夜明け前「貴殿夜はいつもどうしているんだ?」
「む?」
口いっぱいに朝餉の米を夢中で掻き込んでいたまるい瞳がこちらへ向く。
俺の暮らす長屋は数日前からセイバー ―― 目の前で美味そうに朝餉を平らげる小柄の、黙っていれば女子と見紛うほどにうつくしい男、が寝食を共にしている。
彼は英霊、サーヴァントという存在であり人の身ではない。そして彼のマスターに選ばれた自分は彼と運命共同体、つまりは一蓮托生になるのだという。
当たり前のように俺の長屋で生活を共にし始めたセイバーに戸惑いながらも翌朝にはひと晩にして変わってしまった何もかもに対して、それがずっと続いてきた事柄であったかのように受け入れられてしまっているのだから自分も大概なのかもしれない。本来なら名前すらも知らない、どこの誰であるかもわからぬ者を家に入れるほど不用心でもなければお人好しでもない。生活にそんな余裕もない。
最初の夜、床に就こうとして気付いたのがこの長屋には客人用の布団などないということ。カヤはいつも夜には小笠原の家へ帰していたし、必要がなかったのだから当たり前といえば当たり前だ。
布団はひとつ。
けれど今日出会ったばかりの相手と共寝……はさすがにない。
そんなことを考えていたのに気付いてかどうかは知らないが部屋の片隅に腰掛けていたセイバーがひと言、「私のことはかまわなくていい」と。
そう云われてしまってはそれに甘える以外なく、ちいさな背中に少し気後れしつつ床に就いた。
けれど。
朝の稽古に目を覚ませばまだ朝陽が昇る前で薄暗い部屋の片隅、自分が眠ったときと同じ場所でセイバーは座ったままで目を閉じている。
「…………」
起こして布団を貸してやるべきだろうか。けれどそうする義理もない。
ぐるぐると数分考えた挙句俺は、思考することをやめてそっと物音を立てないように長屋を後にした。
「どうしている? とは?」
口いっぱいの米を飲み込んだあとでセイバーがきょとんとした目を向けて問う。
「あ、あー、その、ここに布団はひとつしかないだろう? だから……」
「ああ、そういうことか。イオリ、いつも私の横を通って朝の稽古に行っているではないか」
「う……」
別に責められているわけではないのにどうしてか胸が痛む。
「ということは何だ、貴殿座ったまま眠っているのか? ひと晩中……?」
せめて横たわるくらいしていてくれと思いながら恐る恐る問う。
「そうしているときもあるがイオリが眠っている間に周囲の見回りに出たりもしているぞ」
だからひと晩中座ったまま眠っているわけではないのだとでも云いたげに。いや、聞きたいのはそういうことではなく……。
「その、ちゃんと休めているのか? それは……。いや、寝床をちゃんと用意しなかった俺が悪いんだが……」
「ああ、そんなことを気にしていたのか。それならば問題ないぞ。今日だってちゃんと戦えていただろう?」
あっけらかんと、何でもないように云う。
「それはそうなのだが……。けどずっとそうし続けるわけにもいかないだろう? 食べ終わったら買いに行くか? 布団」
「いや、いい」
即答。
「きみにそんな余裕はないだろう? 米を減らされても困る」
そうしてまたもぐもぐと食事の続きに戻る。まるでもうこの話は終わりと云わんばかりに。
いや、余裕はない、確かに。それについてはぐうの音も出ない。ただでさえひとりからふたりに増えて、今までなら稽古にかまけて何食か抜くこともあったけれど( その度にカヤに叱られるのだが )こうも毎度食事を楽しみにされてはそうもいかなくなるだろう。
けれどだからといって……。
「セイバー」
夜。布団に入ったあとでいつものように部屋の片隅に腰掛けた背中に声を掛ける。
「どうした? イオリ」
「あ、あー、いや、その、嫌じゃなければなんだが……」
端に寄ってもただでさえ狭い布団だ。ひとり分空いているかどうかですら定かではない。
「朝のことを気にしているなら問題ない。私はこのままでも大丈夫だからな」
そうは云うけれど。
「あー、いや、そうなのかもしれないが……」
一度気になってしまうとどうしても引っ掛かってしまうのだ。たとえセイバーが良くても、俺が、良くない。
「なんだ? イオリ、私と共寝したいのか? それなら素直にそう云えばいいものを」
セイバーはにしし、と笑ってからかいたそうな目を向ける。
「…………」
そうではない。そうだけど。いや、共寝をしたいわけではない。結果的にはそうなるのだが。
くる、と背を向けて瞼を閉じる。
「イオリ、へそを曲げたか?」
「…………」
「イオリー?」
それから数回名前を呼ばれたような気がしたけれど云うべきことは云ったはずだ。今日も方々走り回って疲れた体は瞼を閉じたとほぼ同時に眠りに落ちる。
「ん……」
朝の稽古の時間が近付いて重い瞼を薄ら開く。
体の向きを変えようとして、止まる。狭くて固い布団がいつもよりも狭い。
背中のすぐそばに人の気配。朝を待つ夜の空気の静けさの中にちいさな寝息。
体を起こしたら目を覚ましてしまうだろうか。ああ、でもいつも朝には俺が稽古の為に出て行くのに気付いていたのだったか。
考えて、再び瞼を閉じる。
今日くらいは鶏が鳴くまでこうしていてもいいだろう、なんて。そんなことを思いながら。