目が覚めたのはきっと寝苦しさを覚えたせいだった。薄手の掛け布団からタオルケットに、シーツも最近出たばかりの、パッケージに冷感とでかでか書かれたものに替えてはいたが、今日はエアコンをつけずに寝るにはいささか暑い日だったらしい。寝る前にシャワーを浴びたはずの肌は少し汗ばんでいる。タンクトップとパンツを着替えるほどではないけれど、身体は渇きを訴えているので國神はそろりとベッドから抜け出そうとした。
「……朝?」
ベッドの隣から声が聞こえる。起こさないように気をつけたつもりだったが千切も起きてしまったらしい。頭は枕の上にのせたまま國神を見上げる千切の声はまだぼやりとして輪郭が曖昧なようだ。
「すまん、起こしたか」
「うーん」
返事とは少し違う中途半端な相槌が返ってくる。二人で話し合って決めたカーテンは遮光性が高いためカーテンの端からどの程度光が漏れ出るかでしか外の時間は判別できない。まだ明かりは見受けられないので、夜に近い時間帯だろう。ベッドサイドのテーブルに置いた目覚まし時計を手で探ってボタンを押すとかちり、と小さな音と共に数字が浮かび上がる。まだ四時を過ぎた頃だ。
「ごじまえかぁ……」
少し距離はあるが時計の文字は見えたらしい千切はふわりと大きな欠伸をした。それから緩やかに瞼を閉じて寝直すのかと思ったが、すぐにゆるやかに開き直される。
「あっちぃ」
思わず小さく吹いてしまう。
「水、いるか?」
「んー」
國神が問うと千切は小さく動かしながらしばし逡巡した。その様子を眺めながら、目覚まし時計の隣に置いていたエアコンのリモコンを手にする。ぴ、と甲高い音と共に静かにエアコンも目覚めはじめた。
「ほしい」
「わかった」
千切の瞼にかかった前髪をそっとかき分けながら、触れるだけの口づけを落とす。離れると、千切はじいと國神を見つめていた。目はだいぶ覚めてきたらしい。思わず生唾を飲み込んだことを自覚しながら國神は千切から目を逸らして立ち上がる。
「水でいいよな?」
「……なんでもいい」
それでもまだぼやりとしている千切の声を聞いて、國神は一人冷蔵庫に向かった。
***
「ほら」
冷蔵庫から二本ミネラルウォーターのペットボトルを取り出してベッドルームに戻る。片方のペットボトルを差し出すと千切はもそもそとタオルケットから上半身だけ身を起こしながら受け取った。くるくるとキャップを開けて口先に含んだのを見てから國神も自分用に持ってきたペットボトルを開けようとした。
「は」
思わず漏れた声は千切の口の中に飲み込まれた。反射的に喉が動き、うまく飲み込めなかった水が自らの口の端から垂れていく。唇が離されると、千切は自身の唇を國神にぺろりと舐めてから、先ほど口をつけていたペットボトルを差し出した。
「一緒でいいだろ」
「……あ、いや、まあ」
千切と國神の関係を考えれば、今更間接キスぐらいなんてことはない。それは重々承知してはいるのだが。
「……お前エロい顔してる」
「は!?」
防音性の高い家ではあるが思わず出た大きな声に口を塞ごうとして出来ないことに気付く。片方は未開封のペットボトルが握られ、もう片方は千切に腕を引っ張られたままの状態だ。数秒悩み、未開封のペットボトルを目覚まし時計の隣に置くと、さっさと飲めと言わんばかりに千切から開封済みのペットボトルを押し付けられたのでしぶしぶ受け取る。
「もっかい飲ませてやってもいいけど」
「……ちゃんと自分で飲みます」
思わず出た敬語にふっ、と吹き出されたが、掴まれた腕は解放されたことにだけ僅かに安堵する。部屋はまだ冷えはじめたばかりとはいえ先ほどまでより顔が熱い。口から入り喉を通る液体はひやりと心地よいけれど、果たして今生まれた熱を冷ましてくれるかまでは疑問だ。部屋はまだ明るさに乏しい時間帯のはずなのに、國神を見つめてくる千切の目が、眠気以外の理由で細められているのがわかってしまう。
くそ、と内心でのぼやきは水と一緒に飲み込んでしまう。多分今は何を口にしても自分が恥ずかしいだけだ。
気の済むまで飲んだ開封済みのペットボトルを無言で千切に手渡すと、最後に千切は一口だけ含んでからキャップを閉めた。恐らくまだ半分くらいは残っているから、千切の選択が正しかったことに変わりはないのだが。
しばらくは用済みとなったペットボトルは雑に千切の枕の端あたりに転がされる。
「錬介」
呼ばれた名前の響きは最早聴き慣れているはずなのに、未だにとくりと心臓が高鳴るのを感じてしまう。國神は観念してベッドに入り込んだ。
「目ぇ覚めちゃったし、せっかくだしさ」
再び腕を掴まれる。國神に触れる千切の指先は冷えたペットボトルを握っていたはずなのにすでに熱を帯びている。
「寝る前の続き、やんねぇ?」
千切の口調は楽しげだ。分かりきった勝利を掴む瞬間を今か今かと待ち侘びて。寝る前シャワーを浴び直すまでがそうだったように、先ほど付け直したエアコンは再び本格的に快適な室温を導き出そうとしている。ただ黙って眠るだけのためなら、少しばかり冷えすぎるくらいに。
「千切」
「こういう時はちゃんと名前呼べ」
「……豹馬」
「よく出来ました」
唇を重ね合うままに再び二人ベッドにもつれ込む。タオルケットはその辺の足元で丸まってしまったが、よく冷えた室温の中であっても、もうしばらくは特に問題はないのだろう。汗ばんだ熱い肌を感じ合いたい気持ちは國神も変わりないのだから。