レストランルシ伊ぼんやりベッドの上でD.D.Dをいじっていたら、ルシファーからディナーに誘われた。
そういうと聞こえはいいなぁ。けれど実際のところはディアボロの開けた穴を埋める役回りだ。これが現実。それでもルシファーからチャットが来たとき舞い上がったのは事実だし、どんな理由であったとしても2人きりで食事ができるのは嬉しい。どくどくと自分の心臓が鳴っているのがわかって、分かりやすい自分に少し呆れてしまうくらい。でもまあ、『今までで一番楽しい時間を過ごせると保証しよう』という彼らしい自信に満ちた言葉を見返して、口元が緩むのも仕方ないと思う。
「何着ていこうかな」
潜り込んでいたベッドの中から抜け出して、クローゼットの方へと向かう。パッと目に入ったのは、私の歓迎会の時にもらったダークナイトのブローチだ。一緒に買い物をした時に眺めていたのを見られていたらしい。凪いだ夜の海みたいに黒い色をしていて、その奥底に揺れている赤色がルシファーの目みたいでとても気に入っている。彼には絶対に言わないけれども。
せっかくだからこのブローチに合うようなドレスにしようかな。クローゼットを一瞥して、布の海をかき分けて行く。この世界で過ごしていくうちに、どんどんと増えていった洋服たちだ。自分でバイトして買ったものも、兄弟たちに贈られたものもある。黒、白、水色。カジュアルなものからフォーマルなものまでなんでもござれ。服には困らないというか、身体が足りないよ!と思うくらいに揃っている。その中から一着の黒いドレスを引っ張り出した。胸元が透け感のあるレースで、裾にはフリルがついているものだ。
これなら普段着ている服よりちょっとオシャレしているっていう感じだから、兄弟の誰かに突っ込まれる可能性も低いだろう。誰にもバレないように、という彼からの任務は絶対に遂行したいけど、突っ込まれるとわたしは弱いのだ。ここにブローチをつけたら絶対にかわいい。
よし。これでいこう。クローゼットの上の方に綺麗に畳んでおいて、ベッドの中に潜り込んだ。春の夜みたいなときめきを感じながら、流されるままに意識を手放した。
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いつもと同じようにRADに行って、授業を受けて、帰ったらルシファーとご飯、と思っていた過去の私は本当に甘かったと思う。普段はハーフアップにしておろしている髪を、毛先を巻いてポニーテールにしただけなのに。マモンはクルクルと自分の指に巻きつけていじってくるし、アスモやらサタンやらにはニヤニヤとしながら探りを入れられるし!
一番痛かったのはソロモンに口を滑らせてしまったことだった。レストランの件を言わないようにすることに集中しすぎて、今日の自分の背伸びはルシファーのためだという方を漏らしてしまったのだ。
「へぇ、君はルシファーのことを?」
「あっ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見つめているソロモンの目線が心に染みる。
「ソロモンさん、…その、ルシファーには黙っていてくれませんか!」
ソロモンに向かって勢いよく頭を下げた。
もう数人にはバレているし、今しがたソロモンにもバレてしまったしで隠せていないような気もするけれど、わたしはルシファーのことが好きだ。家族愛とかじゃなくて、恋愛的に。でもコレは漏らしてはならない、吐き出してはならない。彼は悪魔で私は人間で。立場も寿命も価値観もきっと違う。墓場までとは言わないけれど、自分の心の奥底にギュッとしまい込んでおくつもりだった。
「あはは!貸し一つだよ?」
軽快な笑い声が辺りに響く。恐る恐る顔を上げると、ソロモンはからかいの笑み半分、意地悪な笑み半分くらいの表情をこちらへと向けている。また面倒ごとの種を振り撒いてしまったと、自分の行為にため息を隠せない。
「ソロモンに貸しなんて作りたくなかったな……」
「それはどういう意味かな?」
顎に手を当てて、見定めるようにこちらを見てくる視線にはお手上げだった。「貸し、ひとつだけだからね!あんまり無茶なことやめてよ!」という捨て台詞を吐いて逃げるようにこの場を離れていく。空気が揺れるような笑い声を背中に受けながら、だ。ああ、もう!
幸いなことに授業も終わっている。ソロモンの件は誤算だったけれど、あとは帰って準備すれば待ちに待ったディナーなのだから。目前に迫っている幸せにほおが火照り胸が弾んだ。
雪崩れ込むようにして、嘆きの館の自室へ入る。纏っていた制服を脱いで、サクッとハンガーにかけて片付けてしまう。用意していたドレスを身体に滑らせる。
乱れていた髪の毛を改めて直して、髪がさりの代わりに赤いリボンを結んでみた。ちょっと露骨すぎるかしら。ぶんぶんと被りを振って思考を追いやる。大丈夫、コーデの一環だもの。仕上げにあのブローチを胸元につけて、鏡の前に立った。よし、今日のわたし、比較的かわいい!
ベッドの上に放り投げていたD.D.Dを引っ張り出して、ルシファーにいつでも出られるよ、というチャットを送る。『よし、俺は出る。頃合いを見計らってお前も出てこい。広場で落ち合うぞ』という返信が即座にやってきた。了解のスタンプを押して、最後の確認に移っていく。靴、砂埃付いていない、よし。ヒールのないパンプスだから靴擦れもしないはず。カバン、よし。髪の毛、アホ毛も出てない、よし。後は兄弟たちにバレないように嘆きの館を出ることが出来れば完璧!……やっぱりこれが一番難易度高いんじゃない?
まあいいや。きっとなんとかなるでしょう。今までだってこれからだって何とかしてきたんだから。
そろそろ出るところかなぁ、と思いそっと窓から館の入り口の方を伺うと、ルシファーが出ていくところが目に飛び込んできた。キビキビと姿勢良く歩く姿はとても美しい。目眩を感じてくらっときてしまうくらいには。
そこまで考えたところでルシファーに首ったけになっている自分の姿がどうしようもなく滑稽に思えて、今日2回目の深いため息をついた。
⬜︎
ルシファーからの指令が遂行できたかって?それは聞かないで。誰にも会わずに玄関までたどり着いた、と思っていたら入り口にサタンが陣取っていた時の私の気持ちを想像してみて欲しい。なんで!?
サタンは、私のルシファーに対するアレソレを知っている悪魔のうちの1人だ。
そんな彼は、玄関の壁にもたれながら立っていて、やあとでもいうようにこちらに向かってヒラヒラと手を振っていた。
「こんな時間から出かけるのか?」
自信に満ちた笑みを浮かべている彼には全部バレてしまっているのだろう。今から誰のところへ向かうのか、を。
「ちょっと野暮用で」
「ん?」
「……ルシファーの呼び出しです」
早々に白旗を上げた、というかサタンに上げさせられた?非難の目をじっとり浮かべても、彼にとってはどこ吹く風のようだった。クツクツとひどく愉しげに笑っている。とっとと離れた方が身のためだ。
「それじゃ、行ってきます」
何も言うな、という念を目にこめてドアの方に手をかける。向こうも止める気はなかったらしい。踵を返して、館の中の方へと歩き始めていた。
「他の奴らには黙っていてやるから、また話を聞かせてくれ」
「うん!」
サタンはこうしてよく私の話を聞きたがるのだ。どうやらソレをだしに使ってルシファーをいじっているみたいだけれど。きちんと私の話を聞いてくれて、茶化さずに相談に乗ってくれるのはありがたいので、ほんの少しだけ彼には甘えている。
扉が閉まる音が辺りに響いた。目前に控えているのは魔界のどんよりと曇った空。最初はあまりにも自分の知る世界とは違い、違和感を覚えていたのに、もうすっかり慣れたものだ。ある意味では第二の故郷と言ってもいいのかも。
そのまま足速に道を歩いていく。早歩きだ。だんだんそれも堪えきれなくなって、先にいるであろう彼の元にまっしぐらに駆けていくイメージで走り出した。風をきるのが清々しくて、気持ちよくて、さらに速度を上げていく。左右の景色は瞬く間に流れ去った。こんなに走るのなんていつぶりだろう?それに、好きな人のところに向かって走るのがこんなに気持ち良いなんて!
「ルシファー!」
彼の姿が見え始めたところで、相手の背中に届くように大きな声で愛しい人の名前を呼んだ。肩を大きく回して振り向いたルシファーはほんの少しだけ目に驚きを滲ませているように見えた。
「伊吹!走ってきたのか?」
「そう!魔界の靴ってすごいね、走りやすかったよ」
今自分が履いているのはいわゆるパンプスみたいなものなのに、スニーカーを履いているみたいにピッタリ吸い付いてくれているのだ。本当にすごい。
若干乱れてしまった髪の毛やら、服の裾やらを軽く整えていると、ルシファーからの視線がまっすぐ自分に注がれていることがわかった。
「どうしたの?」
「よく似合っている」
ブローチも、ドレスもな、と言葉を続けながら、そのまま頬をするりと撫でてきた。手袋越しに伝わる彼の指と、細められた目に私は唇を震わせる。
「…ッ、ルシファーのセンスが良かったんだよ」
どちらも彼が贈ってくれたものだったから。やっぱり露骨だったかな。何となく気恥ずかしくなって足元に目を落とした。
「この俺が見繕ったんだ。自信を持て」
ルシファーに軽く肩を小突かれた。自分のセンスに自信しかないことが表れているルシファーの言葉にクスリと笑みが溢れる。彼の場合は、ちゃんと実力も伴っているところがミソだと思う。狡い悪魔だなあ!
そのまま堂々たる態度で歩き始めたので、慌てて隣に並んだ。
「ところで、どこのレストランなの?」
「ああ、まだ言っていなかったか。リストランテ・シックスだ」
「えっ、やった!」
かの有名な高いお店!自力では絶対に行けないけれど、誰かに食べさせてもらいたいなあと、奢ってもらいたいなぁと思うくらいにはおいしいご飯が出てくるお店!
これから食べられるであろうご飯を想像して、ワクワクする気持ちを抑えきれそうにない。
「そんなに喜んでくれるのなら、誘った甲斐もあるというものだ」
ルシファーはククッと愉しげに喉を鳴らした。
「ディアボロにはちょっと申し訳ないけど、いーっぱい食べるから!」
「…好きにするといい」
文字に起こすとぶっきらぼうに見えるかもしれないけれど、とても優しい響きの返事だった。ほれに、普段こっそり眺めているときよりはかなり遅い速度でルシファーは歩き続けている。私に、私の歩幅に合わせてくれているのだ、という事実を噛み締めながら隣を歩いた。
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リストランテ・シックスのコース料理は、それはそれはとても美味しいものだった。今回のテーマは『三界料理』らしく、天界のものも人間界のものも魔界のものも何でもござれ。魔界に来て初めて好きになったご飯もあれば、馴染みのある人間界のご飯もあった。
これは、本当に幸せだ!
前菜から始まりメインディッシュ、口直しなどなど。料理が出てきて、一口食べては味わい、一口食べては味わい。どんどんと目の前のお皿が空になっていく。
バレないように気をつけながら、そっと前に座っているルシファーの方を伺えば、とても綺麗な仕草で食事をしている悪魔の姿があった。吸い込まれそうになって、慌てて視線を自分のお皿に戻す。最後に残った一切れのお肉を口に入れた。うん、美味しい。すごく仰々しい名前の生き物のお肉だったけれど、旨味の奥底に甘味も感じられてとても美味しかった。
両方のお皿が下げられて、残すはデザートのみ、というところまでになった。うう、楽しい時間はあっという間にすぎていくものだ。少し寂しい。
「どうした?」
人の機微に聡い男だ。ルシファーは、言えるよな?という言葉が後ろに見え隠れしている顔でこちらを見つめている。聡い上に傲慢!でもそういうところも好きだったりする。傲慢な人が好きだなんて。ふふ、結局のところは惚れた弱みなのだった。
「デザートで終わりと思うと、ちょっと寂しいなあと思ってさ。あんまりルシファーと2人きりとかないし」
「そうだな。また2人で食事を取ろうか?嘆きの館でも、ここでも、他のところでもいい」
思いがけない言葉が彼の口から出てきたので、思わずまじまじと見つめてしまった。
「いいの?私で?」
「なんだ、お前は嫌なのか?俺と食事を共にすることが」
「そんなわけない!」
食い気味で言ってしまったことに気がついてカッと顔が熱くなる。ルシファー密やかに笑っていて、砂糖菓子みたいな甘さを含めた目が輝いていた。これは、彼も、少なからず私に好意を持ってくれていると自惚れても良いのかな。頭の中にポンっと生まれた都合の良い解釈がどんどんと大きくなっていく。
「ああ、それは良かった。また近いうちにな。今はデザートを楽しもう」
ぐるぐると考えているうちに、いつのまにかデザートが並べられていたらしい。
「そ、うだね!」
平然を保った返事をしようと思ったはずなのに裏返ってしまった声で、ルシファーの口元が愉しげに上がったことがわかる。
じわりじわりと漂うこの甘さはデザートからのものなのか、それとも。
絶対にこの気持ちを彼には伝えないつもりだったけれど、もしかしたらがあるのかもしれない。それに、こんな風に1人のことを考えてドキドキして振り回されるのは、きっと彼で最後なのだと思う。それならばどうか、どうか彼に伝えるソレを機会がありますように。
儚い期待を抱きながら、目の前のリンゴのケーキを口の中に放り込んだ.