その日、出先で真下と出会った。それ自体はよくあることだ。けれども、その廃ビルで見かけた彼はいつもの彼とは異なって見えた。まるで、別人のように冷たい目をしていたのだ。しかし、それでいて自分にひどく興味を抱いているような、まるで値踏みをするような視線を向けられてむず痒くなる。それは帰りの車中でも変わらなかった。
九条館に行きたいと彼が言うので、望みどおり車を走らせていたのだがその道中ずっと、観察するような視線を向けられてはたまったものではない。
途中で寄ったデパートで買い出しを済ませて地下駐車場に戻る。後部座席に荷物を積み込んでシートベルトを締めたところで、八敷はおそるおそる口を開いた。
「真下、すまない。俺の勘違いであればいつものように気色悪いと笑ってくれて構わないのだが、おまえは……誰だ?」
「……へえ」
意を決した問いに、彼はたしかに笑った。口角をゆっくりと吊り上げて、愉しそうに目を細める。
「悟の言っていた通り、勘の鋭い男だな。貴様が初めてだぞ、俺のことに気づいた人間は」
ゆったりとした動作で脚を組み、頬杖をついて笑う青年の顔は確かに八敷の知る真下悟で間違いないはずなのに。まったくの別人が、そこにはいた。
「なあに、恐れることはない。俺もまた、真下悟で間違いないのだからな。分かりやすく説明するならば、貴様の知る悟とは別の人格の俺、と言ったところだろうか」
「別の人格……? 二重人格、ということか」
にわかには信じられなかった。けれども、納得はいく。そういった話は色々と調べものをしていた際に文献でいくつか見かけたことがある。こうして実際に目にするのは初めてだが。
「ああ、その解釈で間違いないな。俺は悟を護るために生まれた、悟に害を為し傷付けるものを排除するために生まれた存在」
「それはつまり、俺も排除するということか?」
「おっと、勘違いしてもらっては困る。貴様はその対象ではないよ。むしろ、貴様は悟に好かれている方だ。珍しいぞ? 悟がこんなにも他人に好意を抱くのは」
くすくすと笑う彼の言葉に嘘はない。だが、ほんの少しの敵意を孕んだ視線を向けられては説得力もないというものだ。おそらく、彼はわざとそうしているのかもしれないが。
「それで、俺の知る真下は無事なのか」
「そうだな……少し弱っている。短い期間ではあったが、精神的な負荷がかかりすぎた。だから俺が強制的に寝かしつけたのさ、また倒れられでもしたらかなわんからな」
「精神的な負荷?」
「例えば身体が傷ついた時。傷が塞がるのに時間はかかるだろう? だがその間に血が流れ過ぎたらどうなる? 人は簡単に死ぬ。心も同じさ。だが、心の方がたちが悪い。なにせ、心の傷は目に見えない。他人には傷を塞いでやって止血をすることができない。だから、俺が代わりに傷を塞いでやった。あとは自然治癒を待つだけさ」
はは、と笑った青年がシートベルトを締めて車を出すように指示を出す。何故だか、彼に逆らってはいけないような気がして八敷はアクセルを踏み込んだ。
まるで、氷の刃を首元に突きつけられているような、そんな悪寒が消えなかった。
「なあ御当主サマよ。俺も貴様に興味があるんだ」
「奇遇だな、俺もおまえに興味がある」
「へえ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
本人は気付いているのかいないのか、襟元から覗く鎖骨がわずかに赤黒く染まっているようにも見える。それが気になって仕方がないのだ。先程傷の話を例えに出したように、この青年の身体に傷があるとしたら。放ってはおけない。
「そうだ、ラジオつけてもいいか?」
「ああ、構わないが……」
彼がラジオのチャンネルを回していると、ちょうどニュースが流れてきた。途中からなのと、雑音のせいで上手く聞き取ることはできなかったが、隣の青年は確かに、目を細めて笑っていた。
『……発見されたのは、この付近で多発していた空巣と先日起きた傷害事件の容疑者と見られており、警察は逃走中の事故として捜査をすすめる方針です』