【レジェアル】未定【セキショウ】◼️
夜の帳が降り、満天の星々と緩やかに笑う三日月が静かに浮かぶ静寂の中、散髪屋の仕事を終えたヒナツはギンガ団から借り受けている宿舎に戻ろうと人気のない道に出ようとして、不意に足を止めた。
「……ショウ?」
散髪屋の斜め向かいに一応の住まいを構える少女の背中が雑貨屋の角に消えていくのが見えた気がしたのだ。
一応、というのも、此処ヒスイの地を救った英雄でもあるかの少女は、所属であるギンガ団の調査隊随一の隊員として、日々急がしくしており、10日に一度か二度帰ってくるかこないかほど宿舎に帰ってこない。
紅蓮の湿地にてクイーンの世話役を担うヒナツも二足の草鞋で忙しく、比較的近い距離にいながらなかなか会わない日も多いが、今日は夕方に帰参してきた彼女を出迎えた。
明日は少しだけ余裕があるので散髪をお願いしたい、といつものガーディを彷彿とさせる朗らかな笑顔で言われたのを覚えている。
向かった方角的に急な調査で外に飛び出した、という訳でもなさそうだ。
不思議に思ったヒナツは、そろりと追い掛けた。
ムラの中には数匹しかいないゴーストタイプや夜行性のポケモンたち、門番の警備隊員以外寝静まった住宅地区を越え、ブイゼルを2匹伴わせている門番がこちらに声をかける前にしぃ、と牽制し、息を潜めそろりと一本道を下っていく。
そこは、コトブキムラに住む人々が到達する、ヒスイで最初の地。
そして――割れ目から落ちてきた少女が、現れた場所。
気配に敏い彼女に見付からないよう少し離れた岩陰から覗き見た。
はじまりの浜と呼ばれるその波打ち際に佇み、夜風に濃紺の髪を遊ばせながら潮騒を見つめている少女の顔は見えない。
徐に腰のポーチに手を伸ばし、少女は三つのモンスターボールを取り出す。
彼女がそれらを軽く放り、出てきた姿に、ヒナツは目を見開いた。
+
「ショウが、ディアルガ様たちを?」
紅蓮の湿地にあるコンゴウ団の集落。
その中で周りより二周り大きな庵は、代々長を勤める一族の住まいであり、各地に散るキャプテンたちとの会合する場でもある。
当代その座にある瑠璃紺と若草の髪の青年・セキは定期報告に来たヒナツの言葉に柳眉をひそめた。
クイーンの変わりなしの報告と共に、昨晩見たことを話したのだ。
誰もいないはじまりの浜。
ショウがボールから解き放ったのは、シンジュ団が崇拝する空間の神パルキア、コンゴウ団が崇拝する時間の神ディアルガ。
そして――ヒスイの創造神、ショウをこの地に呼び寄せた張本人――正確には、その分身体であるアルセウス。
「何か話し掛けてるみたいだったけど、遠くて内容まではちゃんと聞こえなかった。……でも、一言だけ」
三匹の神たるポケモンたちに何かを訴えていたショウ。
砂浜に崩れ落ちた時、潮風に乗って微かに聞こえてきた、悲痛な声。
『あたしは――あたしは、ただ、帰りたいだけなのに……!』
その背中があまりに痛々しくて、声が苦しくて、ヒナツはそっとはじまりの浜を後にした。
翌日、もとい今日の午前中宣言通り現れたショウは、前夜の様子が嘘のように笑っていた。
時空の裂け目から落ちてきた少女。
何もわからないままに、己の存在証明をしろと迫られ、誰よりもポケモンを上手く扱える余所者だからと荒ぶるキングやクイーンを鎮める命懸けの任務を押し付けられ。
だのに、空が赤く染まった際には元凶であろうと罵られ、責められ、挙げ句には唯一しがみついていた居場所から追放されて。
それでも彼女は異変解決のために奔走し、ついには、神々を従わせることに成功した。
空の青さが戻り、あれだけ彼女を異物だ余所者だと蔑んでいた人々はあっさりと掌を返し、ヒスイの英雄だ、救世主だと持て囃した。
そんな人々の浅はかさに触れても、彼女は笑っていた。
そう。笑い続けているのだ。何事もなかったかのように。
「ここ最近、違和感は感じてたんだ。笑ってるんだけど、一定の距離を置かれてるみたいな。……やっぱり、気のせいじゃなかったんだね」
「……」
ヒナツの言葉に、セキは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。
ショウの態度は一見変わらない。
けれど、踏み込もうとすればするりと逃げられる。
(……当たり前か。それだけのことを、オレたちはアイツに強いたんだから)
顕著になったのは、少し前から姿を見せないあれだけショウに付きまとっていた━━けれども、孤独に苛まれた彼女に真っ先に手を差し伸べた長躯の行商人が姿を消した後。
奴が存在を忘れられたポケモンと結託して裂け目を作った張本人であり、ショウを利用し創造主たるかのポケモンを我が物にせんとしていたのだとか。
信頼していた人間に裏切られ、世界を賭けて戦えと強要され、それをも乗り越えて、ついにショウが図鑑を完成させたのが三ヶ月ほど前。
創造主に会うのだと、肩の荷が下りたような朗らかな表情で天冠山に向かい、そして━━感情が抜け落ちたような顔で戻ってきた後だ。
『あたし、帰れないみたいです』
だから、これからもよろしくお願いしますね。
そう皆の前で無理矢理笑ってみせた笑顔は、痛々しかった。
相変わらず人当たりは良い。けれど、任務の受注と報告義務を果たす以外の目的では、ほとんどムラに寄り付かなくなった。
ヒナツの元に髪を整えに来るのも、月に一度あるかないかだという。
彼女にも、故郷があるのだ。家族がいるのだ。帰りたくないわけがない。
なのに、その希望は、道は、断たれてしまった。
(どうしたらいい。どうしたら、お前はもう一度笑ってくれる?)
帰る場所がないのなら、自分がその場所になりたい。
セキがショウへの想いを自覚したのは、そう強く願った時だ。
彼女の強さに、優しさに、笑顔に、いつの間にか惹かれていた。
時折見せる憂いの表情を、守りたいと思った。
けれど、自覚した時には既にショウは自分に、周りに心を固く閉ざしていた。
もどかしさだけが、募っていく。
そんな時だ。その事実を知ったのは。
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ヒナツの報告を受けてから、更に二ヶ月ほど過ぎた。
月に一度行われる三団合同の定期会合の帰り、いつものようにカイと些細な言い合いをしながらギンガ団本部の階段を下りてきた時。
「キネさん、治療ありがとうございました!」
元気な声が響き、医務室から小柄な影が飛び出してきた。
二人に気付いたそれ━━ショウは、にぱりといつものガーディのような笑みを浮かべる。
「セキさん、カイさん、お久し振りです!
定期会合ですか?」
「応。相変わらずせわしねぇな、おめえは」
「ショウさん、これからまた任務?」
「はい!海岸まで行かなきゃいけないんで、失礼しますね!」
それじゃ!と手を振れば、風のように本部を飛び出してしまった。
振られた腕には、白い包帯が巻かれているのが見えた気がする。
ばたん、と扉が閉まった後、ぱたぱたと医務室からもう一人飛び出してきた。
「ショウさん!また勝手に…っ、もう!」
憤然と地団駄を踏むのは、医療隊を預かる女性・キネだ。
どうやら、彼女の制止を振り切っていったらしい。
「キネさん、お疲れ様です」
「お前さんも大変だなぁ。ショウの奴、また生傷でもこさえて━━」
「そんな程度の話じゃない!!」
セキの言葉を遮った緊迫した声に、ふたりは驚き固まってしまう。
わかった。そっちがその気なら。と、怒気を隠すこともせず、キネが二人に振り向く。
その瞳の鋭さに、思わずびくりと肩を跳ねさせる長二人。
「お二人とも、お時間頂けますね?今シマボシとデンボク団長を呼んでくるので医務室で待ってて下さい。━━ショウさんのことで、お話があります」
有無を言わせない言葉に、ふたりはただ、はい、と頷くしか出来なかった。
+
「え…っ、今、何て…?」
今し方聞いた言葉が飲み込めず、震える声で問い返したのはカイだ。
ため息をつきながら、キネがもう一度同じ言葉を繰り返す。
「だから━━今のショウさんは、痛みをほとんど感じなくなってしまっているの。現に、昨日までの約一週間の任務で彼女は肋骨二本と、左足の小指を骨折してる」
再び紡がれた同じ内容に、セキとカイは絶句した。
キネを挟んで座る調査隊隊長であるシマボシと、ギンガ団を預かる団長デンボクも、それを肯定するように苦々しく眉や表情をしかめている。
「で、でも、さっきあんなに普通に…」
「あれでも、医務室に寄るようになっただけマシだ。我々が気付くまで、アイツは一度もそのことを申告してこなかった。……いや、自分ですら気付いていなかったのだろう」
気付いたのは三ヶ月前。
ショウと共に調査に向かったテルが、分かれて調査と任務を終え、ベースキャンプで合流した時。
表情はけろっとしているのに明らかに青白い顔をしたショウに声をかけた途端、ぐらりと糸が切れたようにショウが倒れたのだ。
よく見れば脇腹にざっくりと深い傷が刻まれており、べったりと流れた血が隊服を重く湿らせていた。
血を失いすぎたせいだと気付き、慌てて本部へと運び込んだ。
治療を終え、何とか一命を取り留めたものの、目覚めた彼女は何事もなかったかのような顔をしていて。
『すみません。ご迷惑をおかけしちゃいましたね』
と苦笑いしたのみ。
目を覚ました翌日には、傷が塞がっていないにも関わらず、当たり前のように任務に行こうとするのだ。
勿論、慌てて寝台へと引き戻らせた。
こちらの様子に困惑してみせたのは、何故かショウの方。
『でも、本当に全然痛くないんですよ?』
と、脂汗ひとつもかかずに。
痩せ我慢しているのでも、痛みに耐えているのでもない。
本当に、何も感じていないのだ。
それに気付いた瞬間、キネはゾッと悪寒が走るのを感じた。
すぐさまシマボシとデンボクに伝え、以降任務を終えた際には必ず医務室に来るようにと厳命。
テルや博士、他の調査隊員、ベースキャンプに赴く警備隊員にショウの様子を観察させ、明らかな怪我や顔色の悪さを認めたら催眠術やしびれ粉、眠り粉等の使用も特別に許可し、強制連行もさせた。
けれど、どんなに治るまで動くなといっても、長くて三日もすれば寝台を抜け出してしまう。
「これが、少なくともこの三ヶ月でショウさんが負った怪我よ。それ以前から負っているものもあるけど、診る度に治っているところをみると、恐らくクスリソウの原液で無理やり治してるんだと思うわ。でないと到底短期間で治るような傷じゃないものばかりだもの」
見せられたカルテに記録された症例に、セキとカイは瞠目する。
おびただしい数の裂傷、擦り傷だけならまだいいと思った方が良さそうだ。
複数箇所の骨折━━中には、骨が砕けた箇所もあったらしい。加え、内蔵に達するような深い傷、失血で倒れた回数。
ショウの請け負う任務は危険度が高いものが多い。
多い、が。これはおかしい。
クスリソウの原液は、傷に付ければたちまち治してしまう威力があり、骨折などの深い傷は完治に数日かかることもあるが、それでも驚異の効果を発揮する。
しかし、あまり一度ないし連続で使う量が多いと、副作用として無理やり自己治癒力を跳ね上げられた身体は付いてこれず、高熱を出してしまうと言う。
いくら副作用を気にせずに薬効が高く即効性のクスリソウを使っているにしたって、限度があるはずだ。
だのに、ショウの負った怪我は、たった三ヶ月で人間が負っていいものではなない。
今だって、また新たに骨を折っていると言っていた。痛みを感じないにしたって、どうしてあんなに身軽に駆けていけるのだ。
カイなど、カルテから目をそらし目尻に涙を浮かべている。
セキも、ギリ、と爪が食い込む程強く拳を握り締めた。
「……報い、なのかもしれんな。あれ独りに全てを押し付けた」
ぽつりと溢されたシマボシの言葉に、皆が顔を上げる。
常よりしわがよりがちな眉間の凹凸を深めながら、シマボシは続けた。
「報い……?」
「そうだ。確かに、アルセウスは事件終息の鍵としてショウをヒスイに呼び寄せたのかもしれない。しかし、我々はその全てをショウひとりに背負わせてしまった。あれに命運を託し、結果、ヒスイの地は確かに救われた。……奴の心と、『帰りたい』というただ唯一の希望を奪う形で」
紡がれる言葉に、皆が押し黙った。
「本来、中心となって事態を終息させねばいけなかった我々のしたことは、ただ傍観していたに近い。元よりヒスイの地に根付くシンジュ団、コンゴウ団。流れ者でも、この地で生きると決めた我等ギンガ団の覚悟を責められ、戒めとしてあれが壊れゆくのを見守れということなのか」
あるいは。
「あるいは、かの神が己が認めた人間として、あれに対して加護のつもりで施したか…」
ポケモンといえど、相手は神だ。
神の考えることなど、自分たち人間には到底理解など及ばない。
けれど。それでも。
セキの隣、俯いたカイの華奢な肩が小さく震え出す。
「だからって…っ、だからって、どうしてショウさんなの…? ヒスイの、私たちのために一番頑張ってくれたのはショウさんなのに…! 一番報われるべきなのはショウさんでしょう!? なのに、 何でショウさんだけがこんな目に遭わなきゃいけないの…!」
「カイ…」
「パルキア様、我等がシンオウ様。私はどんな業でも請け負います。だから、だから…っ!」
指を絡めた両手を額に押し付け、自身の拝する神に祈る。
けれど、それに応える声は聞こえるわけもなく、溢れた涙がカイのほっそりとした白い太ももに落ちていく。
セキに出来るのは、ただその震える肩にそっと手を添えてやるくらいしかない。
「それ以外にも……これはもう痕になってしまっているのがほとんどだったけれど……傷を、 わざと火で炙ったようなものも数えきれないくらいあった。多分、ずっと前からなるべく医務室に来ないようにするためにそうやって傷を隠してきたんでしょうね……。それを言ったら、今度こそ医務室に近寄らなくなりそうだったから、言っていないけど……」
キネの言葉に、再びシマボシが瞳を伏せる。
「『野垂れ死にしたくなければ利用価値を証明しろ』。……確かに私はまだこの地に落ちて間もない、何もわからない状態の奴にそういった。まだ、信頼も何もない頃だった。……しかし、もしかしたら、それが奴にとって呪いになっているのかもしれない…」
怪我をし、限りある薬や備品を度々消費することを、『使えない者』と評されるのではと怖れたのだろう。
いくら捕獲に馴れている様子とはいえ、怪我を免れないような危うい任務もあったはず。
思えば、ショウが治療を受けに医務室を訪れた回数は任務の危険度と比例せず極端に少ない。
恐らく、手持ちたちの力を借りつつ、クスリソウなどの薬効のある自然のものを使い自分で手当てをしていたのだろう。
もしかしたら、ショウは自分達が思うよりもずっとずっと前から、それほど心を開いていなかったのではないだろうか。
それが、一連の出来事を経たことで、完全に閉ざしてしまった。
「とにかく。今のショウさんには私たちの声は届かない。あからさまにすれば、あの子はきっと逃げる。だから、事を荒立てないように、それでもあの子が無茶をしないように、気を付けてあげてほしいの」
「……本来ならばギンガ団で解決せねばならない事案だ。だが、わしらだけでは悪化の一途を辿る一方だ。不躾な頼みなのは承知だが、頼む」
ショウの現在の状況に、空が赤く染まった際に己が言い渡した所業が原因の一端を負っていると、自責の念があるのだろう。
ここまで沈黙を通してきたデンボクが、セキとカイに深く頭を下げる。
「頭を上げてくれよ旦那。ショウに全てを投げちまってたのはオレたちも同じだ」
「そうだよ! ショウさんは私たちのために心を砕いてくれた。なら、今度は私たちがショウさんのためにやれることをしたい!」
ふたりの言葉に、デンボクはかたじけないと再び、顔を伏せた。
彼がショウに対し行った言動は消して許されるものではない。けれど決して、根は悪い人ではないのだ。
ひとまずは、各地に散るキャプテンたちにのみこの事を伝え、ショウの様子を伺うということで、この日は解散となった。
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