2025-06-11
新同盟軍の本拠地を、まるで住人のように慣れた歩調でシーナは歩く。うわさに聞くところによれば何だかんだと攻め込まれているというのに、住んでいる人間の顔は明るい。そこここに見られる露店には様々な商品が多少割高なれど並び、買い求める人も列をなすという事はない。物資の流れが民間レベルでも力強い。
ハイランドとここの力の差は依然大きいが、それでも踏み潰されるほど弱くはないということだ。
そこまで考えて、シーナは内心笑ってしまう。なんの責任があってそんな事を考えるのか。自分はいつでも逃げられる気楽な立場だと言うのに。
腰に佩いたレパントからの預かり物が音を立てるのを抑え込む。
別に偵察に来たわけではない。ほんの少し力の加減を間違えた女の子の気持ちが冷えるまで、知人に匿ってもらおうとやってきたのだ。軍に属している体をしておけば、そばに居られない事に納得する女の子は多いから、傭兵の知り合いはありがたい。これが正規軍なら入隊も除隊も簡単ではないだろう。
兵舎らしき建物が木々の向こうに見えた。日々人が増えていくところだ。堂々としていれば、所々に立っている歩哨に見咎められる事はない。
「お、いるじゃん」
兵舎は流石に入口に歩哨が数人立っていたから進路を変え、隣に立つ道場のような建物を覗き込めば、目当ての人間そのものではなかったが、似たような奴が何やら話し込んでいた。見張りに小さく礼をして、ずかずかと道場の中に入っていく。
多分誰でも使っていいような場所なのだろう。小さな女の子から民間人に毛の生えたような若者まで、みんな真剣な目をしている。その片隅にシーナは声をかけた。
「よっす」
なにやら難しい顔のまま振り返った男は、シーナの姿を認めて眉間のしわを解いた。代わりに何やら意外そうに首を傾げてみせる。
「お前、まだこっちにいたのか」
「ご挨拶だなぁ。諸国漫遊して、勉学に励み経験を積んでいる最中の若者に対して」
「女がらみの経験だけ積み重ねてどうすんだ」
「まあまあ、世の中の半分は女の子だよ」
軽い小言はなんだかんだと気やすいからだ。解放戦争の頃は話したことこそ殆どないが、垣間見たその雰囲気の鋭さだけは覚えている。戦争が終わって、なぜかミューズで再会したときはそのあまりの変わりように内心驚いたものだ。どちらがより「本当」に近いのか、シーナには計り知れない。
ただ、付き合いやすいのはこちらのほうだ。シーナにとってはそれで十分。
「それでお願いなんだけど」
加えてもらおうと思っていた傭兵隊の長はビクトールだが、フリックに話をつけたってそう手間も変わらない。
傭兵隊に加わることで時間を稼いで女の子達の怒りを冷ますのなんて、最初でもなければ二度目でもない。ここの軍に所属しているのは分かっているけれど、だからと言ってシーナ一人潜り込ませるぐらい簡単なはずだ。
「シーナ、俺が説教することもないけどさ」
「俺が悪い前提で話すの、やめてもらえる?」
「じゃあ相手が悪いのか?」
「いやいや恋愛にどっちかだけが悪いってことはないでしょ?」
「屁理屈言うな」
へらりと笑えば、それ以上追及するつもりもなかったらしいフリックは、もう一度ため息をついて横の傭兵を顧みた。
どこかに潜り込ませてもらえそうな気配に、シーナは笑みを深くする。実力さえしめせば、この二人は基本的に部下の事情に頓着しない。女の子が突撃してきたら庇ってはもらえないが、いくらでもやりようはある。
例えば、この人を人身御供に差し出すとか。シーナと遊ぶ女の子なんて、往々にして明るくて変わり身が早くて気が多い。自分に自信があるから、これぞと思った人間に粉をかけることに躊躇がないのだ。
この人はとにもかくにも見目が良いから、そう言うことを重視する女の子ならいくらでも気を逸らすことができる。一人はマジでそのまま傭兵隊の手伝いになったんじゃなかったか。
これまで数度この二人の世話になったことがあるが、いつ来ても誰かしらが世話を焼いている気がする。レオナだったり、元々はシーナと恋仲だったあの子だったり、宿屋の主人が妙にビクトールを気に入っていたり。
そのくせ妙に二人して距離を取るのがうまく、誰とも深い仲にはならない。少なくとも、シーナにさえその気配を悟らせなかった。女たちもそれで良いと思っていたようで、シーナにはなかなか真似のできない芸当だ。
ただ、ビクトールはともかくフリックの方は狙ってそう言うことをしているわけでも無さそうだから参考にはならない。
あ、とフリックが顔を上げた。
「俺、ちょっと外す」
「良いけど。え、俺どうすんの?」
「ビクトールがそのへんにいるだろうから、そっちと話せばいい」
「その辺って」
シーナが口を尖らせるのにも構わずに、フリックは踵を返した。残された傭兵がけらけらと笑う。
「何あれ」
「すぐにわかるよ」
慣れた調子の言葉だ。シーナは頭の上で手を組み、成り行きを見守ることにした。何しろ土地勘がないのだから、ビクトールを探しに行くことも出来やしない。
すぐに分かる、と言ったのはまったくその通りだった。
「フリックさん、いらっしゃいますか!?」
ニューリーフ学園の制服を着た少女が道場の扉を勢いよく開き、フリックの名を呼んだのだ。驚いたのはシーナぐらいで、他の人間はと言えばいつものことだとばかりに流すか、あちらに行ったよ、とフリックが姿を消したのとは別の方を指さすばかり。
少女はそれに礼をいい、来た時と同じ勢いで駆けていく。つむじ風みたいな存在に、シーナはもう笑うしかない。
「また女ひっかけてんの?」
「それ、フリックさんに言ったら入隊取り消されるかもしれないぜ」
「そりゃ困るな」