【八+真】この一時が永遠に続くのなら「風呂、あがったぞ」
九条館に泊まるのは、久し振りだ。最近は互いに何かと忙しくて、顔を合わせることは多々あってもゆっくりと過ごすことは少なかった。
探偵業が繁盛するのも如何なものかとは思うが、最近では食うに困らないくらいには毎月安定した収入がある。それに、怪異と思わしき怪奇事件も相変わらず扱ってはいるが、数年前に比べたらそれも減ってきたようにも思う。こちらに関しては、とても喜ばしいことだ。
この男も、怪異に振り回されることは少なくなってきたし、危険を顧みず一人で突っ走ることも出会った当初に比べれば遥かに少なくなった。ようやく、人に頼ることをするようになったのだ。
そうして何度目かの怪異を鎮めて九条館を訪れたのはもう日付が変わろうかという頃で、好意に甘えて泊まることにした。
たまには上質な酒を飲もうと八敷が手にしていたのは年代物のワイン。そんな気分ではなかったが、実物を目にすると飲みたくなるというもので風呂上がりに八敷の私室へと直行した。その頃にはもう準備を終えていたらしくて、テーブルの上には珍しくカプレーゼやカルパッチョといったアテが並んでいた。
「おかえり、真下」
家主におかえりと言われるのは少しむず痒い。変な気分だ、とソファの身を沈めると八敷は笑ってワインボトルを開けていた。
芳醇なワインの香りになぜだか気分も良くなってくる。グラスに注がれて波打つ赤い海も、グラスのフチを滴る雫もすべてが上質で、しかし身の丈に合っていないような気もして少し居心地が悪くなる。だがここはテーブルマナーを気にしなければならないような高級店でもなければ気にする者もいない。ひょいとクラッカーをつまみながら待っていると、とても良い香りを放つワインが目の前に差し出された。
「ちょうど、日付が変わったな」
「日付だ? 何かあるのか」
「おまえの誕生日だよ。このワインでこの日とおまえを祝いたかった」
はぁ? と気の抜けた声が出て、次いでようやく気付く。ああ、そういえば今日は自分の誕生日だったか、と。
「三十を過ぎて誕生日を祝われてもなあ」
「なんだ、不満ならワインはおあずけだぞ」
「それとこれとは話が別さ」
グラスを受け取って、自然と目尻が下がった。彼に祝われて、嬉しくないわけがないのだ。これが他の人間であったのなら、小言の一つも言いながら無視をしただろう。それだけ真下悟という男は、この八敷一男という男を気に入っている。好いている。いくらその名が呪いにより生み出された、ただ一時の過去のものになっていたとしても。好いたのが八敷であるから、きっといつまでもその名を呼び続けるのだろう。
「……また来年も期待させてもらおう」
「ああ。何年だって祝ってやろう。真下が嫌だと言ってもな」
「ははっ、楽しみにしておこうか」
来年もきっとこうして、笑いながらグラスを傾けるのだ。それが叶うのなら、何年だって、いつまでだって、この男の傍に居続けるのだろう。
この居心地の良い空間を、無くさないためにも。
「誕生日おめでとう真下」
グラス同士のぶつかり合う小気味の良い音が静寂をつくる。口に含んだワインは、今までに飲んだものとは比べ物にならないほどに美味いと感じた。