猫サタン吸い奮闘記!一日目
事の発端は、暇つぶしに見ていたマモンのプライベート用のデビグラだった。兄弟達それぞれのアカウントはフォローしているし、新しい投稿もほとんど見ている。だけど昔の投稿は遡っていなかった。否、生きている年数が違いすぎて遡るのが難しかった、という方が正しい。
「黒猫執事、喫茶……?」
属性を盛りすぎていやしないだろうか。マモンの投稿には、明らかに隠し撮りの写真たちが数枚並んでいた。食べ物で口が膨らんでいるベール。ばっちりと決めポーズをしながら自撮りしているアスモ。壁際で談笑しているレヴィにサタンにベルフェ。ルシファーが後ろ姿しか映っていないのはご愛敬。たぶん、後ろ姿しか撮らせてくれなかったんだろうなと想像する。
しかし、全員黒い猫耳に尻尾がついた執事の格好をしているのである。
「マモーン」
「ん?」
気の抜けた風船のような返事だ。リビングのソファに陣取り寝っ転がっているから当然と言えば当然かもしれない。
「これ、なに?」
ずいっとD.D.D.を彼の顔面に掲げた。瑠璃色の2つの眼が探るような動きをしているなと思えば、マモンは軽やかな息を漏らした。
「おー、それな。前に兄弟で執事喫茶やったンだよ」
「なんで猫耳?」
「…………覚えてねェ」
これは記憶に残っている時の反応だし、原因はおそらくマモンだろう。まあいいや。それよりも大事な質問が私にはある。
「この衣装、まだ残ってる?」
「どっかにはあると思うぜ?レヴィあたりに聞いてみろよ」
胸の中を占めるのは揺るがない決意。サタンにもう一度アレを着せてみせる。そして。
二日目
問題の衣装はすでに手元にある。あの後レヴィの部屋に突撃して入手済みなのだ。今の私に足りないのはサタンを攻略するための作戦だった。迷いの無い足取りで、ライブラリーへと向かう。
「本は知識ってよくサタンも言ってるしね」
人間界に戻る前の、魔王城でのパーティーを思い出す。「君の人生が少しでも豊かになるよう願ってる」と言っていたときの、柔らかく微笑んだ彼の顔が印象的だった。
ライブラリーの本棚の前に立つ。上から下に、左から右に目を動かす。私でも読めそうで、かつサタン攻略のヒントになりそうな本はないものだろうか。サタンにアレを着せたその先に大きな目標があるのだ。少しでもいいからとっかかりが欲しい。
ある1冊の背表紙で目がとまった。分厚いハードカバーの本で、新緑の葉を何枚も重ねたみたいな緑をしている。タイトルが金色の箔押しによって彩られていて、それはそれはとてもきれいだった。
「頑張れば届くかな」
その本は、手をめいっぱい伸ばして取れるかどうかの高さにあった。どうだろう。やれるかな。いや、絶対に自力で取ってやる。
「ッ、……!」
微妙に身長が足りない。つま先立ちをして届かないのなら素直に諦めて、椅子やらなんやらを引っ張り出してきたり、いっそのこと魔法を使ったりした方が良いことは分かっている。分かってはいるのだ。
だけどそれを、持ち前の諦めの悪さが邪魔している。
「もう、ちょい……!」
「これで合ってる?」
「え?」
後ろから、本の表紙と同じ緑を爪にまとった手が伸びてくる。私の左肩にかかるじわりとした重み。振り向いて確認せずとも分かってしまう。サタンだ。
「いつからここに」
「ライブラリーに君が入る前から、かな」
「嘘でしょ?」
「もちろん」
クツクツとサタンが笑う。私が本棚と格闘しているあたりから見ていたらしい。どうして声をかけてくれなかったの、とじろりと非難の視線を向けたところで、ちっとも悪びれてなんかいないみたいだ。手に取った本をパラパラと捲りながら彼は続ける。
「君を探してたのは本当。一緒に映画でも見ないかと思ってたんだけど……」
サタンはそこで一度言葉を止めて、じいっとこちらを見つめてくる。2つある翡翠の宝石が怪しげな光を宿していた。
「君がこういった場所で捜し物をするのは珍しいな。だいたい誰かに聞いてるだろ?」
「私にも自分で調べたいことがあるの」
「それは何?俺には言えないこと?」
「今日はだめ」
「……今日は」
サタンの眉間に皺がくっきりと浮かんでいる。こちらの思惑全てを見透かそうとするような鋭い視線に射抜かれた。何も悪いことなんてしてないのに、心臓がひりついていくのがわかる。
「大丈夫。明日には分かるよ」
だからそれ、こっちにちょうだい。彼の方に手を伸ばせば、ぽすりと軽い音を立てて本は私の手の中に収まった。サタンは口を真っ直ぐに結んでこちらを見ているから納得はしてないんだろう。
「明日、サタンの部屋に行ってもいい?」
「他でもない君ならば、いつでも」
「ありがとう。今から映画も見たいな。準備してくれてたんでしょ?」
こういうとき、疑惑や怒りを滲ませた瞳の奥に、ほんの少し不安が漂っているのに気がついたのは最近の話だ。隣に立って、そうっとサタンの指を上から握りこむ。彼は私の手を強く握り返した。
三日目
乾いたノックの音が廊下に響いて、だんだんと辺りの空気に溶けていく。「サタン、いる?」と声をかければ、すぐに部屋の扉が開かれた。
「お邪魔するね」
「待ってたよ。……やけに荷物が多いな。持とうか?」
「ありがとう。でも軽いから大丈夫だよ」
「そう?じゃあ立ち話もなんだし座ろうか」
いつもと同じように、サタンはベッドの方に、私はソファの方に座って向かい合う。
「あのね、サタン。今日はサタンにお願い事があるの」
こちらを探るような彼の視線は、言外に話の続きを促していた。スッと立ち上がり、持ってきた紙袋を抱えてベッドの前に移動する。ピクリ、と端正な眉が動くのがわかる。
「サタン、今からこれに着替えてくれない?」
執事服の入った紙袋を彼の胸に無理やり押し付けた。ほんの少し目を見開いて、呻くような曖昧な返事と共に受け取ったのを確認する。よし、この調子だ。中身を確認したからだろうか、彼の目がより大きく開かれた。
「……どうして君がこれを持ってるんだ」
「レヴィに借りたの」
「君が昨日ライブラリーでこそこそしてたのはこれが原因?」
まあ、彼に隠し事はできないか。にこやかにうなずいた。
ちなみにあの本は、猫の視点から描かれる短編集。普通に面白くて一晩で一気に読み終えてしまった。サタン攻略の鍵になるかどうかは怪しかったけれど、話の種にはしたいなと思う。
「君のことだから、ただこれを着せたい訳じゃないんだろ」
「なんだ、よく分かってるね」
膝に頬杖をついて、口角を緩めながらサタンは挑発的に笑う。
「まあね。それで、おてんばなお嬢様は何をご所望で?」
「黒猫執事の服を着たサタンのこと、吸わせて欲しいの!」
「へぇ。……ん?何、吸わせてほしい?」
「サタンなら分かってくれると思うんだけど、猫って吸いたくなるでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「それと同じで、私、黒猫で執事の姿をしたサタンのことも吸いたいの」
諦めたようにため息をつくサタンの頬はほんのりと赤く染まっていた。
「はぁ、仕方ないな」
「やった!」
笛のような音を立てた風が、私の髪を、頬を、目を、身体を、脚を撫でていく。思わずぎゅっと目をつぶってしまって、そろりと再びソレを開いたとき、サタンは黒猫執事の姿になっていた。
サタンはベッドに座ったまま、眉毛を下げて笑いながら手を広げている。
「おいで」
「うん!」
サタンの頭に顔をうずめるようにして抱きついた。さらさらと流れるような金髪と、ふわふわの黒い猫耳を堪能する。
深呼吸すれば、サタンの少しスパイシーで甘い香水の香りと、猫耳から漂っている太陽のような穏やかな香りとで胸が満たされる。
「これで満足?」
「ふふふ、本当にありがとう」
礼を言って離れようとしても、サタンの身体が離れることはなかった。それどころか私の腰にまわっている腕に力が籠もり、流れるように彼の膝の上に座らされる。
「あの、サタン」
「君の願いだけ聞くって言うのもフェアじゃないと思わない?」
「……それは」
「今から俺の願いも聞いてもらおうかな」
そういうサタンの目は、いたずらっ子のような無邪気な色で煌めいていた。