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    MASAKI_N

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    クローゼット④
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    #クローゼット
    closet
    #サンウォン
    #ギョンフン
    #ホ室長
    headOfTheEChamber
    ##クローゼット

    煙草 サンウォンはギョンフンと大きなソファに並んで座り、『エクストリーム・ジョブ』を観ながらチキンを食べ、酒を飲んだ。
     イナは今日から音楽教室のレクリエーションで、数日不在だ。
     春でも、夜はまだ肌寒い。おかげで四十路の男二人でもむさ苦しくならずに済む。
     薬との相性があり酒は控えていたが、今日は薬を飲む方を控えた。医者には薬と合わせて飲むことを止められているだけだから、家でゆっくりする分には支障ないだろう。
     泥酔しない程度の量だけの酒を買い、もうじき飲み終わる。
     医者と言ってもドヒョンは、サンウォンの数少ない高校時代からの友人だ。薬が効いている気がしなくて、処方できる限界まで薬をもらうために頼った。
     スンヒの死、イナ、自分の弱さからも逃げていたが、もう逃げない。一生悩まされることを受け入れたから、今度は最低限だけの薬になり随分と楽になった。
     映画の感想が一段落したところで、酔って火照った傷が少し疼く。
     異界で悪霊と化した子どもたちに攻撃された時のものだ。
     ギョンフンの傷はもっと深かったから、深酔いは傷に障るかもしれない。
    「もう腹の傷は平気なのか」
     腹を刺されていたにも関わらず、ミョンジンの父親に襲われるサンウォンを助けに飛んできた。襲われて身体の震えが止まらなかったとはいえ、車の運転までしてくれたのは、職務上の責任感というよりは人情によるものだろう。
    「うん。まあ、平気と言えば平気かな。見ます?」
     別に見たかったわけではないが、ただ大丈夫だと言っても、サンウォンが信じないと思われているのだろうか。
    「……ん」
     複雑な表情のまま頷くと、ギョンフンは手に持っていた残りのチキンを口につっこんでから、服を軽くめくった。
     へらへらしている時も、ギョンフンの瞳の奥は昏い。捨てられた子どものような顔をする時もあれば、全てを知り尽くした賢人の眼差しに思える瞬間もあり、考えを見透かされるようでドキリとしたりもする。
     本当か嘘かわからないが、半眼でいるのは現世と異界を同時に意識するためで、眠いわけでは無いらしい。
     わき腹にはまだ、はっきり傷痕がある。
     ギョンフンはチキンを飲み込むと、自分で軽く傷痕を撫でた。
    「もう抜糸も済んだし、皮膚は繋がってるでしょ。内側がずきずきするから肉はまだかも。浄めて霊力を込めた短剣なので悪化はしません。物理的なダメージだけ。アジョシの傷の方が性質は良くない」
     確かにサンウォンの傷は、ギョンフンが傷を浄化してくれるまで、奇妙な寒気とじわじわと灼けるような感覚が同時に襲ってくる嫌な痛みだった。
    「でも俺の傷はほとんど浅かったよな。手を切った傷も治ったし」
     サンウォンが手のひらを見せると、ギョンフンはごく自然な動作で手首をつかんで引き寄せ、もう片方の手の指でさっきと同様に、傷痕をなぞるように撫でた。
    「良かった。きれいに治りましたね。なるべく痛くないように切ったつもりです」
     スッと離れようとした彼の手を、今度はサンウォンが捕らえる。古い傷が重なって付いた、ぼろぼろの手のひら。
    「――ひどい手相だな」
    「商売道具です」
     眉をひそめたサンウォンを見ても、ギョンフンはいつもの澄ました顔で飄々としている。
     この手と温かい血、そしてその静かな声がミョンジンを説得し、サンウォンとイナを連れ戻してくれたのだ。
    「どうせなら、縁起のいい手相になるように切ればいいのに」
    「ははは、そうですね」
     イナの音楽教室のスタッフに、ヤクザじゃなくデスメタルバンドのドラマーと思われたのは、手の傷のせいかもしれない。
     今夜は二人とも、いつもより濃い酒を飲んでいる。やや不道徳な酒気と人身が発する熱が部屋に満ち、徐々に親密さも濃さを増すようだ。
     それでも密室に二人きりだから、お互い黙ればその静けさに冷静さを取り戻し、ことさらに声が大きくなるようなこともなく、穏やかだ。共通の趣味も何も無い割にはずっと、話題に困らずに話し続けている。
    「もっと、痛くないやり方はないのか?」
    「その場で身体から流出することに意味があるんです。異界との境目の話をしましたよね。傷と血によって、身体の内と外が繋がる。傷付いても生きてはいる人間と、セットで効くんです。痛くない方法で血を取ってもいいんですが、効き目が弱くなる。他の方法は――あるにはありますが――僕とあなたでは難しいので」
     ギョンフンは言葉を濁して、そっと服を直した。
    「うん?」
     テレビにはディスクの操作画面が表示されたままで、サンウォンの酒はさっきの一口で尽きた。
     酔いのせいか、ぼんやりとした思考のままそう生返事をすると、ギョンフンは口をわざとへの字にして背もたれに上体を預け、細長い脚を組んだ。
     人を見下すような角度の顔が一番、男前に見える気がする。ただ、無駄に顔がいいだけに気取った印象になり、中身のとぼけた感じとのギャップが増す。シマリスみたいに何かもぐもぐと咀嚼している時の方が、サンウォンの思うギョンフンのイメージとのギャップが少ない。キュートとファニーの間くらいの、シュールなかわいらしさがある。
    「男女で行えば効果の高い儀式と言えば、わかります?同性間でも、ある程度は効果が望めます」
    「……ぁあ、そういうのもあるのか」
     お互いあまり露骨に性的な冗談は言わないタイプだ。茶化さず淡々とそう答え、何となくギョンフンの足に目をやった。足の甲と指、足の裏にも入れ墨が見える。イナがいる時は肌が見えないように過ごしているから、サンウォンも初めて見る。
    「足の裏にも入ってるのか、それ」
    「全身ですよ。僕、わかりやすく言えばシャーマン系の退魔師ですから。ん?わかりやすくはないか。長い年数をかけて段階的に増やしていくんです。ナイフが急所をそれたのは、急所に入った入れ墨に守られたからです」
    「……痛くなかったか?」
    「そりゃ、痛いですよ。全身見たいんですか?」
     先日見た際は、まじないのために腕に彫られた文字の他に、肩と胸、背中に惑星か花のような模様が見えた。
    「全身って――」
     ぼんやりと目を合わせると、ギョンフンは気だるげに、呆れたように笑った。
    「アジョシぃ、僕をもっと警戒した方がいいですよ」
    「なんで」
     どういう警戒だ?
    「僕はどちらかというと、異界側の存在です。こういうものを刻むことで無理矢理、境界にとどまっているような状態です。いつか文字通り、魔が差すようなことがあれば、あなたをあちら側に連れ去ってしまうかもしれない」
    「君のことは怖がる必要ないだろ」
    「おや」
    「それに、悪霊を警戒しようにも俺にはわからない。出くわせばあのザマだ。急に耐性が付いたわけでもないから、結界を作ってもらって、お札を貼って目を閉じるとか、そういうことしか出来ない」
    「まあ、そうですね」
    「俺の傷の処理を先にしたから、君の回復が遅れたんじゃないのか」
     香を焚き、聖油を塗られ、お祓いをしてもらった。
     それから、ギョンフンの調合した薬湯に入るように言われた。花びらやハーブが入ったバスボムを湯船で溶かすのだ。香りも見た目も良いので、イナも気に入っている。
    「それが仕事です」
    「君の方がどう見ても重症だったのに」
    「あなたは依頼人で病人で、娘のいる父親ですから、優先順位がどう考えても上ですよ。僕は耐性があるし、医療費はちゃんと請求した」
    「そんなこと言って君が死んじまったら――元も子も無い」
    「……もしかして、心配してくれているんですか」
     サンウォンがイライラする理由は、それだろう。
    「儲かる仕事にも見えないし、儲かるとしても命懸けだ」
     血塗れでもたれかかってきた時の感覚が、事故のフラッシュバックと同様にサンウォンの心を締め付けた。
    「退魔師っていうのは、血で決まる。母が死んだ日のあのビデオ、太鼓を叩いている少年がいたでしょう。手前が僕で奥にいたのは弟。ビデオを撮影していたのは父です。母はあの依頼を受けた時には既に、自分が死ぬ確率が高いと知っていました。弟は生きていますが、あの件で精神を病んで、父と静かな場所で暮らしています。僕の人生自体、ずうっと悪夢みたいなものですよ。それでもまあまあ、マシな方です」
    「……そんな」
     あんな現場に、居合わせたっていうのか。
    「今回は除霊を押し売りするようなかたちになりましたが、元々、自分でも追っていた事件です。幸い、あなたの協力のおかげで母の死との因縁も断ち切ることができました。普段は実際に生じる経費の他に、次の仕事まで自分の生活が続けられるくらいの額をいただく感じです。市井の悪霊をおさめることが、自分の身を守ることと同じ意味があるんです。だから組合を作ったりして、ある程度、縄張りのようなものを決めて連携している。今回イナちゃんがどうやって戻ったか警察にうまく誤魔化してくれたのも、組合の人です。ミョンジンのケースほど霊力が強まる悪霊には滅多に出会えませんし、今回の件に関わる場所の周辺にはまだ悪い気が残っているので、その事後処理で当分は細かく稼げます」
    「最低限の処置さえすれば、あとは療養しながら報酬をもらう方がいいってことか」
    「アジョシに先に回復してもらって生活を保障してもらう方が、お互い都合がいいと思ったので、あなたを優先しました」
    「退魔師に生まれても、別の仕事が本業の人間も多いってことか」
     ギョンフンがこの仕事だけで食っていけるのなら、有能というのも嘘ではないはずだ。
    「うん……お金に困らない血筋というのもありますし、財産を持っていたり、代々、有力者がパトロンだったりもする。でも何をしていても、行く先々で霊的な事件はそこそこ起こります。無差別なものは無視できますが、自分に因縁があるものは避けられない。僕は因縁の事件が解決したので別に転職してもいいんですが、最初の職歴が退魔師で二十年近く継続できたことを思うと、向いてるのかなとも思うし、今から転職して何になればいいのかピンときませんね」
     食生活はB級グルメ寄りだが、ギョンフンは小奇麗でいい服が似合っている。両親もそこそこ名のある退魔師だったのだろうと予想する。のびのびとマイペースにやっていて、多少の間抜けさはあっても、品の悪さや人に不快感を与える感じはあまり無い。
     金に困っていたとか、報酬にがめついようなことも言っていたが、母親の事件がきっかけでそうなったか、貧しくてもきちんとした両親なのだろう。
     イナの不在をいいことに、煙草を吸おうか一瞬迷ったら、ギョンフンと目が合う。
    「身体に良くないですよ」
     悪霊にとり憑かれているわけでもない今、従わなくても困ることなど無いのだが、ギョンフンが人を諭す時の声色にどうしても従ってしまう。
     イナの部屋で子どもの悪霊に囲まれた時の恐怖と、その窮地を救った彼の声に絶対的な信頼感を得たあの時の感覚が、そわりと身体を通り過ぎる。
    「知ってる」
     ギョンフンが居眠りしていたせいで窮地に陥ったとも言えるが、ミョンジンを憑り代として集まった霊の人を操る力は特別、強かったそうだ。
     ギョンフンが居眠りしたのも、サンウォンが勝手に動かざるを得なくしたのも全部、その霊のせい。全部ギョンフンが言ったことなので、嘘かもしれない。
     いつも気だるそうなくせに、こういう時だけ丸くなるギョンフンの目に捕まると、不思議と迷いは消える。
    「代わりに――あれ、どこにしまったかな」
     ギョンフンは少し離れた一人掛けのソファに置いたコートやジャケットをごそごそと探りまくった後、ジャケットの内ポケットから取り出した平たい缶を、奇術師みたいな手付きでローテーブルに滑らせた。
     間の抜けた仕草もずっと目で追ってしまってから、退魔師が人心を掌握するための計算なのかもしれないと思う。
     缶の中には葉巻のような茶色い巻紙の細い煙草が並んでいる。ギョンフンが仕事の後ほんのり纏う空気に似た花の香りが、ふわりと鼻腔に届いた。
    「……何が入ってる」
     今のところ法は守っていると思っていたが、そういえば最初は勝手に家に入ってきたな。いや、チャイムは鳴らしていた。「チャイムは鳴らしました」と言うためにだが。
    「やだな、合法ですよ。僕が退魔に使うハーブの入った茶煙草の一種です。しばらく風呂の湯に入れてもらっていた薬湯の成分にも近い。お清めと魔除けの一種です。煙草には違いないので無害とは言えませんが、今アジョシが吸ってる煙草より軽いです。口さみしい気持ちはあるだけで、銘柄は特に決めてないんでしょ――僕もひと口もらおうかな」
     訝しげなサンウォンにちょっとおどけた顔を見せてから、ギョンフンは意外に慣れた動作で煙草を一本くわえると、自分のライターで火を付ける。そういえば火と煙は、儀式でも重要な要素だった。口元で煙を遊ばせるように見せながら、ギョンフンはそのまま煙草をサンウォンに渡した。
     渋い顔で受け取って、仕方なく口を付ける。マリファナを回し吸いしてるようにしか見えない。保護者としては完全にアウトだ。
     かといって、サンウォンがくわえる煙草に火を点けてもらうのは、もっとヤクザっぽい。
    「んー……うん」
     特に違和感なく煙草の味。好みだ。軽すぎるということもなく、嫌な香りもしない。
     サンウォンを横目で見ながら、ギョンフンは遊ばせていた煙を静かに肺に吸い込むようにしてから、細く息を吐いた。
    「どうです?煙草とそんなに変わらないでしょう。葉っぱを焦がした煙には違いないですからね。徐々に細かい風味が馴染むはず」
    「……くれるのか?」
    「気に入ったなら、どうぞ。代わりにあなたのは回収します。無くなったら言ってください」
    「――君が巻いてる?」
    「巻いたのを買うと高いんです。暇だし、自分で書いた護符の方が僕には効く。ご要望があれば、あなた好みの香りにもできます」
    「護符か、それっぽいな」
    「これも身を守る魔除けです。気分を落ち着かせる効果もありますし、主に雑霊や、乗り移られたり操られる小動物や虫の類なんかを追い払うのに効きます。一割増しでそれっぽく見えますしね。野営のお供ですよ」
     煙草の代わりとしてどうかと言う以前に、ギョンフンの匂いに徐々に慣らされるようで変な気分だ。
    「俺は元々、人前では吸わない」
    「気分を落ち着かせようとすると、吸いたくなる?」
    「……別に、今は落ち着いてるよ」
     不安は無く、苛立ってもいない。孤独も感じていないのに何故、煙草に手が伸びたのか。
    「僕の前では吸うのにね。一応、人なんですけど」
     拗ねたような言い回しだが、ギョンフンは妙に楽しげに笑う。
     サンウォンは理由に思い当たり、ギョンフンの口に煙草を戻すように突っ込んだ。
    「顔、洗ってくる」
     のそのそと洗面所に行き、鏡に写るのは動揺した自分の顔だ。
     酔って上機嫌になるスンヒの顔を眺めながら煙草に火を点けていたのは、人肌恋しい時だった。髪、頬、唇――その肌に触れたい気持ちを抑えながら、視線を逃がすために煙草を吸い、煙を挟んで見詰めていた。
     その感覚を思い出し、まずいと思った。
     相手はギョンフンだ。
     傷痕の残る肌とそれを撫でる指を眺め、手に触れて、吸った煙草を受け取った。
     ギョンフンがわざと距離を詰めているかどうかに関わらず、自分はもうすっかり心を許している。もっと触れたいと思ってしまった。
     酔っているからではない。酔って、無意識の蓄積が表層に出てきてしまった。道行く美人に見惚れることはあるにしろ、軽々しく手を出すタイプではない。むしろ、自然に積み重ねた関係が徐々に重く確実なものにならないと、触れたいなどと思えない性質の人間だ。
     冷たい水で顔を洗い、乱暴に拭う。口をゆすいで水を飲んだら、鼻の奥でギョンフンや薬湯と同じ花の匂いだけが香った気がした。
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