(腐)風邪っぴきハニー(水麿)「おはよう、水心子」
笑う君が朝だというのに頬を真っ赤にしていたから。
「やっぱり風邪か」
手を引いて支えてやって戻ってきた二人部屋、布団を敷き直してやるとそこに膝をついた清麿がううと唸った。
「ごめん……なんだかふわふわしているなとは思ったのだけれど……」
「あんな真っ赤な顔してたらそりゃそうだよ……薬研殿が出陣前でいてくれてよかった、診てもらえなかったら清麿だって不安だっただろうし」
手入れ部屋を一人で預かる薬研は今日は出陣の部隊に名を連ねていて、それを知っていたので水心子は清麿を担ぎこんだのだ。きよまろがなにかおかしいんだ診てくれと叫んだ水心子に、彼は驚くでも笑うでもなく真顔で『落ち着け』と諭してくれた。
もう戦支度を終えていた彼はたまたま手入れ部屋に立ち寄っていただけだったらしいが、ともかく間に合って診てもらえた。一通り診察を終えて出された診断は、前述の通りの風邪だ。
『刀剣男士は丈夫だから滅多に風邪は引かんが、免疫力が低下していたり疲労が蓄積されていると稀にかかるんだ。旦那は最近何か心当たりはねえか?』
問われた清麿は、あ、と声を漏らした。少しだけ言いづらそうにしてから、小さな声で口を開く。
『……ちょっと、不眠が続いていて』
水心子は驚いた。――知らなかった。いつも同じ部屋で寝ているけれど、水心子は睡眠が深いようで夜中に起きることはほぼない。そして朝起きればいつも清麿は寝ていたので、彼も同じなのだと思い込んでいた。
薬研がうんと頷く。
『それだろうな。風邪薬も出しとくが、不眠のほうがもっと心配だ。詳しい症状を教えてくれねえか、そっちの薬も処方するから――』
そこからは不眠の診察が始まった。隣で聞いているのにうまく入ってはこなくて己の困惑を知る。清麿の目元に隈を見つけてしまってからは余計に何も考えられなかった。
「……僕は、不安ではなかったよ」
ふいに届いた今目の前にいる清麿の声に、慌てて顔を上げる。その頬の赤は熱のせいか、それとも。
診てもらえなかったら不安だっただろう、という水心子に対する彼の笑顔はこんな時でもやっぱりきれいだ。
「水心子がいてくれるもの。風邪で診てもらえなかったとしても、今日一緒にいるって言ってもらえていたから……」
――けど、せっかくのデートを潰すような真似をしてしまって、ごめんね。
「……そんなのいい」
布団の上に座り、彼の身体をぎゅっと抱きしめる。いつもよりも高い体温。
「……言った通り、傍にいるよ。どうしてほしい? なんでもしてあげる」
愛しいと思う気持ちがこみ上げるのは、たぶん君が瞳にさみしさを宿しているからで。
しかし彼は戸惑った顔で身体を押しのけようとする。どうしたのと問うとだってと返された。
「移ってしまうよ。風邪はうつされたほうが苦しいというだろう、もし君が苦しんだら」
「いいの。僕が傍にいたいだけだよ、清麿を独りにしたくない」
「でも」
「わがまま聞いて、きよまろ」
そう言って微笑みかければ、彼は真っ赤になって俯いてしまった。ああこの赤は、風邪が関係ないほうの赤だ。
「……僕のわがままだろう」
「違うよ、清麿にわがままになってほしい僕のわがままだよ」
「屁理屈だよ……」
零しながらも観念してくれたようで彼の腕が腹に巻きついてくる。――なんだかんだこうしたかったんだろうなあ。元々久しぶりのデートなんて予定を入れていたんだから、余計にくっついていたい気持ちはあっただろうに。それでも移したくないと心配してくれたことが、さらに愛しさを募らせる。
抱き返してぽんぽん背中を撫でた。
「とりあえず、少し寝よう清麿。……眠れてなかったの気づけなくて、ごめん」
清麿がぶんぶん首を振る。そんなことないと言いたいのだろうが、少し仕草が幼くて胸が痛い。余裕がないのだろう。慈しむ気持ちでさすってやる。
「眠れない理由、心当たりある? 話せる? 清麿」
問いかけながら抱き合った身体を布団に倒した。彼は数秒逡巡して、それからぽつりと呟いた。
「……こわいゆめを見るんだ」
口調まで幼く聞こえるのは何のせいなのか。どんなものが彼を苦しめているのか。
「……どういう夢?」
「……天保の……江戸の」
天保江戸。政府時代の二人の最後の任務の地。
彼が消えるかもしれなかった場所。
「気づいたら……僕は、江戸にいて。水心子を見つけるんだ。それで君に声をかけるけれど、……君は僕を、知らなくて」
顔を顰める。……それは、あの任務が失敗したあとの世界だった。
「江戸三作には違う刀工が名を連ねていた。『刀剣男士・源清麿』は存在しない世界で……すいしんしがね」
「……うん」
「水心子が、独りなんだ」
彼の声が滲んでいく。鼻をすする音がしたので、布団を二人の肩までずり上げた。涙によるものだとは分かっていたけれど、彼を少しでも温めたかった。
「君がひとりぼっちで、……背筋が丸まっていて。さみしそうにしていて。助けてあげたいって思うのに、僕の身体が……消えていくんだ。せめて心だけでも残したくて、僕は君の親友なんだよって叫ぶんだけれど、じゃあなんで消えてしまうんだって……君が……泣くんだ。独りにしないでって、泣くんだよ……」
なんて、痛々しい悪夢だろう。清麿は結局水心子を心配して苦しんでいたのだ。夢の中で独りぼっちになってしまう水心子を想って、そして、――そして君は今泣いている。現実の僕の腕の中で、縋るように、泣いている。
「……ありがとう、きよまろ」
「……?」
窺う視線を向けてくる清麿の髪を梳いた。額に口づける。
「夢の中でも、僕のために頑張ってくれて、本当にありがとう。……独りでそんな場所に行かせちゃって、ごめんね」
「すい、しんし……」
「そんな思いしたら、寝るのが怖くなって当たり前だ。……けど、もうそんな世界にしたりしない。今日からは僕が絶対に入り込む。もしまた清麿がそんな夢に魘されたら、自分から手を伸ばして君を抱きしめて、消えない方法を探すから」
――だから、もうだいじょうぶだよ。
彼の瞼が、うつら、と落ちかける。涙を残したままの瞳が隠されて、ごめんなんだか、と漏らすので、いいよ一緒に寝ようと囁いて腕の力を強めた。
「こうしてるから、もう大丈夫だよ……」
頭を何往復か撫でた時、彼から寝息が聞こえてきた。どうやら眠ったらしい。回した片腕は彼の身体の下になっていて、あとから絶対に痺れるわ痛むわで大変なことになるだろうとは思ったけれど、解く気は更々ない。また額にキスをした。
――起きるまで抱えてるよ。傍にいて放さない。大丈夫だ。
夢の中でまで自分ではなく水心子の心配をして苦しんでしまうような優しい刀。たいせつな親友で恋人。
もう悪夢なんて見せない。彼を苛むことを許さない。なんだって、斬ってみせる。
夢の中の彼のもとへ行くつもりで、水心子も瞼を閉じた。
独りにしたくないと思ってくれている君を、独りになんて絶対にさせない。
揺らめく街は死んだように流れている。そういえばこんな世界だった、あの場所は。
目の前にぼんやりとした薄紫があって、うまく頭は働いていなかったけれど、それがたいせつなものである気がして手を伸ばした。触れた瞬間、それは輪郭を成す。
瞳を揺らす清麿がいた。
『……きよまろ』
呼びかければ驚いた顔を向けられる。小さな唇が、分かるのかい、と零した。
その言葉さえ掬うように唇を押し当てた。
『分かるよ。……君は僕の親友だ。恋人だ。世界一大事な刀だ』
頬を包んで、至近距離で見つめる。彼は見開いていた目を細めて笑み、額を押し当ててきた。帽子が二人の頭から落ちる。
『……ずっと、そう言ってほしかった』
けれど、その瞬間彼の身体がまた光の粒に崩れていく。――消えようとしてるんだ。そう気づいて、何も考えず彼を抱きしめた。
『すいしんし』
『消させない!』
きつく抱いて触れると、そこはまた明瞭な輪郭を持った。これだ。触れればいいのだ。そう思い至って彼の全身に触れる。頭、背中、胸、脚、爪先まで。
そのうちに彼は元通りの身体になった。しっかり源清麿の肉体だ。そんな彼が、堪えきれなくなったように泣き出す。爪先に最後に触れた手を持ち上げ身体を起こして、再度彼を抱きしめた。
『すい……んし、僕』
『うん』
『ぼく、……消えなくても、いいのかなあ』
全力で包み込む。消えないでと囁いた。
『任務は達成されたんだ。江戸の街は元に戻った。……君はもうこんなところにいなくていい。もう来なくていいんだ。一緒に帰ろう、清麿』
――僕らの本丸へ、帰ろう。
ふいに目が眩む。それでも手は放さなかった。彼からも手が回されて、抱き合ったまま、意識がエレベーターに乗ったように急速に浮上していく……。
ばち、と目を開けた。その瞬間に清麿も目を開けて、そこから涙が幾筋も伝った。
「わ、きよまろ、……泣いて」
慌てて指を伸ばして涙を拭ってやると、彼は丸い目で何度も瞬きをした。それから表情を歪めて飛びつくようにしがみついてくる。
「……来てくれたのかい?」
水心子も目を細めた。どうやら夢まで共有できたらしい。抱きしめた肩甲骨を撫でて辿って、助けに行けてよかったと囁けば彼の腕の力はさらに強くなる。
「すいしんし、……すごすぎるよ、なんで、夢にまで入り込めてしまうの?」
「愛の力、かなあ」
「だいすき……」
君の心は本当に苛まれていたのだろう。こんなに泣くほどにあの夢に苦しめられていた。
「清麿。もう大丈夫だよ。これから毎日抱きしめて寝るから、そしたら悪夢なんて全部僕が斬ってみせるから。もう心配しないで、……大丈夫だよ、ずっと一緒だ……」
うん、うん、と彼は何度も頷いた。涙を拭って目元にキスをしてやる。
君を助けられてよかった。
「三十七度九分……やっぱりちょっと高いかあ。ご飯は食べられそう?」
もう朝とも昼ともつかない時間になってしまっていたが、とりあえず食べないことには薬が飲めない。問いかけると清麿は少し唸ってから頷いた。
「……食べるように頑張る」
「よしよし。さすがは僕の親友だ」
ぽんぽん頭を撫でてやってから立ち上がる。布団の中から清麿が視線を送ってくるのを微笑み返して障子戸を開けた。
「雑炊でも作ってくるよ。いい子で待ってて」
「……いい子でいたら、またキスしてくれるかい?」
そんな可愛いことを言われたら厨でまでにやけちゃいそうなんだけどな。そんなことを思いながら、全身腫れちゃうまでしてあげる、と伝えたら、彼は真っ赤になって布団に潜った。
鮭とほうれん草の雑炊を口に運ぶ彼を見つめる。れんげに少量盛ったものを少しずつ口に入れていく様子が愛しくて仕方がない。清麿は食べるのが得意でないので小動物のように食事するのだ。少しの心配はあるけれど、それでも可愛いことに変わりはない。
彼がちらりと視線を向けてきた。
「……すごい見るね、水心子」
「可愛いから」
「可愛くはない、んじゃないかなあ……」
咳をひとつ挟むのは風邪の症状か、咳払いか。おそらく後者だなと思いつつ、少し邪魔そうな横の髪の毛を耳にかけてやる。
「世界一かわいい子が、何言ってるんだか」
にんまり笑うと、彼はぎゅっと目を瞑った。
「……甘やかしすぎだよ……」
そう恥じ入る様を見て、やっと己がべたべたに甘やかしていたことを知る。確かに普段は言わないことを言ってたな。でも、と思いながら彼の耳朶を撫でた。
「、」
「ずっと言いたかったことだからな。清麿が風邪ひいてくれたおかげで、実行する口実ができたんだ」
そろそろと開く瞼。濡れた瞳がやっぱりどうしたって可愛くて仕方ない。
「……キス、したら、移ってしまうかな」
それは遠回しのおねだりなのだ。微笑んで顔を近づける。
「言っただろ、清麿」
移してくれていい、って。
唇は至近距離からゼロ距離になる。触れた唇は熱を持っていて、息苦しくないように啄むばかりで触れてやると彼は幸せそうに目元を蕩けさせた。
次の検温で三十七度六分、次に三十七度三分になり、その日の夜に計った体温計を彼は隠すように両手で覆ってしまった。
「清麿?」
どうしたのかと思い呼びかけると、彼はまた瞳にさみしさを宿してこちらを向いた。
「……熱が下がってしまったら、甘やかしてもらえなくなってしまうよね……」
そうして視線をさまよわせる。いつも大人びたように振る舞っても、源清麿は水心子正秀よりも年若い刀だ。そんなところを自分にだけ見せてくれるのがたまらなく胸を掻き乱して。
布団の上で体育座りをする彼を、覆うように抱きしめた。
「治っても甘やかしてほしい? もしそうなら、それって利害一致なんだけど」
「……え」
「もし君がいいって言ってくれるなら、僕は毎日こんな風に接したい。……清麿をべたべたに甘やかして毎日過ごしたいなあ。いい?」
弾かれたように彼がこくこく頷く。その頬が赤く染まった。
「い、いい」
「そっか。ありがとう清麿」
ふにゃふにゃと彼から力が抜けて、しなだれかかってくる身体を受け止めながら体温計を受け取る。さて何度まで下がっただろう。
「……上がってるじゃないか! 下がりきったんだと思ったのに、何だったんだ今の話!」
「わああごめんね、急に不安になったんだよ……!」
「熱が上がったから不安になったんだよ! 寝ろ!」
わめきながら彼を布団に突っ込んでやると、その手がジャージの裾を引いた。
「……抱きしめていてもらわなきゃ、寝られない……」
そんなことを薄桃の目元で零すのだから、この親友はもう!
彼の隣に身体を潜り込ませ、両腕を回す。清麿がやたら安心した顔をするので、これじゃあ本格的に放せなくなっちゃうなと頭の中で呟いた。