悪役キャラに転生したので破滅ルートを死ぬ気で回避しようと思っていたのに、何故か俺が勇者に攻略されそう 壱 青天の霹靂
青天の霹靂。
まさにその一言に尽きる。
その日、リフキンド領は快晴だったという。雲一つなく穏やかな陽気に誘われて、領主リチャードと二人の愛息子は広大な庭を散策していた。
しかし、穏やかだった空は俄に掻き曇り、雷鳴が大地を空気を揺るがした。
突然の嵐に慌てた領主リチャードはメイドに言い付けてティーセットを下げさせ、長男であるティモシーを側近の男に抱かせて屋敷へと戻らせた。あとは次男ノアである。
当時3歳だったノア・リフキンドは不幸な事に皆から少し離れた木の下にいた。
「ノア、戻りなさい」
ノアは当時まだ3歳であった。幼いながらも父に呼ばれ、おぼつかない足取りで父の元へと戻ろうとした瞬間だ。
一際大きな雷鳴と蒼い閃光、それから衝撃が奔る。その場にいる者達は一瞬何が起きたのか分からなかった。
閃光に灼かれた視界が晴れた時、人々の目に入ったのは芝生の上に倒れ伏した小さな体であった……。
ふと意識が浮上する。
ぼんやりとする視界は薄暗く、どうやら夜らしいと思考の片隅で思った。起きようと身動いだ体を襲うのは奇妙な気怠さだ。
大昔、風邪を拗らせて長く伏せった後、体が衰えた時と感覚が似ている気がする。そもそも俺はいつの間に寝たんだっけ。
何とか体を起こした俺の視界に飛び込んできたのは広大な白い布の海。見覚えの無さに驚きながらも良くよく見てみれば、それがシーツなのだと気が付いた。なんだか妙に広いベッドだ。
ますます現状に混乱していれば、右方向からガタリと物音がした。ゆるりと視線を動かせば、そこにいたのは見覚えのある人だ。
「ノア! 目が覚めたのか!!」
歓喜の声と共に俺を抱き締めてくれるのは『父』だ。ん? いやいや、うちの親父はこんな美青年じゃない。もっと極々普通の日本人で、ビール腹とちょっと下がり始めた生え際を気にしていて……。
そこまで考えて記憶の齟齬に気が付いた。ここは俺の部屋ではない。
ぐるりと見渡せばいかにも西洋貴族ー!! みたいな内装をした部屋だった。白い海だと思ったベッドもただ純粋にめちゃくちゃに広い。
あちらこちらにある角の生えた兎やドラゴンのぬいぐるみは俺のものだ。んん? いや、俺は今年で17歳になる。高校ではサッカー部に入っていて補欠ながら頑張っていた……あれ? 頭の中がごちゃごちゃだ。まるで二つの記憶が同時に存在しているような……。
そこで先程『父』が俺の事をノアと呼んだ事を思い出した。ノア。どこかで聞いた事があるような気がする。
何処だっけかとうんうん悩んでいる所で俺の事を抱き締めていた父が体を離す。いつもきっちり整えられていた銀色の髪は乱れ、顔は見た事がない程憔悴していた。
蒼い瞳に涙を浮かべながら俺を見つめる瞳に何となくこうなる前に起きた事を思い出す。確か、父と兄と使用人とで庭に出たのだ。とても天気が良かったから。
侯爵家の庭は広くてあえて手を加え過ぎない事で自然に近い風景を再現していて、俺はその中でも一本の木がお気に入りで。甘い香りのする白い花が咲くその木の下で遊んでいたら突然父に呼ばれた。
そして、呼ばれるまま父の元へと向かう途中、つんざくような轟音と蒼い光、それから衝撃が全身を襲って……そこからは記憶がない。
「お前は雷に撃たれたんだ。目が覚めて本当に良かった……!」
そう叫んで再び俺を抱き締めてくれる父の言葉に愕然とする。何がなんだって?
恐る恐る視線を下げて自分の体を見てみれば、覚えのある自分の手より遥かに小さくて白い。その小さな紅葉のような白い手を見た瞬間、俺は衝撃のあまり再び意識を手放した。
2
翌日、朝陽の中で俺は目が覚めた。
戦々恐々しながら部屋を見回してみてもやっぱりここは小さい子が好みそうなぬいぐるみが沢山ある西洋貴族の部屋だ。相変わらずベッドは不釣り合いな程広くて、よくよく見れば天蓋まで付いているお貴族様仕様。
ぼんやりする頭のまま、ふらつく体で何とか高いベッドから降りようとした。やはり体が覚えている自分の体より随分小さくて動くのにいちいち違和感が付き纏う。
転びそうになりながら床に降りれば、足元は柔らかな絨毯だった。見るからに織りも図柄も緻密なそれは俺でも高級品と分かる代物。恐る恐る踏みながら向かうのは部屋の隅に置いてある姿見だ。
毎朝メイドに身支度してもらう場所。俺はメイドさんに身支度してもらった覚えなんてないのに、確かに記憶に存在している。
名前はメアリーだ。茶色の髪をおさげにしているのが可愛らしい、姉のような存在の人。
心臓が早鐘のように鳴り響く中、鏡に自分の姿を写して見る。
そこにいたのはひとりの可愛らしい幼児だ。さらさらの銀色の髪にくりくりした宝石のような蒼い瞳。身長は俺の記憶にある身長の膝くらいしかない。
思わず眩暈がして尻餅をつけば、鏡の中の幼児も同じように尻餅をついた。嗚呼、やっぱりこれが俺なのか。
ぺたりと頬に触れれば、もちもち柔らかく滑らか。俯いた視界に入る髪は日本人の見慣れた黒髪ではなく艶やかな銀色。掌は真っ白で柔らかく、ろくに手入れもせずに日焼けしていた俺の知る手とは程遠い。
『異世界転生ってのが今の流行りなんだよ』
ふと流行りの漫画やアニメの話をしていた同級生の話が思い出される。曰く、死んだり神様に呼ばれた人間がアニメやゲームなんかの異世界に飛ばされ、登場人物に転生して破滅するフラグを回避するとかしないとか。嘘だろとは思いつつ、目の前の鏡は嫌でも現実を突き付けてくる。
そういえば、父は昨夜俺の事を『ノア』と呼んだ。朧げなもう一つの記憶の中でもそう呼ばれていたからこれが今の俺の名前なのだろう。
姓はなんだったか……。記憶を掘り起こしてみれば、それらしい響きが思い出された。
「ノア・リフキンド……?」
その名の響きには覚えがある。同時にサーッと血の気が引くのを感じた。
ノア・リフキンド!! よりにもよって!?
いきなり幼児になっただけでも十分すぎるくらいショックなのに、更に深い絶望感を覚えて足元に真っ暗な穴が開いている気分だ。
「まてまて、そんなのうそだ。ゆめにちがいない」
自分を落ち着かせようと声に出すが、聞き慣れた自分の声とは全然違ってずっと高くて舌ったらずだった。ありとあらゆる絶望に打ちひしがれている俺を他所にドアがノックされる。
程なくして入ってきたのはメイドのメアリーだ。記憶にある相貌より随分と憔悴している彼女は鏡の前でしゃがみ込む俺を見て緑色の瞳を潤ませた。
「ノア様! 良かった、本当に良かった……!!」
駆け寄ってきたメアリーに強く抱き締められて安堵を覚える。これはきっとノアの記憶と感覚だ。優しい花のような香りのする彼女はいつもこうして抱き締めてくれたから。
自分の意思とは無関係にじわりと視界が滲む。精神がノアの方に引き摺られているのかもしれない。声を挙げてなるものかと唇を噛み締めながら嗚咽していれば、メアリーにそっと頭を撫でられた。
「もう大丈夫ですよ、ノア様。お怪我も問題ないとお医者様も仰ってましたから」
メアリーはそう言うが、俺にとっちゃ人生を懸けた大問題だ。
何故なら、ノア・リフキンドは17歳でこの国を壊し尽くして死ぬ運命なのだから。
3
ノア・リフキンド侯爵令息。
人気ゲーム「レイヴンズクロフト戦記」における主人公のライバル的存在である悪役だ。
レイヴンズクロフト戦記はいわゆるアクションRPGで、主人公であるアーサーが孤児から成り上がっていく英雄譚である。ストーリー自体は良くあるもので、魔物の王が復活したから聖剣に選ばれた者が魔王討伐に出て、仲間と共に様々な困難を越えて最後に魔王を倒してハッピーエンドを迎えるという王道ものだ。俺も好きでハマって100%クリアまで粘ってやったものだった。
問題はノア・リフキンドだ。
彼は序盤から登場する悪役キャラ。悪役とはいえ前半の役割は小悪党そのもので、聖剣に選ばれたアーサーに嫉妬して事あるごとにあれこれ嫌がらせをするのが主な役割だ。そして、紆余曲折の果て最終的にノアを待つのは破滅。
ノアはアーサーに対して抱く負の感情を勇者を亡き者にしようとしていた魔王に目をつけられて精神汚染を受けて操られる。そして、自らの父や兄を手に掛けて領地を乗っ取り、魔王軍の嚆矢として散々利用された上に最期は醜い化け物へと変えられてしまう。
ボスとしてはかなり強敵になるのだが、それでも魔物はいずれ勇者に倒される運命にある。倒されたノアは消滅する最期の瞬間までアーサーに対する怨嗟を吐き散らかして死んでいく……。
俺はそんなノア・リフキンドになってしまったらしい。
そもそも俺はどうしてこうなっているのだろうか。元の世界の俺はどうなっているのか。
ノアとして目を覚ます直前の記憶は部活でサッカーをしていた時の事だ。パスを受けて、ゴール目掛けてボールを蹴ろうとした瞬間に襲ってきたのは轟音と青白い閃光、それから体を貫いた衝撃。そこで俺の意識は途絶えた。
現代日本にいた俺は死んだのだろうか。もしそうだとしたら、父さん、母さんは悲しんでいないだろうか。チームメイトや相手選手達に怪我はなかっただろうか。色々な事を考えているうちに気分がどんどん重くなっていく。
それに、元々この体にあった筈のノアの意識はどうなっているんだろうか。次々湧き上がってくる不安は尽きない。
ぐるぐると深く沈んでいく思考にはーと深い溜息をつきながらノアのお気に入りである一角兎のぬいぐるみを抱き締めながらベッドの上で寝返りを打つ。頬に触れるふかふかな毛並みだけが今の俺の癒しだ。
目が覚めてから3日。だんだん記憶の混線もパニックも落ち着いてきてやっと冷静に物事を考えられるようになってきた。
ここはやはりレイヴンズクロフト戦記の世界で間違いないらしい。それとなく聞こえてくる単語や地名。そして、何よりも魔法がそれを証明している。
そう、この世界には魔法があるのだ!
誰だって一度は憧れるであろうあの魔法だ。しかも、ゲームで描写されていたよりもずっと生活に浸透しているようで、当たり前のように魔法を目にした。メイドや使用人が魔法を使用する度に目をキラキラさせる俺に、リフキンド家の人は皆微笑ましそうにしてくれている。
リフキンド家は国の西方に位置しており、魔の山と呼ばれる瘴気に覆われた山に程近い辺境に領地を持つ。その理由はリフキンドの一族が高い魔法の素養を持って生まれてくるからだ。
彼等は何代にも渡って国と魔の山との間に結界を張り、それをずっと維持してきた。時には結界を擦り抜けて侵入してくる強力な魔物達と戦い、国を守る誇り高き魔法使いの一族。
ノア・リフキンドもその一族の血をしっかりばっちり受け継いでおり、作中の彼は中盤からは強大な魔法使いとしてアーサー達の前に立ちはだかる事になる。その研鑽の方向性を間違えなければ、勇者は無理でも英雄くらいにはなれた筈だと言われた実力は確かだった。
だが、ノアはそれでは満足出来なかった否、自らが秀でた血統に生まれたが故に、庶民、それも孤児であったアーサーが聖剣に選ばれた事を受け入れられなかったのだ。初めは小さな嫉妬心だったかもしれない。しかし、成長に伴ってその負の思いは徐々に大きくなり、やがて魔王によって最悪の形で開花する。
ベッドから体を起こして窓の外を見る。外は快晴で、ビルなんかの高い建物がないから二階にある俺の部屋からは遠くまで良く見渡せた。
地平線まで広がる丘一面の麦畑の間には小さな人影が忙しそうに行き来している。麦畑の間にある道は荷車を引いた馬がのんびりと歩いていて、庭からは小鳥の声が聞こえてきた。
この世界には何処にでもある平穏な光景。それを14年後の俺は自らの手で壊すのだ。
そう考えてゾッと背筋が冷えた。父も母も兄も、メアリーも。目が覚めてから関わった人達は皆良い人達ばかりだ。ゲームのノアにも同じ家族が居た筈なのに、彼は自らの家族すら手に掛けた。
NPCの台詞でしか語られなかった存在も、ここには実在している。俺はいつか彼等を自分の手に掛けてしまうかもしれない。
確定した未来ではないが、シナリオによる強制力があるのならばきっと逃れられない。何故あの落雷で死ねなかったのか。胸の奥に蹲るのはそんな暗澹とした気持ちだ。
1日が終わり、メアリーに寝かし付けられても脳裏に浮かぶのはそんな暗い想像ばかりで眠れない。寝たふりでメアリーをやり過ごした後、真夜中にそっとベッドを抜け出して暗い屋敷の中をよちよち歩くが、暗闇に染まった廊下を歩くうちに余計に気分が沈んできた。
眠れそうにもなく、暗く澱んだ気持ちは螺旋を描くようにどんどん沈んでいく。真っ暗な屋敷の廊下は俺に待ち受ける未来のようだ。
「ノア」
鬱々とした気分のまま覚束ない足取りで屋敷を彷徨っていれば突然後ろから名前を呼ばれた。
「にいさま」
驚きながら振り返れば、兄であるティモシーがいた。その手にはノアのお気に入りである一角兎のぬいぐるみとブランケットが。
「眠れないの?」
そっと声を掛けてくれる兄の声は優しい。俺よりも三つしか違わない筈なのに、随分しっかりしていると思う。
兄の問いにこくりと頷いて見せれば、兄は俺にぬいぐるみを渡してきた。ついでにブランケットでぐるぐる巻きにされる。質の良いブランケットは柔らかくて暖かく、ささくれだった心が少しだけ慰められる。
「怖い夢でも見た?」
続けられる問いに、悩んでから小さく頷いて見せる。少しでも不安を吐き出さなければ、押し潰されそうだった。
ノアが迎える未来は俺にとって身近な人を不幸にしてしまう。優しいこの兄だって、俺は……。
「ノア、不安な事があるなら兄様に話してごらん」
兄は俺の嘘に気が付いていたらしい。抱き締めてくれる兄の腕の温もりに、優しい言葉に、俺の幼い精神はあっさりと瓦解した。
「僕はいつかにいさまやとうさまをころしてしまう」
縋るように零れた俺の言葉に、兄が蒼い瞳を見開いた。それはそうだろう。三つの弟がそんな事を言い出したら誰だって驚く。
だが、一度吐き出した不安は次々に溢れてきた。
「にいさまたちだけじゃない。メアリーもジョンも、みんな、みんな……たくさんのひとが僕のせいでしんでしまう」
ぼろぼろと零れ落ちる涙は拭っても拭ってもキリがなかった。
怖くて怖くて仕方がないのだ。ノアも俺も、突然突き付けられたこの現状が、この先に待ち受ける未来が。
「ノア。兄様は何があってもお前の味方だ。どうすればそうならないか、一緒に考えていこう」
柔らかく掛けられる声は、優しい兄の言葉は何よりも嬉しいものだった。
「ゔ……うぅー……」
「ほら、そんなに唇を噛んだら血が出てしまうよ。今夜は兄様と一緒に寝よう」
髪を撫でながら優しく抱きしめてくれる兄の腕の中で俺は声を押し殺して泣いた。