籠の中では歌えない暖炉に薪をくべる。炎が赤く燃え上がり、火の粉がはじける。
パチパチとはじけるような音を聴きながら、椅子に深く腰掛けたメルルはため息をつき目を閉じた。目頭に指を当て、じわりと残る重みを解きほぐそうと試みる。
テーブルの上には重ねられた紙束が乗せられている。何枚にもおよんで書き連ねられた便箋。封筒の中央、割れた封蝋には様々な種類の印璽が見て取れる。
そろそろ日が暮れる。彼等が来る前に灯りを点けなくては。
そう思うのに、メルルはずっとその場から動けないでいる。
ダイを探しながら各地の復興の手助けをする旅を続けている。
大魔王が倒され世界に平和が戻り、それでも魔の力に蹂躙された傷跡は簡単には消えはしない。
王都を攻められ王族まで犠牲となった国も少なくないなか、小さな町や村々までは手が回りきらないのが現状だ。
薬草では治せぬほど深い傷を負った人々を癒やす。崩れた道を直し、倒れた家を建て直す手伝いをする。川が埋まり枯れた田畑を再び潤すために新たな水源を探る。
あらゆる呪文を扱う大魔道士と、剛力と癒やしの術を兼ね備える武闘家と、並外れた遠見の力を持つ占い師と。
勇者の仲間である彼等の助力を求める声は世界中から絶えることが無い。
それを彼等が望もうとも、望まなくとも。
三人は今テランにいる。
旅の合間にそれぞれに故郷へ定期的に立ち寄るよう求めたのは、年下だが優れた指導力を持つパプニカの王女だ。
せっかく無事に生き残れたんですもの。ご家族にはちゃんと顔を見せに行きなさいよ。
戦乱の中で父王を無くした少女の言葉は重い。
先日はポップの故郷であるランカークス村で幾日かを過ごし(予想通り彼は父親にまた投げ飛ばされていた)、次にメルルの故郷であるこの国に来た。
国王に謁見した後、初めてテランを訪れたマァムを竜の神殿が沈む湖へ案内すると言う話が出たのだが、メルルは同行を辞退し先に自宅に戻りたいと告げた。
当初ポップとマァムは気遣わしげに様子を伺ってきたが、「手紙などが溜まっているようなので陽のある内に整理したい」と言うと快く承諾してくれた。
嘘はついていない。祖母ナバラから聞いていたことだ。ナバラはこちらで処分しておこうかと言ってくれたが、自分で一通り目を通しておきたいからとこれも断った。
ポップとマァムを二人きりにすることに迷いが全く無かったとは言えないが、あの日の戦いが話題に上れば自分はきっと平静を保って聞いてはいられない、とも思っていた。
祖母は今夜占いの仕事を兼ねて知人宅に泊まるという。さして大きな家ではないが、久しぶりの我が家、久しぶりの一人きりの時間にメルルの心はふわふわと戸惑い揺れていた。
テーブルに重ねられた手紙の送り主は他国の貴族や領主、大商人達だ。
単なる占いの仕事の依頼もあるが、そのほとんどはお抱えの占術師として雇いたいというもの、または養女にしたい、彼等の息子あるいは彼等本人の妻として家に迎え入れたいというものだった。
時勢にそぐわぬ高級な紙に綴られた信書には慇懃かつ美麗な文句が並んではいるが、その実は高慢で尊大で、奥底に「弱小国の占い師の小娘」と下に見る気持ちが透けて見えた。
メルルは目を開き暖炉の炎に視線を向けた。ゆらゆらと揺れる焰の向こうに映る自らの小さな影を見つめる。
魔王軍の猛威を避けながら祖母と旅を続けていた頃、言われた言葉を思い出していた。
いいかい、メルル。私らのような占い師を金の力で取り込もうとする者に従ってはいけないよ。
奴等が望むのは正しい未来の道じゃない。自分たちに都合のいい道筋だけを見つけ、その道のお膳立てをしてくれる便利な道具なのさ。
上手く取り入って逆に利用してやろうとした同業者は今までにもいたが、成功した者など一人もいやしなかった。
最初はいいように扱ってくれたとしても、奴等の望む言葉を見つけられなくなったが最後、辿る末路は分かりきったものだからね。
故郷に家を残してきたとはいえ、所詮私らは旅鴉。
どこかの誰かに温かい塒(ねぐら)を用意してもらおうなんて、ゆめゆめ思わないことさ……
私はあの二人とは違う。
メルルは旅の同行者であるポップとマァムを思い浮かべる。
大勇者アバンの使徒であり、崇高な精神と実直に鍛え上げた力を以て大魔王に立ち向かった尊敬すべき人達。
二人はメルルのことを大事に思ってくれている。自分たちを助けてくれた大切な仲間だ、誰より勇敢に戦ってくれたではないかと言ってくれる。
メルル自身、自分が役立たずだと卑下するつもりは無い。物理的に戦うことだけが強さではないことも分かっている。
しかし、やはり自分は勇者の仲間として彼等と同等に扱ってもらって然るべき人間ではないとも感じる。
-そう、所詮私は旅鴉-
こうして故郷に帰ってきても心は孤独だ。
ポップもマァムも、勇者を探す旅が終結すれば帰るべき所へ帰るのだろう。彼等にはその価値がある。だが自分は。
「私はどうすれば、何処に行けば良いのでしょうね…」
誰に尋ねるでもなく、メルルは呟いた。誰よりも遠く未来を見ることのできる彼女の行く先を占ってくれる者は何処にもいない。
かたん、と薪が崩れる音にハッと我に返る。
ずいぶんと長い時間、座ったまま呆然としていたようだ。日は既に暮れかけている。
ランプに灯りを灯していると玄関のドアノッカーが鳴らされた。急いで向かい、扉を開ける。
「お帰りなさい…は変ですね。ようこそ、いらっしゃいませ」
メルルの言葉を受け、扉向こうに立つポップとマァムは笑顔で「ただいま、お邪魔します」と応えた。
「順調に進んだかい?」
促されるままリビングに進み、手紙の整理の進捗具合をポップが尋ねる。
「ええと、とりあえず目を通すだけで終わってしまって」
「まあ、ずいぶんたくさん届いていたのね、占いの依頼?」
俯くメルルにマァムが問う。
「も、あります」
「も?」
「ほとんどは…何というか…進んで読みたいわけでは無いですけど無碍にもできないお手紙というか…」
「「あー」」
言葉を濁すメルルの様子に何かを察したのか、同じような声色、同じような表情で二人は声を揃えた。
「もしかしてお偉いさんや金持ちから勧誘だろ」ポップの言葉につい頷いてしまった。
分かる、と言いたげな様子にメルルは視線を上げる。
「お二人にも届きますか?こういうお誘いの手紙…」
彼等に仕官を求める声は多いだろうが、自分に向けられるような下世話な誘いは無いだろうと考えていた。しかしメルルの考えは自覚していたよりも甘かったらしい。
「メルルほどじゃないかもしれないけど、時々来るわよ。武術師範としてっていうのはまだいいとして、養女に、とか妻に、なんてのもあるわ」
でも妻にと言っても正妻いるみたいなのよねえ、マァムはさらりとそう口にする。彼女は先代勇者一行の娘でもあるのに妾に据えようとは、大胆なものだとメルルは驚く。
「親がどうでも私はただの田舎育ちの小娘だもの。調子のいい言葉を書いておけば適当に利用できると思ってるんじゃないの?」
いつも優しいマァムには珍しく辛辣なものの言い様だ。「あーおれんとこ来るのもそんな感じだわ」とポップもそれに続く。
「うちは親もホントにフツーの庶民だしさ。『お前みたいな卑しい奴を雇ってやろうってんだから感謝しやがれ』って匂いぷんぷんさせた手紙ばっかだぜ」
「王様達は面識もあるし快く支援してくださってるけど、他の貴族や商人から見れば御しやすそうなただの子どもに見えるんでしょうね」
血統や財力を頼りに生きてきた連中にとって、アバンの使徒であっても扱いはそう変わらないらしい。
自分のこと以上に強い憤りを感じながら、「それでどうお返事されたんですか」とメルルが問うと、二人は急に目を泳がせ始めた。
「あ、えーと…」
「数もそこそこ来るし、何て返事書けばいいかなんて分かんねーからさあ…」
「相手がどんなに失礼でも、こっちも失礼で返せば問題になっちゃうかもしれないし…」
ごにょごにょとぼやいた後、口を揃えて言った言葉は
「「レオナ(姫さん)に全部預けて任せてる」」
「ええ?」
予想していなかった答えにメルルは目を丸くした。
確かに対処の難しい問題だが、何事にも真正面から全力でぶつかってきた彼等が、年下の友人、しかも一国の姫君に面倒ごとを任せきっているとは思ってもみなかったのだ。
口をぽかんと開けたメルルに、言い訳のようにポップとマァムは言葉を重ねた。
「だってレオナがものっ凄く"イイ顔"で『こっちに全部寄こしなさーい、悪いようにはしないから♪』って言うんだもの!」
「アポロさんやマリンさんも見たこと無えようなわっるーい顔で笑ってたぜ。『色んな情報が簡単に手に入って助かるなあ』とか言って!ああ大人の世界って怖ええ!」
「大人、っていうか政治の世界?レオナに負担をかけたくは無かったけど、ああいう手合いは自分で何とかしようとする方が逆に周りに迷惑かけるかなって思って」
「そうそう、おれらじゃ分かんねえ裏の話とかもあるだろうしさ。ある程度お任せして、理解できる範囲で後々教えてもらう方がいっかー、てな?」
「逆にレオナ達に利用されてる気はしないことも無いけどね…あ、フローラ様とアバン先生にも手紙見せていい?ってこないだ聞かれたわ」
「あっちのご夫妻もわっるーい顔してたぜ?『色々楽しいお話があるみたいですねぇ?』って。怖っ!もちろん助かってるけどアレ絶対面白がってんだぜ。怖っ!」
「メルルも大変そうだったら相談してみたら?全部任せちゃうのは気が引けるかもしれないけど、きっと力になってくれると思うわ」
「そうそう、出来ないことを出来ないから助けてくれって言うのも大事なことだかんな。おれら政治家でも何でも無えんだからさ。無理すんなよ?」
弁解から自分への気遣いの言葉に変わっていくのを聞きながら、メルルは心の中に澱んでいたものが少しずつ濯がれていくのを感じた。
「ふふふっ」
突然笑い出したメルルに、ポップとマァムはきょとんとする。
「ふふ…そうですね。頼るべき相手にちゃんと頼るのも、強さなんですね」
どこかで遠い人のように思っていたポップとマァムが、自分とほとんど年の変わらない少年少女であることを思い出す。
自分たちは弱さもずるさも持つただの人間。ただの子ども。だからこそ弱音を吐いたり仲間を頼ったりしながら前に進んで行くのだと、改めて二人に気付かされた気がした。
(何処に行けばいいのかと思いながら、ずっと同じ場所をぐるぐる回っていたのね、私は)
メルルの心情の変化に完全にはついて行けないながらも、元気になったのならまあいいか、とポップとマァムも微笑んだ。
「じゃ、どうする?一回その手紙持って姫さんトコ行くって言うならすぐでも出られっけど」
ああでも今日は日も暮れたし明日にすっか?と問うポップに、否と返す。
「姫様にはまた次回お会いしたときでも相談します。送り主のお名前は大体把握しましたから。この手紙は-」
そう言ってメルルは手紙の束を抱え、暖炉に向かった。
「とりあえず、これで大丈夫です」
炎の中に紙束をくべる。勢いよく燃える火に一瞬目を瞠ったポップだったが、「やるなあ」とにやりと笑い返してきた。マァムも「メルル何だか格好いい」と声をかけてくれる。
パンパンと少しわざとらしく音を立てて手の埃を払い、メルルは二人を振り返る。
「お腹空いたでしょう?お夕飯にしましょう。もう温め直せばいいだけにしていますから」
そう声をかけてダイニングへ促した。
旅鴉。祖母の言葉を思い出し、それでも構わないわとメルルは思う。
私は自分の意思で飛んで、帰る場所も自分で見つける。それがいつになるか何処になるかは分からないけれど、自分で決めて生きていく。
誰かに力を借りたくなったら素直に借りよう。泣きたいときは泣き、怒りたいときは怒ろう。そして心から笑おう。そうしなければきっと見るべき未来は見えないから。
部屋を出る間際、焼け焦げた手紙がちりちりと灰になっていくのを見て、メルルは送り主達に心の中で返事を送った。
どうぞその手の中の鳥籠はお捨てになってください
どんなに豪華に飾り立てられたものでも、何の意味も持ちません
意思ある翼を閉じ込めたなら、鳥は歌声を忘れやがて息絶えるだけ
自由に羽ばたくままに空を遊ばせてくださいませ
そうすれば、遠い囀りのなかにいずれ良き未来も聞こえてくることでしょう