物理学授業の傍観者『それでは授業を始めましょう』
滑らかに響く声を聞いて、モニター越しの生徒たちは一瞬で声を鎮める。
大学の眠くもなりそうな物理の授業だが、リモート授業が主となった今では画面を見るだけで一発で分かってしまう。
でもこの授業で寝るものは誰もいない。
それは何故かと問われれば、一重に好奇心と言ったところだろか。
とても穏やかで優しそうな先生。
恐らく授業を受けたほとんどの生徒が同じ印象を持つだろう。
物理の担当をするマックスウェル先生は、いつ話す時も言葉は流暢だ。
寝てしまったり態度の悪い生徒がたまに居たとしても、優しく諭すだけでその笑顔に変化は無い。
驚かせた生徒が居て、ちょっと困った顔はしてくれたが、怒った所など見た事がないと誰もが口にする。
いつも外れる事がないサングラスをつけていて、外せばきっと美形だとか噂だけでその下の瞳は誰も見た事がない。
教え方は上手だが、その滑らかな言葉運びも相まって眠くなるのも必然で。
でも大事な授業故に、講堂ではかじり付きながらノートを撮った事を覚えている。
何処にでもいる普通の先生。
リモートが始まるまでは。
実験もあるのだが、講義のみの場合リモートが許されるようになったのは最近の事。
プリントだって、事前に手元のタブレットにダウンロードしておけば差し障りなどない。
便利になった分、参加者は減るかと思ったのだが、回数を追うごとに逆に生徒の出席率が増えているのが現状で。
『それではデータ3を参照して求めた電圧と、電流の比率について…』
恐らく先生の部屋であろうホワイトボードに、綺麗な字で公式が出来上がっていく。
それを書き写しながら、手元のスマホを見ると(そろそろかな?)と友達から通知が来ていて。
それに続いて、生徒のグループからは期待する短い通知が何度も上がった。
みんな授業見てる?
『では、この同軸ケーブルに伝搬するパルスを考えると…』
『なぁ、こないだ買うたアレ何処やった?』
ガッチャと、遠慮無しに開いた扉。
そしてそこから顔を覗かせた半裸の男性。
(キターーー!!)通知の嵐が吹き荒れていた。
『以蔵さん、今授業中です』
『あぁ、悪ぃな。でも見つからのうて』
『ダイニングの2番目の引き出しですよ』
『おん、邪魔したな』
半裸の人はちょっとこちらを一瞥すると、すぐさま出て行った。
でもあの人『アレ』としか言っていない気が……
もう、このイベントで憶測やら感想やらで通知が止まらない。
(なんで半裸!?)
(ちょっと濡れてなかった?)
(腹筋すごいね!何してる人だろう?)
(ツーカーかよ)
(掛け合いが夫婦みたい)
(どんな関係か誰か先生に聞いてよー)
画面越しの先生は大きくため息をつく。
『申し訳ありませんでした。授業を続けましょう』
再び授業が始まったが、みんな聞いてるのかってくらいにおしゃべりが止まらない。
通知の音が、授業が終わるまで鳴り止むことはなかったのだった。
『この試料以外の熱容量と測定中の熱容量の変化、温度による物体の体積変化について………
おや、もう時間ですね。では、残りは次回にしましょうか』
小さくなったアラームに、時計に視線を移しながら、先生はそう言った。
……今日あの人来なかったな。
まぁ、来る時もあるし来ない時もある。
でも最近は毎回のように顔を覗かせていたので、拍子抜けだと通知からは残念な声が。
『授業を終わります。お疲れ様でした』
次は休講だからのんびりしようとリモートを終了しようとして、ふと先生がリモートのスイッチを切り忘れていることに気がついた。
ホワイトボードに書かれたものをどれを残すか精査しながら考え込む、先生の後ろ姿に何名かは(そのままずっと写して置いて欲しいよね)と同じ事を思っていたようだ。
確かに先生の生活をちょっと見てみたい気もするが、プライバシーは??
どうせ振り向いたらすぐに繋がっている事は分かってしまうのに。
と思った矢先。
バンッ!
先生の部屋の扉が勢いよく開いた。
そこにはやっぱりあの人がいて。
『何か御用ですか?以蔵さん』
『おまんに用事なかったら来ん事知っちゅうろうが』
『授業終わったから良いものの、もっと静かに開けて下さい』
『終わるまで待っちょったやき気にしのうてもえいろうが』
『いつもそうして頂けると助かるんですがね』
いやいやいや、授業は終わってますが、まだ見えてますよ先生っ!!
もう通知は大変で(キターー!えっ、何この授業後のご褒美!)と興奮する生徒が後を立ちませんよ!?
一度退出してしまった生徒からは、(何それみたい!)と文句が。
(大丈夫!録画しておきます!!)と意気揚々な友達に、だからプライバシーは!?とツッコミが追いつかない。
『まだ、昨晩のこと怒っちゅうのか?』
『別に怒ってません』
『なら機嫌直して……』
伸ばした手を先生が払い除けた。
(修羅場!?修羅場かな!?)
(あっ、これドラマで見るやつ!)
(先生怒ってるところ初めてみた!)
(浮気か!?)
(このままサスペンス行きだったら目撃者になる!?)
(あの温厚な先生を怒らせるとは……やるな土佐弁の人)
『私が怒るくらいで直してくれるのなら何度だって怒りますよ』
『マックスウェル、まっことすまんかって…』
『反省してるんですか!?もう3回目ですよ!?』
(3回も浮気してるとかクズすぎん?)
(先生かわいそー)
(もっと良い人いるよきっと)
(はい!立候補しますっ!)
(俺もっ!!)
(はいはい!私も!)
(却下しますー)
こらこら勝手に内容を決めるな。
そして立候補者意外と多いな!!
『ずっと病院で心配してたんですよ……』
お、なんか浮気じゃないっぽい?
『あれ程飲み過ぎには気をつけてって言いましたよね!!』
『いやぁ…秘蔵の酒があるからって、しこたま飲んだら途中から記憶が無うて…』
(酒だった!!)
(浮気とアル中どっちがマシかな?)
(どちらにしろサイテー)
(先生苦労相だな…)
(やっぱ立候補しますっ!)
(却下!!!)
『今度こそ急性アルコール中毒かと……病院から連絡が来るたびに心臓が止まりそうになるんですよ』
『そりゃあ、あいつらが大袈裟じゃっただけやき』
『でもそれだけ危なく見えたって事でしょう?』
『まぁそうかも知れんが…』
『一歩間違えば命だって危ない事を理解して下さいよ』
『酔うとると忘れるきなぁ……』
『だからそういう所がダメなんですって!何度言ったら、』
あの人にグイッと引っ張られた先生が画面外に出た。
捲し立ててた声が、急に静かになる。
固唾を呑んで画面を覗いていた生徒たちは、この時ばかりは静かだった。
『………こんな事で誤魔化されませんよ…』
『何度したら許してくれるんか?』
『許して欲しいなら、もう心配させないで下さい…』
『おん、悪かった…』
再びの沈黙。
『……あの、今日はもう授業は無いので……その…』
『でも、まだアレ付いちゅうけどえいのか?』
『えっ…………』
あっ、先生がようやく気がついた。
『ゔわっーーーーーー!!』
ブツンッ!!
先生の大声と共に勢いよくモニターを閉じたのか、大きな音を立てて画面が真っ黒になった。
その瞬間、けたたましくスマホが鳴った。
(先生可愛いーーー!!)
(今の見た!!真っ赤だったよ!!)
(いいもの見たよありがとう)
(あんな声出るんだ……いい)
(授業以外の声も最高なんですが)
(何してたのか見えなかったけど、全てを察したねっ!!)
(最後のアレお誘いだったと思う人!)
(2万賭けますノ)
(今月のバイト代賭けますノ)
(今までのお年玉賭けますノ)
(賭けが成立しないだが!そして高レート過ぎる!)
(録画持ってる人連絡下さい!買取ります!!)
(どうする?先生に提出求められたら消すつもりだけど…)
(でもみんな一度は見たいよね?)
(上映会する?)
(希望しますっ!!)
(是非っ!!)
(一生の思い出にっ!!)
(なら日時はまた話し合って…)
(連絡お待ちしておりますっ!!)
(全裸待機!!)
(また、やってくれないかなぁ…)
(同意)
(激しく同意)
その時、この授業の生徒達の心は一つになったのだった。
その後先生には、何故か熱狂的無い生徒が増えたらしい。
想いを伝える訳でも無く、ただただ眺める傍観者だが、その一場面を見るためだけに授業を取る。
先生の授業の隙間に見える、愛の物語を見るために。
何で知っているかって?
これを記した私こそが、魅せられた傍観者なのだから
終わり
マックスウェル
大学の物理学講師兼研究員
柔らかな物腰で、いつもサングラスをしていることを除けば普通の講師。
リモートが始まる前から一部の生徒には人気だった。
リモート開始後から徐々に生徒が増えていて、みんなが物理学に興味を持ってくれている事を嬉しく思っている。
研究肌で、研究室に籠ると出てこない時があり、差し入れをする謎の人物の目撃証言があるとか。
外出先で指輪をしている事を生徒に目撃されてる。
岡田以蔵
高校生の体育教師。
剣道の部活の顧問でもある。
女子高生にモテたりしているが、気にする素振りは全くない。
首から指輪のネックレスをしている。
学校のすぐそばに家があるので、隙間を見つけてはちょくちょく家に帰っている(内緒)
酒豪……では無いのだが、豪快に飲みすぎて悪酔いし、救急車で運ばれる事3回目。
吐き過ぎの脱水症状なので問題無いが、相方には酷く心配されている。
以蔵さんが探していた『アレ』はスポーツ用のテーピング。
シャワー後だったし、時間的にこの後部活なので、マックスウェルが察した。
設定は、中学が一緒で高校は別々に。
大学卒業後、ある日バッタリ顔を合わせて、同じ教育の道に進んでいることに意気投合。
なんやかんやあって同棲することになったw
告白済。互いに指輪あり。
同じ設定でまたなんか書きたいな!