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    amamatsu_lar

    @amamatsu_lar
    進撃の巨人の二次創作をまとめています。落書き多め&ジャンばっかり。
    ※二次創作に関しては、万が一公式からの要請などがあれば直ちに削除します。

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    amamatsu_lar

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    【注意】
    ・最終巻までのネタバレ。
    ・原作軸で本編終了後。ミカサ視点からのジャン視点。
    ・地震と津波の表現があるため、苦手な方はご注意ください(震災の実情を軽んじる意図はありません)。
    ・妄想過多でシリアス。自己解釈多し。
    …………………

    大切な人【マフラーを巻くのは】

     一週間前、ジャンに告白された。私は、それを受け入れた。
     いいや、正確に言おう。
     私は、ジャンに告白させた。どんなに素知らぬふりをしようとも、彼の好意に気付けないほど、私は愚かではなかった。ただ一人の人間に向かってじっと注がれる視線には、身に覚えがあったから。
     恋愛感情によるものではないのかもしれない。単なる戦友だから。仲間の一人だから。そう思って、蓋をしていた期間は長い。
     だけど、もうこれ以上、そのままにしておくことはできなかった。
     私は、ジャンの傍に居ることを心地よいと感じるようになっていたのだ。そしてその関係を続けるためには、現状維持では駄目なのだと気づいた。
     これ以上知らないふりを続けられるほど、私は器用ではない。
     きっとジャンは、私に言われなければ最後まで告白しようとしなかっただろう。そんな空気になりかけるたびに、下手な嘘を吐いて、話を逸らして、何度も言葉を濁されてきた。
     私は、それが嫌だった。
     愛情なのか、申し訳なさなのか。
     分からないまま、ジャンを促した。私のことをどう思っているのか、ハッキリ伝えてほしいと。
     そして、告白されるに至った。

     しかし、この一週間、以前と変わったことは何もない。
     一緒に暮らしているわけでもなければ、甘い言葉を囁きあうこともない。2人で出かけることはあっても、手を繋ぎすらしない。

     ――ガッカリしてるのか?

     夢の中にエレンが現れて、そう聞いてきた。

     ――まさか。

     私は、首を横に振る。マフラーを、そっと握りしめて。

     ――私がジャンの告白を受け入れたのは、今までの関係を壊したくなかっただけだから。

     別に、本当に恋人同士になりたかったわけじゃない。
     ただ、一緒にいたかっただけだ。
     ガッカリしているどころか、むしろ安心していたくらい。手を繋がれたら、振りほどいていたかもしれない。キスを迫られたら、張り倒して逃げてしまったかもしれない。
     申し訳ないけれど、これが現実。

     ――あいつも可哀そうだな。

     エレンが残念そうに言う。

     そうだね、ごめんなさい。
     私は、小声で謝る。可哀そうだなんて言ったら、きっとジャンは怒るだろうけれど。



     今、私はヒィズル国にいる。キヨミさんたちの提案とヒストリアの計らいで足を踏み入れることが叶った。ルーツがある土地だが、あまり懐かしさは感じない。
     ともに来たのは、連合国大使のみんなだ。当然、ジャンもいる。

     今日はそのジャンと、2人で出かける予定だった。

    「よう」

     ジャンはいつも、私より先に待ち合わせ場所についている。
     調査兵だった頃とまるで変わらない態度で、片手を上げて声を掛けてきた。

    「忙しいのに、ごめん。付き合わせてしまって」

     私は答えて近づく。
     付き合わせてしまってと言っても、何か用事があるわけではない。ただ2人で散歩するだけだ。今日は午後から会議で忙しいから、朝のうちにのんびり過ごしたいと思ってのことだった。
     宿舎からはだいぶ離れた海沿いの町。直接地ならしの被害を受けたわけではないものの、地ならしの影響で生じた災害や戦後の混乱によって荒廃している。復興が進まないこの場所には、住んでいる人は愚か、近くを通る人すらいないと言う。
     不謹慎ではあるが、ここなら誰にも邪魔されることなく過ごすことができる。
     こうしてみると、やっていることは確かに恋人同士のようだ。
     でも、ジャンとの間に流れる空気は以前と全く同じ。

    「ヒィズルって、魚料理が有名なのな。マーレとはまた違ってうまくって、サシャに食わせてやりたかったって、コニーが」

     ぽつりぽつりと呟くように、ジャンが言う。

    「本当にね」

     私は頷いて、海辺の町をのんびりと歩いた。
     もう、取り乱さずにサシャの話をすることができる。悲しみが癒えたわけではないけれど、こうして懐かしむことができる程度には。

    「海が綺麗だな、ここは」

     ジャンが足を止め、太陽の光に手をかざす。その視線の先に広がるのは、真っ青な海。日の光を浴びて、キラキラと輝いている。
     確かに、綺麗だ。
     復興の進んでいない町は、美しいという言葉から程遠い状態にある。瓦礫が放置されており、道路の整備も不十分。住んでいる人は全くいない。仮設住宅すら、ここには建てられていなかった。綺麗に見える海の中だって、よく見れば、きっと廃棄物が溜まっていることだろう。
     それでも、遠目に見た海は何か大きな自然の美しさを見せつけているようだった。

    「パラディ島の海とは、少し違う」

     何の気なしに呟く。

    「そうだな」

     ジャンが頷く。

    「マーレの海とも」

    「ああ、確かに」

     ジャンには、意外とロマンチストなところがある。
     これといった説明を欲するでもなく、ただ私の言葉にしみじみと頷いていた。どこかすかしたような態度で。

    「泳ぎたいか?」

     質問されて

    「それどころじゃないでしょう」

     私はたしなめるように答えた。
     ジャンが、ククと小さく笑う。
     この空気が、心地良い。何をするでもなく、こうしてなんてことない話をすることが。

    「午後はずっと会議?」

     分かり切った予定を聞いて、そうだなと返事が返ってくる。ヒィズルにまで来たのは、何も観光や遊行のためではない。この国の復興と、今後の外交について話し合うためだ。明日以降は、実際に復興事業にも関わることになるだろう。
     そしてそれは、私にとっても他人事ではなかった。私の立場はジャンたちとはまた違う。ヒィズルの将軍家――よその国では王族と同一視されることもあるが――として、外交に関わらなくてはいけない。そうぼやぼやしてはいられないのだ。
     だからこそ、今だけ。
     今だけ、穏やかな空気を吸っていたい。

    「ミカサ」

     ジャンが、私の名前を呼んだ。見上げると、優しい笑顔を浮かべている。ジャンがこんな顔をするなんて、ずいぶん昔の私は知らなかった。今は、当たり前のように知っている。

    「何」

     私は答えて、微笑み返した。

     すると、私の声が消えるか消えないかの時のことだ。

     突然、体が揺れた。いや、揺れたのは体ではない。地面だ。

    「えっ」

     思わず、焦ったような声が出る。
     ぐらりぐらりと視界が歪んだ。

    「地震か」

     ジャンが言って、私の腕を掴んだ。2人で身をかがめる。

     ヒィズルは地震が多いと聞いていたけれど、来て早々に見舞われるなんてついていない。
     揺れはずいぶん大きくて、長いこと続いた。いや、そもそも地震というものになじみがないから、この揺れが大きいのかも長いのかも、私には分からない。でも、少なくとも自分にとっては酷いものであるように思えた。

    「大丈夫?」

     揺れが落ち着いてきたころ、ジャンに聞く。

    「ああ」

     一瞬ほっとしかけた時、安堵の気持ちを裏切るようなものが目に映った。

    「待って、向こう」

     水平線の彼方から。
     大きな、水の塊が押し寄せてくる。

    「なんっだ、あれ」

     ジャンもそちらを向き、ぎょっとしたように目を見開いた。
     波……津波だ。

    「逃げないと」

     私は立ち上がって、駆け出した。ジャンもすぐ隣についてくる。屈んだ時に掴まれた腕は、そのままだ。

    「近くに、他に人は?」

     走りながら聞く。

    「いねえはずだ」

     ジャンが答えて、ぐいと私の手を引いた。
     この辺りが廃墟同然だったことは幸いと言えるかもしれない。周囲に気を遣う必要がないから。

     だが、津波の速さは予想以上だった。
     最初に変化したのは、音。
     如何とも形容しがたい低い地鳴りのような音が迫ってくる。
     振り向くと、早くも海岸近くの瓦礫を飲み込んでいた。波の色は、先ほどまでの綺麗な海の青ではない。濁った暗い色だ。水しぶきの重なった部分だけが、白く弾けて見える。

    「まずいぞ、こりゃ」

     ジャンが呟いて、ハッと息を吐く。

    「立体起動装置があればすぐなんだけどな」

     私も同じことを考えていた。
     だが、無いものをどうこう言っても仕方がない。
     とにかく、走る。

    「向こうに高台が見える。きっと、こういう時のために作られたもの」

     ペースを上げながら告げた。

    「ああ、分かってる。あそこまで津波とかけっこして勝てりゃいいんだろ?」

     相当ハンデあったんだから、余裕だっての。
     軽口を叩きながら、ジャンも足を速める。

    「冗談言ってる場合じゃ――」

     溜息をつきかけた時、急に強い風が吹いた。
     向かい風。

    「っ!」

     声も出ないほど戸惑ってしまったのは、首元が涼しくなったから。いつもそこに巻き付けていたはずのものが、風に攫われる。

    「あ、おい!」

     ジャンも気づいて、声を上げた。

     赤いマフラーが、揺れながら背後に飛ばされて行った。しっかり首に巻いていたはずなのに、走っているうちに緩んでしまったらしい。迫りくる波の先にぐしゃりと落ちる。

     反射的に、体が動いた。
     マフラーを拾わないと。

    「馬鹿」

     それを押しとどめたのはジャンだ。

    「馬鹿って何――」

     叫ぶ私に、声を被せる。

    「死にてえのか!」

     そうしている間にも、津波は近づいていた。今にもマフラーを飲み込んでしまいそうだ。

    「でも、マフラーが」

     分かっていた。取りに戻ることなどできないと。しかし、感情が諦めることを許さない。

    「俺が取ってくるから」

     ジャンが、突き飛ばすようにして私の背中を押した。

    「お前は先に行ってろ」

     言うなり、踵を返してマフラーの元へ向かう。

    「待って、それはダメ」

     慌てて、声を投げつけた。
     それでも、ジャンは止まらない。マフラーのもとに辿り着き、それを手に掴んだ。私の方を振り向いた顔には、余裕めいた笑みが浮かんでいる。

    「ほら、見てんじゃねえよ。急げって」

     怒鳴るような声が、確かに耳に届いた。

     津波が、押し寄せる。
     ジャンがそれから逃れるようにして走る。

    「大丈夫」

     私は、高台の方に目を向けると、自分に言い聞かせるようにして呟いた。
     ジャンは背が高いし、もともと足も速いし。あの速さなら、きっと間に合う。
     言い聞かせながら、高台を目指して走る。

     轟音が、どんどん大きくなってくる。
     耳に迫る。つんざこうとする。

    「大丈夫」

     言い聞かせる声が震える。
     
     ドン、と強い衝撃が体を包んだ。

    「大……丈夫……だから……」

     振り返る。
     そこには、海しかなかった。
     綺麗だった海が、一面を覆いつくしている。私の体も、その水の中にあった。

     ――大丈夫じゃ、ない。

     波に、追いつかれてしまったのか。

     視界がかすみ、息が苦しくなって、私は意識を手放した。



    「ミカサ様! 目を覚まされましたか」

     次に気が付いた時、私は布団に寝かされていた。

    「……キヨミさん」

     視界に入ったのは、心配そうなキヨミさんの顔だ。

    「申し訳ありません。まさか、こんなことになるとは思わず。ミカサ様が無事で本当によかった……」

     話によると、私は高台近くで鉄骨の柱にしがみついていたところを発見されたらしい。擦り傷や打ち身の他、目立った外傷は無し。運がいいのか、これもアッカーマンの生存本能によるものなのか。
     でも、そんなことはどうでもよかった。

    「あの、ジャンは? 一緒に、いたんです。無事ですか?」

     それが、今は一番気になる。
     無事でいてほしい。だって、そうでないと。

     しかしキヨミさんは、黙って目を伏せた。

    「キヨミさん?」

     目を伏せたまま、ゆるゆると首を横に振る。

    「分からないのです」

    「分からないって、そんな」

    「ご一緒だったことは存じております。探させていますが、まだ消息は……」

     分からないと言葉を濁しているが、それが意味しているところを察せないほど、私は子どもではなかった。

    「どうして、だって」

     震えがちに、声が出る。

    「ミカサ様」

     キヨミさんが、なだめるように私の名前を呼んだ。だけど、震える声が止まらない。

    「私は……私が、誘ったから……」

     私のせいだ。2人で出かけたいなんて言ったから。マフラーを、取りに戻ろうとしたから。

    「ミカサ様」

     キヨミさんの口調が、少しだけ厳しくなる。かなりの高齢だが、キヨミさんの凛としたたたずまいは老いを感じさせない。その凛々しさが、今は目に痛かった。

     だって、私のせいなのに。私のせいで、こんなことになってしまったのに。

    「ミカサ様の責任ではございません」

     キヨミさんの言葉は、右から左へと流れる。

    「……1人にしてください」

     それしか、言うことができなかった。

     どうしてあの時、マフラーを取りに行こうとしてしまったんだろう。

     1人になって、考える。

     条件反射? 体が勝手に? 
     そんなの、言い訳に過ぎない。
     あの状況で引き返そうなんて、どうかしていた。一瞬でも、躊躇ってはいけなかったのだ。私が引き返そうとしなければ、ジャンだってマフラーを取りに行こうとはしなかったはずなのに。そう、あんな無茶なこと、ジャンがするはずない。よりによって、あのジャンが。

     私のせいだ。
     マフラーを手放せなかった。あれがないと、生きていけないと思ってしまっていた。そういう風に、ずっと生きてきた。だから。

     どうして、気づけなかったんだろう? 本当に大事なのは、マフラーでは無かったのに。
     夜の匂いが、鼻をくすぐる。

     ――やるよ、これ。あったかいだろ。

     エレン。あなたがマフラーを巻いてくれた。その事実が、その温もりが、大事だっただけなのに。

    「寒い」

     力のない、声が出る。
     マフラーが無いせいじゃない。
     エレンがいなくなってからずっと近くにあった温もりが、なくなってしまったから。

    「大事、だったの」

     申し訳なさからなんかじゃない。
     私がジャンに告白してほしかったのは、それを受け入れたのは、私が彼の傍に居たかったからで。
     ジャンの隣の居心地が良かったのは、私の中にも特別な気持ちがあったからで。

     エレンとはまた違う不器用な優しさに、いつも緊張させられていた。だけど一方では、大切にされていることに安心していた。

     好きだったんだ。
     付き合い始めてからも何もされなくて安心したのは、きっと、自分の気持ちに向き合わずに済んだから。私がただ、エレンのことを想い続けていれば良かったから。エレンのことだけを考えていればよかった。ジャンは、それを許してくれた。
     だから――

     でも、その結果がこれだ。
     もっと早くに、きちんと向き合っていればよかった。
     本当に大事なものが何なのか。
     マフラーよりも大切な、温もりの意味に。



     知らせが入ったのは、翌日のこと。

    「ミカサ様、見つかりました!」

     キヨミさんが息せき切って入ってきた。目的語は、聞かなくても分かる。
     深呼吸して、立ち上がる。
     促されて付いて行くと、同じ建物の一室に通された。

    「こちらです」

     ドアが開き、中の様子が見える。

    「……ジャン」

    「おう、ミカサ」

     ジャンが、いた。動いて、声を発した。
     まるで何事も無かったかのように、いつもと同じ仕草で。布団に寝たままではあるが、元気そうだ。

    「……生きてる」

     ポロリと言葉が漏れ出る。

    「ああ、生きてる生きてる。勝手に殺すな」

     ジャンが困ったように笑って、肩をすくめた。

    「キヨミさん! 見つかったなんて言い方するから……」

     思わず声を荒げると、キヨミさんが口元を隠して笑った。

    「はい、ご無事で見つかりました」

     ……良かった。
     全身の力が抜けて、その場にへたりこみそうになる。

     話によると、ジャンは大きな木材に捕まって流されていたらしい。外れの方に流されて気を失っていたところを発見されたと。だがこれは、奇跡的なことらしい。

    「怪我は、ないの?」

    「足の骨が折れちまったみたいだが、そのぐらいだな」

     顔にも切り傷の跡が見えて痛々しかったが、ジャンは平気な顔をして笑った。

    「ミカサ、ほら」

     差し出してきたのは、マフラーだ。

    「俺が命懸けで取り返したんだぜ」

    「……馬鹿」

     命懸けで、なんて冗談にもならない。

    「馬鹿はないだろ、馬鹿は」

     私が取りに戻ろうとしたときには自分だってそう言ったくせに、今のジャンは不満げな声を上げた。

    「大事なものなんだから、もう落とさないようにしろよ。しっかり巻いとけ」

     マフラーを外せとも、なくさないようにしまっておけとも言わずに、ずいと突き出してくる。

    「……いらない」

     私は、首を横に振った。首を横に振るべきだと思った。今気持ちを断ち切らないと、きっと、一生とらわれてしまう。

    「はあ?」

    「もう、いらない。それがなくても……寒く、ない。ので」

    「ミカサ」

     強情に首を振る私を見て、ジャンは溜息をつく。

    「あのな、お前が何考えてるのか知らねえけど、これは俺が必死で取り返したもんなんだぞ」

    「それは、そう、だけど……」

     気づいたのだ。それが無くても、もう困らないと。いやむしろ、手放してしまえた方が良いのだと。

     しかし、ジャンはじっと私を見て言った。

    「いいか、ミカサ」

     声のトーンをぐっと落として。

    「お前は悪くない。このマフラーを大事にするななんて言う奴がいたら、俺がぶん殴ってやる」

     心を読まれたような気がして、どきりと心臓が跳ねた。

    「悪かったよ、心配かけて」

     ジャンは、ゆっくりと言葉を続けていく。

    「でも本当にな、お前のせいじゃないんだぞ。大事なものなんだろ、このマフラーは。お前が心底大事にしてるものだから、俺も取りに行きたくなった。それだけだ」

     優しい人だと思う。こんなことを、素で言ってしまえるなんて。
     幼い頃にエレンと喧嘩ばかりしていたのが嘘みたいだ。今だって、時にはあの頃のような嫌味を口にするものだけれど。

    「いいのかな、大事にして」

     私はマフラーを受け取って、呟く。

    「当たり前だろ」

     安心したように、ジャンが笑った。
     マフラーは、まだ少し湿っている。両手でそっと握りしめると、水滴が腕を伝った。

    「あの……」

     少し考えてから、私は思い切って口を開く。

    「なんだ?」

    「巻いてほしい」

     寝ているジャンのすぐ近くに歩み寄って、じっとその顔を見た。

    「あなたに、このマフラーを巻いてほしい」

     ジャンの目が、大きく見開かれる。

    「何、言ってんだよ」

     よほど驚いたらしい。信じられないと言った感じで、声を発した。
     無理もないだろう。エレンがいなくなってからというもの、私は自分自身の手でマフラーを巻いてきたのだから。誰にも、マフラーには触らせてこなかった。

    「お願い。あなただから頼んでいるの」

     呼吸を整えながら、声を絞り出す。

    「確かめさせてほしい……私の、気持ちを」

     私が真剣に言っていると分かったのだろう。
     ジャンは頭を掻いてから、「ああ」と低く頷いた。

    「なら、分かった」

     私の手からマフラーを取る。節の目立つ手が私の首元に伸びてきて、慣れない様子でマフラーを巻いた。
     壊れ物を扱うかのような、優しい手つき。エレンの巻き方とは全然違う。でもその違いが、不思議と寂しくない。
     ずっと大好きだった1人きりの家族と、黙って近くに居続けてくれた仲間。
     全然違う、2人の人。
     だけどどちらも、愛しい人。

    「ありがとう……」

     私は重たいマフラーに、そっと手を添えた。
     水で冷たいはずなのに、むしろ温かささえ感じる。

    「ありがとう、ジャン」

     あなたが生きていてくれて、良かった。
     マフラーを巻いてもらえて、良かった。


    【眠れない夜】

     ――ああ○○、どうして死んでしまったんだ。

     誰かが、泣いている。真っ暗闇の中。聞いた覚えのない声だ。死んだという奴の名前は、上手く聞き取れない。

     ――殺されたんだよ、調査兵団の新兵に。

     新兵? 調査兵団の新兵って、誰のことだ?
     俺は暗闇の中、眉を顰める。

     ――調査兵団、とんでもねえ組織だ。

     声が、吐き捨てるように言った。
     いつの話だよ、これは。誰が話してるってんだ。

     ――あいつは良い奴だったのになあ。

     良い奴だったのに、殺されちまったのか。そりゃ、そりゃあ悲しいよな。

     ――他人事みたいに言うなよ、ジャン。

     突然、黒々とした双眸が俺を捉える。
     この目は、誰の目だ?

     ――お前も、人を殺したんだろ。

     この声は、この顔は。半分崩れてなくなってしまった、この体は。

     ――ガッカリだな、本当に。

     マルコの口が歪んで、俺を責め立てる。
     マルコ、お前……。
     いや、でも。
     そうだよな。
     ガッカリ、するだろうよ。



    「――ッ!」

     汗だくになって、目が覚める。

    「なんっつー夢だ」

     何度も何度も繰り返される夢。大義のために殺された人間が、夢に出てきて俺を責める。俺が殺した人間が、いつでもじっとこちらを見ている。

    「冗談じゃねえよ、んっとに」

     お前らには、恨む資格があるさ。そして俺には、恨まれる理由がある。
     どうしようもねえな。こればっかりは。

    「……んん」

     隣で、ミカサの声が聞こえた。
     ミカサと生活を共にするようになってから、早半年。籍を入れたわけじゃないが、事実婚のような状態が続いている。ベッドこそ違えど、寝室も同じだ。
     起こしてしまわなかっただろうか?
     歩いて行ってそっと覗き込むが、ぐっすりと眠っているようだ。良かった。

     俺もミカサも、近頃は寝つきが悪い。
     俺は嫌な夢を見る程度のものだが、ミカサは毎日のようにエレンの名前を呼んでいる。涙をこぼす時さえある。エレンがいなくなってから、もう十年以上経つというのに。
     どんなに辛いだろう。
     俺だってヤツとはそれなりの仲だったが、毎晩夢で落ち合うわけじゃねえ。ミカサの気持ちを想像するのは、難しかった。
     ミカサの頬に、乾いた涙の後を認める。泣きつかれて、眠ってしまったんだろうか。
     いつもいつも、俺はミカサが熟睡したのを確認してからようやく眠りにつくことができる。

     俺とミカサは、付き合っている――らしい。
     俺はミカサに告白して、受け入れてもらえた。
     その後もなんやかんや色々なことがあり、ミカサからも積極的に好意を伝えてもらえるようになった。
     しかし、それだけだ。俺たちの関係は進展しない。さっき事実婚と言ったが、もっと素っ気ない言い方をすれば、ただのルームメイト同士だった。
     強いて進展を探すならば出かけるときに手を繋ぐようになったとかその程度のもので、俺の口の悪さは相変わらずだし、ミカサの残念な言語能力も以前と同じ。性的なことは愚か、軽いキスさえしたことがない。

     だがきっと、これでいいんだろう。
     贅沢を言うと、ますます夢見が悪くなりそうだ。

    「分かってんだ。俺は幸せだよ」

     うすぼんやりとした天井に向かって呟き、再び布団をかぶる。



     翌朝、朝食をとりながらミカサが口を開いた。

    「昨日、うなされてたみたいだけど」

     怪訝そうに俺の顔を見る。

    「何かあった? 大丈夫なの?」

     どうして気づいたんだ?
     疑問に思いつつ、俺は肩をすくめた。

    「さあ、覚えてねえな。ああでも、ずいぶん愉快な夢を見た気がするぜ」

     適当なことを言って誤魔化す。

    「そう」

     ミカサは釈然としない表情で頷いた。

    「なら、いいけど」

     心配かけたくなかっただけなのに、その表情はどことなく寂しげに見えた。
     そんな顔されると困る。

     どうしていいか分からず、俺は黙って台所の棚に歩いた。酒瓶を一本取り出す。今日は休日だし、景気づけに一杯やったって、罰は当たらないだろう。

     だが、案の定ミカサが嫌そうに言った。

    「朝からお酒」

     ミカサも酒は好きだが、俺が飲みすぎることには良い顔をしない。

    「弱いやつだよ」

     酒瓶のラベルを見せながら言うが、返事は淡白だ。

    「体に良くない」

     きっぱりと、それだけ。にべもない。

    「知らないのか? 酒は薬になるんだぜ」

     いつもの口上で食い下がるも、

    「あなたのは過剰摂取」

     じっとりとした目を向けられて終わる。

    「分かった分かった、朝からはやめるって」

     せっかくの休日だが、仕方がない。夜の楽しみにしよう。
     酒瓶を戻した俺に、ミカサが告げる。

    「本当に最近、飲みすぎだよ」

    「そうかもな」

     飲みすぎが体に悪いことは百も承知だが、酒が薬になるのだって本当だ。
     戦後の復興に、福祉の整備、外交、考えなきゃならねえことが山積みな上、夜は嫌な夢を見ると来た。酒でも飲んで誤魔化さないと、やっていられねえ。

    「まあ、気を付けるって」

     冷ややかなミカサの表情から目を逸らし、頬を掻く。



     その晩。
     ミカサが眠りに落ちたのを確認して、台所に向かう。
     ミカサは今日も、エレンの名前を呼んでいた。きっと、本人に自覚はないのだろう。夢の中でエレンと会っているなら、どんな話をしてるんだか気になるもんだ。

     ワインのボトルを取り出して、昔はこれに脊髄液が仕込まれたこともあったなと思いだした。
     ニコロのやつは、元気にしてるだろうか。最近めっきり会えていない。サシャの家族と生活を共にしているはずだが。

     ――サシャの仇を討つだけだ。

     ずっと昔、アイツがそう言ってガビに包丁を突き付けた時、本気で止められない自分がいた。子供1人殺したって何の解決にもならねえし、あれは戦闘行為の一環だった。分かってはいても、心のどこかに「仕方ないかもな」という気持ちがあった。
     そもそも俺だって、サシャが撃たれた直後ガビに向かって発砲したのだ。自衛のため、2人を捕えるため。いくらでも理由は見つかるが、一番はやはり怒りだった。あの時の俺は、怒りに身を任せてガビを撃った。
     銃弾は外れ、その後もガビを殺すことは無かったが、あの時の自分の感情は今も胸の奥に居座り続けている。

     それを飲み下すようにして、ワインをあおった。

     ――すまない。

     何の意味もない謝罪の声。
     鬱々とその言葉を繰り返していたライナー。
     今は随分元気になったものだが、あの頃は本当に酷かった。

    「謝るのは、傲慢なのか?」

     あの時殴りかかってしまった自分自身に問う。
     理性を手放したあの時の自分に。

    「まあ、そうなんだろうよ」

     また、ワインボトルを傾ける。
     俺は酒に強い方だ。水を飲むのと同じ感覚で流し込めてしまう。だが水と違って、飲めば飲むほど喉が焼けて乾いていく。

     ――お前が殺したんだ。

     ――裏切ったんだろ?

     ――どうかしてる、本当に。

     誰かの声が頭の中でこだました。
     それを消し去りたくてワインをあおるが、まるで効果がない。むしろ、どんどん声が大きくなっていくかのようだ。

    「酔ってんのかね」

     今日は独り言が多い夜だ。
     全部、酔いのせいにしてしまえれば良いのに。

     自分を責める声が聞こえるのも、次から次へと余計なことを考えてしまうのも。

     隣の部屋で眠っているミカサの顔。エレンの名前を呼ぶ、彼女の声。エレンのこともミカサのことも大切に思っているのに、湧き上がってくるこの感情は。

    「ああ、クソが」

     こんな気持ちに、なりたくねえ。
     ボトルを傾けて、一気にワインを飲み込んだ。



     頬に鋭い痛みが走って、目が覚める。

    「いい加減にして」

     目の前にあるのは、ミカサの怒った顔だ。眉間にしわを寄せ、ドスの利いた声で俺に詰め寄る。

    「あ、何だ……?」

     恐ろしい表情でも美人は美人なんだよななんて場違いなことを思いながら、首をかしげる。
     昨日は確か、リビングで酒を飲んでいて、それで……

    「酔いつぶれるまで飲むなんて、良くない」

     ああそうか、そのまま寝ちまったのか。

    「お酒はほどほどにと言っているはず。もう若くないんだから。寝るときは、ちゃんと自分のベッドで寝て」

     ミカサが、一言一言区切るように言う。

    「悪い……」

     だが、そう頻繁に酔いつぶれてるわけじゃねえ。今日はたまたま、疲れてただけで。

    「なんでこんなに怒るんだ? って思ってるでしょう」

     ミカサが、机の上に転がっていたワインボトルを手に取る。

    「いや、別に……」

    「ボトルを片付けもしないで寝てるとか、リビングでだらしなくよだれを垂らしてるとか、そういうことに怒ってるわけじゃないの。私が怒っているのは、何度言ってもあなたが自分の健康を顧みないこと」

     いや絶対、前半部分についても怒ってるだろ。
     そうは思ったが、口を挟めない。

    「ねえ、分かってるの? せっかく生き延びたのに、自分で自分の寿命を縮めるようなことしないで」

    「大丈夫だよ、大げさだな」

     なだめるようにして、俺は手をかざした。

    「たまに飲みすぎちまうだけだろ。そうそうコロッと行ったりしねえよ」

     精一杯軽い口調を作って言うが、逆効果だったらしい。

    「コロッとって……」

     ミカサが、息をのむ。
     そして口をつぐむと、踵を返して台所に向かった。

    「ミ、ミカサ?」

     追いかけると、棚からワインやビールを取り出している。

    「お前、何し――」

    「捨てる」

    「は?」

    「お酒は全部捨てる。もう飲ませない」

     待て待て待て。
     なぜそうなる?

    「ミカサ、落ち着けって」

     俺はミカサの肩に手をかけて、振り向かせた。
     しかし振り向いた顔が泣いているのを見て、思わず手を離す。

    「な、なんで泣いて……」

     さっきまで、怖い顔してたじゃねえかよ。

    「なんで?」

     信じられないと言った感じで、ミカサが俺の言葉を繰り返した。

    「どうしてわかってくれないの?」

     その場に座り込むと、抱えていた酒類を放り出すようにして床に置く。

    「心配だって言ってるの。だってあなたに、あなたにまで、死んでほしくないから」

     黒い瞳いっぱいに涙が溜まり、頬を伝って落ちていった。
     次から次へと、涙が流れゆく。

    「あ……いや……」

     やっちまった。
     間違えた、明らかに。

     膝をついて、座り込んだミカサに視線を合わせる。

    「悪かった。今のは、俺が悪かった。すまない」

     ミカサは黙って俯いた。涙の粒が、顎から落ちる。

    「捨てたいなら、捨てていいぞ。……もったいねえから、誰かにあげた方が良い気もするが」

     自己嫌悪の気持ちを殺して告げる。

    「ジャン」

     ミカサが顔を上げ、手を伸ばしてきた。屈んでいる俺の首筋に手のひらを添わせる。

    「悩みがあるなら、ちゃんと話してほしい」

     悩み、か。

    「そんなもんねえよ」

     悩めるような大層なご身分じゃねえし、俺は今お前といられて幸せなんだから。

     だがミカサは、まっすぐ俺を見つめたまま言った。

    「誤魔化さないで。私だって、あなたがお酒で気を紛らわせていたことくらい分かってる」

     俺の耳元に顔を寄せ、間近で囁く。

    「あなたには私がいる……ので、一人で抱え込む必要はないのに」

     吐息に耳をくすぐられて、体温が上がった。
     抱き合ってるみたいな姿勢だ。
     こんなに近くで触れ合うのは初めてで、心臓が早鐘を打つ。

    「ミ、ミカ……」

    「教えて。あなたが考えていることを」

    「分かった。分かった……から、いったん離れろ」

     俺に言われて初めて、距離が近すぎたことに気付いたらしい。
     勢いよく、ミカサが体を引いた。

    「ごめん、思わず」

    「い、いや、全然構わねえんだが……」

     俺は、先ほどまでミカサの手が添えられていた首筋を撫でる。なんだか、少しくすぐったい。
     どうしたらいいだろうか。
     どうすれば、こいつを安心させられる?
     考えたが、何もいい方法は浮かばなかった。自分のことを馬鹿正直に話すくらいしか。

    「……嫌な、夢を見るんだよ」

     仕方がないから、ようやく小さな声で吐き出した。

    「夢?」

     ミカサに促され、その内容を話す。自分の殺した兵士が夢に出てくること。パラディ島の人々から裏切り者だと罵られること。マルコから責められているような気がすること。他にも、自分の犯した罪が、次から次へと蘇ってくることを。

    「分からねえんだよ、ミカサ」

     俺は、額に手を当てて言う。

    「俺は、最善を尽くしてきたつもりだ。自分が間違ってたなんて思わねえ。それでも、到底許されるようなことじゃねえから」

     和平交渉はいったん落ち着き、今の世の中は一時の平穏に包まれている。復興やら何やら課題は多いが、危機的な状態は過ぎた。
     だがそんな中で平和を甘受すればするほど、「忘れるなよ」と声が囁く。
     俺は罪を犯した人間だ。俺たちは、大罪人だ。
     そのことを、絶対に忘れてはいけない。

    「ジャン……」

     とりとめのない俺の話を聞いて、ミカサが眉を下げる。

    「いや、悪かった。こんな話して」

     俺は苦笑いして言った。

    「忘れてくれよ、こんなもん。俺の気持ちの問題なんだから」

     はは、と乾いた笑みをこぼす。

    「だから、そうやって誤魔化さないでと言ってるの」

     ミカサが深くため息をつき、俺の顔を見据える。

    「あなただけの問題じゃない。一緒に考えよう」

     一目惚れした時と同じ、真っ直ぐな表情だ。それを見ると、心臓がどくりと動いた。



     それ以来、酒を飲む代わりにミカサと話す時間が増えた。
     真剣に話し合うこともあれば、ただ雑談をして終わることもある。
     俺たちがやってきたこと、嫌な夢のこと、エレンとの思い出。

    「ありがとな、話聞いてくれて」

     ある時、話の後にそうこぼすと

    「お礼なんて言う必要ない。私だって聞いてもらってるし、それに……私たちは、家族、なので」

     ミカサは真っ赤になって、俯いた。

    「……家族」

     思わず、その言葉を繰り返してしまう。
     恋人としての関係すら発展していない気がするのに、家族と来たか。

    「変な意味じゃない! 急にどうこうしようってことじゃなくて」

     ミカサが慌てて両手を振った。

    「あ、いや、分かってる。分かってるっての」

     テンパる姿につられて、俺もテンパってしまう。

    「ね、寝るか。もう」

     夜遅かったのでそう告げ、2人で寝室に向かった。
     いつものようにミカサが自分のベッドにもぐり、俺は隣の椅子に腰かける。
     ミカサが寝付くまで見守るのが日課だ。

     だが、今日は少し違った。

    「もっと、傍にいてほしい」

     ミカサが、俺の手を引く。

    「ああ」

     俺は、数歩分ベッドに近寄る。

    「そうじゃないの。もっと……」

     手を引く力が、強まった。
     思わず、ベッドの上に倒れ込む。ミカサの顔がすぐ近くにあり、少し強張っているのが分かった。

    「お、おい。さっき、そういうんじゃないって……」

    「ええ。だから、そういうのではなくて」

     ミカサは頷いて続ける。

    「近くにいたいだけ。あなたの体温を感じていたい。ただ、それだけ」

    「そうか」

     俺は得心して、小さく笑い声を立てた。

    「そうだな、一緒に寝るか」

     狭い布団の中に潜り込み、ミカサと背中合わせで横になる。
     何もしない。今の関係を壊すようなことは、何も。
     ただ背中越しに伝わる温かさを、ずっと感じていた。


    【結婚】

    「お召し物の具合はいかがですか?」

    「なんか、緊張します」

    「そうでしょうねえ。しかし、とてもよくお似合いですよ」

     13歳の頃の自分に教えても絶対に信じないだろうが、ミカサと籍を入れることになった。正直、今の自分にも信じられていないからもう一度書く。ミカサと籍を入れることになった。ついに。
     今日は、結婚式の当日だ。
     アズマビトの計らいで、このご時世にしては豪勢な式を上げることになった。
     ヒィズル式の婚礼だとかで、慣れない和服を着せられている。
     似合ってると言われても、正直よく分からねえ。

    「だけど、とうとうか」

     当然のように隣にいるのはコニーだ。

    「随分長かったね。意外と、すぐくっつくんじゃないかとも思ってたけど」

     さらっと、とんでもないことを言うアルミン。

    「俺たちも、もう四十近いからな」

     腕組みをして頷くライナー。

    「いちいちうるせえ奴らだな。てか、何で控室に来てんだよ。式場にいろよ」

     多少げんなりして、俺は溜息をつく。

    「いやいや、祝福してるんだよ。ね?」

    「そうそう、緊張してるお前を励ましに来てやったってわけ」

     好き勝手なことを言われて、また溜息。話を逸らせないかと、無難な話題を振る。

    「今日は兵長たちも来られるんだっけか?」

    「うん。ファルコとガビと、オニャンコポンと、4人で来てるよ」

     そいつは良かった。兵長はきっと、知らせを喜んでくれただろう。滅多に感情を見せない人だが、あの人の部下に対する思いやりの深さは十分に知っている。

    「それにしても、アルミンが式を挙げたのはもう10年前になるのか?」

     ライナーが、懐かしむように目を細めた。

    「8年だよ、正確には」

     律儀に訂正するアルミン。コニーが、後に続けて言う。

    「その後すぐ、ファルコとガビも結婚して……」

    「すぐってわけじゃないだろ。あれはまだ4年前だ」

     俺が突っ込むと、ライナーが首を傾げた。

    「あれ、5年前じゃなかったか?」

    「4年半くらい前だったよ、確か」

     アルミンが頷いて、ライナーとコニーを見る。

    「対して、2人は全然浮いた話が無いよね」

    「今する話か? それ」

     コニーは露骨に眉を顰め

    「俺の心は永遠にヒストリアのものなんだ」

     ライナーは平然と気持ちの悪いことを言う。

    「気持ちの悪さで言ったら、ジャンの一途さも相当だよ」

     内心を読んだかのように、アルミンが突っ込んできた。

    「勝手に心を読むな」

     俺は鏡に映った自分を見ながら、顔を顰めた。薄化粧までした顔は、自分のものじゃないみてえだ。
     ちょうどそのタイミングで、アズマビトの付き添いの人から声を掛けられた。

    「そろそろお時間です。みなさんは会場の方にお戻りになってください」

     いよいよだ。
     緊張ってのは、慣れないもんだな。
     40近い大の男が、ハレの日に小さく震えている。

    「おし!」

     自分を奮い立たせるように、鏡に向かって吠えた。



     だが、緊張したほどのこともなく、式はつつがなく進んだ。
    「異議あり!」と乱入してくる者もおらず、うっかり台詞や手順を間違えてしまうなんてこともなく。ほんと、拍子抜けするくらいだ。

     そして、ミカサはとても美しかった。
     着物のことはよく分からないと言ったが、撤回する。着物姿のミカサは、とても可愛い。
     赤いアイラインで強調された目元、恥じらうように小さく笑う口元、きっちりと結わえられた黒髪。純白の衣装で、美しさが引き立つ。とても言葉では言い尽くせないほど、魅力的だ。遠目に見ただけで体温が上がり、肩が強張る。上目遣いに見つめられれば、それだけで理性が吹き飛びそうだ。
     この結婚式を見てミカサに劣情を抱く野郎が現れないといいんだが。



     式の後、服を着替えてエレンのお墓に行く。
     ことあるごとに墓参りには来ていたが、改めて結婚の報告をするために。

     ミカサが花を添え、慈しむように墓石を撫でる。
     それを合図にしたかのように、ぽつりぽつりと雨が降り出した。

     傘、持ってきてねえな。運が悪い。そんなことを思いながら、ミカサの後ろに立つ。

    「エレン、私たち、結婚したの」

     ミカサが、囁くように言った。

     俺も隣に屈むと、手を伸ばして墓石に触れる。

    「一生、大切にするから」

     どこかで聞いているかもしれないエレンに向かって宣言した。
     お前が無責任に死に急いだこと、絶対に許さねえ。俺は俺なりのやり方で、ミカサの傍に居ると決めたから……お前は、どっか遠くで悔しがってろ。

    「エレン」

     名前を呼ぶと、ミカサと声が被った。ああ、本当に。この大馬鹿野郎のこと、死ぬほどムカつくのに嫌いになれねえ。

     雨脚が強まる。ずいぶん激しいにわか雨だ。

    「……い」

     ミカサが、何か呟いた。

    「ごめんなさい」

     雨音に紛れて聞こえにくいが、謝っているようだ。
     誰に対してか?
     視線の先と表情を見れば、すぐに分かる。
     エレンに対してだ。
     エレンに謝りながら、ミカサは涙を流していた。雨も涙も見分けがつかないはずなのに、ミカサの涙は色づいて見える。黒い瞳から細く流れ落ちる涙が、嫌でも目に入った。

    「ミカサ」

     俺は、呼びかけるでもなくそう言って、ミカサの頭に触れる。
     濡れそぼった髪の毛を、そっと撫でた。
     泣けばいい。
     いくらでも、泣いて、泣いて、泣いて。
     エレンを愛し続ければいい。
     それでもいつかは、笑ってほしいが。

    「ジャン」

     しばらくして、ハッとしたようにミカサが呟いた。

    「こんな日なのに、私……」

    「どうした?」

    「……ごめんなさい。どうして涙が出るのか、分からない」

     分からないわけあるかよ。
     でも本当なんだろうな。

    「大丈夫だ、ミカサ。お前を責めるやつなんて、どこにもいない」

    「ごめんなさい、違うの、でも……」

     ミカサが俺の顔を見上げる。両手を広げて、こちらに伸ばしてくる。小さな子供が、母親を探すように。

    「俺は、どこにも行かねえよ。ずっと傍に居る。一生、大切にする」

     今度はミカサに向かって宣言して、力強く抱き寄せた。
     心臓の鼓動が互いの体を揺らす。
     頬と頬が触れ合って、冷たい雨の中で確かな熱を帯びた。

    「好きだ」

     低い声で告げる。正面切ってこんなにも単純な言葉で伝えるのは、もしかしたらまだ二度目かもしれない。

     ミカサがほんの少しだけ体を逸らし、顔の角度を変えた。
     斜め下から、鼻と鼻がぶつかりそうな位置に。
     吐息が、唇を撫でた。

    「ミカサ」

     俺は念を押すように言って、唇を重ねる。
     熱い、口の温度を感じた。
     ミカサは、離れようとしなかった。ただなされるがまま、身をゆだねてきた。

     何をやっているんだろう、エレンの墓の前で。
     でもこれが、唇同士で交わす初めてのキスだった。
     そしてこのキスは、互いを求め合うものではなかった。
     哀しいことに、いや、今までだってずっとそうであったように、互いの熱をしかと感じるためだけの触れ合いだった。そこに相手がいることを確かめて、ただ安堵するための。



     話は変わるが、ほどなくして明るい知らせが届いた。
     ファルコとガビの間に子供が生まれたというのだ。
     2人の喜びようはすごいもので、兵長も笑顔を見せていた。そして彼らよりも一層派手に喜んでいたのがライナーだ。親戚の子供なのだから、そりゃ嬉しいだろう。はたから見ていて引きそうになるほど、赤ん坊を溺愛するようになった。

    「ライナーに子守りさせたら、つぶされちゃいそう」

     ガビは、そんなことを言って不安がってもいたが。


     そんな姿を見ていたからだろうか。

    「ガビたち、幸せそうだね」

     ある晩、ミカサが寝室でそう言った。

    「ああ」

     俺は答えて、ミカサの顔を見た。

    「もし、私たちに子供がいたら、私は子供を愛せるかな」

     ミカサが目を伏せる。

    「最後まで、一緒にいられるかな。寂しい思いを、させずに済むと思う?」

     こんな言い方をするのは、自分が寂しい思いをしてきたからだろう。両親を殺され、エレンすらも自分の手にかけることになって。
     いや、それだけじゃねえか。ヒストリアや兵長、ライナー、アニ。複雑な家族関係を、何度も見てきた。
     『家族』についてやすやすと語れないことを、俺たちは嫌というほど知っている。

    「……お前は、きっと大丈夫だよ」

     俺は少し躊躇ってから、ミカサの頭を撫でた。

    「お前なら、何より自分の家族を大事にできる。どんな子供が相手でも、ちゃんと向き合って、一緒にいてやるはずだ。間違いない」

    「でも……」

    「人間だからそりゃ、上手くいかないときはあるかもしれねえけど」

     俯いたままのミカサに言う。

    「その時は俺がいる。俺だって、大事にする。何があっても、絶対に」

     安心させたくて、正しい言葉を探した。

    「お前のことも、家族のことも、きっと愛し続ける」

     ミカサが顔を上げ、視線を合わせる。
     それから少しずつ体の力を抜いて、ベッドに倒れ込む。俺はその体を支えるようにして、上から押しかぶさった。

    「それなら、来て」

     誘うような台詞。

    「良いのか?」

     俺は、吐息交じりに問う。

    「ええ」

     ミカサが、頷いた。



     だが結論から言うと、その日は何事もなく終わった。
     お互いその気はあったのだが、上手くいかなかったのだ。理由については、詳しく語らせないでほしい。聞いた話じゃ、別によくあることなんだろ?

    「……とても申し訳ない」

     翌朝になってから、本当の本当に申し訳なさそうに言われてしまい、居心地が悪かった。

    「いや、良いんだ。そんな時も……ある」

     そんな時もあるどころか、これから先もずっとこのままなんじゃないか? と思わないでもなかったが、無理やり進めるのは最悪だ。

    「……今まで、どうしてたの?」

     しばらくの沈黙の後、聞かれる。

    「どうしてたって?」

    「だから、その……」

     しまいまで言わせるなとでも言いたげに、ミカサの視線が俺の下半身に注がれる。

    「が、ガン見するなよ……」

     俺は姿勢を変えて、咳払い。

    「どうしてたも何も、普通だよ、別に」

     顔が赤くなるのを感じながら言った。

    「風俗とかは行ってねえし、他の女と寝たこともない」

    「えっ、じゃあ……」

    「言うな言うな! それ以上!」

     思わず机を叩いてしまい、バンと大きな音が鳴る。それを見て、ミカサがふっと頬を緩めた。

    「ちょっと意外だった」

    「なんだそれ」

    「ううん、でも、ジャンはジャンだなとも思った」

    「だから、なんだよそれ!」

     ああクソ、恥ずかしい。
     他の奴らがいなくて良かった。



     それからしばらくして、俺たちは初めて関係を持った。
     40歳を目前に控えた時のことだ。遅すぎるという人がいるかもしれない。だが実感としては、これでも早すぎるような気がした。

     そして数か月が過ぎた頃。
     ミカサの妊娠が、発覚した。

    「おい、それ、本当に……」

     知らせを聞いた時、正直信じられなかった。
     喜びを自覚するよりも先に頭が真っ白になり、後になって、あれは感動のあまり思考が停止していたんだなと気づいたくらいだ。そこまで取り乱すなんて、この俺にしちゃあ珍しい。

     目を見開いて固まる俺を見て、ミカサは柔らかい笑みを浮かべた。

    「嬉しい、私」

     まだ小さなお腹を撫でて、目を細める。

     高齢の出産はハイリスクだと言われたが、もとよりミカサもそれは分かっていた。産むことに迷いはない。

     出産の際も、幸い大きな問題が起きることは無かった。
     母子ともに健康で、面会が叶う。

     そこで生まれたばかりの子供を抱いた時。
     本当に、他のことが全て頭から消え去った。山積みになっている課題も、自分が犯してきた罪も。都合がいいと思われるかもしれないが、世界がどこまでもまっさらになったように思えた。
     そして、その真っ白な紙の上に、自分の子どもがいた。

    「綺麗だ」

     思わず、言葉がこぼれ出る。

     なんて綺麗なのか、と。
     穢れのない存在だ。
     腕の中にある芽吹いたばかりの命は、今にも消えてしまいそうなほど小さくて脆いのに、何よりも明るい光を放っている。

     子どもは未来だ。オニャンコポンがそう言っていたことを思い出して、その通りだと思う。
     命が受け継がれていく。
     新しい世界に向かって。

    「大切にする」

     決意を口に出した。

     この子が、決して辛い思いをしないように。辛いことがあっても、乗り越えていけるように。
     俺たちが、平和な世界を築こう。自由な世界を作ろう。それを、この子たちに渡そう。
    【最期】

     夫婦として過ごしていく中で、ミカサは2人の子供を産んだ。1人目が女の子。2人目が男の子。
     2人とももう大きくなって手を離れた。それぞれに結婚して家庭を築いている。
     毎年エレンの墓参りには一家総出で出かけるのが恒例だ。

    「……だけど今年は、持たないかもな」

     ベッドに体を預け、自嘲気味に呟く。

     もう、体が思うように動かない。
     数年前に病気で入院した。以来、入退院を繰り返している。
     自分の体のことは、自分が一番よく分かっていた。
     だから、もう長くないと察しが付く。
     ここ数か月は、ずっと部屋で寝たきりだ。
     
    「頭の方はまだ、何とか元気みたいなんだけどよ」

     かすれた声で独り言を吐いた。
     
     俺が死んだら、ミカサはどう思うだろうか。
     きっと寂しがるだろう。置いていきたくなかった。これ以上、彼女に家族を失わせたくない。
     だが、少なくとも一人きりにしてしまうことはない。それがかろうじての救いだ。



     「その日」は、ゆっくりと始まった。
     ああ、今日が最期なのか。
     そう、自分ではっきりとわかる。

     そしてそれは、ミカサも同じことだったらしい。

    「聞こえてる? ジャン」

     いつもなら四六時中傍に居てくれるわけじゃねえのに、今日は朝からずっと脇に座っている。

     ――もちろん、よく聞こえてるぞ。

     答えたいのに、答えられない。
     思うように、力が入らない。

    「あなたがいてくれて良かった」

     手を握られて、弱弱しく握り返す。

     ミカサ。お前はいつだって最高に魅力的だ。初めて出会った時からずっと。
     その、凛としたたたずまいが好きだ。憧れてしまうような強い生き様も、エレンを想うまっすぐな瞳も、時には涙を見せてしまう弱さも、全部好きだ。

     お前の愛情の深さは、俺が誰よりよく知ってる。
     向こうに行ったら、エレンとお前の話をするよ。エレンが知らないお前をいくらでも教えてやる。
     お前の顔に刻まれた皺の一本一本が何を見てきたのか、俺は知ってる。俺が、一番よく知ってるんだ。どうだよ、ちょっと自慢できるだろ?

     あっちではきっと、マルコにも会えるよな。
     マルコが俺を責めてるなんて、そんな風に思っていたこともあったっけ。
     アイツにも伝えないと。俺がどれだけ、アイツの言葉に救われていたか。アイツの言葉があったから、俺はしっかりと歩いてこられたんだ。

     サシャに会ったら、ニコロの話をしてやろう。それから、上手い料理の話を。ああでも、食えないもののことを聞かされたって悔しがるだけか。せっかくなら実物を持ってきてくださいよ、なんて言われるかもな。
     アイツにも、もっと生きていてほしかった。サシャがいなくなってから、一気に兵団の空気が変わったんだ。アイツの存在がどれだけ大切だったか、嫌でも実感させられる。

     そうだ、そうなんだ……

    「何を考えているの?」

     ミカサが、俺の顔を覗き込んだ。

     今までのことを思い出してんだよ。俺は答える代わりに微笑んだ。これが、走馬灯ってやつなんだろうか。自覚的に思い出しているあたり、まだ余裕があるんだろうか。
     いくつもの思い出が、脳裏を駆け巡る。
     まだ小さかったころ、母ちゃんの作るオムレツを楽しみにしていたガキンチョの俺。訓練兵団に入って、お前らと過ごした日々。調査兵になってからの、目まぐるしい出来事。

    「ミカサ」

     俺は、聞こえるかどうかも分からない小さな声で呼びかけた。

     最後に思い出すのは、やっぱりお前の顔だ。お前の中には、ずっとエレンがいた。いや、エレンだけじゃない。昔の家族が、死んでいった仲間たちがいた。そしてそれは、俺だってそうだ。俺の中にはマルコがいて、サシャがいて、両親がいて、たくさんの仲間たちがいた。
     俺たちは、互いにそれを分かっていたんだ。
     そうだろう。
     分かっていたからこそ、傍に居られた。
     体温を、分かち合うことができた。

     ミカサに言いたいことは山ほどある。

     それでも最期に何か一つ言うのであれば

    「ミカサ」

     俺は薄く目を開いて、ミカサの顔を見た。年を取った美しい顔を。

    「とても……綺麗な、黒髪だ」

     それだけで、十分だった。
     この一言で、思いは伝わる。

    「嘘ばっかり」

     ミカサが、泣き笑いのような表情を浮かべた。

    「私の髪はもう、白髪だらけなのに」

     嘘なんかじゃねえよ。
     俺は笑ったまま、目を閉じた。

    「さようなら」

     ミカサの声が、遠くで聞こえる。

    「気を付けてね、ジャン」

     それが、最期に耳に入った言葉だった。



    「あいつが一番最初に逝くなんてな」

     お葬式の後で、コニーが呟いた。
     私は、黙ってうなずく。

    「俺たちももう、いつ死んでもおかしくねえけど」

     そう、もうそんな年になってしまった。

    「最期に、何か言ってた?」

     アルミンが私に聞く。

    「……とても綺麗な黒髪だって」

     その言葉で、なんとなしに空気が緩んだ。
     ライナーがぽつりと言う。

    「エレンに」

     少しためらってから、続けた。

    「エレンに、よろしく頼みたいところだな」

     だけど、私は首を横に振った。

    「そんなこと、頼む必要無い」

     真っ青な空を見上げる。
     ねえ、そうでしょう?
     あなたは、そういう人だから。

    Fin.
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