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    じぇひ

    @Jjjjehi_51

    月鯉  いろいろかく

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    じぇひ

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    死ネタあり

    #鯉月
    Koito/Tsukishima

    壮年鯉月② 「そうだ、土産。」
     そういって鯉登が差し出したのは緑を基調に、よく晴れた日の鯉登の髪を思わせる紫が差し込まれている、
     「組紐ですか?」
     正解だと言わんばかりの破顔。普段は精悍な面持ちなのに表情筋を緩めれば少年のように若々しい印象になる。独り占めしたくなる様な、好きな部分の一つだった。
     それにしても組紐なんて久し振りに見た。帯締くらいでしかお目にかかる機会はなかった上、自分には一度や二度と見掛けたくらいだったからよく覚えていたな、と不思議にも思える。
     「これはな、人と人を繋ぐ意味もあるそうなんだ。」
     「はあ。」
     「何だその顔は。安心しろ、私のも作ってある。」
     そう云っていそいそと取り出したのは先ほどと同色の緑に金を差し色に入れた一品だった。お揃いだと見せびらかす様がいつか、面子を交換したあの日の鯉登と重なる。
     「それにしても、これご自身で作られたんですか?よく出来てますね。本当に昔から貴方は手先が器用だ。」
     「ふふ、幾つになっても褒められれば嬉しいものだな、月島?まあ私も公職追放があってからは時間を持て余していたから。」
     ちりんと風鈴が鳴った。
     「それより、自分だと気づかないのか?手鏡を持たないのも考え物だな。」
     悪戯っ子の様に笑う顔はすっかり夕陽に染まり赤みを帯びている。視力は年々衰えてきているのに鯉登の顔だけは睫毛一本でさえ霞むことはない。些細な傷跡でさえ覚えておきたかった。
     板塀の向こうから各々の家に向かうのであろう子らの声が聞こえて来たものだから、もうそんな時間になってしまったのか。と、すっかり空になった茶飲みと皿を片付ければ部屋に残るのは鯉登本人とトランクだけだった。
     ここから彼の棲み家まで汽車を使っても4、5時間かかってしまう。泊まっては、等と言えるはずもなく。けれど引き留めずに返すのも忍びない。つい先程空いたばかりの茶飲み並々まで茶を注ぐ。
     「久しぶりに月島の作る食事を取りたくなってしまった。そうだな、美味い酒も持ってきている。今夜は泊まるとしよう。」
     「そんな急に言われても、大したものは拵えられませんよ。二人分となれば骨も折れます。手伝ってくださいね。」
     勿論、と朗らかに応える鯉登には敵わない。何処まで感じとったのか判らないけれど、今の細やかな抵抗は看破されてしまったらしい。ずっと昔、自分が補佐官として行動を共にしている頃からそういう鋭いところがある人だった。
     
     先程付けられた組紐を汚さない様に大事に大事に棚にしまって、月島は腕によりをかけた少し塩気のある品々をちゃぶ台一杯に並べるのだった。


     月島は気づいているだろうか。隣で寝ている男の坊主頭を撫でながら明けの明星を捉え独りごちる。んん、と身じろぐ姿を脳裏に焼き付けて昼間に渡した組紐を再び体に結びつけた。
     結婚指輪なぞ素直に貰い受ける様な男ではなかった。どうにか結びつきを証拠付ける物が欲しくなり幾度も思案した結果の土産品を顔を少し綻ばせて受け取ってくれたことに胸を撫で下ろす。数日経てば消えてしまう様なこれまでの幾千に及ぶ鬱血痕より何倍も欲が埋まるのがわかった。安らかな寝顔を見つめていれば当に朝日は上っている。
     自分が離れ難くなってしまうから出立の準備を始めればぎゅっと掴まれて半分うわ言の様に「行かんで下さい」と強請られどうしようも無くなってしまう。
     「私の帰る場所は月島だと決めている。お前さえ私を求めれば何処にいようと駆けつけよう。また帰ってくる。それまで暫しの別れだ。」
     ずるいですとそっぽを向く月島の耳が赤く燃え上がっていくのをみて堪らずその愛らしい後頭部に口づけをすれば「お達者で。」と。続いて蚊のようにか細い声でまた、いらして下さい。と云ったのを聞き逃しはしなかった。

     「アイタイ」とだけ無機物に羅列された電報を握り汽車に乗っているのはあの別れから一年後の事だった。送られた直後には訳もわからず走り出していて三等車であろうと構わず乗り込んだ。なかなか変わらない景色に地団駄を踏みそうになりながらも手を組み合わせ祈ることしかできない。
     「今際を悟った時は必ず、一番に知らせますから。」
     という声が延々と繰り返され続ける。"逢いたい"と素直に思っても電報など寄越さない性分だというのは分かっていたから。尚更悪いことばかりが浮かんでしまう。手放しで喜べたらどれ程良かっただろう。「全くお前はわかりにくすぎるんだ。」という呟きは到着を告げる汽笛に掻き消された。

     走って走って走って、すぐに息が切れ痛む肺がもどかしい。休憩なんて挟んでいる場合じゃ無いと叱咤する。全身から汗が吹き出し撫で付けた髪がばさりと落ちてきた頃、ようやく月島と書かれた表札の前に辿り着いた。見慣れた扉の前に見知らぬ子供が座っている。
     「コイトさんですか?」
     「月島のコイトさん?」
     「ああ。ところで月島は?」
     「月島さん、三日位前からずっと寝込んでるんです。」
     「月島何度もコイトさんに会いたいって言ってた。」
     「この電報打ったのは?」
     「私達です。」
     張り詰めていた緊張がふっと緩むのを感じた。生きている。間に合った。風前の灯の様だと思っていた月島の命はまだ尽きていなかったのだ。様子を聞くよりも先に玄関を駆け上がり寝室へと走る。後ろから静かに歩いてください!と声が飛んできた。
     果たして月島はそこに寝そべっていた。風鈴だけが鳴る空間で横たわる姿が生者とは思えず近寄って僅かに上下する胸に耳を当てるまでは息を吐くこともしなかった。そっと息苦しく無い様に手を当たれば呼吸をしている事を肌で感じ、ようやく落ち着く。湿った肌を拭ってやり側に置かれていた団扇で仰げば眉間に寄っていた皺が幾らか解けて、こちらの緊張も緩むのがわかる。
     湿った唇を湿らせたり時々水を飲ませてやりながら側でじっとして、月島が完全に覚醒したのは翌日の明朝だった。

     「医者によると夏風邪の様です。歳が歳な物ですから長引いてしまった様で。心配かけました。」
     「本当だ。電報でなくてもいい。一言くらいくれてもいいだろうに。」
     直ぐ治る物だと思っていたんですよ、と粥を口に運ぶ手はやはり、一層細くなっていた。自分の年齢を侮るな馬鹿すったれと抗議をいれておく。それにしても、
     「それにしてもアイタイと電報が来た時は本当に肝が冷えた。愛しい者からのこれ以上ない言葉だと言うのにどうしてこんな思いをせねばならんのだ。」
     日頃からんきさん態度のせいだぞと恨みがましく睨めば、申し訳なさそうに視線を落とした後「すみません。今後は改めますので。」とやけに殊勝な態度に面食らう。では、と咳払いを一つ。
     「手始めに音之進と呼んでくれ。」
     「音之進さん。……愛していますよ。」
     キエ………………………。そう云って目の前で微笑む愛しい男は自分の幻想ではないだろうか。なんだか滲んで見える。月島ぁ!と飛びついて顔中接吻を浴びせる。満足して離れた頃にはお互い汁まみれだった(主に私の涙と鼻水で)。
     その後襖から覗いていた子どもらに揶揄われた時の月島の拳骨はどこから湧いた力なのか軍曹時代のそれと勝るとも劣らない威力だったことは一生忘れない。
     腕組みをして枕元に座っていればてらてらと優しく輝く橙色が月島を照らしていた。薄暗い中でもわかる程にかさついた唇と深く刻まれた皺が余命いくばかである事を物語っている。もう死にますと判然判然はっきりと言う。それでも受け入れ難いから一番月島の生命力が現れている紅く染まった頬を見て、とても死にそうにないな、と逃避。こちらを見つめる黒い双眸には酷い顔をした私の姿が浮かんでいる。
     焦点が合わなくなる様に感じたからぐいと顔を近づけてよく見えるようにしてやる。死ぬんじゃないよな、大丈夫だろうな、と何度聞き返しても、無邪気に質問攻めする子供を落ち着かせるようにやっぱり静かな声で、でも死ぬんですから。仕方がないことです。と落ち着き払った顔で云うので余計に涙が込み上げてきた。

     あの夏風邪はやはりただの風邪では無かったのだ。結構です、と拒否する月島を制して再度医者に見せてわかった事だった。始まりは嫌な咳払いからでちょっと後引いてるだけですと云ったけれどそれが杞憂に終わることはなかった。
     肺炎と診断が下されてから出来ることをしようと薬やら名医やらを月島の小さな家屋に呼び寄せたけれど本当に必要な物以外は受け入れてくれなかった。もう沢山生きてきました。悔いはありません。と何度も言われてしまえば此方が折れるより仕方がない。出会ったばかりの、若輩者だった頃なら何が何でも治療に専念させただろうがそれは月島が本当に望んでいる事では無いと長い年月を共にしてきたからこそ判るのだ。
     せめて最後の瞬間は、とこの2ヶ月、沢山沢山話をしながら蜜月とも云える時を過ごした。

     「いつか月島が読んでいた夢の話の様だな。」
     「全くです。」
     小説の男の様に死へと向かう愛しい者をああも容易く受け容れることはできないけれど、穏やかにあやされている状況は酷似していた。
     それなら、と月島は息を吸う。
     「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちる星の破片破片かけらを墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていてください。」
     うっすらと流れる雫を指で掬い取る。
     「また逢いにきますから。」
     ただただ泣いて頷くだけだった。ぼろぼろと流れ出る大粒の涙は落ちるばかりで、鼻水を啜れば"よかにせ"が台無しですよ、と云う。そんな軽口も堪らなく愛おしい。いとしげら、いとしげら。何度か耳にした月島の郷言葉を呟けばこんな年寄りにかわいいはないですよ、とやっぱり月島も泣いていた。
     「必ず逢いにくる。違えるなよ、はじめ。ならば私は百年。百年待っていよう。身体が尽きてもお前の傍でまつ。」
     後はうわ言の様に愛してる、好きだ。ありがとう。待ってる。待っていてください。愛してます。と言葉を交わした。そうしていれば、
     「色々ありましたが、あなたの傍にいれて本当に幸せでした。必ず、逢いに行きます。」
     と最後あたりは塞いだ私の唇の中に掻き消えていった。すると、黒い眸ひとみの中に鮮やかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩れてきた。湖畔に浮かぶ月を餌を求めて口を広げた鯉が乱したように揺れたと思ったら月島の眼がぱちりと閉じていた。そうして流れ出た最後の一粒を、味を、忘れぬように舐めとれば。
     月島 基はもう死んでいた。

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