堀清+兼探偵パロ 1 ドリップ式で作るコーヒーが生まれいずる音を聴く。泡が潰れ黒色がマグカップに落ちていく。
「怨霊、すか」
電話応対をしている兼定の声に、堀川はちらとそちらを見たがまた視線を手元に戻した。コーヒーを淹れるのは好きな時間だ。音だけでなく香りも心を安らがせる。
「堀川、ミルクはいいの?」
「いいんだよ清光くん。ブラックコーヒーを飲んで、胃がきゅっとなるのが好きなんだ」
寄ってきた幼い少年にそう告げると、彼はふうん変なのと胡乱げにした。
「堀川はMなのかな」
耳年増はそんなことを言う。電話口に届かぬようひそめつつ笑って、堀川はその子の頭を撫でた。
「確かめてみる?」
「な」
染まる頬はまだまだ子供の証である。ぽん、と頭頂部を叩くと、清光から恨みがましい視線が送られた。
「はい……はい、分かりました。うちの案件だと思います。すぐに向かいますんで、はい……よろしく頼みます。はい」
兼定が受話器を置く。カップに口をつけたところで、堀川たちの名前も呼ばれてしまった。
「おい国広ォ清光! 行くぞ、依頼だ」
「待ってよ兼さん、コーヒーが今日も美味しく入ったのにそれはないよ……せめて飲んでからでいいんじゃないかなあ」
「このブラックコーヒー狂め……」
そう言って歩み寄ってきた兼定が、堀川の手からカップを奪い呷る。清光と二人、あ、と声を上げるうちに、中身はその人の口から飲み干されてしまった。
「あー、にっげ」
突き返されたカップを受け取り、堀川は恨みのこもった視線を向ける。
「ひどいなあ。飲んどいて文句だよ……ほんと野蛮だよねえ、ねー清光くん」
「なー」
「うるせ、子供味方につけてんじゃねえ! 行くぞ、つうかな、電話応対くれえお前がしろよ助手だろうが!」
「兼さんのほうが年下なんだからそれらしいことしてくれたっていいじゃない」
「体育会系ムーブかますな! お前もたまには助手らしいことしろよな……」
「兼定が所長らしくないからじゃないの」
「ああ?」
「ふふっ、言うね清光くん!」
慌ただしくコートを着込んだ三つの身体がドアから出ていき、事務所に施錠音が響き渡る。
和泉守探偵事務所。和泉守兼定を所長とし、堀川国広が助手として住み込みで勤めている事務所だ。今は諸事情から小学生である加州清光もその輪の中にいる。
もちろん探偵事務所と銘打つからには人探しや浮気調査、ペット探しまでするのだが、得意分野は少し外れたものだったりする。
今回の依頼もそちらの系統らしかった。現場の屋敷は門をくぐっただけでもうこちらには分かってしまうほど、――不浄な霊力が漂っていた。
「あ、貴方がたが、事務所の方ですか」
門を開けたのはこの家の主人らしい。どこかで見たことがある、と思ったら、差し出された名刺の名前を見て思い至った。以前市長を務めていた人物だ。
兼定が名刺を渡そうとした時、元市長の視線が低いところに注がれた。見つめられた清光が、居心地悪そうに堀川の後ろに隠れる。
「……あの、子供さんは、何故ここに」
「あー……それも含めて、自己紹介させてくれ」
軽く咳払いをしてから、兼定が名乗り上げる。
「私が所長の和泉守兼定。この中くらいのが堀川国広、助手です。それから、一番小さいのが所員の加州清光」
「所員……この子も?」
戸惑う依頼主に堀川はにっこりと微笑んだ。清光の頭をぽんぽんと撫でる。
「小さいですが、仕事のできる子ですよ。きっとお役に立てます」
「お、俺、ちゃんとやれるよ! 『ここの子』のことも、ちゃんと分かる!」
はっと依頼主が息を飲んだ。堀川は嫣然とする。霊力的には当然だが、清光にもしっかり状況は把握できているらしい。
「……中へどうぞ」
そこから依頼主は清光の年齢には触れなくなった。もっと子供を働かせることや巻き込むことに何か言われるかと思ったのだが、そんなこともなかった。兼定と顔を見合わせて、視線で感情の共有をする。
和泉守探偵事務所の得意分野。霊的な問題の解決、である。
兼定は霊能者としては少し力は弱いのだが、霊的なものから干渉を受けづらい、抵抗することができるタイプの能力者だった。それゆえに厄介ごとに巻き込まれることは少なかったのだが、それは兼定からも霊に干渉しづらいことを示していた。
大学の一年後輩だった彼が、霊能者だと明かしていなかった堀川にその話をしてくれたのが始まりだった。彼は『分かってやれないうえに伝えられない。それは霊能力として底辺だ』そう零した。何かそう思わされる経験もあったのだろう。
『なら、僕がそれを伝える力になろうか』
ぽかんとした兼定に笑いかけ、僕もちょっとした力があってね、と伝えた時の彼の『知らねーけど!』の大絶叫は忘れられない。それはそうだろう、言っていないし、そもそも『干渉を受けづらい』能力者の兼定に分かるわけもない。
『お前は何が得意なんだよ』
できないことを聞くのではなく、得意なことから聞くのは美徳だ。拗ねた相手に微笑んだ。
『殴る』
『殴る』
『蹴るのもできるよ』
『……物理攻撃ができる、ってことか』
そういうことだった。堀川は霊に触れる。……という表現は常にという意味では正しくはないのだが、悪意を持って向けられる攻撃は弾けるしそういう意図で向かってくる相手には攻撃できる。
『まあ、でもその代わり不便な面もあるんだ。そこを補ってもらいたいんだけど』
『補う? 何かするのか』
『僕らの就職先を作ろうと思ってさ』
その時の堀川の笑い方を兼定は今でも背筋が冷えたと評する。
『霊的なことを得意にした探偵事務所、どう? 兼さん』
話は戻って依頼主曰く、この屋敷の現場となる一室には引きこもりの息子がいたらしい。自殺願望を持っていて、たびたび自傷行為に及んでいたそうだ。
市長を務めている最中、その息子が亡くなった。ついに自殺を選んでしまったのかと思ったそうだが、違った。病死だった。
「病院には行かれていたんですか」
兼定の問いに、依頼主は顔を顰めて首を振った。
「なんせ引きこもりでした。我々の前に顔を見せることもほとんどなかった。病死も突然死ですよ……察知できるものではなかったのです」
言うことは分かる。しかし、この表情はどうだろう。亡くなった息子を語るのに、こんなに嫌そうな顔をするものか。
「まあ、それで、それから時折部屋から声がするようになりましてね。何を言っているのかは聞き取れないのですが、気味が悪く……今回依頼させていただいた次第です」
現場の部屋に向け歩きながら事情を聞くが、出てくるのはその息子への不満だった。思い悩んでいただろう息子へ向けて、依頼主は明言こそしないものの『邪魔』という感情を滲ませていた。清光が居心地悪そうに身じろぐ。
そこでやっと堀川は、ああ、と気づいた。子供である清光が働いていることをつつかなかった理由。
――この人は、子供が嫌いなんだな。
「この部屋です」
二階の角部屋だった。前に立っただけでも、中によくないものがいることはよく分かる。
兼定と視線を交わした。
「……どうする? 依頼主を入れるか」
「そうだね……これは、入れたほうがいい案件かもしれないね」
「わた、私が入るんですか」
慌てる依頼主に笑顔で向き直る。
「お願いします。ご依頼主さんが一緒に入ってくださることが最善だと思います。もちろん僕たちでお守りしますので大丈夫です、危害は加えさせません」
「危害が、あるんですか」
「加えさせません。……なあご主人よお、この部屋にはまだあんたの息子さんの思念がとどまっている。何を思ってここから出られずにいるのか……あんたが知る必要があるんじゃねえかな?」
言い含めると、依頼主は渋った末頷いた。
「よし、――開けるぞ」
「待って」
今まで黙っていた清光が兼定を止める。振り向くと、身体を滑り込ませて彼がドアノブに手をかけた。
「俺が開けたほうが、いい気がする」
真剣な口調に、堀川と兼定は彼の頭にぽんと手を置いた。信頼の証だった。ギイ、とドアが開く。
そこは、すすり泣く子供の声に溢れていた。反響するように耳に、脳に届く、その子の言葉たちは。
「――これは……」
「こんな……これが、成仏できない訳だったのか……」
「な、なんですか? 何と言っているんです、聞き取れない」
堀川たちには一言一句聞き取れるのだが、霊力の低い依頼主には不明瞭にしか届かないらしい。説明をしようとした時、清光の膝が床に崩れた。
「清光くん」
「こんなの……ひどい……可哀想だよ……っ」
しゃがみ込んで肩を抱く。清光は泣いていた。
彼は特に『聴く』力の強い子だ。感受性が強く霊にすら寄り添う。しかも今日の亡霊は亡くなった時の年齢よりも幼いであろう子供の形で現れている。そのぶん清光に共鳴してしまうのだ。
兼定が静かに尋ねた。
「清光、外出るか?」
清光は泣きじゃくりながら、それでも首を左右に振った。
「俺がやる。この子、俺に一番呼びかけてきてる。そんで、俺越しに、お父さんを見てるんだ」
そう言って、歯を食いしばった清光が立ち上がる。濡れた目をきつくして、依頼主を振り返った。肩を跳ねさせるその人に、清光が口を開く。
「……ここには、まだ亡くなった子供が残ってるよ。あんたにずっと呼びかけてる」
「私、に?」
「そうだよ。……何て言ってるか、教えてあげようか」
――殺して、って、言ってるんだよ。
「……ころ、して……?」
「そう。もう死んでるのに、って思うでしょ? ……突然死って言ってたよね。この子は、まだ自分が死んだって分かってないんだ。だから今でも、死にたい殺して、ってずっと泣いてる」
「な、なら、死んだんだって教えてくれ。そうしたらこの声も収ま」
「なんでわかんないんだよ……!」
清光が、依頼主に飛びついていく。服を掴んで、涙を零しながら訴えかける。
「この子はね、ずっと死にたいって思ってたってことだよ。生きながら、父親の期待に応えられない、ここから出たいのに出たら嫌な目を向けられる、でも出ないとそれはまた負担になるって……この子はずっと自分を責めてた! ごめんなさい、ごめんなさいって、こんな僕でごめんって、――お父さん僕を殺してって、死んじゃった今でもまだずっと泣き続けてるんだよ!」
堀川にも聴こえる。この子供は時が止まったままの子だ。進めないまま時に取り残された。
ただ死にたいと願っていた子だった。父親に救いの手を求めた子だった。最期父親に手にかけられることで、自身を罰したいと思っている。今も。
殺してくれ、という願望がそのまま生き続けてしまっている。それによって成仏できない。
「でもね、でもね、この子は本当はお父さんに甘えたかったんだよ。甘やかして欲しかったんだよ。だから、あんたに殺してくれって……助けてくれ、って、言ってるんだよ……!」
「……洋介……」
「ねえ、俺からお願い」
子供の名前を呼んだ男に、ぐすっと清光が鼻を啜る。泣き濡れた瞳でまっすぐに依頼主を見た。
「この子に言葉をちょうだい。この子を本当に思いやった言葉を。俺が伝えるから、責任もって伝えるから……だから、この子を、最後に愛してあげて」
たじろいだ依頼主は、それでも躊躇うように視線を背けた。
「おい……」
兼定が声を上げた瞬間、耳鳴りと共に一筋の衝撃波が清光に向け放たれた。彼もそれに気づく、けれど、彼に防ぐ力はない。
――彼にはない。けれど。
ガキン、と金属のような音が響いた。堀川が衝撃波を蹴り返したことで鳴った音だった。それは力のない依頼主にも分かったようで、その身体が固まる。
「なるほど、一番伝わっている子から狙うんだな……清光くん、後ろにいてね。あ、ご依頼主さんも」
「そっち優先しとけよ国広、一応は」
「分かってますって」
笑いながら追撃を弾き返す。部屋にはそれでも傷はつかない。まるで気を遣いながらヒステリックを起こしている子供だと思った。
「ご依頼主さん。なんでこの子が、貴方を攻撃しないか分かりますか?」
首を振る気配。そうだ、分からないだろうな。分かることを放棄してきた人なのだろうから。
「貴方を傷つけてはいけないと思っているからですよ」
堀川たちを攻撃しているのは異物だと認識しているからだろう。自分の部屋に入ってきた、家族ではないものだからだ。
「お願いします、ご依頼主さん」
攻撃を殴りつけながら、堀川は言葉を続ける。
「清光くんは『聴く』力と『伝える』力が強い子ですが、対象に届けるためには言葉、想いは力を持ったものでないといけないんです。今回の場合、この子には貴方のそれでないと届きません。それ以外を求めていないから……なので、お願いします」
隙を見て頭を下げると、清光もばっとお辞儀をした。離れたところで兼定も。
微かな沈黙のあと、家主の口から言葉が零れる。
「……『悪かった。お前は亡くなった、その意味を、私はこれから噛み締めていく。助けられなくて、すまなかった』」
絞り出すような声だった。清光が顔を上げる。
「伝える」
そう言って、清光が肩に触れてくる。頷き合って、堀川は自身の手のひらに彼の手を握り込んだ。そうして二人の拳を作る。
次の衝撃波を、その拳で受けた。
ぱん、と乾いた音が、部屋に響く。それは弾けて、窓の開いていない室内に風がふわりと舞った。
「え……?」
驚いたように周囲を見回す依頼主に、兼定が告げる。
「終わりました」
「終わっ……?」
「息子さんは、行くべきところへ行きました。言葉は受け入れてもらえたようです」
まだ呆然としているらしい依頼主を置き、さて、と漏らしながら、兼定が歩み寄ってくる足音が聴こえる。堀川の視界は真っ暗だった。立ち眩みを起こした時のような状態だ。力を使うとこうなる。跪いた時、小さな手が支えてくれた。清光だろう。
「ほりかわ、ほりかわ……」
大丈夫だと言ってやりたいのに口が開かない。それでも何とか押し開けようとした時、兼定の声が降ってきた。
「大丈夫だ」
そうして身体が抱き上げられる。担がれたのだと分かった。べちんと背中を叩かれる。
「運ぶのは任せとけ、相棒」
堀川は笑った。――まったく、頼れる相棒だよ、ほんと。
そのまま意識を手放した。清光の凛とした声が『あの子にかけた言葉、忘れないでね』と依頼主に呼びかけるのを、たくましくなったものだなあと思いながら。
目を開けるとソースの焼ける匂いがした。出る時はコーヒーの匂いだったのになあ、と思いながら上げた目線の先、清光が覗き込んでいた。
「堀川。身体だいじょうぶ?」
「……うん、……まだちょっと重いけど……」
「オレもそんなお前担ぐの重かったんだぜ、感謝しろよなー」
ジュワア、とフライパンが鳴っている。リビングのソファで上体を起こしてキッチンのほうを見た。兼定が振るフライパンの中身は、どうやら焼きそばだ。
「焼きそばだけだと足りないな……」
「おっまえ、力使ったあとは食うからなあ」
兼定がからから笑う。横の清光が大丈夫だと笑った。
「出前も取ってあるんだ。堀川のぶんはもうすぐかつ丼とチャーハンと鶏の照り焼きが届くよ」
「えっ、ほんと! うわ、兼さんのおごりかなーやったあ!」
「ちゃっかりしてんだよな……」
兼定が皿に麺を盛りつけ始めた時、呼び鈴が鳴った。財布を持った清光がはーいと飛び出していく。その小さな背中を微笑んで見つめた。
二人の拳で対象の攻撃に触れることで清光の力である伝達を安全に行うことを、堀川と清光は協力必殺技と呼んでいる。兼定がつけてくれた呼び名だ。
清光の『伝える』力は対象に触れる必要があるのだが、彼が単独でやろうとするとどうしたって攻撃を食らう。今回の衝撃波も堀川以外が触れれば裂けるなり切れるなりしたものだっただろう。
堀川が清光の手を覆うことで、彼の伝達の力をそのままにして対象に触れることができる。そういうやり方だった。
そして力を使いすぎて歩けなくなった堀川のことは、『干渉を受けづらい』兼定が運ぶ。そんな役割が振られているのがこの事務所である。
テーブルに届いた食べ物を並べる清光を眺める。今はまだ少年で拳も包み込めるけれど、彼だって大人になるのだ。――そうなったら協力必殺技も使いづらくなるのかな。それはちょっとどころじゃなく寂しいな。そんなことを考える堀川を知らず、清光がぱっと笑顔を向けてくれた。
「食べよ、ほりかわ!」
笑い返した。
――そうだね、大人になったらなったで別の方法を考えたらいいだけだね。それから君の願いを叶えてあげられるし、万々歳かもしれない。そう思いながら、箸に手を伸ばす。
清光がこの事務所にいる理由。それは、『堀川がお嫁さんにしてくれるまでここから出ていかない』という、堀川と兼定が清光を助けたある日芽生えた恋心からだった。