ひとくちいかが みなさん、こんにちは。スレッタ・マーキュリーです。
今日は新入生勧誘会の日です。いわゆる部活動見学会です。通常の授業は午前中までで、午後からは部活動の見学に来た新入生のみなさんに各部が活動内容を紹介する時間になります。
勧誘会は毎年四月半ばに開催され、新入生はその後二週間以内に希望する部の入部希望届けを出すというスケジュールになっています。どの部も部員獲得に必死なので勧誘会で何をするのか詳細はギリギリまで伏せられていることが多いのですが、伝え聞いた話によると、たとえばバスケットボール部は中庭でスリーオンスリーのゲームを、サッカー部はグラウンドで無限リフティングを、吹奏楽部は音楽室で演奏会を、科学部は理科室で水素を使った実験を……といった具合に、各部それぞれに特色を活かしたパフォーマンスを披露して新入生を勧誘するそうです。
ちなみにわたしが所属する園芸部は部長であるミオリネさんの発案で、見学に来てくれた新入生さんに菜園で作ったお野菜を使ったスペシャルドリンクを配ることになりました。このスペシャルドリンクのレシピはミオリネさんが考案したもので、わたしも味見をしましたが、ええっと、何というか、とってもからだに良さそうな味がしました。スペシャルドリンクはとてもきれいな緑色をしていますし、こわいもの見たさで飲んでくれる新入生さんだってきっといるはずです。そうです、きっといるはずです。
もうすぐ勧誘会が始まります。わたしもミオリネさんも動きやすいようにジャージに着替えました。
昼休み中に家庭科室をお借りして作ったスペシャルドリンクを入れた保冷バッグ(冷やした方が幾分おいしくいただけることが分かりました)をわたしが、プラスチック製の湯飲み茶碗を載せたおぼんをミオリネさんがそれぞれ抱えて、菜園に向かっているときのことです。渡り廊下に差し掛かったところで、廊下の反対側から袴姿の女子生徒さんが歩いてくるのが見えました。隣のクラスのメイジーさんです。
メイジーさんはミオリネさんの彼氏さんのシャディクさんと同じ弓道部に所属されています。一年生のときはクラスが離れていたのでほぼ接点はなかったのですが、二年生に進級し、わたしとミオリネさんは三組(二年生でも同じクラスです。うれしいです)、メイジーさんは四組になりました。隣のクラスになったこともあり、わたしもミオリネさんもメイジーさんを始め同じ弓道部のレネさんやイリーシャさんとも会えば立ち話をするくらいの仲になりました。合同授業や選択科目でも何度か顔を合わせています。
「ミオリネちゃん。スレッタちゃん」
メイジーさんがにっこり笑ってこちらに手を振りました。
「今から園芸部の勧誘?」
「ええ」とミオリネさんが頷きます。
「保冷バッグとお茶碗?」
わたし達の手もとをじっと見つめながらメイジーさんが首を捻ります。
「収穫したお野菜で作ったスペシャルドリンクを配るんです」
「野菜のスペシャルドリンク……って青汁?」
「違うわよ。グリーンスムージーよ、グリーンスムージー。デトックスよ。あんたも飲む?」
「うーん、デトックスだけで済まなさそうだから遠慮したいなあ」
「弓道部さんは勧誘会で何をするんですか?」
わたしが訊ねると、
「射法のデモンストレーションだよ」
デ、デモ……ン?
メイジーさんの口から聞き慣れない言葉がいくつも出てきて、わたしは目を見開きました。自分の知識を総動員させて、
「――弓道部さんは悪魔的儀式をするのでしょうか?」
「それはデーモンだよ」とメイジーさん。
「的に矢が当たらないと不満がたまるということでしょうか?」
「それはフラストレーション」とミオリネさん。
「そ、そうです、そういうヤツです。ハイブリッドです!」
「悪魔と欲求不満を勝手に掛け合わせてんじゃないわよ。新入生勧誘会で悪魔的儀式をする弓道部なんて聞いたことないわよ」
「デモンストレーションはいわゆる実演ってヤツだよ」
ミオリネさんはため息を落とし、メイジーさんは「スレッタちゃんの発想って好きだなあ」ところころ笑いました。
ミオリネさんがメイジーさんに向き直ります。
「射法のデモンストレーションをするのに、あんた、こんなところにいていいの?」
「教室にタオルを忘れちゃったんだ」メイジーさんがぺろりと舌を出しました。「取りに行くところ」
「あの、もうひとつ気になることがあるのですが、しゃほうって何ですか?」
そこからなの、とでも言いたげな目をして、ミオリネさんが口を開きます。淀みない口調で、
「射法っていうのはね、弓道において弓を引く際の基本動作のことよ。立つ位置を決める足踏み、姿勢を整える胴作り、弦に指をかける弓構え、弓を持ち上げる打起し、弓を引く引分け、狙いを定める会、矢を射る離れ、矢を射た後の姿勢の残心の八つの動作のことで、射法八節とも呼ぶの」
「ほええ」
一度聞いただけでは何のことかさっぱりですが、確かに八つありました。ミオリネさんは何でもよく知っているんだなあとわたしが感服していると、
「ミオリネちゃん、よく知ってるねえ」
メイジーさんも感心したような声を漏らしました。
褒められて照れくさくなったのでしょうか、ミオリネさんのほっぺたがぽっとピンク色に染まります。
「こ、こんなの誰でも知ってるでしょ。常識よっ」
「いやいや、ミオリネちゃん。誰でもってことはないよぉ。かなりニッチな知識だよぉ。その証拠に、スレッタちゃんは知らなかったでしょ?」
ミオリネさんをのぞき込みながらメイジーさんが意味ありげに口もとを弛めます。
「べ、別に」とミオリネさんは口を尖らせました。「シャディクがやっているのを見たことあるから、わたしも覚えちゃっただけよ」
つぶらな瞳をきらめかせてメイジーさんはぱちんと手を合わせました。とてもうれしそうに、「やっぱり!」
わたしも合点がいきました。なるほどなるほど、語るに落ちるとは、まさにこういう場面を指しているのでしょう。
一瞬しまったというふうに眉の辺りを強ばらせたミオリネさんでしたが、すぐにこの話題はもう終わりとでも言わんばかりにぷいっとそっぽを向きました。
わたしとメイジーさんはお互いに目を見合わせてくすりと笑いました。
「わたしもその射法を見てみたいです」
「だったら見学においでよ」
「新入生じゃなくても見学に行っていいのでしょうか?」
「いいと思うよ。スレッタちゃんなら大歓迎だし、去年わたしが弓道部を見学したときも、新入生だけじゃなくて在校生も弓道場に集まっていたもの」
そう言いながら、メイジーさんはそっぽを向いたままのミオリネさんに視線を向けました。
「ミオリネちゃんはどう?」
「興味ないわ」
「本当に? シャディクも射法の実演をするんだよ?」
メイジーさんの言葉にミオリネさんの耳と頬がぴくりと反応しました。わたしの位置からでもはっきり見えました。
ミオリネさんがゆっくりこちらを向きます。苛立っているような、おもしろくなさそうな、けれども泣くのを堪えているような、何とも複雑な表情を浮かべています。
ミオリネさん、と、声をかけようとしたときです。
「……やだ」
それは、あまりにも出し抜けにぽつりと漏らされたひと言だったので、わたしは一瞬ミオリネさんが何を言ったのか分かりませんでした。見れば、メイジーさんも首を傾げています。
「ミオリネさん? 今、何て……?」
「シャディクが実演するの、やだ」
やだ?
思わずぽかんとするわたしとメイジーさんをよそに、ミオリネさんはお盆を持つ手を小刻みに震わせて言いました。
「射法ってきちんと型通りに行うと誰がやってもそれなりに見栄えがするのよ。それをシャディクが新入生の前でやったらどうなると思う? あいつの射法って見とれちゃうくらいきれいなのよ、見栄えがするどころじゃないわよ、ハートを射抜かれる女の子が……ううん、女の子だけじゃないわ、女子も男子もシャディクにハートを射抜かれる新入生が続出しちゃうわっ!」
きゅるきゅるきゅるーん!
心臓と直結しているときめきのメーターが振り切れそうになります。
「ミオリネちゃん、かわいい~! 本音がだだ漏れだね~」
「ミオリネさんもシャディクさんにハートを射抜かれちゃったんですねー!」
メイジーさんとふたりできゃっきゃしていると、
「ち、ちょっとあんた達! 今わたしが言ったことは忘れなさいっ!」
はたと我に返ったミオリネさんが、顔をしかめて叫びました。
「いいわね! 一言一句きれいさっぱり忘れなさいっ! シャディクに言ったら承知しないんだから……」
「俺が何だって?」
「え」
「あ」
「わぁお」
三者三様の声が重なり、ミオリネさんとわたしとメイジーさんが同時に顔を上げます。三人分の視線が向かう先にシャディクさんがいました。シャディクさんも袴姿です。
「あっ、なっ、こっ……」
長い睫毛の下の大きな瞳をさらに大きく見開いて、ミオリネさんがシャディクさんを見上げます(あなこ……アナコンダ? 蛇のことでしょうか?)。
「『あんた何でここにいるのよ』って言いたいのかな? もうすぐ勧誘会が始まるのにメイジーがなかなか戻ってこないから様子を見に来たんだ。名前を呼ばれた気がしたけど、俺がどうかしたかい?」
ふいに斜め後ろからジャージの裾を引かれました。ちらりと目線を動かすと、ほんの一緒メイジーさんと目が合いました。アイコンタクトです。
「あ! わたし、タオルを取りに行く途中だったんだ。教室に行かなきゃ!」
「わ、わわわ、わたしもアレを教室に忘れた気がします! 取ってきます!」
「水星ちゃん、その保冷バッグ重そうだね。教室に戻るなら俺が持っておこうか?」
「ありがとうございます、お願いしますっ!」
シャディクさんに保冷バッグを預けて、わたしとメイジーさんはやや早足で(廊下を走ってはいけません)渡り廊下を渡り切り、HR棟へ続く角を曲がりました。
「――やったね」
「やりましたね」
メイジーさんと小さくハイタッチをします。唐突ではありましたが、ミオリネさんとシャディクさんをふたりきりにさせる作戦成功です。壁際に身体を寄せながら渡り廊下の様子に耳をそばだてると、こんな会話が聞こえてきました。
「あんた、いつからいたのよ。っていうか、わたし達の話を聞いてたの?」
「ついさっきだよ。『シャディクが実演するの、やだ』くらいからかな」
「――っ! ぬ、盗み聞きなんて悪趣味よっ!」
「ごめん。声をかけようと思ったんだけどタイミングが掴めなくて」
「何よそれ、言い訳にもなってないわ。『名前を呼ばれた気がした』とか、白々しいんだから」
「ふふっ。俺を独りじめしたいんだ?」
「はあ? したいわよ! 彼女だもの、当然でしょ!」
「ミオリネが嫌がるなら、実演の担当から外れようか?」
「バ、バカっ……。嫌だけど、すっごく嫌だけど、自分の担当をなおざりにしてほしいわけじゃないわ。わたしも我慢するんだから、あんたもきっちりやり遂げてよね」
「可愛い彼女からの頼みとあらば断るわけにはいかないな」
「わたしも見に行くから」
「君に見られていると思うと、緊張してヘマをしてしまいそうだ」
「バーカ。手を抜いたら許さないんだからね」
「分かってる」
「それならいいのよ。そうだ。特別に、あんたに園芸部のスペシャルドリンクを飲ませてあげる。保冷バッグの中にボトルが入ってるの」
「ボトルってこれ?」
「そう、ちょっとこのおぼん持って。――はい、どうぞ」
「スペシャルドリンク……。青じ……野菜の色をしているね」
「何よ、わたしとスレッタが作ったスペシャルドリンクが飲めないっていうの?」
「いや、いただくよ」
「――どう?」
「……包み隠さず言うと、苦い」
「じゃあ、口直ししてあげる」
「口直し? ……んっ」
「……ふ……、口直し……できた?」
「まだ。もうひと口……」
「え、ん……っ、ふぁ…………」
きゅるきゅるきゅるーん!
ときめきのメーターがまたしても振り切れようとしたところで出歯亀ストップがかかりました。いつまでもここにいてはいけません。ほどよいタイミングで戻らないと怪しまれてしまいます。メイジーさんと頷き合い、静かにその場を離れます。
「らぶらぶだったねえ」
「らぶらぶでしたねえ」
まだ心臓がきゅるきゅるしています。少女漫画雑誌を一冊読み切ったような満足感と高揚感に包まれながら、わたしはメイジーさんと連れ立ってアレを取りに教室へ向かいました。――ところで、咄嗟に口走ってしまいましたが、もしもミオリネさんに『アレって何だったの?』と訊かれたとしたら、わたしは何と答えればよいのでしょう?