溶けない雪と静かな炎またひとつキラキラと尾を引く星が、雪の地に落ちた。
流れ落ちた光が静かに収束した頃、雪の積もる岩の上に蹲る星の子が居た。その星の子は地に手を付き、ふらつきながらも二本の足で立ち上がった。高所特有の強い風が肩まで伸びた白い髪を乱していく。
目の前にあるのは、傾いた黄金の太陽と、鮮やかな橙色の空と、どこまでも続く雲海だった。
星の子はここを『隠者の峠』と呼ぶのだが、生まれたばかりのこの星の子が知る由もなかった。
「………?パポ…?」
小さく鳴いてきょろきょろと周囲を見渡すが、導いてくれる光はここには無い。
本能が精霊と羽を天に還すよう囁くが、どこに何があるのか皆目検討がつかない。そもそも、翼のない自分がこの雲海の孤島で何をどうしていいのかわからない。
「………ペポ……」
太陽と目指すべきであろう山を視界に収めながら、ただただ立ち尽くしていることしかできない。
頼る岸も無い私は心細くて仕方なかった。
雲海を吹き荒ぶ風を裂く音とあまり耳障りの良くない鳴き声が聞こえて来るまでは、の話だったが。
「…………、ヂュリ!ヂュリリリッ!」
「…ポワァ?」
私が振り返ると、そこには背の高い星の子が着地を行っていたところであった。サクリ、と軽い足音をしてそれは降り立ってきた。
影のように黒くて姿がはっきりとしない星の子はこちらを見つめると、懐から赤いキャンドルを手にして差し出してくる。
『これは火を灯すもの』だ。星の子の直感でそう判断して、そっとキャンドルを取り出して触れさせた。すると相手の星の子の容姿が鮮明になっていった。
逆立つ炎のような白い髪、切れ長の目と尖った鼻のある黒っぽい面、そして赤の服と、首に巻いた長い帯のようなケープ。とても特徴的な星の子だった。
「こんにちは」
「………ポッパ」
背が高くて変わった鳴き声の星の子に、まだ声のない私は鳴いて返した。
「…君は、今生まれたばかりだよね?
何もわからないだろうけど、大丈夫。一緒に行こう。ここから移動したいから…手を握って良い?」
そう言って、そっと手を差し伸べてきた。背丈と同様で大きな手のひらに手を重ねて同意を示すと、相手が笑ったような気がした。
「一緒に飛ぶから、手を離さないようにね!」
そう言ったかと思うと、自分を引いた星の子は勢いよく雲海の上に滑り出した。自身の翼で羽ばたいたことのない自分は、初めての速度に息を呑んだ。
思わず縮こまる私に、体で風を切って飛ぶ星の子が呼び掛けてきた。
「君も飛べるようになるよ!自分達星の子はどこまでも行けるんだ!
大丈夫、自分も一緒に行くよー!」
逆立つ髪をなびかせて飛ぶ姿に胸が熱くなる。初めて会った星の子だけど、きっと言うことは真実なのだろうと根拠もなく思った。
その背の高い星の子はヂュリ助と名乗った。(本人曰く『誰からも覚えやすい名前』だと自信満々に胸を張っていたのでノーコメントとすることにした)
その後、近くの光の子を集めて、ケープを手に入れてからは私は飛ぶ練習をしていた。ヂュリ助はそれを横で見てアドバイスをくれる役だ。
『夢見の街』と呼ばれる広いスケートリンクと数多くの建物の並ぶ場所で、不慣れに茶色のケープをはためかせて飛ぶ私に、ヂュリ助は付き合ってくれていた。
そこそこ長く時間を過ごし、話しかけられたおかげで言葉もある程度話せるようになっていた。
「初めてにしては滑空も上手だよー!将来有望な星の子だね!」
「…そうなのかな…?」
正直、技量が上の先輩星の子の飛ぶ様を見せられた後なので、褒められても実感が薄い。というか疲れた。
初めての飛行で疲れて肩で息をしていると、離れた所に居た四人程の星の子が寄って来た。何か言いたいことがあるらしく、灯りを灯してきた。
「そこの二人、さっきから飛び回って邪魔なんだけど?」
「ヂュ?自分達?ごめんなさい…」
「うん、俺ら楽しんでたのにバサバサ下手に近くを飛び回られて、相当迷惑でさ〜。
あと、そっちの大きい方の鳴き声もうるさいし、精神的に苦しんだんだから慰謝料払ってよ」
「え…?慰謝料?」
おかしい。私は確かにあまり心地の良い飛行はしていなかったと思うが、他人に近付き過ぎないよう注意していたし、そこまで言われなければならないほどの不快な行為はしていない筈だ。
というか、星の子の基準はいまいちわかってないが、四人とも派手派手しい服装で更にガラがよろしくないと思う。これは…当たり屋とかそういうやつなのではないだろうか。
ヂュリ助も感づいたのか、回避しようと話している。だが、相手も逃がすつもりはないのか、だんだん言い方がキツくなっていく。
「…迷惑かけたのは謝るし、ここから自分達が居なくなればいいだけなら帰るよー…。それでいいよね?」
「違うつってんだろ。あー…もう、いいからキャンドル渡せよ!痛い目見たくないだろ!?」
「ヂュッ!それが目的でしょ!?君達みたいな星の子に渡すキャンドルなんか無いよーっ!」
「この…こっちの雀がどうなっても良いのか!?」
「!」
不意に四人のうち一人が私の方へ掴みかかってきた。腕と髪を無遠慮な力で捻るように掴まれて痛みが走る。
私を押さえてしまえば勝ちだと思っているのか、他の三人が薄ら笑いを浮かべてこっちを見ていた。
だが、私はその四人よりも、その後ろで静かにケープの布を伸ばし、重心を落とした体勢に移行していたヂュリ助に気が向いていた。
「触るな。」
決して大きな声ではなかったが、さっきまでの明るくのん気な声色は消え失せ、怒りを孕みチリチリと焦げるような声がその場を支配した。
まず、事態を飲み込めてない二人の目元に赤い布が巻き付いた。二人の星の子は、飛行の羽ばたきに使われる筈のケープの力を用いて、側頭部同士を激しく鈍い音をたててぶつけ合わされた。当然、なんの受け身も抵抗もできなかった星の子は意識を失って力なく崩れ落ちていった。
「…っ!?テメェこの………!」
横で惨劇の起きた事を理解した残りの一人は、ようやく拳を作ってヂュリ助に殴りかかろうとした。が、遅すぎた。
勢いだけの拳はヂュリ助が僅かに捻った体の横をすり抜けて、虚空を振り抜いた。逆に、ヂュリ助はバランスを崩した星の子の肩を片手で掴み、ケープの赤い布が相手の足に絡みついていた。
そうやってその場に縫い止められた星の子の鳩尾に、真っ直ぐヂュリ助の拳がめり込んでいくのがスローモーションのようにゆっくり見えた。
「……ゔ、ぶ……おえぇ…ッ…!!!」
拳の衝撃を余さず腹に受けた星の子はあまりのことにその場で膝をついて嘔吐しだした。ダメージで体が動かないらしく、それでもどうにかヂュリ助から離れようと吐きながらもぞもぞと四つん這いで這っていた。その様子と先程の態度がかけ離れ過ぎていて、私はポカンとしてしまう。
私を掴んでいた星の子も唖然とそれを眺めていた。目の前の出来事からか、あれほど痛く私の腕を掴んでいた手に力は全く入っていなくて、自然と振りほどけた。それほど、仲間が一瞬のうちに叩きのめされたのがショックだったのだろう。
「…君も、やる?」
「………ひ、う…うわあああッ!!!」
ヂュリ助のボソリとした呼びかけに我に返った星の子はケープを羽ばたかせてその場から逃げ去った。ケープエナジーの消費を考えていない雑な逃げ方で、倒れた仲間の事は眼中に無いようだった。
吐きながら這って、少しだけ移動出来ていた星の子にヂュリ助は歩いて近寄り、しゃがみ込むと
「二度と、こういうことはしちゃあいけない。他の三人にも言っておいて。…わかったね」
と冷たく言い放った。
それを聞いた星の子は、ひぃと情けない声をあげ、吐瀉物に濡れた雪に顔を擦り付けるように頷いていた。
それを聞いたヂュリ助は三人を一瞥すると、スイッチが切り替えわったように慌てだして私の方に歩み寄って、そして抱きしめてきた。
「ヂュ!ねぇっ、腕と髪の毛!大丈夫!?痛かった!?怖かったよねーっ!?」
「うぶ!だ、大丈夫…」
「あ、ごめん。こっちのが苦しかった?」
私をぎゅうぎゅう抱きしてめいた腕を離して、確かめるように腕や肩、髪に優しく触れてくるヂュリ助はさっきとは別人のようで、なんだか夢をみていたようだった。
「んー…よし、大きい怪我がなくて良かったー。君の綺麗な髪の毛も無事で何よりー!」
「…普通だよ…」
「そんなことないよー!降った雪がそのまま凍ったらこうなるのかなって思ったくらいだもの!」
こうまでに真っ直ぐ明け透けに褒められると照れる。
それと、とても安心した。
「…ねぇ、ひとつ、お願いがあるのだけど」
「ヂュリ?なぁにー?」
「私の名前、考えてくれないかなって」
「!責任重大ッ!んーとねー!ん〜〜〜とね〜…っ………」
「今すぐでなくていいけど…変なのはやめてね?却下しちゃうよ?」
「変なのって何ー!?!?!?」
明らかに本人自身のネーミングセンスはアレだが、ヂュリ助に呼ばれるのにもいつまでも名無しでは都合が良くない。
何より、何も持ってない私を助けてもなんの見返りもないのに、迷わず怒って身を挺してくれたこの強い星の子を信用しても良いと思った。
首を傾げて考えていたヂュリ助だが、やがてこちらを見つめて切り出した。
「………さっきも言ったけど、君の髪の毛がとっても綺麗だから思いついたのがひとつあるんだー。…確か、違う言葉を話してた星の子が溶けない氷の事をこう言ってたのー。
君の名前は―――――
その日、私は生まれた。
私の名は『ネーヴ』。溶けることのない『万年雪』という意味らしい。
私の大切な友達で、姉のような存在から貰った大切な名前。
彼女―ヂュリ助は強いけど、アホで、危なっかしくて、時たまよくわからない場所に落っこちる。だけど、かけがえのない星の子で、
これからも、手を取り合って、どこまでもずっと一緒に飛んでいく相棒なのだ。
了