(養生本丸とふたにょの水麿)この身体に積もる 雪が降るころになると、清麿は降り出す空のその高さにぞっとする。ふつうは秋にこそそう思うのだろうけれど、雪空のどこから降るのかを探ろうと視線を上向ければ、まるで吸い込まれそうに、天に昇ってしまいそうにある白を不思議とそう感じるのだった。
「本丸間交流だ~? この忙しい年末にか、政府連中は正気か?」
「まあ、彼らが正気だとはまったく思わないが」
大包平がしかめっ面でこぼした言葉を、水心子は腕を組んで苦笑しながら拾いあげた。寒い縁側に立ったままのやり取り、清麿は外を見ていた目を大好きな声につられて内に戻す。
「忙しさでいったら、こちらに来るという先方のものたちのほうがよほどだろう。彼らは今ごろ連隊戦の真っ最中だ」
連隊戦。四部隊が入れ替わり立ち替わり押し寄せる敵に挑むという戦。なんでもノルマがあるらしく、それを達成できれば新たな仲間を迎えられるとか。
なんでも、という程度にしか知らないのは、清麿がいるこの本丸が一般的なものではないからだ。連隊戦になど誰も出陣したことがない。この本丸は、政府の催し事に基本参加をしない。
大包平がさらに顔をしかめた。
「向こうも望まぬ交流ならばなおさらだ。中止はできんのか、誰も喜ばないことならばしても意味はないだろう」
彼の言うことは常に正論である。言葉を飲んだ水心子に、開け放った障子の向こうから審神者が歩み寄ってきた。
「でもね、先方は望んでいるらしいわよ。特に、正秀ちゃんと清麿ちゃんに会うことを心待ちにしているみたい」
「……わ、私たち?」
その流れを聞いて、やっと清麿は自分が話の輪の中にいたことを思い出した。ぼうっとする癖があるらしく、時折こうやって自分の立ち位置を忘れてしまう。よくない、と拳を握って審神者を見た。
「来訪する使いの子は、水心子正秀と源清麿。──そのふたりは、刀剣女士と半陰陽よ」
ゆっくりと、目を瞬いた。
「……刀剣女士、は分かるのだが、はんいんよう、とは?」
問いかけた水心子に、審神者は『あら知らなかったの』と紡ぐ。
「身体的な特徴が、男の子でもあり女の子でもある個体のこと。ちなみに先方は水心子正秀がそうみたいね。それで源清麿が女士」
「そう、なのか……」
水心子の呟いた声に、心に靄がかかる。──おんなのこの、僕。
敵だとしか思えなくて、顎を下げる。床板に張りついていた視線を再度上向けさせたのは、また審神者の言葉だった。
「ふたり、夫婦なんですって。うちのあなたたちと一緒ね」
ふう、ふ。
己の左手に在る、銀色の指輪が急に重たくなった気がして手を握った。一年ほど前、清麿のわがままに応えて水心子が贈ってくれたものだ。安いものでいいと言ったのに、彼はきっちり数か月ぶんの給料をつぎ込んだ揃いの指輪をくれた。
こんなふうに形だけは一丁前のものを持って、永遠を誓って、けれど水心子と清麿は正式な夫婦ではない。それを一緒だと言われて、水心子はどんな反応をするだろう。
こわくて、唇を引き結んだとき、水心子の手が背に触れた。
「なるほど。それが会うことを望んでいる理由だと……」
そういうことでしょうね、と返される審神者の声を聞きながら、清麿は視線を上げた。
水心子もこちらを向いたばかりで、目が合った。自分はどんな顔をしてしまったのだろう。水心子は穏やかに微笑んで、背中をぽん、と撫でてくれた。
本丸間交流の話を持ち出したのは政府だが、双方の本丸が乗り気だと知るや、日程などの交渉は丸投げにされたそうだ。政府側も年末で忙しいのだろう、と三日月は笑っていたが、互いに政府から渡された情報以外に知らぬ相手なのだ。調整に時間がかかって、交流が行われる当日は本当に年の暮れのころとなった。
清麿は、応接室として使われる部屋の小さなテーブルについていた。
先方の源清麿が、水心子正秀と一緒の見学を終えたあとにここに来る予定になっていた。なんでも彼女が清麿に会いたがっているらしい。ふたりきりで話がしたい。その申し出に清麿はすこし躊躇ったけれど、最終的に受け入れることにした。
受け入れた、ものの。椅子に座ったまま、拳を握る。政府を出てから、同位体と会ったことはない。女士とはどういう存在なのだろう。どんなことを言われるだろう。話がしたい、とは、いったいどんな内容を。
ぐるぐる思考していたとき、部屋のドアがノックされた。
「は、はい」
声を上げる間に扉がキイと開き、外から藤色の長い髪をした女性が入ってきた。
「失礼します。……君が、この本丸の源清麿だね?」
まっすぐで、穏やかな目が、こちらを向く。なんだか妙な気持ちになってから、それが郷愁に近い感情だとふと気づいた。
彼女が苦笑してドアを閉めたのを見て、やっと自分が黙り込んでしまっていたことに気づく。慌てて立ち上がろうとした。
「あ、そう、だよ、僕がここの……わっ」
「危ない!」
テーブルについた腕の、肘がかくんと抜けて、バランスを崩しかける。転んでしまう、無様、と思ったのに、ものすごい速さで飛んできた彼女の細い腕に支えられ、身体が倒れることはなかった。
小柄な容姿、はかなげな印象。けれど彼女は清麿を抱きとめてもびくともしない。
水心子に支えられるときは、水心子が強いからこうなのだ、と漠然と思っていた。しかし今この瞬間、清麿は、はじめて練度というものを意識した。こんなちいさな身体で、己なんかよりもずっと強い存在。
「大丈夫かい? 焦らせてしまってごめんね、ゆっくりでいいから」
「あ……」
助け起こされて椅子に収められ、やっと清麿は頭を下げた。
「ごめん、……なさい」
無性に泣きたくなった。練度の差を見せつけられ、己の弱さを実感して、俯いたまま目を瞑る。そうしなければ涙が溢れてしまう気がして。
水心子は、こんな清麿をいつだって大事に扱ってくれる。……それが許されていい自分じゃない。封印していたその思いが、吹き出すように胸の底から湧いてしまった。みじめで、情けなくて、どうしたらいいか分からず俯くばかりの清麿の頭が、ふいに撫でられた。
目を見開く。柔らかな感覚は、なぜか心を落ち着かせるものだった。
「君の主から話は聞いていたけれど、本当に素直でいい子なんだね。僕が焦らせてしまったのに、君のほうが謝るんだもの」
ふふ、と笑う声が、丸い。角のない声。心の棘を払われたようで、そっと顔を上げた。
微笑んだ刀剣女士の源清麿が、もう大丈夫かい、と尋ねる。弾かれたように頷くと、よかった、とまた微笑まれた。
「座らせてもらうね」
彼女の腕が離れていって、向かいの席に腰を下ろす。席へ通すこともまともにできなかったのに、彼女は清麿を責めることはなかった。
「……さて、本当はゆっくりお話ししたいのだけれど、時間がないから……不躾なことを聞いてもいいかな?」
不躾な、こと。
一瞬躊躇ってから、清麿は覚悟を決めて頷いた。右足のことに触れられるのだろう。それでもいい。最初から想定していたことだ。
けれど届いた言葉はそれではなかった。
「君とそちらの水心子は、お付き合いしているって、聞いたのだけれど……?」
目を丸くした。彼女はわくわくとした顔をしてこちらを見ている。
「……そ、そうだけれど」
「わあ、そうなんだね! もしかして、その指輪って」
「ああ……うん、水心子にもらったものだよ」
「やっぱり! いいなあ、僕たち指輪はないんだよ……やっぱり指輪っていいだろう、ちょっと僕も相談してみようかな……」
首をひねる彼女はずっと笑顔で。覚悟が拍子抜けした清麿は、思わず『待って』と声を上げた。
「そ、……そういうことを話しに来たの?」
「うん! 君が水心子正秀とお付き合いしている個体だというから、話が合うかなって」
彼女はあっけらかんと言い放った。清麿は目を丸くしたまま漏らす。
「……脚の話ではない、のか……」
その呟きを聞いた彼女は、やっとなにか合点がいった顔をした。それからまたゆっくりと微笑む。
「……もしかして、君の身体のことを言われると思っていたのかな?」
こくん、と清麿は頷いた。それ以外の話題なんてないと思っていた。
しかし彼女はなんでもなさそうに笑んでいる。
「他者の肉体をどうこう言える立場ではないよ、僕は。僕だって刀剣男士になれなかった器だもの」
そう言われてはっとした。自分を卑下することばかり考えていたけれど、彼女も刀剣女士なのだ。男尊女卑の残る政府では、きっと嫌な思いをしたことだってあるだろう。
「ごめん」
「ふふ、謝ることではないよ」
大丈夫、と笑う彼女は、ゆったりと紡いだ。
「僕も、君と同じ。『望まれた刀剣男士』にはなれなかった。……でも、もうひとつ、僕ら同じものがあるよね」
なんだか分からず目を瞬くと、彼女はすこしだけ身を乗り出して笑った。
「正常ではなかったからこそ、僕たち、自分だけの水心子正秀を手に入れられたじゃないか」
──見開いた、己の目に、嬉しそうな顔が映っているだろうか。
「聞いているよ、水心子からの一目惚れだったんだってね。それはきっと、君だったからだよ。君のなにが変わっていても、他の同位体と変わらない存在になっていたんだから、特別なことなんだよ」
彼女の語った思考に、驚いて、言葉を飲んだ。正常な刀剣男士に生まれていれば、他の同位体と変わらない存在で、それでは番の水心子には愛されなかったかもしれない。そんな考え方、したことがなかった。想像したこともなかった。
「僕もね、女士に生まれてよかったと思っているよ。僕の水心子は半陰陽でね、聞いているかな……彼女に選んでもらえたのは、きっと僕が女だったから。それにね、今こんなにも愛してもらっている自分を、誰に何と言われようが心底嫌いになれるわけないだろう?」
視界が、ちかちかする。窓から差す光が妙にまぶしい。目を細めてしまうのに、それは決して嫌なものじゃない。
こんこん、とドアがノックされた。慌てて返事を返すと、水心子と大包平が入ってきた。
「申し訳ないが、時間切れだ。貴方の審神者が呼んでいる」
大包平のよそ行きの声に、わかったよ、と源清麿が頷く。立ち上がりながらこちらを向いた彼女が、両手を合わせて苦笑した。
「ごめんね、僕ばっかり話してしまっていたね」
「あ、そんな……」
「ふふ、ありがとう。会えてうれしかったよ、源清麿」
源清麿。そう名前を呼ばれたとき、背筋に凛とした線が入った気がした。
そうだ、右足がなかろうと、僕は確かに源清麿。
「僕も、……また会えたらうれしいよ。ありがとう、源清麿」
柔らかく笑った彼女が、廊下に出ていく。先で待っていた水心子正秀らしき人影に、彼女が嬉しそうに飛びつくのが見えた。
大包平も部屋を出ていく。残ったこの本丸の水心子が、そろりと清麿の顔を覗き込んできた。
「……ずいぶん仲良くなった?」
なぜだろう。その顔を見た瞬間、耐え切れなくなった。涙腺から涙が染み出し、頬を伝って落ちていく。仰天する水心子に、抱きついた。
当たり前に抱き返してくれる腕。愛しさで、余計に涙は募る。
「どうしたんだ、きよまろ、嫌なこと言われたのか?」
「ううん、……ちが、……すごいことを、言われた」
すごいこと? と抱きしめたままで首をひねるので、清麿はあははっと吹き出した。笑いながら泣いてしまう。きっと、嬉しすぎるから、泣いている。
「水心子、ぼくのこと好き?」
突拍子もない問いかけに、彼は驚いた様子を見せながらも腕の力を強くして、『当たり前だ』と言ってくれた。──ほんとうだ、愛されているね。
自分を嫌いになれるわけがないね。
雪が降る。空を見上げれば天に吸い込まれそうに思える。
横に立った水心子が、清麿を見てうわあと声を上げた。
「よく上見てられるな、清麿……僕は目に入りそうで怖くて見られないよ」
顔を下ろして、彼のほうを見る。こんなふうに、水心子にだってできないことはある。どんなに彼が強くても、決して無敵なんかではない。
「だいじょうぶだよ」
水心子に、できないことがあっても。
「僕が見るから、上から敵が降ってきても大丈夫。水心子の目になるよ」
そうだ、己にだって、できることはあるから。その全霊で、君を守るから。
「……清麿、あのひとに会ってから、変わったよね」
そんなふうに唇を尖らせて、清麿の同位体の女士を『あのひと』と呼んで、面白くなさそうに『妬けるよ』と呟く。
そんな様子さえあんまりにも愛おしいから、清麿は自分を支えていた杖を放り出して彼に抱きついた。
その行動に慌ててくれるところも、ぜんぶ、すき。
「僕が水心子のことが大好きだって、ものすごく実感させてもらったんだよ」
君に出会えてよかった。この身体で、生まれられてよかった。この想いをなんと呼ぼう。この尊さに、なんと名前をつけよう。
「あいしてる、水心子」
放った瞬間に、力いっぱい抱きしめられた。笑い声が雪景色に舞う。
降り積もると同じように、君を想う喜びも、うずたかく。