『夜の来訪者』 久しぶりの静かな夜。
ベッドヘッドに寄りかかり、足を投げ出すようにして本読んでいた俺の耳にガチャりと鍵の開く音がした。
かけていた鍵を勝手に開き、ノックもなしに開く扉。
こんな風に部屋に入ってくるやつは一人しかいない。
開いた扉を睨みつけながら、そいつへ向かって文句を言ってやろうとした。
「ノックくらいしろっていつも言って……」
が、開いた先にいたのは文句を言おうと構えていたブラッドリーと、もう一人。
「こんばんは。ネロ」
「オーエン?なんで?」
「ねぇ、今すぐ舌が溶けそうなくらい甘いホットミルク、つくってよ」
「え?……あぁ、ちょっと座って待っててくれ」
よく理解も追いつかぬまま、ホットミルクが飲みたいと請われれば動いてしまう。空腹なら軽く何かつまめるものがあったほうがいいだろうかと考えてしまうのも料理人の性だろう。
もう一人は部屋に入ったきり、オーエンをにらみながら何も言わない。何しに来たんだか……。
ホットミルクを作る為に鍋にエバーミルクを入れて火にかけながら、振り返らずに声をかけた。
「お前は?用がないなら帰れよ」
「ふふ。ブラッドリーはシャイロックのバーが開いてないから、仕方なくここに来たんだよねぇ?」
「……そんなんじゃねぇ」
「昨日もネロを独り占めしてたんだから、たまには僕に譲ってくれてもいいんじゃないの?」
「……な!」
「……」
オーエンがいきなりそんなことを言うものだから持ち上げようとしていたレードルを取り落とした。昨日ブラッドの部屋で晩酌をしていたのを見られたということだろうか。防音魔法はかけていたはずだが、声が漏れていたなんてことがあったらそれこそ今すぐ逃げ出したい。顔にみるみる熱が集中する。幸い、二人には背を向けている為、見えてはいないと思う。ブラッドは何も言わなかった。
「ふふ。やっぱり一緒にいたんだね。昨日部屋に居なかったでしょ。甘い物食べたい気分だったのに」
「え?」
「ちっ」
「ずるいなぁ。1人だけネロと遊んでたなんて」
「カマかけられただけ……?」
「ネロ、オーエンの話に耳を傾けるな」
オーエンが人をからかって反応を楽しむやつだというのを分かっていたのに、乗せられてしまった。これでは自ら一緒にいたことをばらしてしまったようなものだ。
「ネロはさ、いい反応してくれるから。つい、遊んじゃいたくなるのはわかるよ。お前のつくるお菓子は悪くないしね。だからって、独り占めはよくないよ。ブラッドリー」
「はっ。俺様は俺様のしたいようにするんだよ。てめぇには関係ねぇ」
背後で座ってにらみ合っていたはずの二人が、それぞれ空中から魔道具を取り出していた。今にも戦闘に発展しそうだが、ここは俺の部屋だ。諦めを含んだ声で訴えた。
「おいおい。人の部屋で魔道具出すなよ。暴れんなら出てけよな」
そう言えば、四つの瞳がこちらを見て、またお互いを映す。
「……」
「……」
無言で座り直した二人は、殺し合いよりも食を優先したようだった。
「ホットミルク。まだ?」
「もうすぐできる」
弱火にかけたミルクにシュガーとはちみつをいれて火を止める。溶けるのを少し待って大きめのマグカップへと注いだ。湯気すら甘い香りを放つそれを大人しく座って待っていたオーエンの前に差し出す。
「はいよ。お待ちどうさん」
「……うん。甘い」
小さく呟くような声と満足そうな表情。ひとまずお気に召したようだ。それから、ブラッドにも酒のつまみになりそうなナッツを皿にいれておいた。昨日飲まなかった方の酒とグラスも合わせて。
「アンタも。とりあえず今出せるのこれくらいだから、なんか作るまで大人しく待ってろ」
「……おぅ」
いつもよりも小さく、戸惑い気味の声に疑問符を浮かべながら、とりあえず、オーエンを満足させることが優先だと、戸棚にあったルージュベリーのジャムを取り出した。いつ要求があるか分からない以上、常に準備してしまうのも性分だ。どんなに苦手な人物であろうと、好きだと言われれば作っておこうかという気になってしまう。
「ついでだからジャムとか入れるか?この前好きって言ってたやつ作っといたからさ」
「ドロドロの血みたいに赤いやつ。いる」
「はは。良かったよ」
更なる甘いものにオーエンの瞳が輝いたように見える。昔なら考えられなかったそんな姿を見て、良かったと思えるのだから、だいぶここの生活に慣れてしまったのかもしれない。
ぼんやりと眺めているうちにミルク一杯と、ジャム一瓶を空にした彼は、立ち上がって餌をもらい終えた野良猫のように足早に去って行く。
「ごちそうさま。ネロ。また遊ぼうね。今度は二人で」
「……あー、それは遠慮しときたい……かな」
残された台詞に、苦笑いで答えたが、聞こえていたかどうかは定かではない。だいたい、人の話を聞く方ではないのも分かっている。きっとまた気まぐれに関わってくるのだろうと、諦めたように今度は深い溜息がこぼれ落ちた。一気に疲れが押し寄せて来たようだった。だが、この部屋にはまだもう一人の来訪者がいる。先ほどからほとんど言葉を発していないが、結局目的も何も聞いていなかったのを思い出した。
「で?アンタは何食いた……」
声をかけながら振り向こうとして失敗した。否、後ろから回った腕に邪魔されて振り向けなかったのだ。丁度首元辺りにかかる息が少しくすぐったい。そこから少し拗ねたような声が聞こえてきた。
「……お前、オーエンにいつもあぁなのかよ」
「え?まぁ、夜中に来る時は割とホットミルクつくってやってはいるかなぁ」
「……」
「なんだよ?嫉妬かぁ?」
無言で力のこもった腕に絡めるように自分の手を重ね、からかうようにそう言った。
しばしの沈黙の後、恨めしそうに小さく返事がある。
「……そうだよ。悪ぃか」
「ふふ。悪かねぇよ。……ちょっと気分いい。かも?」
思っていたよりも真剣な響きに驚いたが、普段あまり見せない感情に少し気分がよくなる。自然と笑顔になるのも許されたい。
「なぁ」
その言葉と共に、前に回っていた手が身体を這うように腰元へとおりてくる。明らかな色を含んだ動きに、手を掴んで拒絶を示した。晩酌ならまだしも、今日はそういう気分じゃない。
「だめだ。……今日はしない」
「なんでだよ」
「なんででも」
「……」
無言で不服を示すブラッドに、諦めろと手をはたいてやる。が、逆に手を片手で捕まれて動かせなくなってしまった。動きを封じたブラッドは強引に俺をベッドへと連れて行く。
「うわ、おい、しないって! っ! どこ触って……!」
後ろから覆い被さるように乗り上げたブラッドは、わざと耳元で声を吹き込んだ。
「今は酒よりお前がほしい」
「っ!」
耳元で囁くのはやめろよ。その声で言われるのに弱いのも分かってるんだろう。すぐに力の抜けるこの身体が恨めしい。せめてもの抵抗に後ろで余裕そうに笑う顔をにらんでやることしかできなかった。
終