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    怪物jwdsジュウォンの誕生日

    ##怪物
    #怪物
    monster
    #ジュウォンシク
    jewish
    #jwds

    Pairing(s)「誕生日おめでとう。よく生きました」
     目覚めてすぐそう言ったら、ジュウォンは珍しく素直に笑顔を見せ、ドンシクを抱きしめた。「お腹が空いた」と言うまでそのままで、また寝てしまったのかと思った。
     ドンシクがジュウォンの誕生日を祝うのは、今日で二度目だ。
     出会ってからは四年目になるのか。
     一度目は、二人の仲を進展させるつもりで部屋に呼ばれたと思ったのに、煮えきらないジュウォンにドンシクが痺れを切らして、半ば強引に迫ってしまった。そうでもしないと距離が縮まらないと思ったからだ。
     捜査の時はあんなに強引に喰らいついてきたのに、ジュウォンはドンシクに遠慮していた。その壁を壊して、どうにか結ばれた二人の記念日。
     でも元々、距離なんて無かった。
     昨晩はマニャンでいい肉を焼き、散々、酔っ払いたちの肴にされてから、ジュウォンの部屋で過ごした。
     それからずっと、どちらの誕生日だかわからないぐらいもてなされている。
     コース料理がいっぺんに出たような豪華なランチを味わって、ドンシクは残ったシャンパンを飲み干した。
    「豪華な昼ご飯、ごちそうさまでした。全部、食べきれなかったけど」
     最近、ダイニングテーブルを出したままのこの部屋。それ以外は初めて訪れた日とあまり変わらないが、生活感が増した気がする。
    「どういたしまして。刺し身以外は日持ちしますし、残しても大丈夫。ディナーは軽めにします」
     満足げなジュウォンと一緒に、テーブルの上を片付ける。とっておきの食器の行方がよくわからなくて、シャンパンの瓶とカトラリーだけシンクに持って行く。
    「俺の好物ばっかりじゃない?あなたの誕生日なのに、俺には何もさせてくれないの」
     いつもそうだ。ジュウォンがそうしたいのだとわかってはいても、お客様扱いされているような気になっていけない。
    「仲間も集めてくれたし、肉も魚もお酒も、ケーキも用意してもらいましたよ。充分過ぎるくらいです。休みも合わせて、昨日も泊まってくれたから朝から祝ってくれたし、僕の贈った服を着てる」
    「まあ、そうだけど」
    「素敵です」
     ジュウォンの用意した黒いシャツはシルエットが変わったデザインの洒落たもので、生地が薄く、例に漏れず着心地が良い。外食するためのドレスアップかと思ったら、部屋で過ごすと言われた。汚してしまわないかと気にしていたら、汚してもすぐ洗えるので気楽にどうぞ、と心を読まれた。着替えは持ってきていたが、今日はジュウォンの提案をできる限り飲もうと決めていた。でも、やっぱり言ってしまった。
    「俺の誕生日もこんな感じじゃなかった?」
     そうだ。自分の誕生日も、事前に聞かれた希望以外はジュウォンの提案を飲もうと思って過ごした。ドンシクは唯一の家族である母とジュウォンを会わせることだけ望み、ジュウォンに服や抱き枕をプレゼントされた。
    「この話、何回目でしたっけ。いい加減、慣れてください。どうせあなた、僕をどう祝っていいかわからないでしょ?」
    「そうだけど、して欲しいことは知りたいし、何かさせて欲しいんだってば」
     ユヨンともよくこんな会話をした覚えがある。
     どうせ兄貴は気のきいたプレゼントなんてできないでしょ、と金を巻き上げられ、父の日も母の日も二人の誕生日も、センスのいい妹の言う通りにしていた。
    「だから、肉と魚とお酒とケーキと、ドンシクさんにしたんでしょう。下拵えも一緒にした」
    「……楽しい?」
    「もちろん。楽しいです」
     最近、余裕のある笑みを見せるようになってきた。三十路になったからといって若さが眩しいのは変わらないが、出会った頃から徐々に大人っぽくなっている。
     ドンシクは何も変わらない。
     人との関わり方については、経験によって対処の幅が拡がっているものの、気質や趣味は二十代からあまり変わっていないのだ。
     白く柔らかそうな頬で、笑顔が可愛くて、話が面白い子が好きだった。ジュウォンは同性でありながら、そこから全く外れてはいない。
    「なら、いいけど」
    「もてなされるのは嫌いですか?誰かに何かしてもらうのは、居心地が悪い?ジェイさんにはしてもらうのに。あそこは、お店だから?」
     順序良く残り物を容器に詰め、冷蔵庫にしまっていく。傷みそうな物を頬張る様子は年相応の男子に思えて、少し安心する。
    「あなたには同じように返せないと思うからかな」
    「僕は別に、あなたに同じようにして欲しいとは思いませんよ。貸し借りを気にする関係じゃないでしょう。駆け引きをする必要も無くなった。僕は自分がやりたくないことはしないのも、知ってますよね?皆でお祝いしてくれるのも楽しいと思えるようになりました。でも、二人きりで過ごせるのが一番、嬉しいです。好きな場所で、好きな物を作って食べて、好きな人を独り占めさせてください」
    「俺はあなたに、いつでもあなたを優先して欲しいよ」
     償いたいと言う彼に、償うなら警察官でい続けろと言ったのは自分だ。
     父親のせいで選択肢が限定された人生の中でも、彼は可能な範囲で自分らしさを必死に守ってきただろう。もっと自由に生きられたら、もっと豊かで、もっと眩しい彼でいられただろうに。
    「してますよ。独り占めするのは、僕のわがままを優先した結果でしょ」
    「自分より俺を優先する時があるだろ」
    「そうできる時は、そうしたいから」
     シンクの水を止め、ジュウォンはそのままドンシクの頬を撫で、こめかみ辺りに口付けた。淀みなく恋人をなだめる一連の動きに感心しながら、向き合って目を合わせた。
    「ちゃんと眠れてる?」
     自分も彼の頬に手を添え、眠たげな目元をなぞる。
    「昨夜は一緒に、ぐっすり寝ましたよ」
    「昼寝もしよっか」
     ジュウォンは諦めたように目を閉じ、ドンシクの手に自分の手を重ねた。
    「……このところ眠れなかったのは楽しみだったからで、仕事がきつかったわけじゃありません。あなたとの時間を全力で楽しめるように調整した結果ですから、満足してる」
     昨夜は二人とも酒を飲まずにいたが、ジュウォンは時折眠そうにしていた。早めに切り上げ車内で少し眠らせたものの、夜は熱く求められ、ドンシクも応じてしまった。
    「俺がここにいるのが嬉しい?」
    「ええ。ずっといても構いませんよ」
     何度か言われた。本心なのは知っている。合理主義で潔癖で、甘くしようなんて微塵も意識していない率直な願望が、何よりも甘い。
    「じゃあ、そうしようか」
    「え?」
     重ねられた手をするりと操り、ジュウォンの白い手の甲に口付ける。
     ひんやりした感触、料理と、洗剤と、水の匂い。
    「実家の工事が終わるまで、所長の家にいようと思ったけど――別に最後までいなくてもいいんだよなって」
     ドンシクの実家をリノベーションして、所長の遺した家は売りに出す。
     自分より関心のありそうなジュウォンに改装案を考えてくれないかと打診して、一緒に住まないかと伝え、合鍵も渡した。
     ジュウォンも自分がいない時に出入りしていいと、ドンシクにこの部屋のスペアキーをくれたのだ。
     そこから少し、ドンシクを必死に繋ぎ止めようとしていたジュウォンが落ち着いてきた気がしていた。
     ドンシクの方は自分が、息子を思い通りにレールに乗せようとしたハン・ギファンと変わらないのではないかと、余計なことを考えてしまうこともあった。
    「……本当に?」
     ふわりと紅潮した顔が可愛らしい。俺の台詞も、彼には何より甘く響くのだろうか。
     どう振る舞えばジュウォンの気を引けるか、ドンシクが一番よく知っている。
     だが少し酔っている。しらふの時にはしない駆け引きのスイッチが入る。
    「本当に嬉しい?人と暮らすのは、疲れない?俺、カップ麺食ってビール飲んだまま、ソファで寝ちゃったりすると思うけど」
     試したいわけじゃない。我慢や妥協をして欲しくないのだ。独りになれる場所をドンシクにほとんど明け渡してしまって大丈夫だろうか。
    「全然。対処できます。僕もマニャンの家が出来上がったらすぐ、そちらに引っ越すつもりでいましたし、大丈夫です」
    「ここを出る?」
    「ええ。気が早かったですか?でも、まだ先でしょう」
    「そうじゃなくて……いいの?ここはあなたの――そんな大事なことを」
     自分から先走った提案をしておいて、二つ返事で了承されたら怖じ気づく。
     楽観的でいられないのは事件のせいだが、ジュウォンのことを完全に信じられないのは自分の方か。
     違う。二人で楽しみにしていることが台無しになってしまいそうで、怖いだけだ。
    「迷いはありません。こんなに楽しみな計画は初めてです。仕事の展開によっては実現できないかもしれないのは心配ですが、時期を見てマニャンか、できるだけ近いところに異動願を出そうかと――眠れなかったのはそれを今日、相談しようと思っていたからです」
     真っ直ぐな瞳に屈して、身体を預ける。
     ジュウォンには見抜かれていた。
     そう言えばこの前、気弱になった折、怖いものを白状してしまった。
     ドンシクが「俺たちの気持ちとは関係ないことで、人生が変わってしまうのが怖い」そう言って泣いたのを、この人はしっかり覚えているのだ。
    「ジファに怒られたんだよね。あげるものが何もないって言ったら、自分込みで土地付きの家をあげる以上に高いものなんてあるかって」
    「……ええ。僕もヒョンに、お前はプロポーズされていると言われました。僕は同棲ととらえていましたが、ドンシクさんがどっちのつもりでも、僕には変わらない」
     空きっ腹で飲んだシャンパンが効いたのか、意識がぐらつく。
    「ああ、やっぱりそうだよね。あなたの解釈が正しいと思うけど、ヒョクさんとジファの言うことも正しい」
    「意味なんてどうでもいい。あなたの一番近くにいられれば」
     ジュウォンに付き添われ、ソファに座る。
     疲れが溜まっていたのはドンシクの方だったようだ。
    「俺はそういうあなたを心配しといて、自分はもっと欲張りなことを言ってた。あなたは断らないと知ってて、話を先に進めてから言ったでしょ」
    「……何か変でしたか?別に、自分の家なんだし、リノベーションを進めるのはあなたの好きな時にしたらいい。交渉事で先んじるのは、あなたの得意技です。勝負やゲームに勝てないとムカつきますけど、こういうことなら別に」
     渡された水をゆっくり飲む。
    「うん。そうなんだよね。あなたと上手くいかなくても家は売ってしまえばいいし、特に不都合はないんだ。でもさ、虫とか鹿がいるとかであの家を嫌がられるならわかるけど、俺といることをあなたに断られる可能性は、確かにあんまり考えてなかった。傲慢だな」
    「世間一般とは何かズレてるんでしょうけど、気になりませんね。知っても変わらないし。ドンシクさん、耳が冷たいです。温かいお茶を淹れます」
     最近ジュウォンのいなし方が、ジェイに似てきた気がする。
     マニャンの人々と過ごす日々でも、彼なりに多くを学んでいるのだろう。
    「結婚とか家族に興味が無かったからかな」
    「あぁ、僕もあなたとこうなるまでは考えていませんでした」
     ジュウォンの温まった手が耳に触れ、頭を預ける。
    「ジュウォニは、もし俺と結婚できるなら、したいんですか?」
    「……え?」
     耳を解すようにしていた手が止まり、顔を覗き込む。
    「なんで驚いてる?」
    「してもらえるんですか?」
    「は?」
     ジュウォンは息を飲み、湯呑みをそっとローテーブルに置いて黙った。
     とんでもない質問をしてしまったことに気付き、ドンシクも黙って湯呑みを置く。
    「ドンシクさん――今のは、プロポーズだと思います」
    「……もう少し手前じゃない?」
     もうこの際どちらでもいいのだが、弱々しく弁明する。
    「手前も何もないですよ。その意志を確認するのは、プロポーズと同じです。それに、結婚しなくても同等の関係であることが前提の質問に聞こえる」
    「だってお互い今の状態が続くと思ってるなら、同じことだろ?可能性の話だ。俺はどっちでもいいと思ってるけど、あなたはそういう形にしたい気持ちがあるのかなって、知りたかっただけで」
     どちらでもいいと返されるのではないかと思った。
     聞き返された時は一瞬、したくないと言われると思って、「してもらえるんですか?」という返しで、それは彼にとっては実現したい夢の一つなのだと知らされた。
    「そうなんですけど、続けばそうなるなぁ、と思ってるだけじゃなくて、続けたい、と伝えるのは、特別な意味になるんじゃないかと。同棲に関してはプロポーズの手前ってことでいいと思いますけど、結婚できるならしたいですか?はプロポーズとほぼ同義です」
    「ほぼ、でしょ?あなたなら、その可能性はありますとか、その可能性は高いですとか、ありませんとか答えるかなと」
    「僕は日頃からあなたと結婚できるならしたいと思っていましたから、答えるのは可能性の話ではなくて、希望を伝えることになってしまう」
     一緒に暮らしたいかと問えば、一緒に暮らしたいとだけ返って来る。
     ジュウォンがそういう人間だと知っていた。ジュウォンも、ドンシクにそう思われていると知っているから、これまでのやりとりがどんなに世間では思わせ振りなことでも、そのままの意味以上に期待をしていなかったのだ。
    「……あぁ、やっぱり、俺の感覚がおかしいな。急かしたいわけでも、返事が欲しいわけでもないんだ。今のは」
    「ドンシクさんはそのままでいいです」
     違うのだ。結婚してもいいととっくに思っていたのは自分で――
    「感覚じゃないや、自分の気持ちの認識がおかしいんだ。俺、あなたと別れるのは嫌だけど、それ以外ならどうなってもいいと思ってるから――世間の人はそういう時にプロポーズするってことだし、俺は自覚してるよりずっと、あなたをもう既に、自分の夫か家族みたいに思ってるんだな。ジファにはそれを咎められたんだ」
     自覚がまだ無いなら軽率なことをするなと、困った顔をされたのだ。
     それでも止められはしなかったのは、ドンシクが自覚しようがしまいが、問題が無さそうだったから。だが、ジュウォンがドンシクの鈍さに困惑するかもと、心配していたのだろう。
    「僕はそう思われたくて関わってきましたし、事実ですから、そう思ってもらって構いません」
    「あなたは、まだそうじゃないと」
    「今……あなたにプロポーズさせられてしまったんで、そうなりました」
    「あぁ、そっか」
     至極正確に言葉のやりとりを査収して、たった今、お互い自供が取れたのか。
    「ひどい人だな」
    「そうだな。俺もそう思う。別れたい?」
     ため息をつきながら、湯呑みで指先を温める。
    「いえ、全然。あなたが特に結婚とかしたくないなら、このままでもいいですし」
    「できるんならしてもいいよ」
    「はぁ?」
     一旦収まった動揺が再び、久々にジュウォンの眉間に深い皺を刻む。
    「しなくてもいいけど、したくなくはないし」
    「……ジファさんの気持ちが少しわかりました」
    「あなたほど、しなくちゃって気持ちは無いかもしれないけど、いい加減な気持ちではないよ」
     どう言っても駄目だ。真剣味が全く無い。ジュウォンは親に恵まれなかったわけだが、それでも、こんな男に大事な子を任せる親はいないだろう。
    「それは、わかってます。僕だって、あなたが僕以外の人と結婚する可能性を確実に潰したいだけですから」
     良かった。お互いさほど結婚という制度に重きを置いてはいないのは合意できた。
    「その可能性は少なくとも、別れることになるまではないよ」
    「別れませんよ」
     怒った顔がもの凄く可愛いが、それは言わないでおく。
    「だよねぇ」
    「別れる可能性を話し合いたいんじゃありません」
    「あ、ペアで指輪とかした方が安心するなら、してもいいけど」
     ジュウォンは呆気にとられた顔の後、頭痛がするように目を閉じた。
    「ドンシクさん」
    「何」
    「指輪を贈ったら着けてくれますか?」
    「うん?できれば一緒に選びたいかな。でも、あなたのセンスなら大丈夫か」
    「あぁ……」
     額に手をやり、さっきの顔のまま、ジュウォンが黙った。
     事情聴取で振り回していた頃に見た百面相が、再び繰り広げられている。
    「ジファもその顔してたな。あなたたち、ちょっと似てるよね」
     気まずい空気が自分の発言で何か別のものに展開しないかと、ただただ目に付いた事実を述べてみる。
    「ドンシクさん」
    「うん?」
     お茶をひと口飲んで、ジュウォンに両手を取られる。
    「僕と、結婚を前提にお付き合いしてください。この国の法律ではまだ出来ないので、法改正を待つか、別の方法を探すことになりますが」
    「……はい。今までもそのつもりでは?」
     今度はドンシクが呆ける番だ。
     何を今更。あれだけ毎回、熱い口説き文句を浴びせておいて。
    「僕はそのつもりでしたが、あなたもそうだと思っていいんですね?」
    「はい。いいですよ?あなたの気持ちがそのぐらい強いと知っていて付き合ったし、結婚したいと言われたらそうするつもりだった、し……」
     握ったドンシクの手を額に付けたジュウォンを見て、ああ、この構図はと思い出す。
    「僕のここ一年の不安は一切、無駄でしたね」
     水っぽいこもった声がそう呟いた。
    「不安って?」
    「あなたが別の人と恋したり、振られるかもって心配です」
     思ったより早くジュウォンは顔を上げ、ドンシクを抱き寄せた。
    「それは、結婚しても心配でしょ」
     ドンシクだってそれは不安だが、真っ直ぐで熱っぽい目に捕まる度に、自分が逃げなければ大丈夫だと思い直している。
    「僕の場合は、僕がそうしないという誓いなんです。そうでない人が多いから、あなたがそれを意識していなかったのはわかります」
    「いつもあなたはそう誓ってくれるから」
    「ドンシクさんも、誓ってくれますか」
     いよいよプロポーズらしくなってきた。
     彼ほど真剣に考えられていなかったくせに、当然こうなるものだと思っていたのが不思議だ。
    「うん。他の相手なんて考えられないし」
    「……なんか違う意味に聞こえますね」
     何を言ってもなんだか不思議だ。自分にこんなことが起こるなんて、この人に出会うまで考えてもみなかった。
    「別れるつもりで付き合うような相手じゃないよ。一緒に地獄に落ちてくれる人なんて他にいない。この先こんなに強い絆を持てる人は、現れないと思う」
    「地獄の扉はもう、僕たちには開けられないと信じたいです」
     その絆がある限り、お互いの気持ちを微塵も疑っていない。
     ただ、彼の魅力を知る度に、彼が変わって輝く度に、自分以外の人間からの評価が気になってしまうだけだ。
    「だといいね。お互い誓っちゃったからもう、婚約したようなもんだな。言葉で確認しただけで、何も変わっていないのに」
     ジュウォンは大きなため息をつきながら、ドンシクの頭を抱えるように胸に寄せた。
    「言葉で確認するのは大事です。少なくとも、僕にとっては」
     薄着の彼の肌が近い。緊張で汗ばんだのか、蒸気のような熱さを心地好く感じた。
    「うん。わかった。俺たち、何の話してたんだっけ」
    「あぁ、いつからこの部屋に来ます?」
     ジュウォンはいつでもドンシクがそう言ってもいいように、待っていたようだ。
     ジュウォンから提案するとさっきみたいに、ドンシクの脳に正しく到達するまで無意味なやりとりをすることになると、なんとなくわかっていたからだろう。
    「あなたの都合は?」
    「僕はいつでも大丈夫です。泊まる度に、ずっといてもいいと言っていたでしょう。今日やっと意味が通じたみたいですけど」
    「そういえば言ってたね。あぁあれ、ずっとって――ずっとってことだったの」
     軽口ではないとわかっていながら、本気の提案だとも思っていなかった。
     もう少し一緒にいたいという意味かと――いや、本気で言っているのはわかっていたが、一緒に暮らしたいという意味には取らなかっただけか。
     よくもまあ、こんな鈍いおじさんに懲りずに、毎回誘ってくれていたんだな。
    「それ以外に意味はないですよ。荷物はどのくらい?」
    「俺の物は日用品と服ぐらいだよ。改装までは、マニャンスーパーの跡地をガレージにしたからそこに置ける」
    「じゃあ、今シーズンの服だけかな」
     もう整理整頓の計算が始まったようだ。
    「うん。しまうとこないなら車に積んどけるよ。夏物だし靴もそんなにないし」
    「じゃあ、駐車場の契約だけ一台増やしておきますね。場所は空いているはずなので、既定の書類を出して、月極料金を払えば大丈夫だと思います。日割にはならないから、月初からになりますが、それまでは来客用でいいだろうし。明日からでも……今日からでも僕は大丈夫です」
    「一応、来週末から試しに一週間来てみて、来月開始って感じにする?あ、所長の家は荷物を移したら出られるけど、俺の住所はここじゃなくて、マニャンの実家に戻すよ。向こうで前スーパーの手伝いでやってた配達を再開することになったから、昼間はマニャンで働いて、郵便物をチェックしてここに帰る感じ」
     ジンムクのやっていた配達のサービスを再開して欲しいという声があり、少しずつドンシクが応じている。
     悪いことを忘れることができないなら、いいことで上書きするしかないのだと、ナム所長が言っていたのを思い出す。
    「それは、何でもいいです。住所をここに移さないなら、手続きも少なくて済む」
    「ありがとうございます。あなたは仕事に集中して。忙しかったり、都合が悪くなったら俺が調整するから」
    「わかりました」
     お茶を飲み干し、そのままキッチンに戻る。
     渡された台拭きでダイニングテーブルを拭きながら、ジュウォンと日常を共に過ごすことに違和感のない自分に気付かされる。
    「ずっと一緒にいたら太っちゃうな、俺」
    「太りやすいのは僕です」
     いつの間にか、ここに来ることにお互い緊張しなくなっていた。
    「あなたは少し太った方が可愛いよ。マシュマロみたいで」
    「服のサイズが変わるのは嫌です」
     いつの間にか、メッセージを送り合うのも習慣になっていた。
    「まあ、痩せてもかっこいいけど、やつれるのは心配」
     親か恋人しか言わないような心配をして、互いの幸せを願うのが当たり前になっていた。
    「ドンシクさん」
    「うん」
     洗いものを終え、ジュウォンが手を拭きながら、少し緊張した面持ちでこちらを見た。
    「今日、これから時間があるので――指輪を見に行ってもいいですか。そこまで本格的なものじゃなく、恋人として贈って良ければ」
    「……いいよ」
     決断が早い。
    「嬉しいです。できればペアにしてもいいですか?二人が気に入る同じデザインは難しいと思いますが、ペアリングにも色々あるので」
     わかりやすく明るくなった表情に、また眩しさを覚える。
     ユヨンに指輪を買ったことを思い出す。
     欲しがっていたのを知っていたから良かったが、あの頃から自分の鈍さは変わっていないのかもしれないと思う。
     ジュウォンが指輪について話題にしなかったのも、ユヨンを思い出してドンシクが辛い思いをするのではと思ったのだろう。
    「同性カップルのペアリングって、選べるほどあるのかな」
     ジファとジェイが以前そんな話をしていた気がする。
    「あからさまに断られることはないと思いますが、マイノリティにフレンドリーな企業は調べたことがあるので、目星は付いてます。手頃な値段で二人が気に入るデザインの物が見つかれば、すぐ決めてしまっても構いませんけど」
    「俺は――あなたが今持っているので着けてないやつでもいいくらいだ」
     デートの時にたまに着けていて、若くてお洒落だなと思った覚えがある。
    「指の太さがかなり違うので、どうですかね」
     ジュウォンがきれいにケースに並べて整理された指輪は、確かにどれもドンシクの指には緩そうだ。
    「あなたの方がお洒落だから、俺が選ぶより――狼?」
     一つだけ小さい物を見付けて指差すと、嬉しげに左手の薬指に着けてくれた。シルバーのシンプルな指輪に狼の横顔が彫られ、さりげなくジュウォンのイニシャルが入っている。
    「英国で作ったシグネットリングです。ご存知ですか?韓国ではそんなに深い意味も無いですし、気に入ったんなら着けてもいいと思います」
     昔サインの代わりにしたというリング。今は世界的に広くファッションアイテムになっているが、スーツ姿の英国紳士が着けているイメージだ。アメリカの事件ものなんかだと、カレッジリングが出自を見極める鍵になったりする。
    「サイズは合いそう。狼が好きなの?」
     事件の時も、狼の狩りの話をしていた。
    「狼が出て来る物語が好きだったんです。実際に接するなら馬や犬が好きですけど、そのモチーフは人とかぶるので狼にしました」
     ユヨンもそういう話が好きだった。感性が近いのだろう。
    「俺は、こういうのでいいな。イニシャルはあなたのだから変かもしれないけど、特別なものだし。もし探してもこれよりいいのが見つからなかったら、これにしてもいい?あなたの分は俺に出させて」
    「他に気に入る物がなければ、その指輪のデザインに合わせて僕のを作りましょう」
    「あ、もしかして今日、元々そういう予定だった?」
    「いえ、いつかそうできたらと思って、いつそうなってもいいようにと――考えてはいました」
     照れているようだが、困ってはいない。
    「今日何かしてあげたいって言った時に、言ってくれたら良かったのに」
     やっぱり、我慢させているなと思う。自分は恋人にするには相当、面倒な人間だと思い知る。
    「僕じゃなくて、あなたの誕生日に提案できたらと思っていました」
    「あー……その計画も潰しちゃったわけ?俺、本当に駄目だな」
     ケースをしまい、ジュウォンは穏やかな顔でドンシクの指を眺め、微笑んだ。
    「僕の計画があなたの考えを先回りできることはあまりないので、大丈夫です」
    「ごめんな俺、鈍くて」
    「いいんです。先は長いし――僕だって、恋人同士の俗っぽい慣習なんて、くだらないと思ってた。でもあなたとなら、そういう夢を勝手に見るのも楽しいんだなって、やっとわかってきたところです」
     愛情表現ははっきりしている方だから、合う相手が見つからなかっただけだろう。
     ドンシクだって、ジュウォンの喜ぶ顔は見たい。
     ジュウォンの見る夢を全部、叶えてあげたいと思う。
    「ユヨンのしてたあの指輪は、起きたら驚くだろうなって期待しながら、眠るユヨンの手にこっそり着けたんだ。気障な兄貴だよな」
     遺体を確認した後は上手く思い出せなかった、あの時の幸福感が、鮮やかによみがえる。
     気持ちを伝えたくて、ゆっくり抱き締めて目を閉じた。
    「……残酷な現実が消えないのは悲しいですが、幸福な想い出も消えません。誰かに奪われたりしない。永遠にあなたのものだ」
     力強く抱き止めた胸から、ジュウォンらしい言葉が淡々と響き、胸が熱くなる。
    「あなたが生まれて、今日まで生きてくれたおかげで、俺もついでに幸せになれそうです」
     気持ちを伝えるために抱きしめても、言葉で伝えても、伝え足りない気がするから――どこにいても、ジュウォンが俺の大事な人だと示す証を贈るのか。
     広い背中の後ろで、ドンシクはそっと狼の刻印を指でなぞった。
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