タイムパラドクスゴゴフシ♀ Ⅳ 『エスコートとストーキング』***
賑わう駅前、一際目を引くライトグリーンのショウウインドウを背に、ねこ耳帽子を目印に。指示された通り、きっかり正午を目前にして伏黒恵は週末の都心に佇んでいる。休日というのに途切れぬサラリーマンの群れは西へ、ぎらつく若さを身に纏う男女は東へ、老若男女が伏黒の前をずいずいぐんぐん行き交ってゆく。埋もれそうな人混みの中で、果たしてこんなチャチな目印がどれだけ役に立つやらと、少女は頭に被せたキャスケットの角度を所在なく調整した。
「ねー、あの子、一人かな? 声かけてみる?」
「いや待ち合わせでしょ。てか、男? 女じゃないの?」
「えー男の子だって、帽子以外みんなカッコいい系じゃん」
生業上、自然と周囲に注意を払う癖がついている。ショウウインドウから少し離れた信号の前で、立ち止まった女たちがひそひそと、しかし白熱した様子で伏黒の容姿について議論を交わしているのが聞こえてきた。
「……」
「でもどっちだろうと、むちゃくちゃに美形じゃん? 加えてたぶん年下だけどお姉さん的にはアリよ」
「あんたねえ…まあ、確かに顔がいい子だわ……」
これ自体はまあ、よくある話なので好奇の眼差しなどなど気に留めることでもない。女らを悩ます装いを好んで選んでいるのは伏黒自身に他ならないし、ボーイッシュな見た目はある程度の男避けとしても機能しているのだ。弊害として、今のように女性から声をかけられる沙汰はしばしば起きたが…まあ危ない目に遭う確率は男相手よりずっと低いため、この通りに放置している。
「えっちょ…うわ、あっち見なよ、もっとヤバいのがいる」
「え、え、なにあれ、頭真っ白じゃん、自毛? 外人さん? スタイルやば」
女たちの声が俄かに色めき、他の通行人も細く驚嘆の声をあげて立ち止まる。多人種の坩堝である都心の駅前ですら、こんな注目を一身に集める人物といえば――
「恵! お待たせ!」
「…うす」
伏黒の杞憂もどこ吹く風と、人垣の中に埋もれそうな猫耳へと一直線に駆け寄る爽やかな笑み。七分袖の上着をシックに着こなす、大人びた先輩の姿があった。もっとも、伏黒が知る限りの五条悟はほんの二歳年上なだけのはずだしもっと子供っぽいので、確かめずとも『もうひとり』の方だと知れる。スクエアのサングラスをずらした向こうには落ち着いた薄青が細められていたし、雰囲気があまくて優しい。何もかも、知る男とは雲泥の差で颯爽と王子様は現れた。
「やー、晴れてくれてよかった! 今日はよろしくね!」
「はい…」
「あれ、元気ない? 暑気中りしちゃった?」
「ああいえ、違います、今日のあんたがその……なんか、五条先輩の私服のイメージと全然違うから、すこし驚いて」
「あはは、歳食ったら自然と着るものも変わるって」
モノトーンを基調とした、シンプルな上下。落ち着いた印象は女子高生のデートのお相手にしてはたいへんに頼もしく、まさしく大人のそれだ。伏黒が何度か見かけた休日の五条は、もっとラフかつコワモテな服装を好んでいたと思うが。
「僕の体格でイカつい服着ちゃうと、周りを無闇に怖がらせちゃうでしょ。昔は傑の影響でヤカラっぽいの選んだりもしてたけどね。ああ、ちなみに僕の時代でもあいつ、オフの日はヤクザくさいよ。キャバ嬢のケツモチしてそう」
「そもそも夏油先輩が影響元だったんですか、てっきり逆だとばかり」
軽口をジャブに、悟られぬよう緊張をほぐしていく。ちらりと通りを見やれば、通行人からの熱視線が痛い。元々目立つ人だったが、あのチンピラ臭い私服のおかげか一緒に街を歩いてもジロジロ見られることはなかった。だが、これはいけない。伏黒も気をつけていなければ視線を吸い込まれてしまいそうな、洗練された輝きが真っ正面から微笑みかけてくる。
「それにさ、可愛い子との待望のデートなんだから。少しはきちんとしたコーデでエスコートしたいじゃん」
「っ…!!」
こんな歯の浮くような社交辞令も、臆面もなくウインクまじりに飛ばせる。これが、これが十年後の五条悟……
「(圧倒的だ。たかだか十年ぽっちで、人間こんなに変われるもんか?)」
申し訳ないが、未来から知人が訪ねてきたことよりもそっちの方が信じ難い。どこか気恥ずかしさが生じて、眩しい笑顔を直視していられない伏黒は、人々の視線からも逃れるように壁の方へと顔を背けた。ガラスに薄ぼんやりと映る、自分。その姿がいやに目についた。だぼっと被ったTシャツに、動きやすいカーゴパンツ。手が塞がるのを嫌って、色気のないボディバッグを巻きつけただけの、あとは腕時計くらいしか装飾品もない安っぽい見た目で、確かにこれはデートに臨む女の格好ではなかったなと今更に歯噛みする。
「……なんか、すみません。俺、いつも通りの格好で来ちまって」
「ええ? そんなの、別に着たいもの着ればいいじゃん。僕だって君の前ではオシャレしたいからしてるだけで、ドレスコードあるわけじゃないし……それにさ」
五条は中腰になって目線の高さを合わせると、しげしげと少女の顔を眺めてから柔らかく破顔した。
「前髪、ちょっと切ったでしょ? 二日前よりおでこが涼しい」
「っ……!! わ、かるもんすか、こんな」
ばっと反射的に額を抑える。……デートの誘いなどと言われても、異性との交際経験のない伏黒には何をすればいいか皆目わからなかったのだ。その所在のない手持ち無沙汰が、化粧っ気のない少女を洗面台の前でほんの僅かに色気付かせた。そんな、誰も気づかないような5ミリぽっちの背伸びを、男は目ざとく見つけ出してみせた。失敗していたらと思うとゾッとする。……と、その恐るべき慧眼が、またしても喜びに瞬いた。
「つめ、何か塗ってる? ツヤツヤしてて綺麗だね。それも今日のため? うれし〜なぁ」
「ッ…ッ……こ、んな、俺、ガラじゃねえし、今日は『そういうんじゃない』から、要らないって言ったんです……でも、くぎさぎが…」
「なるほど、ナイスアシスト野薔薇! 照れてる恵が見れてめっちゃ眼福!!」
前夜のうちに級友にとっ捕まり、商売道具を整えられたのだ。あまり煌びやかにいくのは抵抗の強かった伏黒に最大限配慮し、しかしその防衛線の奥に息づく本心への心ばかりのエールとして、短い爪は申し訳程度のトップコートで艶めいていた。たったこれだけの、透明なネイルもどきですら真っ赤になって恥ずかしがる。なんともうぶな有様で、これこそ初デートを勝ち取った男にのみ許された僥倖と言えよう。柱の影から、出遅れ寝取られ彼くんこともう一人の五条の幻覚が、ハンカチをぎりぎり噛んで二人を睨みつけている。
「っざけんなよオマエ……殺す……この泥棒猫チャンがよぉ…」
ちがう、こいつ実体だ。うれしはずかし初デートに浮かれる二人は、やや離れたところから見つめる負け犬男の呪詛を一身に注がれていた。血走った眼で柱のコンクリにヒビを入れる大人気のない親友の後ろから、呆れ尽くした態度の夏油もひょこりと顔を出した。手には張り込み伝統のあんぱんが添えられている。
「もぐもぐ……にわかには信じがたい光景だな、あの悟が女性とパーフェクトコミュニケーションを成功させてる…」
「ちっくしょお……本当だったらあの赤面めぐは俺のものだったのに…横から掠め取りやがってぇ…」
「残念だけど、君に伏黒のわずかな変化を読み取る機微は備わってないんじゃないかな。君が正しくあそこにいたとして、あんな顔させれたかなぁ」
「うっせー!気づけるわ! 呪霊の残した僅かな残穢だっておれの目は見逃さねえんだかんな!」
「女性を呪霊と同列で扱ってる時点でアウトなんだよ、悟」
ある程度は予想できた展開だが、未来五条の申し出による突発デート作戦に異を唱える男二名――うち一人はつきあいの引率である――は、伏黒の現れるより前から現場にスタンバッていた。つまらない嫉妬ではない。後輩と、未来の五条を名乗る怪しげな男の間に、五条少年のいうところの『まちがい』が起きてはいけないとの人道的義憤によるものだと少年は強く主張している。つまり嫉妬だろうに。
「あっ動き出した! 追うぞ傑!」
「むぐ…ええ、本当に追うのか、もうここまでにしといた方が……もしゃ…」
「だまらっしゃい!! いーからあんぱんさっさと飲み込んじまえ!」
常識人ヅラで諌めようと、この状況下で呑気に探偵ごっこに興じている時点でこいつも相当な愉快犯である。アホコンビ二人は、駅前から外れ目抜通りに向けて歩き出したターゲットらへ、つかず離れずの距離から追跡を開始する。大人五条の手は宙に浮いたままで悠々と、歩行のリズムで揺れている。
「へっ そこで手を繋がねーとか分かってねえなァあいつ。まだ俺に逆転の目はあるね!!」
「(……わかってないのは君の方なんだよなあ)」
夏油はそう心中で苦々しく考えたが、自分の爛れるほどに豊富な女性経験をまろび出してまで相方の純情な浅い考えを訂正する必要はないと判断。せめてこの珍妙な沙汰が世界崩壊には繋がってくれるなよと、生ける核爆弾の半歩後ろを追走しながら胸で十字を切った。
***
「どう? ここのコーヒー、すっきりしてて美味しいでしょ」
雑居ビル地下一階の小さな喫茶店には客も調度もごみごみと詰め込まれて忙しない。けれど不思議と反対の印象――時間の止まったようなノスタルジーが、天井から注ぐ黄燈の灯りに溶けて底から上まで満ち満ちていた。店の奥から微かに聞こえる、ジャズのレコードが心地よい――
「はい……なんつうか、先輩が選んだとは思えないくらい趣味の良い店ですね」
「あっは! 言うじゃん!! 大人の僕的には、それかなりの褒め言葉よ! 成長したんですよ僕も」
「ふふ…」
駅からの道中、大人五条が気さくに話しかけてくれたおかげか、もう伏黒も最初ほどは緊張していなかった。リラックス効果のあるフレーバーを口にしたことも大きくて、多少の軽口を交えた談笑ができるくらいにはなっている。もし、がっつかれて手など握られていたならこうはいかなかったろう。小さい店は週末の昼時ゆえかそれなりに混雑していて、表では何組か待たされているようだ。伏黒が首を伸ばすと、店のドアの向こうにやたらとガタイのいい人影がうろうろしているのが見えた。
「…駄弁ってないでさっさとお暇したほうがいいかもですね」
「ま、軽食食べる程度だし、どうせ長居にはならないでしょ。気にせずいこーよ、話しておきたいこともあるでしょ?」
「……なんでもお見通しですね」
促され、伏黒の方から切り出そうとした。ところが、目の前で備え付けの砂糖を自分のカフェオレにざらざら注ぎ込む男に絶句してタイミングを失ってしまう。元から甘いものを好む人だったが、悪化してないか。完全に上の空で五条の手元を注視する少女が言葉を発さないと見るや、男の方から本題へと切り込んでくれた。
「僕の目的と、君の願望について、だよね?」
「あ、ああ、はい……っていうとセンパ…五条さんは、全部知ってるんですね」
「まあ、未来でいろいろね。知られたくないことだったらゴメンね。でもこれ、そこを調べないと解決できない話だからさ」
「はい、それは……呪霊の巣窟であんな浮ついたことに気を取られていた俺の落ち度ですから、大丈夫です」
消極的な伏黒が、突拍子もないデートの誘いに乗った理由。それは、彼女だけが大人五条に課された難題の中身に心当たりがあったからに他ならない。未来から、厄介な呪霊を祓いにきた男――曰く、現代の五条の代わりに伏黒の願いを叶えにきたという。それだけで、彼女には男の熱烈なアピールの真意が理解できた。つまるところ、ガキの片想いを清算しにきてくれたのだ。
「たしかに、五条先輩じゃ…俺をそういう対象に見るだなんて、フリだとしても厳しいでしょうね」
「そうでもないよ? ま、『フリ』は絶対無理だろうけどね」
「……」
未来の五条は、やさしかった。というか、空気を読んで場を丸く収める処世術を知っていると言った方がいいのかもしれない。伏黒を傷つけないようクッションを敷き詰めて、それでいてどうにもならない現実はきちんと突きつける。そういうシビアな部分は伏黒の知る男と共通する点であった。苦い思いを豆の汁で流し込んで、今度は彼女の方から無視できない現実を切り出した。
「でも、いくら『フリ』をしても、願いを叶えたことにはなりません。まさか、あんたはこのままこの時代に骨を埋める覚悟で、俺と死ぬまで添い遂げるってんですか? そんな自己犠牲、キャラじゃないですよ五条さん」
「……そのつもり、って言ったって君は聞く耳持たないだろうね。それに、僕にはそんな資格ないから、できないことを豪語するのもね。大丈夫、その辺は重く受け止めなくていい」
五条はカップへ砂糖を追いがけして、もはや飽和しつつある砂糖水をザリザリかき回す。
「実のところ、願いを叶える必要なんてないのさ。あいつが鉄壁のガードを手に入れたのは、君がその想いを『叶いっこない』って頑なに諦めてるせいだ」
「……ああ、なるほど。じゃあ俺がワンチャンあり得るかもって前向きになれさえすれば、『絶対』はヒビ割れるってわけですか」
「そゆこと。そう考えるとほら、このデートにも展望が見えてきたでしょ?」
伏黒は僅かに俯き、膝の上で所在なく拳を握る。果たして、お情けのごっこ遊びと分かった上で思いびとの手を煩わせるこんな茶番で自分の気は晴れるのだろうか、と。……後ろ向きな彼女へ、男は無理に顔を上げろとは言わなかった。ただただ穏やかな所作でカップを啜り、独り言のようにやさしい言葉をこぼす。触れられないのが、待ってくれるのが、伏黒にとっては知らない心地よさだった。
「無理に満足しようと努力しなくていいよ。君は自然体でいればいい。今日は僕が全力で楽しませて…本気でときめかせにいくからさ」
「…っ、本気で、って……何する気ですか」
「あらやだ、恵ってばナニされるか予習した上でデートしたいの? 刺激強すぎて、ドキドキでパンクしちゃうかもよ?」
頬杖をついた男の、にんまりと悪戯っぽい笑みにもう心臓が走り始めてあるというのに、これ以上などたまったものではない。平静を取り戻すためにブラックをあおる伏黒、そんな二人の卓へと、湯気を纏った甘い香りが近づいてきた。
「おー来た来た〜〜ほら恵もたべる? ここのパンケーキむちゃくちゃ美味しいんだよねぇ、僕のお気に入り」
運ばれてきた皿には、今どきのスフレのように膨らんでいない、レトロな薄いホットケーキが何重にもかさねられて、シラップを縁から滴らせていた。たまらない甘ったるさがコーヒーの香りに混ざって食欲をそそる。伏黒のオーダーはアメリカンだけだったので、自然、口に入れるとすれば五条の皿からということになる。
「え、ああいや、俺は別に…腹減ってませんし」
「うん、無理強いはしないよ。そうだろうと思ってランチじゃなくて喫茶店にしたわけだしね。めぐみってば食が細いからなぁ」
「……ありがとうございます」
不整脈が、すんと落ち着く。そんなところまで配慮してくれていたのかと伏黒はどこか面映い気持ちになった。友達付き合い、いや、パワハラ先輩に引き回される押し売りのような放課後とは雲泥の差――この場で伏黒恵は、主賓として確かに気遣われて素敵な時間へと導かれていた。すわりの悪くなるようなもてなしは苦手とするところだったが、この男の自然で気さくな振る舞いには、そうした堅苦しさを感じさせない巧さがあった。なので伏黒も、舐められているとか軽んじられているとか言った不快感ではなくて、素直な意味で照れることになってしまう。
「でも、コーヒーだけってのも胃に悪いしさ、一口だけどう? 甘いシロップかかってないところなら、君も食べれるでしょ」
「んじゃ、お言葉に甘えます。すみません、もう一本フォークを……」
伏黒が初老のマスターに声をかけたのに待ったを割り込ませ、五条は紳士の髭面へと振り向いてにこやかに手を振った。
「ああなんでもないですダイジョーブ。それよりマスター、忙しいからって定期健診とかサボらないでくださいね。特に腰は資本だよ!」
「? はぁ…」
「僕は十年先もこの美味しいパンケーキが食べたいんでね。体を大事にしてくださいネ」
ドル箱のウインクをこぼせば、マスターの後ろで年若いバイト女性が細く悲鳴を飲み込んだ。甘いマスクで罪作りな彼は、そんな女の子たちからの熱視線を意にも介さず卓へと向き直り、手元の食器でひとくちサイズのケーキを切り出した。そのままフォークで掬って、前へと差し出す。
「はい、あーん❤︎」
「なっっっっ」
絶句。流石にそれはないだろうと伏黒が言葉を失う。だがニコニコと、五条は譲らない頑なな態度でフォークを差し出し続ける。気まずい時間が何分何時間流れようとも腕は下げんぞと顔に書いてあった。押しと引きの落差がデカすぎる。伏黒はすっかり彼に翻弄されていた。
「ほら、めぐみ、アツアツのうちに早くぅ」
「う、うう」
ドアの向こうでは大柄なシルエットがウロウロし続けている。せっかちな客だ。だが彼?をこれ以上待たせるのは心苦しいなと判断し、せっつかれるように伏黒は口を開けてケーキ片を頬張った。卵のやさしい甘みが口いっぱいに広がる。
「んふふ、おいしい?」
「ッ…ス……」
正直恥ずかしさで味がしない。咀嚼のたびに上下する頬が真っ赤で可愛らしい、と五条は言葉にせず噛み締める。その表面だけは優しい眼差しに、果たして底はあるのかと思えるほどに暗澹として深かったけど、紛れもない愛だけが薄氷の瞳には込められていた。男は瞬きも惜しんで、自分の知らない伏黒の姿を目に焼き付けていく。
「かわいいなあ、もっと食べなよ。ほらもうひとくち」
「もういいですって! ああもう、自分こそさっさと食べてくださいよ! 外で待ってる人、かなりイラついてるっぽいですよ!!」
シルエットはついに小刻みにジャンプし始めた。中を覗き込もうとしているようにも見えるが、すりガラスの向こうからはどんなに目を凝らしても中は見えないはずだ。五条はナイフとフォークを優美に動かし、大きな口であんぐりとシラップ漬けのスポンジを頬張る。
「ほっときゃいいって、あんな出歯亀野郎」
「でば…?」
「あー美味しい、やっぱパンケーキはここのに限るわ〜脳にダイレクトにキマるぅ」
どでかい一口、二口、三口でパンケーキが二枚まとめてぺろりと片付いてしまう。同じ工程を二度ほど繰り返せば、六段重ねの甘味の塔はあっという間に解体されてしまった。男の子ってこんなものなのだろうか、と顎も口も小さい伏黒は少し呆気に取られている。
「ごちそーさまぁ。めぐみこそ、コーヒー飲みきっちゃいな。お会計してくるね」
「え、ああ、はい…」
のそりと立ち上がり狭い店内を端まで進むと、五条は何やらレジの前でマスターと談笑を始めた。この、心地よく距離を置いてくれるくせにここぞではグイグイこられて、けれどまた潔く引く。まさしくヒットアンドアウェイの駆け引きに、伏黒の頭はすでに茹だり始めていた。らしくもなく、砂糖をコーヒーの残りに入れてみたりして自分を誤魔化す。あれは五条先輩、じゃなくて、五条さん……同じ人だけど、俺の気持ちを憐んでくれた、いわば引導を渡しにきてくれた人……
「…そうだ、俺は、今日一日でちゃんと報われるんだ。全部終わった後、すっぱり想いを諦められるくらい……」
彼の目的も同じなのだから、遠慮することはない。呪霊を倒すため、必要なこと――そう己に言い聞かせ、甘ったるいカップを飲み干す。……苦い方がずっとましだなと、早まった選択を悔やみながら。
《続》