「アオイちゃん、好きです…!」
「気持ちは嬉しいけど…ごめんなさい。今は恋とか、そういうのは考えられなくて……」
「そ、そうだよね…聞いてくれてありがとう」
今月に入って何度目の告白だろうか。アオイは1学年下の男子生徒からの想いを断っていた。
誰の告白にもなびかず、バトルやポケモンの研究に熱心。どんなにカッコいいと言われている人でも玉砕することから、アオイは絶対王者という印象も相まって『難攻不落の新チャンピオン』なんて呼ばれていた。
「アオイ、また断ったん?」
「うん。恋愛感情がわからないのに、本気の気持ちに応えられないから。相手にも失礼だし」
「うんうん、わかるよ! 本気には本気で返したいもん!」
「マジネモい…それ絶対、バトルの話だし……」
「えー、ちゃんと恋愛の話だよー?」
授業終わりに部屋に来る、と言っていたネモとボタンとお昼を食べる。話題はやっぱりアオイの恋バナについてだった。
「でも試しにお付き合いしてみたいとか、そういう人はいなかったん?」
「うん…なかった、かな」
「どんなに顔が良くても?」
「あんまり興味なくて…」
「いいじゃん!これからきっと、いい人に出会えるよ!」
かけがえのない友だちと笑い合いながらも、アオイは心の中で密かに思う。この想いはバレていないみたいだと。
本当は恋愛感情がわからないわけじゃない。気づかないフリをしているのだ。
あまりにも大きく、そして重く育ってしまったこの想いは。必死に隠さなければすぐにでも、心の隙間から飛び出してしまいそうだったから。
(私は、ペパーが好きだ。)
いつからだっただろうか。友情以上の想いを“親友”に抱いてしまったのは。
それはきっと出会った時からだ。コサジの灯台前で初めて会った時の、悲しみと諦めを滲ませた瞳は今でも思い出せる。
アオイが宝物と出会ってから、チャンピオンランクになってからもう1年ほど。そして”親友”のペパーへの恋心を募らせて半年ほど経った。
初めはぶっきらぼうだったけど、相棒思いで、優しくて、料理してる時の楽しそうな顔はずっと見ていても飽きない。ただ隣にいるだけで心地良いなんて、アオイにとって初めてのことだった。
けれどきっと、ペパーが求めているのは“親友のアオイ”であって“恋人のアオイ”じゃない。安心できる存在でいたいのに、恋心が邪魔をしてくる。
(お試し、か……)
告白してくれた人の中には、好きじゃなくてもいいから付き合ってほしい、と言ってくれた人もいた。それでもいいからアオイの傍にいたい、と告白してくれた人はとても優しい人だった気がする。
誰かと付き合えば、この胸の痛みも消えてくれるかな。なんて思うけど、この想いに嘘を吐いたり、ペパー以外の人と付き合うことは考えられなかった。
「…留学、」
「ええ。チャンピオン・アオイさえ良ければ、ですが」
だからオモダカさんから提案されたことは、とても魅力的なものだった。
授業終わりに呼び出されたリーグ本部。たまにある仕事のお手伝いかと思っていたのだけど、言われたのは留学してみないか、ということ。
カロス地方のポケモンリーグ委員会から、国際交流という形で打診があったらしい。3ヶ月から半年ほどかけて、パルデアのチャンピオンランクのトレーナーにジムチャレンジをしてもらいたそうだ。
アオイと同じチャンピオンランクであるネモにも白羽の矢が立ったが、生徒会長が長期間アカデミーを離れるのは難しいらしい。
「でも費用とか、単位とかは…」
「費用は当然ながらリーグ委員会が負担いたします。留学期間の単位もアカデミーと調整して、進級に問題のないようにしておきますので」
アオイはその提案に惹かれると同時に、とても悩んだ。
他の地方、まだ知らないポケモンとの出会い。1から手持ちポケモンも育てていくことになるであろうその体験は、トレーナーとして確実に成長させてくれる。きっと恋心にかまけてる暇なんてないくらい、目まぐるしい日々が待っていることだろう。
けれど同じように時間は過ぎていく。ペパーが誰かと笑い合っていても、誰かと付き合うことになっても。その場にアオイはいられなくて、私以外の人といちゃ嫌だと駄々をこねることすらできないのだ。
「新学期が始まってからでも問題ありませんので、貴方の心が決まってからで構いませんよ」
バトルもポケモンの研究も好きだし、将来はチャンピオンの仕事をやりながら、アカデミーで研究者をやる、なんて漠然とした夢がアオイにはある。きっとその夢に、留学は大いに貢献してくれるだろう。
でもその間にもし、ペパーが他の誰かと付き合うことにした、なんて言ってきたら。スマホロトム越しにならおめでとう、って言えるのかな。いい親友のまま『恋心さようなら』って言えるかもしれない。
「いえ、行きます。カロス地方に……!」
アオイは2年に進級する前に、カロス地方へと飛び立った。
「みなさぁん、おはようございますー。新学年になっても、よろしくお願いしますねぇ」
「ジニア先生! アオイが来てないです!!」
「ほんとだ! 先生、チャンピオンは!?」
新学期を迎えたアカデミー。進級して初めてのホームルームで、1人だけ欠席していることに質問が殺到する。
「アオイさんは、留学に行きました」
「りゅう、がく…?」
「3ヶ月から半年ほど、ということですので、秋までには帰ってくると思いますよぉ」
「えぇーー!!!」
アオイの突然の留学は当然、アカデミー中に衝撃をもたらした。
知らされていなかったのは”パルデアの大穴組”と呼ばれる、アオイの親友たちも例外ではない。
「留学って、どういうことだよ…!?」
「わからないよ!だって、私も今日聞いたの!」
「今、アオイのスマホ、ハッキングしてみる…!」
ボタンの部屋に集まったペパーとネモは、モニターを操作するボタンが、アオイの居場所を特定するのを見守る。
ホームルームでアオイの留学を知ったネモはリーグ本部へと走り、すぐにトップチャンピオンであるオモダカに問い詰めた。けれど『アオイさんに直接聞いてみては?』と軽くあしらわれてしまった。
当然アオイの部屋は鍵が閉まっていて、いつでも来ていいよと言われていたペパーも、部屋の前で呆然としながらスマホで連絡をし続けた。けど『今は電話に出られないロト!』とスマホロトムが虚しく告げるだけだった。
「見つけた、」
「わかったのか!?」
「アオイはどこ!?」
カタカタとキーボードで打ち込み続けた結果、ボタンはついにアオイのスマホを探知する。
「か、カロス地方、」
「カロス、って隣の?」
「うん。間違いじゃなければ、アオイはカロスにいる。ほら、ここ、」
大きなモニターの一部に映されたのは、カロス地方のマップ。ミアレシティと書かれた大きな街にアオイはいるらしい。
「ねぇボタン、アオイが誰といるとかわからない!?」
「ネモ、声でかいし……ちょっと待って」
ペパーはとても焦っていた。アオイが傍を離れるなんて、思っても見ないことだったからだ。
出会った時からアオイは優しくて、事情を知らなくても助けてくれる。これからも一緒にアカデミーライフを楽しんで、ずっと親友として思い出を作ってくんだって、さっきまでは思ってた。
けど、アオイは他の地方へ行ってしまった。しかも事前の相談も、理由も告げずに離れていった。
それがオレにとって衝撃で、アオイがずっと特別な存在だったんだって、隣にいなくて初めて気づいたんだ。
オレはアオイのことが好きで。オレはアオイなしに生きていけないんだって。気づくの遅すぎちゃんかよ、オレ。
《――ルネさん、いいんですか!》
「っ!!」
《もちろ――、アオイさ――。ーースにいるあ――も、メガス――ンを使いこ――ね?》
《はい!――できる日を―――して―すね!!》
「相手……女?」
ボタンがキーボードを打つ手を止めた途端、モニターから聞こえてきたのはアオイの声。楽しそうな親友の声に混じって、大人びた女性の声も聞こえてきた。
「あー、もう少し正確に聞こえねぇの?」
「これ以上やると、スマホ内蔵のロトムに気づかれるし。ギリギリまでやってる」
「この声…もしかして、カルネさん…?」
「ネモ、知り合いか?」
「さすがに違うけどさ。カロスリーグのチャンピオンで、世界的に有名な大女優さんだよ」
「カルネ――ネモ、この人?」
モニターには新たにアオイが会話しているらしき”カルネ”という女性のプロフィールが表示される。
カロスリーグの公式写真ではキレイにまとめられた髪に白の衣装、隣には”メガシンカ”というバトルスタイルのサーナイトを連れている。純白のドレスをまとったような柔らかい雰囲気とは違い、華やかでありながらバトル中は覇気に満ちていて。カルネもサーナイトも、強者そのものだった。
「いいなぁ……アオイ、めっちゃすごい人と会ってるんだ…! 私も頑張ろうっと!!」
「これ以上、強くなるとか……マジネモいし。どんだけポケモン強くするん」
「そりゃあ、もう。世界中のトレーナーと渡り合えるくらい?」
「ネモすぎん。マジで」
「…ほんと、すげぇよ。アオイ…」
ネモとボタンの話す声が遠くに聞こえる。モニター越しに聞こえる楽しそうなアオイの声を聞きながら、ペパーはどうしようもない寂しさに駆られた。
アオイが遠くに行ってしまって、手が届かなくなったみたいで。立ち止まってる今この瞬間にも、アオイは遠くに行きかけている気がして不安が募る。
(オレは、アオイが好きだ。)
物理的距離ができて、初めて気がついた。アオイもそう思ってくれていたらなんて、願ってやまないくらいに、どうしようもなく逢いたかった。
カロスへの行き方をスマホで調べれば、陸路でも空路でも時間とお金がかかる。最悪お金はなんとかなるとして、往復の時間も含めると、アカデミーの授業がない日を狙って行くのは難しい。
「なあ、ネモ。オモダカさんに聞くのは難しいか?」
「えっ?」
「やっぱオレ、アオイに聞きてぇ。なんで理由もなく行っちまったのか」
「ペパー…」
「だってそうだろ? 親友なのに何も言わず行かれたら、寂しいじゃん」
まだ敢えて“親友”という言葉を使うけど、アオイにも寂しいと思っていてほしい。ネモとボタンに協力を求めると同時に、ペパーはスマホでメッセージを一言送った。
《逢いたい、アオイ。電話に出てほしい。声だけでも聞かせて――》
2ヶ月経っても、3ヶ月経っても、ペパーは連絡を待ち続けた。
パルデアを離れて3ヶ月ほど。ようやく見知らぬ土地にも慣れてきて、メガシンカを使うバトルにも順応してきた。パルデアから連れてきたのは相棒のマスカーニャだけで、カロス地方に生息するポケモンを捕まえ育て、もうすぐカロスリーグに挑戦する。
「少しバトルシャトーで鍛えていこうかな。あ、オモダカさんにも連絡――っ!?」
アオイはカロスに来てから初めてオモダカさんに連絡をしようと、起動したスマホロトムの画面を見て驚いた。
《逢いたい、アオイ。電話に出てほしい。声だけでも聞かせて――》
パルデアに置いてきたはずの恋心が、諦めようとしまい込んでいた恋心が、また燻り始める。
なんで今更、と思ったけれど、メッセージも着信履歴も4ヶ月前と表示されていた。バトルや新しい出会いに夢中になり、スマホを開いていなかったのはアオイの方で、なんて返したらいいんだろうと頭を抱える。
(私から離れようとしたのに、返事をする資格なんてあるのかな)
誰にも知らせることなく、カロスのジムチャレンジに行くことを決めたのは、紛れもないアオイ自身だ。想いを伝えず心の奥底に閉じ込めて、ペパーにとって良い親友でいるために、リーグ本部の手引きでパルデアをそっと1人で出た。
進級してクラスに私がいなくて、きっとネモやボタンも心配している。すぐに彼女たちからペパーに連絡があったんだろうと、容易に想像がついた。
この旅の間に、ペパーへの恋心とさよならするって、決めていたはずなのに。覚悟は出来ていたはずなのに。たった1つのメッセージだけで、嬉しさに、苦しさに、こんなにも心が揺れ動く。
新しいことに夢中になって、一直線に走ってきた。けれど言い換えれば、恋心に目を背けるために、何かへ必死になっていなければ耐えられなかったのだ。
ペパーは“親友”として単純に心配しているだけかもしれない。同じ想いを抱いてるなんて、アオイはみじんも思っていない。しかし気持ちが動くには、期待するには十分すぎるものだった。
「ロトム、」
《どうしたロト?》
「ペパーに、電話をかけて、」
《了解ロト!すぐに繋ぐロトよ》
ロトロト、ロトロト、というコール音とともに心拍数も上がっていく。電話が繋がって声が聞きたいと思うけど、それと同時に話すのが怖いと思った。
《もしもし、アオイ!?》
「ぺ、ペパー、」
《良かった…繋がって、》
たった数ヶ月聞いていなかっただけなのに、声が聞けただけで胸が苦しくなるほど嬉しくなる。
「あのね、ペパー、えっと、その、」
《今、カロスのどこにいるんだ?》
「ミアレシティの辺りだけど…って、なんでカロスにいるって知ってるの!?」
《ボタンが調べてくれた…》
「な、なるほど、」
ネモにはそれとなく濁してほしい、とオモダカさんに頼んでいたが、ハッキングが得意なボタンがいた。そういえばペパーのメッセージに一喜一憂して忘れていたが、ネモとボタンからも鬼のようなメッセージの数々が来ていた気がする。
《なあ、ミアレシティのどこにいる?》
「えっと、ホテルに帰るところだから、美術館の前辺り……っ!!」
滞在しているホテルの方向を見て、アオイは驚きで思わずスマホを落としそうになる。
「驚いたか?」
「ぺ、ペパー…!?」
「久しぶり、思ったよりも元気そうだな」
アオイが驚くのも無理はない。パルデアにいるはずのペパーが立っていたから。
「へへっ、心臓バクバクちゃんだな」
「誰のせいだと…!」
「悪い悪い、会えたのが嬉しくて、つい」
ちゃんと食べてるか、少し痩せたんじゃねぇの。心配から入るのがペパーらしいなと思うけど、アオイは胸がいっぱいで、言葉が出てこなかった。
ペパーが目の前にいる。大好きで、忘れたくても忘れられなかった、世界で1番大切な人。カロスでも色んな人に出会ったけど、ペパー以上に大好きな人なんて現れなかった。
「…大好き」
「え、」
「大好きだよ、ペパー。ずっと、会いたかった」
勇気が出せなくて、一歩踏み出せなくて、ずっと言えなかった想いが、するっと口から溢れ落ちる。
引かれるかもしれないと怖くなるけど、想いを受け止めるように、ペパーの腕がぎゅっと抱きしめてきた。
「オレも、」
「っ!」
「オレもずっと、アオイが好きだった。オマエが離れていって、初めて気づいてたんだ」
「ペパー…」
心なしか、抱きしめてくれるペパーの体が震えている。どれだけ大切にされているかがわかって、アオイは両想いになった喜びを噛みしめた。
「やっぱ、オマエが隣にはいないのは嫌だ」
「うん」
「いない間、ずっと寂しかった」
「私もだよ」
ミアレシティという大都会の中、抱きしめ合うペパーとアオイは2人ぼっち。もうお互いしか見えなくて、抱擁を解いても、恋人つなぎする手を決して離さない。
「なあ、アオイ。どれくらい、こっちにいるんだ?」
「えーっと。あとカロスリーグに挑戦するだけだから、1週間もいないと思うけど…」
その間にペパーはパルデアに帰っちゃうかな。せっかく恋人になれたのに、不安が心を襲ってくる。
「そんな悲しい顔すんなって」
「だ、だって…」
「帰るわけねぇだろ」
「っ!」
「会えなかった3ヶ月分、オマエの留学が終わっても、絶対離れねぇから」
「いいよ。ずっと一緒にいようね」
そう笑顔で返すアオイは、ペパーの愛の重さをまだ知らない。
2度と離れないと決めたペパーはカロスでも、パルデアに帰っても、言葉通り1分1秒も離してくれないことを――。