(水麿)立つ場所を並べて 清麿が、もたれかかるように身を寄せてくる。横から肩口に頭が載せられて、その髪の甘い香りに胸の内が燃えた。
「……すいしんし」
すこし甘えた声に拗ねが滲んで、そこに戸惑いもかすかに揺れる。見えないけれど、視線もきっと揺れているのだろう。その手が水心子の手の指に触れそうで触れない位置に所在なさげにあって、こちらももどかしさを握った。
「……どうして……抱いてくれないの?」
不安が、水を張ったキャンバスに絵の具を垂らしたように広がった声音。それでも肩への甘えは確かなのだった。擦り寄りながらこんなふうに窺う様子はまるで猫のようで。
水心子の恋人の清麿は、今まで何度も夜のお誘いをくれた。
けれど水心子はそのたび断り続けてきた。
事実としては、それだけが明確にある。清麿が不安がるのも当然のことかもしれない。それでも水心子が受け入れなかったのは、別に彼に対してだとかこの関係に不満があるからでは決してない。
「……『性欲処理のためでいいから抱いて』なんて、頷けると思うのか」
清麿は一瞬黙した。すぐそこにあった指先についに覆うように触れると、彼が手の中で、きゅ、と拳を握った。
「……だって、……それ以外で、どう言えっていうの」
その言葉が水心子には胸に痛い。
彼はこんなに美しくて、曲がらず折れぬ素晴らしい刀で、世界中の価値という概念を集めたような存在であるのに、自己評価が下手な個体だった。
自信がないわけではないだろう。少なくとも戦にまつわることでなら、彼も己の働きへの自覚と自負は持っている。ただ水心子との関係になると、彼はこちらばかりを立てようとして自身を下げる節があった。
古い価値観で評するならば、美徳だとも言えるのかもしれない。けれど水心子は、清麿をその価値観で扱いたくはなかった。奥ゆかしさも謙虚さも要らない。
こちらを向くとき、一歩下がったところから見るだけ、なんてことにはなって欲しくはないのだ。だって自分たちは対等だ。そうありたい。親友で恋人なんて特別な立ち位置にいて、それが叶わないなんて嫌なのだ。
どんなふうに言えばいいか。そう問われて返す答えとしては浅ましすぎるだろうか、なんてことを思いながら彼の手を引いた。頭が少し引かれて、目が合う。
「『抱かせてあげてもいいよ』とかで、僕はいいんだけどな」
そう伝えたら、彼はぶわりと頬を染め上げた。
「そ、……そんな、そんな言い方できないよ」
「何故? 清麿なら、そう言っても誰も変に思わないよ」
「だって、そんなの、君に放っていい言葉じゃ……」
「どうして?」
ずい、と顔を近づけてやると、彼はびくりと身を引いた。覗き込んだ目元が恥じらいで歪む。
「……き、君は、すごいやつだもの。僕なんかがそんな口を利いていい存在じゃないんだよ、君は、水心子正秀なんだもの」
他人に言われるのなら、きっと誇らしいだけの台詞なのだろう。それでも清麿から言われるのは悲しかった。
その思いをそのまま伝えるために口を開ける。
「僕は、君にそうやって線を引かれて距離を置かれてしまうのは、悲しいしさみしいよ、清麿」
彼が目を見開いた。その手を強く握る。
「さっきの言い方が無理なら、『抱いて』だけでいい。僕は君を下に見たいんじゃない。後ろに下がらせたいんじゃない。……横に並び立って、同じ立場で何もかもを感じ合いたいんだ」
──きみがくれるお願いを、分不相応だなんて言って切り捨てたりはぜったいにしないんだよ。
まっすぐに見つめた瞳が、まるで衝撃を受けたようにふらふらと震える。そのことすら水心子にとっては苦味なのだ。当たり前になって欲しい、そう願う。
「……清麿。僕と君は対等だよ。君といる時、僕は新々刀の祖でなくなることができる。ただの親友で恋人になることができる。……それが、僕にとって心から大切で嬉しいことなんだ」
「あ……」
「そうありたいのに、君が自分自身を蔑ろにして、僕のことを『性欲処理のためなら抱いてくれる相手』だと考えている、ってなったら、やっぱり悲しいし寂しいんだよ。……分かる? ……分かってくれないか、……清麿」
彼の緊張が、少しずつ解けていく。頬がかすかに和らいで、瞳がまっすぐにこちらを映す。
「……本当に? ……水心子、は、そんなで、いいの?」
僕なんかが、と彼はまた口にする。それが嫌で唇を啄んだ。すぐに離れたのに、彼の頬骨の上はまた真っ赤だ。
「なんか、じゃない。……対等な清麿がいい」
投げかけた言葉は、やっと届いたようだった。清麿が唇を引き結び、目尻に浮かんだ涙を落とすまいと首筋に力を込める。破顔して、水心子は彼の頭を今度は自分から引き寄せ肩口に招いた。
「分かった?」
「……うん……っ」
「じゃあ、……僕に言うこと、あるよね?」
言っておくけど、謝ったら怒るよ。そう告げると、彼はたっぷり逡巡してから、絞り出すようなか細い声で口にした。
「……抱いて」
きっともう台詞でもない彼の言葉。笑って、きつく抱きしめて、はじめて『うん』と頷いた。
これからはきっと横に並べる。同じ景色を見られる。鋼にしていた理性を解き放って向き合えば、彼はずっと真っ赤な頬と蕩ける視線を返していてくれた。