芋 グレイの部屋は常にゲームとフィギュアで溢れている。入所した始めの頃と比べてキレイにはなったが、それでもアッシュには不愉快極まりない光景だ。
アッシュがその日、ルーキーの部屋を訪れたのは、グレイに報告書の提出を催促する為だった。音を立ててドアを開くと同時、開口一番にその男の名を怒鳴る。
「おい、ギーク!!」
しかし部屋には誰も居なく、アッシュは舌打ちをした。部屋をぐるりと見回し、頭の中で男が何処にいるのか算段をつけている時である。
ふと、部屋に似使わない物が置いてあることに気付いた。プラスチック製の四角い籠の中に、『培養土40リットル』が4セット。
訝しげにそれらをジッと見るも、心当たりは無い。ルーキーの部屋に置いてあるということは、仕事に関係の無い、個人の持ち物。
(なんだ、土いじりでもするつもりか?)
あるとするならば、サウスのルーキー辺りと約束でもしたのか、或いはナニかに感化されたか。
いずれにせよ、アッシュには関係の無いこと。そう判断し、踵を返してアッシュはグレイを探す作業に戻った。
その日はそれで終わった。
2日後。
アッシュがルーキーの部屋に行ったのは、書類を手渡すため。アッシュが自室に帰り、一番最初に目にしたのは、ジェイのベッド横に置かれた『備品借用申請書』と印刷された紙と「サインお願いします グレイ」と柔らかな字体で書かれた付箋だった。
まことに面倒くさいシステムだが、普段使用しないような大きな備品やレクリエーション用具を使用する際、申請者にメンターの名前が必要になる。
なんとなしに目を通して、備品借用書に不備があることに気付いた。書類を訂正させに行かなくてはならないではないか。しかもメンターの名前欄に既にジェイの名前が入っている。老いぼれはきちんと書類に目を通せ。
アッシュの苛立ちは一気に膨れ上がった。
ドアが自動で開いた瞬間、アッシュは怒鳴り散らす。
「ギーク! テメェ書類を置きっぱでトンズラとは、どういうつもりだ!?」
「ワオ! アッシュパイセン、グレイなら今外出中だヨ〜☆」
大して驚いた様子も無く、ビリーは飄々と笑いながら続けた。
「何処に行ったかまでは知らないけど、もうすぐ帰ってくるカモ」
もうすぐとは何時のことか。ビリーを責めても仕方がないが、苛立ちは抑えられない。
舌打ちをした瞬間、『それ』に気付いた。相変わらず異様な存在感の培養土袋の隣にある、長方形状に畳まれた真っ黒なビニール。
新たに増えたそれを思わず手に取り、少し広げる。何処にも切れ目がなく、ゴミ袋でないことに気付いた。なんだこれ。デカイ。完全に広げた訳では無いので正確な大きさは分からないが、短辺だけで1メートル程ある。
「……おい、このビニールはなんだ」
「え? パイセンも知らないの? 俺っちも知らないんだ」
ハンモックに寝転がり、スマートフォンを弄っていたビリーが顔を上げる。ゴーグル越しだが、その表情は心底不思議そうだ。
「グレイに聞いても『必要になったら分かるから……』って言うから、てっきり調整中のイベントでもあるのかな〜って」
「知るかよ。少なくとも土いじりする予定なんざねぇ」
「ええ〜。じゃあ、何だろネ」
ムムム、と考える素振りをしたビリーの口許が、スッと引き締まる。珍しく真剣な顔で考え込むビリーを見て、アッシュも同じように考え始めた。
ただの園芸か家庭菜園辺りだと思い込んでいた。しかし、よく考えれば個人で楽しむには明らかに土の量が多すぎるし、チーム全体でする事なら情報が入っていなければならない。大体、この付近でこれほどの量の土を置くスペースなど無いはず。
「……アッシュパイセン。最近、グレイにナニかした?」
「あぁ?」
いやに神妙な声で、ビリーが尋ねた。
「いや、オイラの勘違いだと思うし、グレイがそんなことするはず無いって信じてるけど……」
「グダグダうるせぇ。さっさと言え」
「Gotcha。……この土の量なら、人がひとり埋まるカナって」
その言葉に、アッシュの思考が一瞬停止する。まさか。あり得ない。――などと誰が言えるのか。
少なくともアッシュは言えなかった。『ジェット』という名の殺意を向けられた事のあるアッシュには。
「もし本当にそうだとしても、こんな堂々と置かないだろうし。本当に農作物か花を育てるのかもしれない。……けど100%無いと――」
「おい」
話の続きを遮り、ビリーの口を噤ませる。数拍の間を置き、ビリーはいつもの調子でニッと笑みを浮かべた。
「グレイがそんなことするはずないって、パイセンが一番知ってるもんネ〜」
「あ!?」
「んふふ〜。情報料を貰えるなら、これが何に使われるのか、ちゃ〜んと調べるヨ」
「いらねぇ」
これ以上軽口に付き合うつもりは無い。アッシュはピシャリと撥ねつけて、手に持っていた備品借用申請書を床に置く。紙に書かれた備品名が視界に入った。
『シャベル』、『軍手Mサイズ』、『ゴム手袋Mサイズ』、『バケツ』
使い捨てする物は備品借用ではなく購入にあたる。軍手とゴム手袋は領収書を持って経理部に行け。そう怒るつもりだった。アッシュの中にあった怒りの火は、水を掛けられたかのように鎮火している。
大体、軍手があるのにゴム手袋は必要ねぇだろ、と思っていた数分前の自分を思い出して、なぜか笑えてきた。今なら必要であると分かる。分かりたくなかった。
アッシュの頭には血溜まりのバケツを片手にシャベルで穴を掘る、間抜けな青年の姿がある。
殺れるものなら殺ってみろ。ただじゃ殺られねぇ。
そう思う癖に、アッシュは何も言えなかった。その間抜けな青年が、必死に生きようとあがいている事を、アッシュは知っている。
翌日、大量にあった土袋と黒いビニールが部屋から消えたらしい。勝手に気を回し、部屋の状況を伝えてきたビリーに、アッシュおざなりな返事を返した。
さらに一週間が経った今、アッシュはまだ生きている。殺し合いどころか、ここ暫くは喧嘩すら起こっていない。平穏だ。
平穏である理由は二つ。
一つ目は、グレイと顔を合わせる時間が短くなったこと。
ここ数日、アッシュが早朝トレーニングを終える頃に、グレイは何処かへ出掛けているからだ。任務には15分前に集合しているが、何処に行っているのかビリーも知らないようである。薄気味悪いことこの上ない。
ニつ目は(これが一番大きな原因だろう)、アッシュが疲弊していることだ。
当然といえば、当然である。殺されるかもしれない環境で、熟睡など困難であるし、グレイが近くに居る間は神経を常に尖らせている状態。事情を知っているビリーを除けば、周囲に目を配るのが苦手なジェイと、加害者(予定)であるグレイの目を欺くだけでいい。
そう割り切り、アッシュはこの一週間を擦り減らしながら生きている。が、正直な所、限界が近い。
本来なら土袋が消えて数日経っても変化が無ければ、あれはエリオスとは関係ない、何らかの農作業用と割り切れるのだが、昨日ビリーから注意喚起がきた。
曰く、「グレイがゴム手袋と軍手を買った」とのこと。買うのが遅ぇ。
酷く気まずげにビリーは「俺っち、調べてくるから」とそのまま何処かに行ったが、未だ詳しい情報は掴めていないらしい。本日のパトロール前、真剣な面持ちで「エリオスが絡んでいるみたいで、厳重な情報規制がされてるみたい」と言った情報が最後だ。
エリオスが絡んでいるとは尋常ではない。職場内でアッシュを恨んでいる人が居ても可笑しくないが、ビリー相手に情報規制が出来るなら相当な権力者も絡んでいるだろう。
その情報は、アッシュをよりヒリつかせるだけに終わった。
ピリピリとした空気を纏いながら、パトロールを終了した帰り道。アッシュは真っ直ぐ自室へと向かっていた。
いつもならこの時間はパーティーをしているのだが、そんな気分になれない。空気の動く音と共に玄関ドアが開き、メンターに割り当てられた部屋へと続くリビングを通ると、今一番聞きたくない声が聞こえた。
「アッ……シュ……?」
驚いた様子のグレイが、ビニール袋を片手に突っ立っている。まさか居るとは。これでは休むどころか、より神経を研ぎ澄まさなければならないではないか。
アッシュも僅かに驚きを見せたが、舌打ちをして自室で休むのを諦めようとした瞬間。
「あ、あの……!」
「あ?」
ドスの利いた声で返事をする。グレイは引き攣ったような声を上げたが、グッと顔を引き締め、震える手でビニール袋を差し出した。
「た……食べれる?」
※ ※ ※
グレイがヴィクターに『とあるお願い』をされたのは、もう一週間以上前の事である。
「収穫のお手伝い……ですか?」
「ええ」
頷く動作に合わせ、一つにまとめ上げられた特徴的な長い銀髪がサラリと揺れた。ポニーテールである。それを視界の端で捉え、グレイはなるほどと頷く。
「……もしかして、その髪はその時の?」
「はい。このままだと汚れるとの事で、ジャクリーンが結ってくれました」
果たしてヴィクターは見ていないのだろうか。真っ赤なリボンで蝶々結びにされた、その髪を。思わず視線が行ってしまうグレイをよそに、ヴィクターは淡々と話を進める。
「数ヶ月前、『植物の成長を促す』サブスタンスを発見しました。これはウィルのサブスタンス【エバープラント】と似て非なるモノです」
「似て非なるモノ……?」
「はい。【エバープラント】は植物を自在に操れますが、これは植物に運動エネルギーを与えることです。が、運動エネルギーでは植物の成長は促せません」
「……植物の成長は光合成。光エネルギーを化学エネルギーに変換するから……ですか?」
過去の授業を思い返しながらなので、記憶が曖昧だ。伺うような返事にも、ヴィクターは満足気に微笑む。
「ええ、そうです。そのサブスタンスは『化学エネルギーへの変換を早める』と私達は考えています。そしてこの数ヶ月、サブスタンスの有効活用の為、研究部全体であらゆる植物を育ててきました」
「あ、あらゆる……」
「はい。小麦を始めに綿花や野菜と、生産量の高い順から順番に。ですが野菜のほとんどが『現状困難』という結果に終わりました。現在は『食用可能』と判断された数少ない野菜を中心に研究しています。……が、ここからが問題で」
ふう、とため息を吐き、ヴィクターは憂いを含んだ表情で続けた。
「担当していた研究部全体が飽きてきまして」
「……わあ」
思わず間抜けな声が出たが、どうフォローしていいのか分からず、グレイは内心で困り果てた。ヴィクターは淡々とした口調で話を進める。
「始めはノヴァでした。自分を管理出来ない人が植物を育てられるはずも無く、一週間で全て枯らせた所で辞めさせました」
今朝、共有廊下でうつ伏せで倒れていたノヴァを思い出し、グレイは静かに相槌を打った。
「その後も数人辞めさせましたが、研究員の数は確保できていました。ですがこの研究は地味に体力が必要でして。……しかも野菜の種類と数が多く、緑黄色野菜などは育てる条件が異なる上、実が成ってもとても食用に向いていない状態。結論だけ言えば、研究部全体が『私達は農家じゃない』と反旗を翻しまして」
「た、確かに……」
「ですが、農家の方に頼む訳にもいかなかったのです。このサブスタンスが活用できれば食料自給率は確実に上昇します。社会問題に直結する案件です。したがって情報漏洩だけは絶対に防がなければなりません」
絶対に情報漏洩出来ない事を、まるで世間話のように喋るヴィクターに、グレイは恐れ慄いた。
「そ、そそ、そんな重要な情報……ぼ、僕なんかが聞いていいんですか?」
「本当は情報部以外に情報共有厳禁ですが、許可は頂いています。なので、収穫のお願いを拒否したとしても、メンターを含め、誰にも話さないことを誓って下さい」
凛としたヴィクターの目と、しっかりと目が合った。その目が真剣そのもので、グレイは頼って貰える喜びの勢いのまま頷いた。
「わ、分かりました……。あ、あの……どれくらい出来るか分かりませんが、お手伝いします」
残念ながらこの会話には、グレイとヴィクターで齟齬があった。
グレイはエリオスタワーにある研究部の一部で栽培された家庭菜園を想像し、ヴィクターはエリオスタワーの隣にあるアリーナ(約5000㎡)を広々と利用した、田んぼ3枚分の様々な農作物の収穫を指している。
それに気付いたのは、アリーナに案内されてからだった。
「こちらです」
早速とばかりに案内されたのは、イベント会場としてよく知られた多目的施設であるセントラルアリーナ。『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた看板の近くにある扉の鍵を開け、ヴィクターは優雅な仕草でグレイを招いた。
この時点でグレイは嫌な汗を背中にかいていた。そうとは知らず、ヴィクターは奥へ奥へと進んでいく。グレイも後に続いた。
嫌な予感は当たった。
広々としたアリーナの5分の3を占める土と植物。天井付近で吊るされたライトが太陽の如くギラギラと輝く。空いたスペースには機材が積んであり、付近には白衣を着た人と作業衣を着た人が疎らにいる。
想像以上の広さというか、規模の大きさに尻込みしてしまう。しかし一度引き受けたとはいえ、「やっぱり出来ません」などと言いたく無い。ましてや普段世話になっているヴィクターの頼みなら、グレイは力になりたいのだ。
誰にも気付かれないように、深く息を吸う。
――頑張ろう。どれだけ手伝えるか分からないけど。
そう決意を固めたグレイの隣で、ヴィクターは田んぼ1枚分に点在する作物を指で指した。
「グレイ、収穫するのはあの部分だけで大丈夫です」
その言葉は天使の囁きに思えた。
「収穫時期はまだ先ですが、聞きたい事とかなにかありますか?」
「え、っと……準備しておく物と……これは、何を収穫するのか聞いても良いですか?」
「ええ。グレイの方で準備しておいて欲しい物はこれからリスト化しましょう。それらの経費は経理部へ。……それからグレイに最初に収穫して欲しいのはコチラ、ラセットポテトです」
「ラセットポテト……」
この国のじゃがいもを代表する品種の一つだ。どっしりした楕円形で、ホクホクした仕上がりになることから、ポテトサラダやマッシュポテトにしてよく食べることでお馴染みである。
スーパーで売られている芋は、基本的に食用部分である根部のみ。茎や葉といったシュート部を見るのは初めてで、グレイはマジマジと観察した。
「そして順にレッドポテト。イエローポテト。スイートポテト。ジャパニーズスイートポテトの5種です。全て違う種類の芋なので、同じ袋に入れないようにだけお願いします」
「わ、分かりました……。あの……全部芋、なんですね」
「はい。食用可能と判断されたモノを、サブスタンスの使用による育成期間短縮の限界を調べている段階です。芋類は食用可能でしたので、いくつかの品種を同時に育てています」
なるほど。ほとんどが聞き馴染みのある名前ばかりだ。レッドポテトやイエローポテトも、じゃがいもの代表である。スイートポテトも聞いた事がある。
が、ジャパニーズスイートポテトは聞いたことが無い。
「ジャ、ジャパニーズ? スイートポテト……って、なんですか?」
「日本の芋です。日本では『サツマイモ』と呼ばれています。……ふふ、気になりますか?」
図星を刺され、思わず唸りながらグレイは小さな声で謝罪した。
「うう……すみません」
「いえ、むしろ関心を持って下さり嬉しいです。美味しいらしいですよ」
ヴィクターは考える仕草をしながら、話を続ける。
「宜しければ、来週あたりにジャパニーズスイートポテトの試食がありますので、参加しませんか? 食べた時の感想は数が多いほど、研究の糧になるので」
「試食……?」
どんな味がするのだろう。未知の食品、ジャパニーズスイートポテト。恐怖と好奇心は半々、といったところである。普段のグレイなら恐怖心が勝ち、辞退する話だが、ほんの少しの好奇心に動かされ頷いた。
「は、はい。……僕なんかで、よければ」
「ありがとうございます。もちろん、安全性等確かめた後なので、食中毒の心配は無用です」
微笑みながらの言葉に、一抹の不安が過ぎる。果たしてそれは美味しいのか。どうやって食べるのか。グレイはシチューやフレンチフライズを想像し、悶々とした。
そんなグレイをよそに、ヴィクターは準備を進める。手身近な場所に置いてあるクリップボードを拾い上げ、サラサラと何かを書くと、その紙を引き抜いてグレイに差し出した。
「グレイ、こちらにリスト化しました。急ごしらえですみません」
「い、いえ……大丈夫です。あ、ありがとうございます」
差し出された紙を貰い、グレイはサッと目を通す。
『シャベル、バケツ、軍手Mサイズ、ゴム手袋Mサイズを備品借用申請書に記入後司令部へ 『培養土40リットル』を4セットとマルチシートの受領書は経理部へ』
リスト化と言っていたので箇条書きを想像していたのだが、とても分かりやすく書いてくれている。グレイは驚いたし、ヴィクターへの尊敬の念がより深まった。
ヴィクターの表情が僅かに曇り、「もう一つ頼み事があるのですが」と切り出す。
「大体はこちらで準備します。が、研究部は経理部に警戒されていまして……。植物によっては土を変えたりしなければならないことを理解されず、現在ギリギリで回しています」
「そ、そうなんですか……?」
「はい。なのでこちらの培養土とマルチシートは通販で、後日グレイの元に届きます。届き次第、受領書を経理部に渡して下さい。経理部は研究部他に確認しますが気になさらず。申し訳ありませんが、受領書を受け取って貰うまで、培養土とマルチシートの保管をお願いします」
なるほど。グレイを研究部の人員として一時的に増やし、経理部の目を掻い潜って必要な素材を買う為のギミックかと納得した。
ふと、己が苦手とするメンターを思い出す。
アッシュも時々、経費が少ないと司令部や経理部に噛み付いている。無駄に豪華な物を買うからじゃないかと考えていたが、もしかしたら本当に経費が少ないのかもしれない。
「……グレイ? どうかしましたか?」
「へ!? あ、ご、ごめんなさい! ぼーっとしちゃって……」
「いえ。こちらこそ、無理を言ってすみません」
ヴィクターは折り目正しい所作でグレイに一礼した。慌ててグレイも一礼を返す。
「他に分からないことが出てきたら、私かこの場に居る研究員に声を掛けて下さい。施設への出入りはご自由に。ただし、人に見られないよう気を付けて下さい」
そう締め括られ、この日から『とあるお願い』こと、作物の収穫は始まった。
――とは言え、お願いされたのは収穫だけなので、特にやる事の無い日が続いた。
2日後にグレイ宛に大量の培養土が届き、部屋の置き場所に苦心した位である。その翌日にはマルチシートが遅れて届き、グレイはヴィクターの言う通りまとめて受領書を経理部へ渡した。
「申し訳ありませんが、グレイ・リヴァースさんが研究部でお手伝いなさっている証明が無いと、受領書を受け取れません。こちらで確認を取るので、それまでご自身での保管をお願いします」
そう跳ね返され、部屋に土袋がある間は気が気でなかった。なにせ同室者は度の過ぎた綺麗好きである。見た目は綺麗な新品の商品とはいえ、土は土。
ビリーが嫌ならヴィクターに頼もうと思っていたが、ビリーは平気だと言ってくれた。何に使うかと興味津々な様子で尋ねるビリーに「必要になったら分かるから……」としか言えない自分が悔しい。
そんなこんなしながら、日々は過ぎる。経理部からの確認を乗り越え、受領書も受け取ってもらえた頃、グレイは初めての収穫を行った。
「以前お話した、ジャパニーズスイートポテトの試食。現在調理中ですが、よろしければ食べて行かれますか?」
プラスチックカゴに収穫した芋を品種ごとに分けて入れ、研究員に渡している最中のことである。後ろから突然声を掛けられ、グレイは大袈裟と思えるほど肩を跳ね上げた。
「わわわ、ヴィ……ヴィクターさん」
「ふふ、驚かせてしまったようですね」
「す、すみません……。僕が、勝手に驚いただけですので……」
みっともない場面を見せてしまい、気恥ずかしい気分になる。そんなグレイをさほど気にせず、ヴィクターはグレイの軍手に視線をやった。
「そういえば、手に怪我などはありませんか? 一応ゴム手袋の上から軍手をしていますが、怪我しないよう気をつけて下さい」
「は、はい。ありがとうございます……。ゴム手袋も厚手なので、大丈夫です」
手をグッ、パーと動かす。ゴム手袋+軍手だと、軍手の隙間から小さな枝が刺さらず、作業しても掴んだ茎の痕は残らない。手が蒸れるのが唯一の難点だが、怪我をするよりマシだと知り、グレイはずっと二重装備で作業している。
「あの、調理中って……?」
「ええ、現在焼いています。以前試食をしてくれるとおっしゃられましたが、もうすぐ夕食の時間です。いかがいたしたしましょう。一口だけにしておきますか? それとも後日にしますか?」
少食であるグレイを慮っての配慮だろう。グレイは好意に甘えることにした。
「ひ、一口だけ……お願いします」
「分かりました。作業が終了しだい、彼に声を掛けて下さい」
そう言うとヴィクターは立ち去る。近くに居た『彼』と呼ばれた研究員に「あの、お願いします……」と言えば、「……こちらこそ」と同じ様に返事を返してくれた。ここの研究員達はグレイと似た気質の人達が多く、なんとなく落ち着くので好感を持てるのだ。
グレイは再び作業に戻り、今日収穫する分を全て運び終えると、待ち構えていた研究員に外へ連れ出された。
セントラルアリーナを出ると、夕焼けに染まった空がグレイを迎えた。施設内は植物の光合成の為、24時間眩しい白光が照らしている。うっかりすると時間感覚が無くなると研究員がボヤいていたが、こうして外の空気を吸うと時間感覚が薄れていたのが分かった。
先導する研究員の後を追い、セントラルアリーナから少し離れた川辺に向かう。サウスストリートとの架け橋が遠くに見える。あまり整備されていないこの場所は、キャンプ場としても使われていることで有名だ。そこで白衣を着た人達が十人近く集まっていた。
なんと異様な光景だろう。キャンプ場に白衣。遠目から見てもとても目立つ集団だ。
ファイアーピットの中心に熾火が集まっており、熾火の端にアルミホイルに包まれた何かが転がっている。その周りに居る人達は火ばさみを持っている人、串で刺している人、食べている人と様々だ。
簡易台の上で包丁を使っていたヴィクターが顔を上げる。
「調度良いタイミングで来ましたね、グレイ」
ふわりと風に乗って甘い香りが漂ってきた。嗅いだことが無い匂いであるが、食欲の唆られる香りである。グレイは近くに寄り、ヴィクターの手元を覗き込む。
「これがジャパニーズスイートポテトです」
断面はイエローポテトの様に黄金色なのに、形はラセットポテトに近い紡錘形。皮はレッドポテトより暗い色で、紫色に見える。しかし匂いはどのポテトとも違う、甘い香りが漂っていた。
「熱いので、気をつけて下さい」
一口大に切られたソレを手に持ち、息を吹いて粗熱を冷ました後、小さく噛じった。ホクホクした柔らかい甘味が口の中に広がる。
「お、美味しいです……!」
興奮気味に伝えれば、同じく試食していた研究員も同意してくれた。
「ほんと。スイートポテトも甘いけど、段違いだよね。どっちかと言うとスイーツに近いかも」
「夕食前なのに、メチャクチャ食べちゃうよ〜。もっと食べたいぃぃ」
「ハハッ、食欲が唆られる味だよな」
その会話を聞いて、グレイの咀嚼する口が止まった。食欲の唆られる味。その意見に、グレイも同意出来る。出来れば持って帰って皆と食べたい。
それに、これなら彼もいっぱい食べるのでは……?
ここ暫く、どこかピリピリとしている藍鼠色の髪のメンターの姿が脳裏をよぎった。
アッシュは隠しているようだが、心も身体も擦り減っていることに、グレイは気づいていた。
いつもイライラし怒鳴る青年が、ここ数日怒鳴っていない。グレイに絡まなくなった事はビリーと話したことで気づいたが、それでも怒鳴ることはあったのだ。それが無い。
それを良いことだと、平穏だと思っていた。数日前までは。
アッシュの好物であるフライドチキンが食べ残されているのを見た時、グレイは静かに衝撃を受けた。まるで隠すように生ゴミに混ざっているのを見たのは、生ゴミを捨てようと、ゴミ袋を持ち上げた時の事である。それまで気付かなかった。
それ以降、遠巻きに観察すれば、食欲が減っているだけでなく、顔色も悪いことに気付いた。普段と同じ態度だから分からなかったが、1人になると疲れを滲ませている。きっと気付かれたくないのだろう。
グレイはアッシュが苦手だし、アカデミーの頃に受けたイジメを許すつもりは無い。けれど好物を残すほど疲れている人間を見捨てるほど、薄情な人間に成りたいわけでもないのだ。
――だってグレイはヒーローなのだから。
「……あの、ヴィクターさん。ジャパニーズスイートポテト、とても美味しかったので…………その、ジェイさん達にも食べて欲しいな……と」
「ええ、大丈夫ですよ。そこにあるアルミホイルの包みから、好きなものを4個取って下さい」
なんて気前の良い人なんだろう。試食だけで無く、持って帰っていいなんて。喜びと申し訳なさに板挟みになりながら、グレイは感謝の言葉を述べ、頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……!!」
「いえ。……ああ、グレイ。これが何なのか、質問攻めに合うと思います。ですから、研究部の手伝いをしていたことを伝えて下さい」
「え? ……で、でも情報共有厳禁だって――」
「ええ。ですのでサブスタンスの詳細は話さないで下さい。収穫作業の手伝いと、この芋の試食と感想。……あと、農作業に足りない物を代理購入した、と」
「は、はい」
果たして上手く誤魔化せるのか。グレイに自信は無かったが、事情を全く話せないよりかはマシだった。要はサブスタンスについて話さなければいいのだから。
グレイは頷き、ヴィクターと約束を交わした。
「グレイさん、好きな物選んでください!」
研究員に囲まれ、軍手と火ばさみを手渡された。グレイは慌てて軍手をはめて、火ばさみを掴む。
「どれも火は通っているのは確認済みです。串で刺したので、穴が開いていますが、気にしないで下さい」
「あ、ありがとうございます」
アルミホイルで包んでいるので、大きさが分かりにくい。グレイは適当に4個選び、ファイアーピットから取り出した。熱を冷ます為少しの間放置し、軍手のはめた手でアルミホイルと内側の新聞をはがす。
中からホカホカの芋が出てきたのを確認しつつ、ビニール袋に入れる。
「グレイさ〜ん。皆さんの感想、明日伺いますので、忘れずに聞いて下さいね〜」
「は、はいっ」
手を振って見送ってくれる研究員達にお礼をして、ビニール袋を片手に、川辺から立ち去る。ガサガサと鳴るビニール袋を片手に、グレイは僅かに高揚した。
美味しいと食べてくれるだろうか。いや、「甘い」と渋い顔で食べないかもしれない。
それでも、少しでも食欲が湧けば良い。そう願った。……ああ、そうか。石ころを蹴りながらグレイは悟る。
人を見捨てるような薄情な人間に成りたくないという思いも、無駄にピリピリしないで欲しいという思いも、それらは本当にグレイの思っていること。
しかし、それら全ての思いに付き纏う、この気持ちの正体は『心配』。
そう。グレイはただ、アッシュが心配なだけなのだ。
部屋に帰り、グレイは真っ直ぐにリビングへと向かった。電気が点いておらず、窓の外はもう暗い。リビングに一切明かりが無い状態で、グレイは立ち尽くした。この芋をどのタイミングで渡すべきか、今更考え始めたのである。
ジャック02が夕食の連絡をするまであと1時間半もない。誰も居ないのであれば、夕食後に出すのが妥当だろう。そう結論付けた時だった。
背後でシュンッ、とドアの開く音と共に、靴音が響いた。グレイはその音にギクリと身体を凍らせ、慌てて振り返った。
「アッ……シュ……?」
今気付いた、という風に目を開くアッシュと目が合った。普段なら人の気配に敏感なのだろう、人が居たことに驚くことなど無い。ましてや驚いた顔を他人に晒さない男である。やはり、調子が悪いのだろう。
アッシュが鋭い舌打ちと共に、背を向けて玄関に向かうので、慌ててグレイは声を掛けた。
「あ、あの……!」
「あ?」
機嫌が悪い。ドスの効いた声に竦みそうになる身体を必死で抑えた。喉から引き攣ったような声が出たが、グッと顔を引き締め、震える手でビニール袋を差し出した。
「た……食べれる?」
新聞紙に挟まっているチラシから適当に2枚抜き、机の上に広げる。アッシュの近くとグレイの目の前。旅行会社の広告は鮮やかな写真が載っているが、自分達に関係ない広告だと、半ば現実逃避のように考えた。グレイはビニール袋の中から一番大きな芋を選び、広告の上に置く。
いぶしかげな表情で芋を見下ろすアッシュに、条件反射で恐怖を感じる。あまりジロジロ見ないで欲しい。要望は口に出さず、グレイは黙って両手で芋を割った。中はまだ温かいようで、割った瞬間に湯気が立ち、濃い黄色の実が姿を現した。
アッシュの表情はますます怪訝になる。それもそうだろう、こんな芋は見たことないはず。
「えっと……に、日本にある芋みたい。ヴィクターさんから、試食と感想を下さいって……」
「ヴィクターから?」
頷くグレイを見ると、より一層眉間にシワを寄せた。アッシュはこの芋を危険物か何かの様に思っているようである。
「おい、試食ってなんだ。んな得体の知れねぇモン、食えるかよ」
「えっ」
まさか、一口も食べずに拒否されるとは。
だが考えてみればグレイも、ヴィクターを始めとしたたくさんの人達が食べていたから、一口目が食べれたようなもの。誰も食べていないものに手を伸ばすのは難しい。
グレイは両手にある物を見比べ、少し大きい方をアッシュの方に置いて、小さい物を自分の物にした。
「え、得体の知れない物かも知れないけど……お、美味しかったよ」
ところどころ焼けて黒くなった紫色の皮を剥き、濃い黄色をした実を噛じる。口の中で柔らかい甘さとホクホクした食感が広がった。やはり美味しい。
「…………ひ……一口だけ、食べない?」
これで嫌がるなら引き上げよう。そう決めて勧める声は小さく、俯いたままでアッシュと顔を合わせられなかった。自分で自分の不甲斐なさを感じる。
(きっとビリー君なら……他の人なら、もっと上手に勧められる筈。……やっぱり、僕なんかじゃダメだ。やめよう)
逡巡を巡らせ、諦めて、アッシュ側に置かれた芋を引き上げようとした瞬間、アッシュが芋を手に取った。
変わらず怪訝そうな表情で芋の皮をめくり、中身を一口噛じる。普段のフライドチキンを食べる豪快さは無く、一口は小さい。僅かな咀嚼の後、喉が動いて嚥下したことが分かった。
「…………ど、どう……?」
グレイの質問を無視し、アッシュは再び皮を向いて今度はもう少し大きく噛じった。
「甘ぇ。……本当に芋かよ」
「う、うん。ジャパニーズスイートポテト……っていうみたい」
返事は無く、アッシュは椅子を引いて座った。それをグレイは異様な光景だと感じる。
アッシュと二人きりで食事している。それも机を挟んで。
「……テメェ、この間から影でコソコソ何してやがんだ」
「影で……?」
突然切り出された会話に、グレイは一瞬固まった。ヴィクターの『質問攻め』という言葉を思い出し、サブスタンスについて一切触れないよう気を引き締める。
「えっと、ヴィクターさんに頼まれて、研究部のお手伝い」
「手伝いだァ? ……具体的に言え」
「え? さ、作物の収穫……」
「……他には」
「ほ、他? 無いよ。……しゅ、収穫ぐらい……あ、試食と感想!」
そうだ、忘れていた。慌ててメモ用紙とボールペンを握り、アッシュに聞く。
「ヴィクターさんから、この芋の感想下さいって…………あの、感想……」
「さっき言っただろ。俺は、同じ事は二度と言わねぇ」
すげない返事に、グレイは頭を悩ます。さっき? もしかして甘いっていうのが感想?
疑問符は飛び交うが、次第に面倒くさくなって深く聞かなかった。メモ帳に『甘い byアッシュ』とメモする。
「テメェの部屋に有った、あの砂袋はどう説明すんだ」
「砂袋……培養土? あ、あれは、代理購入しただけだよ」
なんだか凄く疑われている気がする。けれど、今の所事実しか言っていない。サブスタンスや研究内容に深く突っ込まれず、グレイは安堵した。
アッシュはこれ以上会話するつもりは無いようで、手に持った芋を噛じる。グレイも話す事など特に無いので、芋を食する作業に戻る。
ふと顔を上げれば、アッシュはもうぺろりと食べ切っていた。グレイも慌てて咀嚼を速めた。
「……おい、急ぐな」
そう言う声が、まるで幼い子供に言い聞かせるみたいで、グレイは喉を詰まらせそうになる。そもそも、食べ終わったら勝手に出ていくと思っていたのに、なぜ待っているのだろう。
待つのに飽きたのか、腹が減ったのか、アッシュはビニール袋に手を突っ込み、勝手に芋を取る。残り3個の時点で、アッシュを除く3人分だと分かる筈なのに、アッシュは1個の皮を剥き始める。
グレイはビニール袋を引ったくり、手の届かない場所に移動させた。アッシュは構わず食べている。
(……仕方ないなぁ)
アッシュが食べているその1個はグレイの物だが、こみ上げる文句は我慢しよう。残りはビリーとジェイに。皆に食べて欲しいのだ。そして美味しいと笑ってくれたら嬉しい。
「美味しい……」
「…………あぁ」
思わず出た呟きに、小さな同意が帰ってきたので驚き、バッと顔を上げてアッシュを見た。アッシュはなんでもない、といった表情で食べている。
けれど好物を食べ残した人が、おかわりしているのだ。本当に美味しいのだろう。
目の前の青年は笑っていない。美味しいどころか「甘い」としか言わない。けれどグレイの胸はじんじんと温かくなっていく。
「……んだよ」
居心地悪そうにアッシュが言う。
きっとアッシュは知らない。アッシュが好物を残したことや、心も身体も擦り減らしていたことに、グレイが気付いていたなんて。
「……ううん、別に」
グレイは気付いていない。そう返事する己の表情が、優しいものであることを。