「遅いな、ミスラ……」
比較的アクセスの良い神社の初詣。人はこう、ものすごくいる。晶は石階段の下でぼんやりと空を見上げた。
赤い生地に蝶々の柄が刺繍してある綺麗な着物。親戚から譲ってもらったばかりのそれを着付けてもらうよう手配するのは手間で、細かい道具とかもわざわざ揃えて、それでもこの日を楽しみにしていた。あの人に綺麗だと思ってもらえるなら。
たくさんの人が晶の横を通り過ぎて階段を上がっていく。何人かは晶を示して何事か話しているようだ。スマホを見ても晶が少し前に送ったメッセージ以降、連絡はない。もう二十分はすぎている。
ため息を軽くついた時目の前に見覚えのない男がたった。
「ねえオネーサン、着物綺麗だね。誰か待ってるの? 来るまで俺と遊ばない?」
「いえ、あの、困ります」
「まあそう言わないで。ほら結構俺だってイケメンでしょ?」
冗談めかして言っているのはわかるし、確かに平均と比べるとイケメンの方に入るかもしれない。しかし、残念ながら晶の待ち人は度を超えた美青年なのでいくら面食いの晶でも何も響かなかった。苦笑した。
「あ、笑ったでしょ? オネーサン笑った顔もかわいいね」
「あー、あは、ありがとうございます……?」
さらに苦笑がもれる。
相手が妙に人懐こく、無下にできない晶の性格もあってずるずると話し込む。好きなおでんの具とか、甘酒が好きかとか。
「ところでオネーサンが待ってるのって友達?」
恋人です、と晶が口を開こうとした時だ。晶の帯が巻かれた胴に腕が回されぐい、と後ろに引かれる。晶にこんな触れ方をする人なんて一人しかいなかった。機嫌の悪そうな声がする。
「恋人ですけど」
「……わ、めっちゃイケメンじゃん。オネーサン、会えてよかったね。じゃ」
今までの懐っこさが嘘のような速さで身を引いて青年は去っていった。導入はナンパに違いなかったが、そこそこ楽しい時間を過ごせたと思う。晶は小さく手を振った。
「ちょっと」
「え、はい?」
「何手なんか振ってるんですか。新年早々浮気ですか?」
「まさか。時間潰しにってお喋りしてくれたんですよ」
ここだけの話、延三十分以上も連絡なしに待たされてちょっとだけ晶は怒っていた。そも、この彼氏に謝罪など期待していないので一人でムッスリして終わるのだろうが。
お腹に回っていた長い腕をほどいて晶は石段を登る。少し足早になったのに難なく隣にミスラが並んだ。
「誰なんですあの人。知り合いですか?」
「知らない人です。遊びませんかって声かけられて」
「は? ナンパじゃないですか、何呑気に話し込んでるんです」
「誰かさんがいつまでも来ないので」
ここまで言うつもりはなかったのにミスラの追求がぐずぐずとくどいので、思わず晶も嫌味のようなことを言ってしまう。喧嘩なんかしたくないのに。
珍しく晶からつっけんどんな物言いをされて、ミスラが驚いたように押し黙る。階段を沈黙のまま上がり、そのまま参拝の大雑把な列に並んだ。ゆっくり進む列の真ん中ほどでミスラがようやく言葉を発する。
「もしかして、怒ったんですか?」
「……ちょっと」
「そんなに、あの人と話すの楽しかったんですか?」
「そっちじゃないです。あんなに遅くなるなら連絡欲しかったです。心配するじゃないですか」
「……心配?」
その発想はなかったとばかりにきょとんとしている。晶を見下ろしていた目線は徐々に泳ぎ、遠くの塔の方を見て、正面まで戻ってきてそのまま真下に落ち着いた。
「……人が、多くて」
「はい」
「電車を、一本見送って次のに乗ろうとしましたが」
「はい」
「双子から電話が来て」
「あー」
「あの人たち話が長くて。途中で喧嘩し始めるし」
「ふふ、はい」
「ようやく電話が終わって電車に乗ったらあの時間でした。二つ隣の駅なのであなたのメッセージに気づく暇もなくて」
「はい」
「……ねえ、まだ怒ってます?」
遥かなる高みから居心地悪そうに、様子を伺うように視線をそろりそろりと晶に向ける。
小さな子供みたいなそれに晶は笑ってしまいそうになる。丁度折よく、参拝の順番が来て晶は握りしめていた小銭を投げた。参拝もせずに晶をじいと見る視線を感じながら作法に則り手を合わせる。
「今年もミスラと仲良く過ごせますように」
「……晶」
「怒ってないですよ。ほらデートしましょう。今日のためにおめかししたんですから」
晶がミスラの手をとって引く。僅かに目を見開いたミスラは数歩進んだところで逆に晶の手を引きその胸に収めた。帯の結び目が崩れそうなくらいぎゅうと抱きしめられる。
「み、ミスラ、ちょっとくるし」
「あなた、本当にかわいいです」
「ッ……ひぇ」
その褒め言葉はナンパの人とは桁違いの破壊力だった。