやったんだがな、って事だ」
「……いやあ、刃傷沙汰はだめでしょ、おじいちゃん」
「ばーか、ちゃんと峰打ちにするっての!」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ祖父を尻目に、立香はホッと胸を撫で下ろした。要するに、祖父は魔法少女を心配しているのだ。ぶっきらぼうな人だから、ちょっと分かりづらかっただけで。
味噌汁を口に含む。あったかい。魔法少女のニュースが流れた後もテレビを祖父はまたじっと見つめていたが、不意にこちらを見つめてきた。
「そういや立香、お前、昔は大きくなったら魔法少女になる!なんて言ってたくせに、最近はめっきりそういう事言わなくなったな?」
「ぶふっ」
口から味噌汁が噴き出る。何を言うかと思えばこの祖父は、立香の目下の悩み事である高校生魔法少女問題に豪速球を打ち込んでくる!
「もう、おじいちゃんたら!私もう高校2年生だよ!?そんな子供っぽいこと言わないよ!」
「おお、そうか?いや、ちっせえガキ見たら立香の子供の頃を思い出してな。あんなに熱心に魔法少女を応援してたもんだから、今でも好きなんじゃないかと思ってな!」
「う……まあ別に嫌いとかじゃないけど……この年で魔法少女とかは流石に……」
「俺に言わせりゃ立香もまだまだガキなんだが……まあ悪かったよ。ほら、さっさと食おうぜ!」
ニュースは終わり、バラエティ番組が始まる。祖父はもう魔法少女の話題には触れなかったし、私も蒸し返そうとはしない。
そのまま夜は更けていく。お風呂に入って、ドライヤーをして。課題をこなして、明日の準備をしたら、今日はもう終しまい。奇妙な男の事も、魔法少女のお悩みのことも、明日の私に任せよう。なんだか随分くたびれていた。布団に包まれて目を閉じる。おやすみなさい、また明日。
☆☆☆
「……って、全然何も解決してなーい!昨日の私の馬鹿ー!」
ジリリリリリリ!とけたたましく鳴る目覚まし時計をぶっ叩き飛び起きる。自分で思っていたよりも、女子高生と魔法少女の二足の草鞋は疲れが溜まっていたらしい。スマホの方のアラームはスヌーズが繰り返された跡がある。
時刻は8時。今日は土曜日だが、地域の清掃活動のボランティアがあるから登校しなきゃならないのに!
布団を蹴っ飛ばし飛び起きて、壁にかけてある制服をすっかり着込むと、鞄を引っ掴んで部屋から飛び出す。階段を駆け降り、洗面所で顔を洗って髪を結い居間へ飛び込むと、先に朝ごはんを済ませた祖父が新聞を読みながら緑茶を飲んでいた。
「おはよう、朝っぱらから元気だな」
「おはようおじいちゃん!ごめん今日は朝は食べないから!」
「おいおい、大丈夫か?握り飯くらい作ってやろうか?」
「ごめん、ほんとに時間ないのー!」
挨拶もそこそこに玄関へ走る。居間の時計は8時10分を指していた。駅まで7分、8時20分の電車にはギリギリ間に合うだろう。間に合ってくれなきゃ困る。
だん、だん!とむりやりローファーに足を突っ込んで、引き戸を開け放つ。
「行ってきます!!」
「気をつけてな〜」
居間から顔を覗かせたのだろう祖父の声を閉じた引き戸越しに聞き、走り出す。
あと10分で駅までたどり着くには、いつもの坂道を駆け下りないといけない。自転車を使えばすぐなのだが、あいにく坂の多いこの住宅街に自転車は不向きで、また駅前の駐輪場はいつもスペースがないから、登下校で自転車は使えない。とにかく走るしかない。
「うおおおおお、間に合えーー!」
☆☆☆
数多の赤信号に阻まれつつもなんとか電車へと駆け込み、時間内にに登校することができた。急な全力疾走で酷使した埋れたての子鹿のように震える足を引きずりながらも、ボランティアの清掃活動をつつがなく完了させる。登校時はなんだかやたらめったら赤信号だった気がするし、清掃活動中もやたらと虫が引っ付いてきたが、まあそういう事もあるだろう。大きな問題はなかったのでヨシとしよう。
PTAやら自治会の人やらに感謝の言葉を送られ、参加した生徒たちは解散。教師陣にはまっすぐ帰宅するよう言われたが、誰がそんな言いつけを守るのだろうか。立香をはじめ、幾人もの生徒たちは駅前の繁華街でたむろしている。
「う!……また失敗した」
「またやってるの?フランちゃんはそれ好きだよねえ」
「お菓子がいっぱいあるから……みりょくてき。あらがえないゆうわく……」
「あはは、まあそれはそうかも?」
一緒にボランティアに参加した友人と、小さなショッピングモールのゲームセンターに来ていた。バイト禁止の高校生の行ける場所は限られている。少ないお小遣いで遊べるここは、学生たちの恰好の遊び場だった。
「りつか。お菓子、ちょっとだけ取れたから……あげる」
「いいの?フランちゃんのなのに」
「う。……一緒に、食べたかったから」
「ありがと〜!実は朝ごはん抜いてきたから、お腹ぺこぺこだったんだよねえ」
「う?いつもはたくさん食べるのに……天変地異のまえぶれ?」
「違いますぅ〜ちょっと寝坊しただけですぅ〜!」
隣の椅子に座る友人を肘で小突く。くすくすと静かに笑う彼女は、高校入学以来の友人だ。病弱で中学は休みがちだったらしく、今日のように遊びに誘うととても楽しそうにしてくれる、友達甲斐のある子だ。
「……でも、それなら今日は、はやく帰ったほうがいいんじゃ、ない?おなか、空いてるなら」
「え〜?大丈夫だよお、ちょっとぐらい!」
「う。……私も今日、ぱぱとランチの約束なの、忘れてた。はやく帰らなきゃだから」
「あ、そうなの?それならしょうがないかあ。じゃあ、バス停まで送るよ〜」
「ありがと、りつか」
モール内の時計をチラリと見ると、12時半を回ったところだった。お昼時。道理で人が増えてきている。以前は病弱だったらしい彼女を、あまり人混みに紛れさせない方がいいだろう。肩を並べて歩いていく。
バス停に着くと、ちょうど目的地行きのバスが来るところだった。
「う。あんまり遊べなくてごめんね。またまそぼ」
「うん、また遊ぼうね!」
バスに乗り込んだ友人は窓越しに手を振っている。こちらも手を振りかえしていると、すぐにバスは発車して行ってしまった。
「……んじゃ、私も帰るかあ」
ぐう。腹の虫も空腹を訴えている。音楽でも聞きながら帰ろうとスマホを取り出すと、通知が一件届いていた。
『すまん!急な用事で外に出る事になった。帰るのは月曜になりそうだから、家の事は頼んだ』
……どうやら、休日は一人きりの侘しい食事になりそうだった。
祖父もいないなら仕方ない。昼はお弁当でも買って、適当に済ませておこう。
バス停から少し歩けば、すぐにコンビニが見えてくる。古い商店街にほど近いこのコンビニはいつも人が少ない。売れ残りのコラボ商品、立ち読みする眠そうな人、チャラいアルバイト。自分の街ながら田舎っぽいなあ。そう思いながら自動ドアを潜ろうとする。
「…………………ん?」
自動ドアを潜ろうとする。潜りたい、のだが、ドアが開かない。ドアとは50センチほどの間隔を空けて立ち尽くす。
ぴょんぴょん。飛び跳ねる。開かない。
ひらひら。手を振ってみる。開かない。
実はタッチで開くタイプのドアに変わっていて……ということもない。よく見る普通の自動ドアだ。開かない。
「す、すみませ〜ん?店員さん、これ開かないんですけど〜!?」
レジで作業をしている店員に向けてブンブンと手を振りまわす。幸い、数回で店員はこちらに気づいてくれて、ドアまで駆け寄ってくる。
ウィィィン。
「あれっ?」
「お客さん、大丈夫っすか?や、申し訳ないっす、ドアのセンサーの不具合だと思うんすけど」
「あっいえこちらこそすみません!なんか反応しなくって……ありがとうございます〜」
すすすすす、と店員に愛想笑いしてコンビニに入る。ドア、なんで反応しなかったんだろ。まあ、そこそこ古いコンビニだし、そういうこともあるかな。
そんな事を考えながら、そそくさと店の奥へ向かう。今日は何を食べようかな。唐揚げ弁当か、生姜焼き弁当か……
「……………え?」
ない。お弁当がない。真っ白な棚しかない。
お弁当どころか、おにぎりもサラダもパスタもない。……平日ならともかく、休日の昼間なのに?しかし商品棚はすっからかんである。
ちらり、とレジのホットショーケースを見る。
こちらも、ない。何もない。チキンもアメリカンドッグもポテトも、蒸し器の肉まんピザまんあんまんも、およそお昼ご飯になるものはすべて売り切れている。……………なんで?
呆然としていると、こちらの視線に気付いたのか先程の店員が声を掛けてくる。
「すみまっせん、今日午前にお客さんがたくさん来て、ご飯系は売り切れちゃったんっすよ。あのー、パン系なら少し在庫あるんで、よければそっち見てって下さい」
「あ、はい……ありがとうございます……」
微妙に砕けた口調の店員が、思ったより丁寧に説明してくれた。
そっかあ、売り切れちゃったか……じゃあ仕方ないかな……?
まあ、そういう日もある、よね。よし、気持ちを切り替えていこう。パンがあるならそっちを食べればいいじゃない?うんうん、なんだかパンの気分になってきた!
棚をぐるっと回り込んで、パン売り場に辿り着く。さあ、今日は何を食べようかな。カレーパンか、焼きそばパンか……
「……………え?」
ない。パンがない。金属のラックしかない。
いや違う、少しだけ残っている。
メロンパンと、蒸しパンと、チョコを練り込んだもっちりパン。どれも菓子パン、いつもはぎっしり並べられているお惣菜パンはなぜか全滅していた。…………なんでぇ?
育ち盛りの女子高生に、朝ごはん抜きの女子高生に、カロリーマシマシ砂糖マシマシの菓子パンだけを食べろというのか。お肌が荒れちゃうでしょ!
……でも、もうこれしか残っていないのは事実。いつものスーパーは遠いし、正直もうお腹減りすぎて力も入らなくて、動けなくてェ……
仕方なく菓子パンを一つ手に取る。選ばれたのはチョコのもっちりパンでした。これと野菜ジュースで今は飢えを凌ぐとしよう。帰りにスーパーで晩御飯と、何かパクッと食べられるものを買えば良い。
パンと野菜ジュースを手に持ち、レジで精算をしてもらう。
「お会計256円になりまーっす」
現金300円をキャッシュトレーに置く。クレカは持たされていないのである。
「44円のお釣りになりまっす。あざざしたーっ」
44円かあ……嫌なゾロ目だな……いや、まあただの語呂合わせっていうか、親父ギャグみたいな揚げ足取りなんだけど……
お釣りを財布に、パンと野菜ジュースを学生鞄に詰め込む。「ありやとーございやしたーっ」とチャラい店員が生真面目に掛けてくる声を背にコンビニから出て、公園へ向かう。
バス停までの道のりを少しばかり引き返せば、すぐに公園がある。住宅街と商店街がほど近いこの公園は、いつもは子連れの家族や走り回る小学生などがいるのだが、休日といえど昼ごはん時だからか、今は人っ子1人いなかった。
閑古鳥の鳴く公園のベンチにぐてっと座りこむ。
なーんか疲れちゃった。遊んでる時は全然元気だったのに。やっぱり朝ごはん抜きは良くないのかな、これからは気をつけよう。
とは言っても、魔法少女の出動はいつも突発的に発生するものだし、学校は皆勤賞を逃したくないしで、気をつけてもどうしようもないんだけど。
しかし学生の本分は学業だ。今日もボランティアとはいえ学校行事の日だというのに、寝坊して朝から大慌てで。疲れが溜まっているのだろうな。学生としても魔法少女としても、全然上手くやれてる気がしない。
(そろそろ、潮時かもね)
立香ももう高校2年生だ。あと半年もすれば志望校を決め、受験勉強を始めなければならならない。その時、私生活を犠牲にしてまで魔法少女を務めようと思えないだろう。遅かれ早かれ、立香は少女ではなくなるのだから。自分の将来を見据えて行動しなければ。
(来年か、どんなに遅くても卒業までに後任とか見つけて、出撃を減らさないとヤバいよね……広い街をマシュ1人に任せられないし……でも、魔法少女のことは口外禁止って言われてるからなあ、どうしよう)
あれもこれも、悩みは尽きない。
……そういえば、悩みはそれだけではなかったのだった。
思い出す。あの男、昨日のあいつは、何だったのだろうか。ヤのつくご職業なら警察任せだが、そうでないなら。見たことない姿だったが、もし悪の組織や、それに類する輩なら?
……むう。
やっぱり早いとこ後任を探さないとかなあ。
結局、いつもと同じことを考えながら、菓子パンの袋を開けて中身に齧り付く。あ、美味しい。商品名にもっちりと付くだけあって、とてももちもちしている。白と黒のマーブル模様に練り込まれたチョコもしっかりと存在感を出していて、なんというかこう、うん、美味しい。
へったくそな食レポを心の中でこなしつつ、二口、三口とパクついていく。あまーい菓子パンを食べていると喉が渇くので、そう、こんな時のために野菜ジュースを買っていたのだよ。
菓子パンを膝の上に置き、野菜ジュースを取り出す。ストローを深くまで刺してちゅーっとオレンジ色を吸い上げる。ああさっぱり。我ながら良いチョイスだった。しかしまだまだお腹は空いている。空腹の胃袋を満たすべく、菓子パンに手を伸ばす……
「カァーッ!」
「!?」
……よりも先に、私と菓子パンの間に滑り込む黒いものがあった!
ごうっ、と風切り音を立てた黒いものは、一瞬で距離を詰めたかと思うと私の膝をばしっと叩いて、再び空へと飛翔する。……え、なにあれ、公園の閑古鳥?いや違う、閑古鳥は慣用句のようなもので、カッコウの別名ではあるけどあれはどう見ても真っ黒くろすけ、というかカラス……?なんでぶつかってきた……?
ぽかん、と遠ざかるカラスを眺めていると、足に何か掴んでいるのが見えた。白と黒のマーブル模様、丸くてもちもちなあれはそう、私のお昼ごはん。
ばっ、と膝の上を見ると、そこには無惨にも取り残されたビニールの包装しか残っていなかった。
「……こらあー!人のお昼ご飯を盗るなー!返せバカーーー!!」
カラスは律儀に「カァーッ!」と返事だけして、バサバサとやかましい音を立てて羽ばたいていった。羽の生えていない立香は、まさかこんな所でパンを取り返すためだけに魔法少女に変身するわけにもいかず、小さくなる黒点を見送ることしか出来なかった。
「うう……そんなあ……私のお昼ご飯………」
なんなのだろう、今日は厄日か何かか?
朝から寝坊して、全力疾走して、でも赤信号ばっかりで、虫がやたらと引っ付いてきて、自動ドアは反応しなくて、お弁当は売り切れで、パンもほとんど売り切れで、お釣りは不吉なゾロ目で、しまいにはカラスにお昼ご飯を盗られる?
私、何か悪いことしたかなあ!?真面目に魔法少女と女子高生やってるんだけど!いや、今日はまあ、学校帰りにゲーセン行ったけど……
ジューっ、と残された野菜ジュースを啜りながら、恨めしく空を睨んでいると、突然、大きなものに日光が遮られる。
「ク、ふ、ふふふふふふふ…………!いやはや、見事に鳶に油揚げを攫われましたなあ!いえ、烏でしたが。ははは!」
男だった。黒い男だった。いつの間に近づいたのだろう、立香のすぐそば、ちょうど太陽を遮るようにして、その男は立っていた。
黒いスーツ、黒いシャツ、黒いネクタイ、黒いサングラス。黒と白の、奇妙に渦巻いた、身の丈ほどもある長い髪。
一度見たら忘れられない、異様な風貌。
あの男が、すぐ側で立香を見下ろしていた。
「このような所で、お若い方が1人で昼食とは。ンン、少しばかり心配になってしまいますぞ?」
……なんでここにいるんだろう。昨日の今日で、偶然遭遇するなんてことある?しかも、ここまで近づかれないと気付けなかったなんて。どうしよう、本当に、悪の組織の人間だったら。
私を見下ろす黒い男は、予想外の遭遇に驚き固まっている私を見て、微笑んだまま少しだけ首を傾げた。
「如何されましたか、そんなに大きな口を開けて。飴でも放り込みましょうか?」
「……あ、飴?いやその、びっ……くりして。なんでここにいるんですか、ええと……あしやさん?」
「拙僧ですか」
あしやさんは傾げていた首を戻して、私の目を覗き込むように見つめてくる。
「なに、あちらの商店街の方へ買い出しに出ていたのです。事務所が近くなもので」
「ああ、なるほど、事務所が……」
あしやさんは、確かに左手に2つビニール袋をぶら下げていた。1つからはコピー用紙とペンのようなものがうっすらと透けて見える。
そういえば、貰った名刺の住所もこの辺りのものだった気がする。それで遭遇してしまったのか。……ほんとに偶然?
「貴女はどうされたのですか?休日だというのに、学生服のようですが。部活動でしょうか」
「あー、えと、学校主催の、地域清掃のボランティアがあって……午前で終わったので、お昼を食べようと思って、ここに」
「なるほど。ボランティアとは、良い心がけですね」
にこにことあしやさん、の口元が笑っている。サングラスを掛けたままなので、目元は見えない。のに、少しも逸らさずにこちらを見つめ続けている、気がする。
「しかし、折角日頃から善行を積んでおられるというのに、烏に昼餉を掠め取られてしまうとは。いやはや、なんとも世知辛いものですなあ」
「あはは。まあ、カラスも生きるのに必死なんでしょうから、仕方ないんですけどね」
「ははあ。畜生風情にも慈悲をお掛けになるとは。まこと、正しき心をお待ちのお方だ」
いや畜生て。ひどい言いようだな……やっぱりヴィランなのでは?
「ふむ。……どれ、ここで会ったのも何かの縁。お優しい貴女に、拙僧からこちらの品を差し上げましょう」
そう言いながら、あしやさんは持っていたもう一つの袋から無造作に紙の箱を取り出す。側面にあるロゴは、私も知っている有名なお惣菜のチェーン店のものだった。
赤い紙で出来た箱は湿気てふやけていたが、隙間から漂う芳しい香りが、中身が出来立てでまだ温かいことを予想させた。はらぺこ女子高生にはちょっとばかし刺激の強い香りだ。ごく、と唾を飲みむ。
「商店街の福引で、肉饅の引換券が当たったもので。これも何かの巡り合わせでしょう。是非召し上がって下さいませ」
「ええっ?い、いや悪いですよそんな。せっかくの肉まんですよ、あしやさんが食べましょうよ」
「それが拙僧、本日はすでに昼食を頂いておりまして……とてもではありませんが、これ以上は腹に収まらぬと悩んでおったのです。出来立てを、貴方のような可愛らしいお嬢さんに食べていただければ、これを作った者も喜ぶと思うのですが……」
眉尻を下げるあしやさんは、本当に困っているように見えた。芳しい香りが鼻をくすぐる。どうしよう。あしやさんも善意で言ってるんだろうし、肉まんを受け取る?でも知らない人からものを貰っちゃダメなんだぞ。でもでもあしやさんも困っているし、人助けだと思って。いやいやしかし。
ぐだぐだと頭の中で議論が行われるなか、せっかちな腹の虫が、ぐ〜!と立香の理性に抗議の音を立てた。
びゃっとお腹を抑えてあしやさんを見る。あしやさんは一拍置いてから、苦笑をこぼした。ばっちり聞かれていたらしい。
「……貴女はいつも腹を空かせておりますなあ。いやはや、育ち盛りとは大変なものです」
「ううう……」
「ささ、冷めないうちにどうぞ」
「ふぁい……ありがとうございます……」
しょぼしょぼと肉まんを手に取る。あつあつではないが、まだ十分にあったかい。
封を開けて手渡された辛子をつけて、はぐ、とまん丸の肉まんに齧り付く。うう、ホクホクでジューシーで、とっても美味しい。
「あむあむ……もぐ!ありがとうございまふ、ふごく美味しいでふぅ……!」
「ふふ、それは何より」
眉尻を下げて笑うあしやさんは、今の私には菩薩か何かに見えた。なあんだ、優しい人じゃないか。やっぱり私の変な勘違いだった。ふかふかの美味しい肉まんに夢中で齧り付いて、あしやさんを見つめる。
「もぐもぐもぐこのご恩はいつかもぐもぐちゃんと返しまふもぐ!もぐもぐもぐ」
「ンンン、そこまで喜んで頂けるとは。では早速、ひとつお願い事があるのですが、宜しいかな?」
「…………もぐ?」
…………え?あれ、これやっぱ食べちゃダメなやつだった?もしかして、最初から私に何かしらを吹っ掛けるつもりで話しかけてた……?
やばい。空腹のあまり危機感が欠如していたかもしれない。昨日出会った時の警戒心がすっかりなくなっていた。でももう肉まん食べちゃったし……どうしよう、さっさと逃げようか、それとも話ぐらいは聞いておくか……?
「そう警戒なさらず共よろしい。ただ、拙僧の事務所へ来ていただきたいのです」
「それは……なぜ?」
「ン」
つい、とあしやさんが地面を指差す。……いや違う、指しているのは地面じゃなくて、私の膝。
「……膝がなにか?」
「気付いておらんのですか。貴女、先ほどのカラスに足を傷付けられておりますよ」
「え?……ああ、ほんとだ。まあ、唾でも付けとけば治りますよ」
「ンンンなりませぬなりませぬ。唾液にどれだけの雑菌がいると思って……いえそれだけではなく。野鳥に引っかかれたのです。血こそ出ておりませんが、早めに処置をした方が良いのですよ」
「はあ、そういうものですか」
ぼんやりした私の返事に、あしやさんは肩をすくめて首を横に振る。むむむ。これぐらい大丈夫だと思うんだけどなあ……しかし、思ったより変な要求じゃなかったな。
あしやさんを見る。彼は変わらずこちらをじっと見つめて淡く微笑んでいる。本当に心配しているのか、それとも何かの罠なのか。うーん……この人、雰囲気はめちゃくちゃ胡散臭いけど、今のところ何も悪いことしてないんだよなあ……