2025/03/19
情けない事に夢見はあまり良くないほうだ。悪いものに追いかけられるし、家族は真っ赤な目で腐った腕で俺に縋りついてくる。どうして見捨てた、どうして殺した。どうしてお前ばかりが生きている。
ただ俺はこれが夢だともうとっくに知っている。目を覚ます方法は分からないから、泣きわめく姉と弟を抱きしめ、その臭気に顔を歪めてため息なんかをつきながら、目が覚めるのを待つばかり。
そうしてふと気が付くのだ。髪を撫でる掌の感触とあることと自分の名前をささやく柔らかな声音に現実味があることを。
目を開けてみれば朝というには暗かった。外からは雨の音がする。ぱたぱたぽつぽつ。時折ざあ、と風が大きくリズムを崩す。起きるにはまだ少し早そうだ。
つまり同室の人間を起こしてしまったという事だ。
「わりいな。煩かったか」
ベッドが分かれているだけ天国で、背中が触れ合う距離で眠ったことなど数知れない。幾多の夜の中で、眠りの浅いこの男が跳ね起きる俺を何度見たかも知れなかった。かつては黙殺された悪夢の残滓を、いつの頃からかフリックはこうして拭ってくれる事がある。
ひとつ頭を振って、まるで大事なものでも扱う手付きで髪を撫で、目元に触れる。固く冷たい指先が悪夢に火照った肌に心地よかった。
雨の音がして、外はまだ暗い。部屋の中はしんと静かで、外とは違って乾いている。新しい一日が始まるにはまだ早い。
目を閉じればもう少し眠れそうだ。起きたら騒がしい日常が待っている。いつもの顔で、望まれる笑みで、皆の前に立つのが俺の大事な仕事だ。悪夢など慣れている。過去はもう過去だと知っている。
だが。
それでも悪夢は胸をふさぐ。息をするのが辛くなる。
手を伸ばして細い背中に触れてみれば、入れた力のままにあたたかな体が腕の中に収まった。
悪夢の残滓に震える手に体温が移っていくのが心地いい。肩口に顔を埋めるように抱きついても一つだって邪険にはされないのだ。
「……お前にこうして甘やかされてると」
だんだんと睡魔がやってきて、瞼が重たくなってくる。フリックもそうなのか、寝入りばなのような曖昧な返事が聞こえた。
「あいつも安心してたのかな、って、ちょっと、思う」
フリックの体温はかつて俺のものではなかった。力強く皆を導いていた女のものだった。彼女がいなくなって空いた穴に、偶然俺が収まっただけの話。
フリックに甘やかされるのはたまらなく嬉しいが、オデッサが許すまいといつも思う。あの女は、たとえ死んでもフリックを手放そうとはしないだろう。現実問題として、死者は死者でしかないとは言え。
半分寝言のような俺の言葉に、フリックは呆れたようにため息をついた。そのまま離れてしまうのは嫌で、腕に力をこめてはみたもののそれはどうやら無駄な仕草だったらしい。俺の腕の中で寝る体勢を整えたフリックは、目を閉じたまま言った。
「だったらいいけどな」
そうに決まっている、と俺にははっきりと言えるけれど、それをこいつが信じるかは別問題だ。ぎゅっと子供がお気に入りのぬいぐるみでも抱くようにきつく抱き寄せれば、冗談交じりのうめき声が上がる。
まだ雨の音がする。もう一度起きるまでに上がればいいが。