(水麿)官能小説家×ヌードモデル3 源清麿の体型は少年体型だ。
大学生の時にそう話題になった。趣味でデッサンをしていた友人の言葉がきっかけで。
『源って中高生みたいなんだよな、体型がさ! 細くて筋肉未発達って感じで……そういうモデルってなかなかいないから、ヌードモデルとかやったら重宝されるかも!』
なるほど、と思ってしまったのだ。隣にいた水心子は嫌な顔をしていたけれど、清麿には元々やりたい仕事もなかった。それだ、と妙に閃いた。
『僕、ヌードモデルになる』
ぎょっとこちらを向いた水心子の顔を忘れない。もうきっかけを作った友人の顔も憶えてはいないけれど、水心子のことだけは取りこぼさない。何ひとつ。
「源くんの身体は、僕らみたいな連中にはとても魅力的でね」
言葉に反して疚しさのかけらもない顔で、馴染みの漫画家は笑った。清麿も笑顔を返す。
「少年漫画の主人公って、どうしたって少年ですもんね」
「そうだね。でも本物の少年の裸なんて眺めてはいけないだろうし……君は本当に天使だよ、あっもちろん君ならどう眺めてもいいと思っている訳ではなくてね!」
「あはは、分かっていますよ」
アシスタントたちの笑声が響く。その先で、ふと漫画家がため息をついた。
「……だから、ああいうのはいけない」
その視線がトイレのほうを向いているのに気づいて、清麿は思わず苦笑した。先程、仕事中に、清麿の肢体を凝視した後に顔を真っ赤にしてそこに駆け込んだアシスタント。
「仕方ないですよ。男の子なのだから、僕も分かりますし」
「それでもさ。仕事を仕事と割り切れない男は僕は嫌いだな。欲情するようなシーンを描くならまだしも、単なる戦闘ポーズのデッサンだよ? まったく……申し訳ない」
漫画家は深々と頭を下げる。今日はその人が育てているアシスタントの勉強会のモデルとして呼ばれてここに来たのだった。生徒たちの顔ぶれを見るに、トイレに駆け込んだ彼は清麿とは初対面だったと思う。それならば本当に気持ちは分からないでもないのだが、そういった『そちら側』の事情を弁解に使わない漫画家が清麿は好きだった。
まるであの恋人のようだ。
「頭を上げてください。大丈夫です、彼に慣れてもらえるように、僕も努力します。うまいこと振る舞えれば、次のお客様になってもらえるかも」
「君は案外たくましいよねえ」
スタッフたちが笑った時、トイレから男性が出てきた。とてもばつが悪そうな顔をして、すみません、と清麿と漫画家に頭を下げた。
「あの……すみません、気分悪くさせました」
「大丈夫だよ。そういう色っぽい身体だってお墨付きをもらったっていうことで、嬉しく思っておくから」
「君は本当に天使だねえ……」
泣き真似をする漫画家に笑って、そろそろ再開しましょうかと声をかけた。
脱ぐことで性的な目を向けられるのはある意味当然のことだ。そもそもそういう趣旨の仕事もしていない訳ではない。アダルト方面の仕事は食べていくために避けられなかった。
――でも、僕の恋人は、ああいう淀んだ欲からは離れたところにいる。
「おかえり」
眼鏡越しの瞳が優しく細められる。ただいまと返せば、手が招いてきた。寄っていくと抱き締められる。
「お疲れ。……ああ、よかった、今日も無事に帰ってきてくれて」
心底の安堵を示す声に、面映い気持ちになりながら抱き返す。水心子の跳ねた毛先を撫で、大丈夫だよと笑った。
「君に会うためだからね」
「そっか」
少しだけ唇を触れ合わせてから、清麿は彼から身体を離した。
「お夕飯作るね。今日はハンバーグだよ」
書斎の出口のほうに歩みながら告げると、水心子は分かりやすく顔色をよくした。それから少し口を噤んで、唸るように零す。
「……いい恋人すぎないか?」
清麿はあははっと笑った。どうやらちゃんと分かってくれたらしい。
「なんせ、君の恋人だから」
誇らしい気持ちで返せば、彼はまた唸ってからパソコンの画面に向き直った。
「……ノルマ、あとちょっとだ。頑張る」
うん、と頷いて、清麿は微笑み書斎を出ていく。
昨日のテレビ番組に出てきたハンバーグに熱視線を送っていた水心子を、今夜の献立で励ますことができたのなら何よりだ。彼は物書きの職業上家からほとんど出ることなく暮らすので、清麿には自分の手ずから刺激を作り出してやれることが嬉しい。喜んでもらえるならなんだってしたいと思う。
台所、ソースに使うトマトを冷蔵庫から取り出す。これも家庭菜園で二人で育てたものだ。そういうものたちで身体を作っていけること、本当に幸せだと心底から感じる。
官能小説家とヌードモデルの男同士が、恋人関係として同棲する。
忌み嫌われない訳がなかった。双方の家からは勘当まではいかなかったが、ほとんど縁を断たれてしまった。
元々それほど実家に未練のなかった清麿とは別で、水心子はきっとショックを受けただろう。それでもそんなそぶりは見せなかった。繋がらなくなった電話、返ってこなくなったメールにもなにも言わず、ただ、少し甘えたように身を擦り寄せてきただけだった。
彼に官能小説家の道を勧めたのは清麿だ。だから罪があるとすれば自分だし、罰なら一人で受ける。そのつもりだったのに、彼はそんな内心すら見通したようにいつも言葉をくれた。
『君を守るよ』
他人が言えば陳腐な言葉、君が言うなら光り輝く道標。現金だ、と自嘲しながら、ソファに座った隣の体温に懐いた。
『僕も、お返しするね』
「ハンバーグ、トマトソースまで再現してくれたの……!」
ノルマが終わったとよれよれになってダイニングにやってきた水心子は、抱き合う肩越しにテーブルの上を見て感動した声を出した。そう、まさに彼が瞳を煌めかせていたテレビ番組の再現だ。あははっと笑う。
「水心子、家でトマト育てるようになってから、すっかり大好きになったものね」
頭を撫でてやると、それもそうだけど、と彼は目元を緩めた。
「清麿が料理うまいからだよ。自分で作ってた頃はこんな美味しいと思わなかった……清麿は魔法使いだな」
目を細める。一番の魔法使いが何を言っているのやら。
「さて、ご飯にしようか」
「そうだな」
食事のためにテーブルを挟むことすら、本当は少し寂しい気持ちがあって。清麿はこっそり苦笑する。己の欲深さも大概だ。席につこうとした時、向かいの水心子に声をかけられる。
顔を上げたら、優しい笑みが向けられていた。
「……夜に、たくさん。ね?」
かあ、っと、頬に熱。俯くと彼からひそめられた笑い声が聞こえた。
――どうして、分かってしまうんだろうなあ。恥ずかしい。本当に何もかもお見通しだ。
「僕、そんなに分かりやすいかな……」
「それはどうか分からないけど、僕は清麿のことは分かりたいよ。……今日、何か嫌なことあっただろう」
胸に、待ち針の痛み。また顔を持ち上げると、変わらぬ微笑みが寄越される。
「……何かあった時の清麿は、僕に普段以上に触りたがるから。当たってただろ?」
そこで悪戯っぽく笑ってくれてしまうのだから、本当に君ってすごいやつだよ。
言っていいものか少し迷ったけれど、清麿は口にした。それが甘えであることも理解していながら。
「デッサンの、生徒さんが、……僕を見て、身体が反応してしまって。トイレに駆け込んで」
彼の身体が少し強張る。顔を見られずに、その張り詰めた肩を見ていた。
「……それだけなんだ。謝ってくれたし、ちゃんと対応できたんだよ。嫌な顔してなかったと思う。……だ、から」
ふいに視界がほろりと欠ける。涙なんだと気づいた時には水心子は席を立っていて、テーブルを回り込んで清麿の横に立ち頭を抱き寄せてくれた。
「……うん。清麿、頑張ったね」
「……っ」
「ね、ご飯冷めさせちゃったら、怒る?」
その言葉の意味することくらいは清麿にだって分かる。ぶんぶん首を振って否定すると優しく抱き起された。そのままダイニングをあとにする。
寝室の電気をつけた。
彼の手はいつも浄化してくれる。身に受けた毒を消すように触れて、辿って、口づけてくれる。
「ぼくのきよまろ」
そう呼ばれることが堪らなく心身を悦ばせた。震えながら縋りつけば何度でも抱き返してくれる。優しい腕、綺麗な人。彼の欲には醜さのかけらもない。本当に心から求められて望まれているのだと分かるから、幸せすぎて、涙は止まらなくて。
それすら君は許してくれる。ぼくのきよまろ、あいしてる。そう何度も囁かれることが、あまりにも嬉しいから、また瞳は濡れた。
チン、と鳴ったレンジから取り出した皿をテーブルに戻す。今度こそ向かい合っていただきますを唱えた。
二十一時を過ぎた夕食。
「うわっ、おいしい」
ハンバーグの一口目を運んだ水心子が跳び上がる。大袈裟だなあと笑えば、妥当なんだと反論された。
「トマトソースと肉汁が混ざるの、すごい……! ほんと清麿料理の天才だよ」
「いやさすがに大袈裟でしょう」
「だから妥当なんだって」
――あんなに可愛くて、こんな料理もできるなんて、僕の清麿はすごいなあ。
「……何を思い出して言っているんだい、すけべさん」
「んー? 僕をすけべにしたのは清麿のくせに」
そう言われてしまえば反抗のすべもない。言葉を飲む清麿を笑い飛ばして、彼はまた笑った。
「ね。君は、僕の清麿、だよ」
だから大丈夫だと、君はまた魔法をかけてくれるから。
「……明日もお仕事、頑張ります」
「ああ。消毒は任せてね」
「すけべ」
「誰のせい?」
軽口の応酬は止まらない。黙って食べることもできないのだ。何だか可笑しくなってしまってつい吹き出すと、彼は満足げにまたあの言葉をくれた。
「僕が守るからね」
今の仕事はきっと、互いに望んだままの形ではない。
けれどそこにも誇りは宿る。君が誇りをくれる。それなら僕も少しでも君に同じものを返したいんだ。君が守っていてくれるように、僕も君を守りたいと思うから。
まったく上等な日々だ。そう思って目を開けられることが嬉しい。――その先に君が微笑んで覗き込んでいてくれることが嬉しい。朝日の差し込むベッドで、先に目覚めていた水心子に抱きついて、心の底から笑っておはようを口にした。