ルシ伊短め小話今日、朝から夜に至るまでずっとルシファーに会えていない。RADの授業がない日なのに、いやだからこそかもしれない。部屋に閉じこもったまま出てこないのである。心当たりは複数あるけれど、朝と昼に1回ずつ送ってみたチャットも既読すらつかないから本当に仕事で忙しいのだろう。
できる大人をそのまま具現化したような傲慢の悪魔さんは、こういう風に自分の休息を蔑ろにしてしまう癖がある。
仕事が残っていたとしても休んじゃえばいいのに。傲慢の悪魔なんだから兄弟に仕事を回してしまえばいいのに。
一度心の中で浮かべた文句は簡単に溢れていくもので。ポンポンと弾けていくポップコーンみたいだなと他人事のように考えながら、彼の部屋へと足を進めていく。
「ルシファー、いる?お茶休憩しない?」
ありふれた言葉を、出来るだけ自然体に。初夏の軽やかさのようなそれを重苦しい扉の向こうに放り投げた。
ギギッとくぐもった音をたてながら扉が開いたので、部屋の中に滑り込む。
ソファーの側の机には大量の書類の山。そして、かなり疲れている様子のルシファーがいた。そっと書類をかき分けて、溢れないような場所にティーセットを置く。
「ありがとう。区切りがついたらいただくよ」
休憩にはまだ早いと言わんばかりに、彼はせっせとペンを走らせ続けている。予想通りだった。それでも、こちらもはいそうですかと帰るつもりはない。せっかく2人とも休みの日だったのに、休息を取ろうとしないルシファーの方が悪い。
空いているソファーにそっと腰掛けて、利き手じゃない方のシャツを緩く掴んだ。息を呑む音が聞こえて、彼のペンの動きが止まる。よし、あともう一息。
「頭がスッキリしそうな紅茶持ってきたから、その、一緒に飲もう?」
お祭りの時の太鼓くらいの音量でドンドンドコドコと胸が鳴り響いている気がする。彼に聞こえてしまわないだろうかとほんの少し心配になるくらいだ。休憩のお誘いなんてただの名目で。その。本当は私が、彼と一日中喋っていないと言う事実に耐えきれなかっただけなのだ。
ゆったりとした仕草でペンを置くのが目に飛び込んできた。弾かれたように彼の方を見上げると、どこか楽しげな空気を纏ったルシファーがいた。細められた眼差しの奥には親愛が滲んでいるのがありありと分かる。
「ちょっと、そこで笑わないでよ」
じっとりとした目線をルシファーに向けて、わざといじけた顔を浮かべてみた。そんな風に拗ねてみたところで意味がないことは分かっている。私の小さな反抗心はいつも数百倍にされて帰ってくるのがオチだってことも知っている。
「ふふ、すまない」
案の定、愉快だという響きを隠そうともしていない声色が響いた。くそう、いつもこうなるのだ。もう少し拗ねたふりをしようかな、と考えていた時だった。
不意に伸びてきた手が私の髪の毛を触った。そのまま手を櫛の形にして、丁寧に梳かしていく。身体が何かに縫い付けられているみたいに動けなかった。鳴りをひそめていたはずの心臓が痛いくらいに跳ね上がっている。
「な、なに?」
彼を払い除けようとした手は簡単に絡め取られてしまう。しかも真っ直ぐに撃ち抜いてくる目線から逃がしてはくれなさそうで。
ピシリと固まっていたら、傲慢の悪魔は器用に私を抱え込んで、自分の膝の上に座らせてきた。これは。本当に逃げることができくなっているのではないだろうか?ルシファーがちゃんと休憩するのを見届けたら私は自分の部屋に帰る、という選択肢を奪われているような気がするのは気のせいではないはずだ。
その証拠に、彼の手のひらはゆったりと私の背中を滑っている。ほんの少し照れ臭くて、でも彼に触れられていると思うと嬉しい。もっとルシファーに触って欲しいという思いがむくむくと大きくなっていく。
「俺にして欲しいことがあるだろう?言ってみろ」
「もう!とっくにわかってるくせに」
「おまえが言うから意味があるんだろう」
ふ、とルシファーは笑うように息を漏らした。お菓子みたいな甘さだ。その目は兄弟の前で見せるものとは違う、あどけない光に溢れていた。
それは反則じゃないか、と思う。ずるい。こんな顔を見せられたら、私が彼の特別な存在になってるのかな、とか浮かれちゃうじゃんか。本当に身体が保たない。ばかになっちゃいそうだよ、もう!
「仕事はいいの?」
「お前と過ごす時間の方が大事だ。また明日にでも手伝ってくれれば良い」
「えっ、いま明日って言った?」
「それで、俺にどうしてほしい?」
「………………キスして」
「ああ、いくらでも」
重なり合った唇は甘ったるくて溶けそうで、砂糖菓子なんかよりもずっと甘いような気がした。