2025-04-19
丘上会議に赴くのならば、国境に兵を詰めておくべきだ。ハイランドはまもなく攻めてくる。ジョウストンの盟主たるミューズを守るのも、騎士の役目だ。マイクロトフのその意見は確かに通って、ミューズに兵を迅速に送ることができた。だた、それが単なるアリバイ工作に過ぎなかったことを、今更突きつけられている
白騎士団長ゴルドーが命じるならば、自分たちはそれに従わざるを得ない。ハイランドははっきりと侵攻を開始した。ゴルドーはいつもの示威行動であると判断しているが、トトやリューベの虐殺は山賊では説明がつかない。略奪先を完全に焼き払うなどありえないのだ。
それでも自分たちは、自らが立てた誓いのために身を引かざるを得ない。いまだ準備の整わないミューズ正規軍の代わりに戦場に立ち続ける傭兵たちを助けるよりも、それは重たいものなのか。
高く晴れ渡った空の下、マチルダへ向かって歩を進める青騎士団は幸いなことにほぼ無傷だ。だがその表情は晴れやかとはいいがたい。中ほどを行く、騎士団長は顔こそしっかりと上げているが、その唇はきつく引き結ばれ、頭の中ではゴルドーに対する意見の具申内容が渦を巻いているに違いない。
その隣で、カミューは眉を寄せた。赤騎士団は動かすことさえ許されなかった。従卒を数人、引き連れることを許されたのみ。
ゴルドーは最初から戦うつもりなどなかった。ミューズが敗北したとしても、自らは安泰だと思っている。そんなはずはないだろう。どうして、ハイランドがミューズだけで満足すると安穏としていられるのか。
「ゴルドー様は何を考えておられるのだ」
カミューが考えていたのと同じことを、マイクロトフも考えている。漏れ出た本音は、カミューにしか聞こえないほどにはひそめられていたが、おそらくは皆同じ思いだろう。
「……今この状況で、青騎士と白騎士を分裂させるわけにはいかないからね」
「わかっている」
騎士の誓いがなかったとしても、ハイランド侵攻という国難を前にして、ジョウストン随一の武力を誇るマチルダ騎士団が内部分裂をしている場合ではない。
「だが今まさに戦っている友軍を見捨てて、何が騎士だ」
結局そこが引っかかっている。騎士道を具現化したような友人の姿がカミューには少しまぶしすぎる。細めた目を逸らし、息と笑い声を半分ずつ吐き出した。
「今から戦場に取って返すわけにはいかない。切り替えろ」
傭兵を率いているビクトールという男の事は知らないが、この土壇場でミューズ市長が頼るほどには有能な人物なのだろう。それを死地に送る判断の是非はともかく、そう簡単に負けはすまい。
ただ、人数は少なかった。マチルダ騎士をあてにしていたことは間違いがない。あてにされるべき立場なのだ、自分たちは。
「……分かっている」
草原を風が吹き抜ける。戦場の匂いはもうない。
確かにあった戦場に背を向け、自分たちは安全な場所に閉じこもろうとしている。マチルダは安全だと、ゴルドーはなぜか信じている。
「カミュー」
マイクロトフに名を呼ばれ、逸らした目を戻した。真っ黒でまっすぐな目が、真正面からカミューを射抜く。
「騎士の誓いだ。そう簡単に曲げはしない」
片手が胸元の紋章を抑える。
「ただ、ただ」
「マイクロトフ、それはだめだ」
ゴルドーは、すでにジョウストンを裏切っているのではないか、
ゴルドーは自分たちの忠誠をささげるに足る人間ではないのではないか。
自分たちの騎士の誓いは、すでに汚されているのではないか。
何も確証のない言葉だ。頭の中にずっと存在している疑念だ。だが、形にはできない。出来るとして、今は何もかも不足している。怒りも、機会も、何もかも。
ただ割れて、そのまま削られれば無意味だ。
カミューの言葉に、マイクロトフは唇を嚙んだ。
この苦悩が杞憂になればよい。もしくは、まったくの杞憂ではなかった、なんてことでもいい。早くどちらかに決まればいいのに、とはカミューも思う。